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伊豆・箱根旅行

自転車旅行第2弾!

まだ冬の気配が残る3月。
我ら3人、夏の本格的な自転車旅行を前に肩慣らしと伊豆、箱根のショート旅行に挑むが・・・
自転車旅行第2弾の結末やいかに?!

行程表

3月12日 自宅~伊東公園(静岡県伊東市)
3月13日 伊東公園~修善寺周辺の公園(静岡県伊東市(旧修善寺町))
3月14日 修善寺周辺の公園~箱根関所周辺公園(神奈川県足柄下郡箱根町)
3月15日 箱根関所周辺公園~自宅

旅の日記

※手書き日記を文字起こししてくれた野々垣氏に敬意を表し、誤字脱字は修正していない。

3月12日(日) 晴れ 3:45

ノノガキ:
 眠い。ハンマープライス見てしまった。寒さはそれ程でもない。が、ブランクはあるにはあるのであった。

インダ:
 少しカゼ気味である。

ミナミル:
 また旅が始まった。いつものメンツで。本当は11日にいく予定だったのに一日延びての出発だった。
 楽観主義の隠ちゃん。何も考えていないノノガキ。今度も僕がしっかりしなければ。アマリ書くとノノガキに怒られるのでこの辺で。

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3月12日(日) 曇り時々小雨 夜大雨

ノノガキ:
 いよいよ第2時自転車旅行に出発した我々は早々の隠田のパンクなどはあったものの無事小田原に到着。そこで小田原城見学の際、山本鉄舟のひ孫なる人物に遭遇。その人物は我々に山県有明がどうの大久保利通がどうの等など博識ぶりを披露していったが、我々の間には「山本鉄舟って何者だ」等とじじいに対する疑惑が広がっていた。その後、昼食は小田原のガストでハンバーグステーキ+ごはん大盛り(¥580)で済ます。
 いよいよ伊東に向けて出発した我々は、予想以上の上り坂に四苦八苦。熱海に着いた時点で相当な疲労だったが、とりあえず伊東を目指す。伊東に行く際もかなりの上り、プラストンネルもありブランクのあった我々はかなり肉体的+精神的な疲労を被ったが、これはまだ序の口だった。¥150の大衆浴場で体の汚れを洗い落とした我々は当初の予定通り「ほまれ」で¥1500の定食を食す。味そのものはまずまずであったが店員の態度がいかんせん良くなく、満足度は低かった。宿は駅のそばの「伊東公園」で安らかな眠りに着いた、といいたいところだが夜は大雨が降り防水対策に追われるなど初日にしてはかなりハードだった。
(オワリ)

ミナミル:
 久しぶりの自転車旅行は思ったより疲れた。パンクは隠ちゃんが多く語ると思うから詳しく書かないがいきなりのハプニングだ。厚木の人情深い人のおかげで助かった。が、それに対照的だったのが伊東だ。本に載っていた「ほまれ」で食事をしたのだが店に入った我々を無視する始末。挙げ句の果てに本に載っていた1500円のメニューが、しながきに載ってなく恥ずかしながらも店員のおばちゃんに聞いたら「ちょっとその本を見せて」とのたまい、「あーこれなら刺身定食よ」と言い出した。(ちなみにそのメニューはしながきに載っていない。)またその本には「きっぷのいい店の旦那」など等というようなことが書いてあったのだが、また「その本もう一度見せて」といい出し、「ふんふんその通ーりね」とずーずーしくも言い切る始末。おまえには謙遜という言葉を知らねーのか。山田邦子のサイン(ほか色々)を持っているからといってちょーしこいてんじゃねーぞ。夜は雨も降るし・・・。早く伊東を脱出したい。伊東の非人情さを書いて今日は筆を置こう。

追伸 西湘バイパス(自動車専用道路)を驀進した我々は本当に大物だ!?

インダ:
 あくまで伊豆旅行は今夏予定の四国旅行の予行演習である。3月12日4時半ごろ出発した我々は再び軽快に進んでいった。が、どっこい何と私としたことがパンクをしてしまうとは…。もともと、出発の時点で空気を入れなくてはと思っていたのだが、時間的に急いでいたのでまあいいか後で入れようなんて軽い気持ちでいた為、次第に空気が圧力に負けて抜けてしまい空気無しの状態でしばらく走っていたのがダメ押しとなり、中のチューブに穴が開いてしまったのだろう。ちなみに携帯空気入れはノンノン所有であり、中のチューブがないので不能、こうしたいきさつで我々は結局自転車を手で押すのみでしばらくノロノロ進んだ。このときより本日目標地点とされた下田行きは不可能と思われ始めた。このままでは埒があかないという意見が全員一致し、日曜の朝というのに人家にアタック。空気入れを借りようと何軒かアタックしたものの、ことごとく敗退。犬の散歩をしていたおじさんにあわなければ我々はこのまま延々と続けていただろう。運良くそのおじさんは空気入れを貸してくれ、その上その空気入れを我々にくれたのである。これには驚いたが実際問題として我々には空気入れがこの先も必要である。いやはやありがたや~、ありがたや~。旅は人情とはよく言ったものだと再び旅をしていてよかったと思った。今回の旅は前回北海道の時の写真の少なさを反省して多く撮ろうと言っていたので、当然このおじさんを中にいれ(犬も入ってると思う、アレ、いなかったかも)仲良く記念写真を撮った。あとは海岸線を走っていても全く楽ではなかったぐらいで、そこら辺は前の2人を読んでチョ。

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3月13日(月) 晴れ 曇り 雨

ノノガキ:
 今日は、昨日の夜から朝にかけての雨により改めて防水対策の大切さを知った我々は、テントなどを乾かす間、ごみ袋でテントを覆う為に袋をつなぎあわせる作業に着手。その後、昼食(カツ井大盛り¥750)などの手間などもかさみ伊東を出発したのはPM2:30ぐらいだった。
 そんなこんなでコースの変更を余儀なくされた我々はショートカットで修善寺を目指す。途中、中伊豆バイパスを通って更にショートカットしたものの、上り坂も結構会ったり、雨も降ったりとなかなか困難な道のりであったがPM5:00過ぎに無事到着。とりあえず風呂ということで無料の独この湯の前に休憩所のある風呂を求めて辺りのホテルを探すが¥800となかなか高い。その後、更に辺りを散策して¥500のところを発見。しかも貸し切り状態。満足して帰る我々を親切な主人はテントに適した場所を教えてくれるなどまさに至れり尽せり。もちろん宿はそこに決まったが、夕食はみそラーメン+ビールと体を内部からあっためてから比較的安らかに床に就いたのであった。
(オワリ)

ミナミル:
 人情は滅んだ・・・。本当(マジ)にそう思った。我々がテントの中で、「雨が降ったからこれからどーする?」などと相談していたら、公園の管理人らしい人物がいきなり我々に対し、「ここから出ろ」と文句をつけてきた。早朝(AM3:00)をピークに大雨が降った今日、本来ならば「ここでテントを張られると困るからでてくれない?」とか言ってもいいようなものをいたわりの言葉はもちろんなくいきなり我々を締め出す始末。仕方なく水たまりが見える隅の方に我々は移動した。北海道時代余り雨に降られていなかったので雨にたいし殆ど無防備な我々はそのことを痛感しテントが乾く間、雨対策に狂奔した。その後2時くらいに昼食(かつ丼)をとり修善寺へと向かった。途中雨が降ったがなんとか修善寺へ着き旅館「つゆき」で500円(ここら辺ではめちゃ安の部類に入る)で風呂にありついた。
 ここの時ーサンはめちゃくちゃ親切なおおじーで、風呂から出た我々を車でテントの張れそうな公園(とおぼしき所)に連れていってくれた。もちろん我々はこの御仁と一緒に写真を撮った。いつか修善寺で泊まることがあったら「旅館つゆき」で泊まろうと思う。

今日の結論
 「人情は不滅です」
 修善寺はいー所だったなぁ。
 今日はおしまい

インダ:
 雨のおかげで眠りが浅く余り元気ではない。セキもたまに出てのど飴で何とか抑えられる程度。テントに関しては結論から言わせてもらうと、夏専用かつ雨天以外の時という限定付き。安いからしょうがないとはいってもここまで思い悩まされるとは。朝には雨は止んでいたものの早朝から追い出された我々は、雨天時にも耐えうるテントを目指して頑張った。何をしたかというと、このテントは防水効果が無い(に等しい)ので、ゴミ袋のビニールで覆ってしまおうという訳で、大量のビニール袋とセロハンテープを使って何とが出来上がった。これはなかなかの力作でかかった時間も惜しくないほどであった。作業は、テントを張っていた公園の脇で多少人目を気にしながら行っていたのであるがこれでもう雨の日も大丈夫であると我々は確信した。下田方面行きの計画は、とっくに崩れてしまっていたので昼過ぎに我々は、修善寺へ向けて出発。途中雨も降ってきたり、上り坂、下り坂など苦労したが思っていたよりは早く目的地に着けたのではなかろうか。何軒か風呂屋を探し、相場が割と高いことに驚いたが運良く500円のところを発見。すかさず入った。メシ屋もすぐそばのラーメン屋、寝床も近くの公園とさくさくと決まった。これは風呂に入った旅館のおじさんがとても親切だったおかげである。当然写真を撮った。今回の旅は日数が少なく多少計画も狂ったが、人情のある人によく会う旅である。

P.S. 苦労して作ったビニール袋のホロは、今夜実際に使用する。効果はいかに。

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3月14日(火) 曇り後雨時々氷雨

ノノガキ:
 今日は予定通りAM7:00頃起きたものの昨日作った秘兵器の青いほろパート2が雨が降らなかった場合、内側の水滴を乾きにくくするという副作用が商事、またしても乾くまで出発することを余儀なくされた。
 そしてPM10:00過ぎやっと出発した我々は修善寺を早々に見学した後、韮山の反射炉に立ち寄る。¥100の割には案内と茶が付きサービスがよかった。
 その後、三島でウナギが名産らしいと知った我々はなんと豪華に鰻重(上)+ごはん大盛り(¥2,050)を食す。さすがに高いだけあってうまい。余は満足じゃ。昼食を済ませた後、予定通りコインランドリーでの洗濯を経て、いよいよ箱根へ。しかしそこはさすがは箱根。ひたすら上り。ひたすらつらい。(特に腰が)筆舌に尽くし難い登りをPM5:30頃ようやく突破。¥1000で風呂に入り、精気をよみがえらせた後近くの公園で床に就いたのであった。
(オワリ)

ミナミル:
 テント内に水溜りができる程水滴が付いた為、大幅に時間が狂い修善寺の宝物館を観ずに修善寺を後にした。途中反射炉を見学し、昼食は上うなぎ大盛りとめちゃ豪華に。(ちなみに、朝は賞味期限の切れたバターロールにあんぱん、夜はおにぎりにクリームパン)
 800mをゆうにこえる箱根峠を越え、疲れで我々は金に糸目を付けず1000円もする温泉で疲れを癒した。最上階にある温泉は「うーんなるほど¥1000だけある」と感じさせ、1日目のシャワーや水もない¥150風呂、2日目の狭くてめちゃ熱い¥500の温泉(?)と倍々にリッチになっていく風呂代に「うーん ひとまず1000円で終わってよかった」と感じた。(←明日は家だからタダ)寝床は温泉近くの公園でテントを張る。まだ雪の残っているこの公園はとても寒く、上着を5枚、下を5枚と計10枚重ねで寝た。ちなみにカイロは小4コ、大3コを使う。これで凍え死んだら運命(さだめ)だろう。
おわり

インダ:
 例のビニール袋のホロは、恐らく雨の時に効果あるのだろう。昨夜は雨が降らず、これが仇となってしまった。なにせ、ビニールだから保温効果が生まれて、テントの内側に水滴が付いてしまったのだから。我々は結局寝袋を乾かしたりテントを干したりするはめになった。予定より2時間遅れて出発し、さくっと修善寺を見学した後、割と早いペースで走行。途中、韮山反射炉を見て(100円でガイドand茶とはなかなかサービス良し)、いよいよ箱根峠に挑む。その前に気合をいれる為、昼飯を食おうということになったが、ウナギの店がやたらと多く食うしかないと全員の意見が一致、うな重上(1900円)の大盛り(+150円)を無言で食べた。恥ずかしながら写真に一応おさめてある。三島から峠まで15.5km強といったところか。大した事ないように思われた箱根峠であったが、いざ登ってみると果てしなく上り坂が続く。大分進んだと思ってもうそろそろ芦ノ湖が見えるのではないかと言ったものの、しばらくして山中城跡を発見。なんと、これは三島から峠までの半分位の地点に存在するもので、ドット疲れを感じた我々であった。汗びっしょり、もうそろそろ夕方近くということもあり、寒く暗い道を何も考えず、ただ黙々とこぎ続けた。半端じゃなく寒い。道の脇には雪が残っている所もあったほどだ。やっとこピークに達した所のファミリーマートで一休み、あったかいミルティーを飲んだ時は本当によくここまで(800mの高さ)登り続けてこれたものだと自分に感心した。あとは、もう残りわずかで風呂とメシにありつけると思って多少の上り坂も何とかこなして行った。が、芦ノ湖付近には大衆浴場がなく、ここら辺の風呂は5時までで終了という事態に。(ちなみにこのとき5時20分ごろであった)風呂に入れず、汗をかいた状態で、しかもまわりには雪が残っている所では必ず死ねる自信があった。ホテルや旅館の風呂に入られるところを探しまわって、1000円もするが背に腹はかえられぬという、これまた全員の一致で風呂に入った。値段は高いがそれだけのことは確かにあったのでやむを得ないだろう。その後、近くの公園の東屋の中にテントを張り(雨、雪が降る恐れがあったので)その中で夕飯を食す。今夜は非常に寒くなると思われたので、服を着れるだけ着て寝た。明日は家に帰れる。うれしいぞ~。たんがからんで、呼吸できずに死にそうだ。

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3月15日(水) 曇り

ノノガキ:
 今日は昨晩買っておいたパンで朝食を早々に済ませた後、箱根の関所を見学。その後小田原に向けて坂を気に下ったのだが、その坂がすごかった。何しろ とまらない、やめられない状態。ブレーキングしっ放し。当初の予定ではここを登るはずだったことを考えると・・・(以下略)。ものすごいスピードで小田原に着いた我々は、初日みかけたものすごい行列のラーメンや「味一」でみそチャーシューしなちく大盛り(850円)を食す。例によって行列をなしていたので30分前後並んで食べたその味はさすがといえるものであった。その後順調に家路に着いたと言いたいところだが、往路と帰り道を変えたのが運のツキ。道に迷った我々だが、記念写真を撮る余裕があるのはさすがといっていいだろう。
 そうこうしている内に、ようやく到着。家にたまったビデオを見ようたしたら、親が撮り忘れているのであった。
(オワリ)

ミナミル:
 3/15の日記をまさか4月9日に書くことになろうとは・・・。
 この日は昨日登った箱根の山を一気に下った。S字カーブの連続だったが気分は爽快。途中かまぼこ工場に立ち寄り見学がてらかまぼこを食べようと、聡明な我々は考えたのだが、この日は工場の休みでビデオ見学のみ。試食ができなきゃこんな所用はないと先へ進む。出発初日に人の列ができていたラーメン屋「味一」で昼食。11時開店(火曜休日)で我々はその10分位前に到着したのだが、もう人の列はできていた。みそしならくチャーシュー大盛りを食べたが味の方は「good」その後、小田原駅で写真を撮り私の先頭のもと立川を目指した。だが、私の方向音痴がついに炸裂。散々迷い、隠ちゃんに先頭の座を譲ってようやく厚木へ。(厚木もえらい迷ったが・・・)皆疲労の極みに入り、ついに立川の交差点で最後の記念写真を撮って我々の旅は終止符を打った。
 今回の旅はコース変更、タイヤのパンク等のアクシデントがあったが、総じて我々の旅らしさがあってとってもよろしかった。特に初日の西湘バイパスは孫の代まで語り継がれることだろう。
(おわり)

 どーでもいいが4月9日は荒川先生の入院のお見舞いに行った。
 お土産は我々も食べられるよう、お菓子を買ったが無駄な努力であった。その分今度ごちそうしてもらうぞ!(←力を入れている)
(本当におしまい)

インダ:
 本日は4月9日、あの伊豆旅行のことを忘れかけている今日この頃である。
 最終日の3月15日は箱根をひたすら下って小田原に出て、そこから海岸線をひた走り、平塚で北上し中央大学をかすめて家に帰ったのであった。
 さすが箱根はすごい。イロハ坂のような坂道を時速40~50km近くのスピードで落ちてゆく感じである。ブレーキがいかれるのではないかと思われるほど何回もブレーキをかけ、本当に恐ろしい思いをした。体の具合も良くなかったので、早いとこ帰りたい心境で案の定この日から1週間ほど寝込んだ私であった。
教訓:冬の旅行は避けるべし。

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