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九州旅行

自転車旅行第3弾!

大学時代最後の夏休み。
最後の大旅行先として選んだ地は、北海道とは真逆の南国九州!
輪行袋に自転車を納め、電車に乗ってまずは大分県別府市を目指すのであった!
自転車旅行シリーズ第3弾!果たして結末やいかに?!

行程表

8月12日 自宅~品川駅
8月13日 品川駅~宇佐駅(大分県宇佐市)
8月14日 宇佐駅~加島氏宅(大分県大分市)
8月15日 加島氏宅~上本町公園(鹿児島県鹿児島市)
8月16日 上本町公園~摺ヶ浜児童公園(鹿児島県指宿市)
8月17日 摺ヶ浜児童公園~吹上浜国設野営場(鹿児島県日置市)
8月18日 吹上浜国設野営場~阿久根市内コインランドリー前(鹿児島県阿久根市)
8月19日 阿久根市内コインランドリー前~くろんぼ近辺の公園(熊本県天草市)
8月20日 くろんぼ近辺の公園~熊本駅近く川原(ノノガキは熊本駅付近のベンチ)(熊本県熊本市)
8月21日 熊本駅近く川原(ノノガキは熊本駅付近のベンチ)~熊本駅近く川原(熊本県天草市)
8月22日 熊本駅近く川原~長崎市内のどこか(長崎県長崎市)
8月23日 長崎市内のどこか~ハウステンボス駅(長崎県佐世保市)
8月24日 ハウステンボス駅~ハウステンボス駅(長崎県佐世保市)
8月25日 ハウステンボス駅~佐賀駅(ノノガキは佐賀駅前バス停のベンチ)(佐賀県佐賀市)
8月26日 佐賀駅~博多駅新幹線待合所(福岡県福岡市)
8月27日 博多駅新幹線待合所~加島氏宅(大分県大分市)
8月28日 加島氏宅~松山駅前ベンチ(愛媛県松山市)
8月29日 松山駅前ベンチ~松山駅前ベンチ(愛媛県松山市)
8月30日 松山駅前ベンチ~鳥取駅構内(鳥取県鳥取市)
8月31日 鳥取駅構内~自宅

旅の日記

※手書き日記を文字起こししてくれた野々垣氏に敬意を表し、誤字脱字は修正していない。

8月12日(土) 晴れ

ノノガキ:
 今日は、PM2:00頃に集合。早速MTBをバラす。そのときなぜかやじうまとして西村がいた。かれはなぜか陽気にたたずんでいた。1時間強で何とか解体を終了。しかし重い。思わずN氏などと共謀してMTBを移し変えた。(∵私のMTBはアルミ製でないので重い)
 その後西村の家でバーチャのやりおさめ。皆見のお迎えで家に帰った私は、殆ど隠れキャラだったうちの親父を引き連れ、PM6:15頃皆見家に到着。3人の家族を引き連れ立川駅へ。その時、荷物の札を買ったのだが(¥260)、駅員のおっちゃんの機嫌がよかった為、8/13の分も加えてくれた。その後中央線で東京を経由して品川へ。PM11:55出発の電車に乗る為にPM8:00過ぎ到着。しかし既に並んでいる。しかも結構大勢。暇潰しに将棋や 軍人将棋をする。戦績は・・・言うまい。更に時が過ぎホームは人があふれんばかりとなった。

ミナミル:
 Pm2:00(ノノガキ氏のみ遅刻し15分位遅れてきた)に集合した我々3人は西村氏の協力(?)のもと輪行袋に自転車を詰め込む作業に専念する。予行練習しただけあって、スムーズと言わないまでも迷うことなく1時間強かかって収納を終え、全面的なバックアップをしてくれた西村氏とともに先ずは記念撮影としけこんだ。その後、私を除く3人は西村氏宅へゲームをしに行った模様。その後、Pm6:00頃再び我家に集合。私は、我が尊愛なる父に、隠田はお馴染みの母上に、そしてノノガキは初登場の父上に車で立川まで送ってもらい、特快で東京へ向かう。大垣へ向かう電車は品川から出発するのにもかかわらず、ノノガキ・隠田に騙された私は東京駅で駅員に「大垣行きの電車は何番ホームですか?」と思わずボケタ質問をかまし、駅員が調べてくれている間に品川発を思い出しそそくさと逃げる。
 品川にはPm8:00頃に着いた。大垣行きはPm11:55発だから、4時間も前なのにもかかわらずホームにはすでに人ごみができ、われわれはその中に紛れ将棋・軍人将棋で暇を潰す。ここで特筆すべきことは、ノノガキの初軍人将棋体験であろう。彼の中将が、隠田の大将に敗れ去った時のノノガキの悲痛な顔といったら絶品だった。Pm11:25にホームに滑り込んだ大垣行きには人々の無秩序ぶりが窺える光景だった。メチャこみの電車に乗って、我々の九州旅行は幕を開けたのだ。

いんだ:
 我々は今回九州ほぼ一周する予定。就職活動を無事(皆見は多少焦っていたが)終え学生生活最後の夏休みを大いに楽しもうという訳である。しかし私には(のんのんも)密かな目標があり、この目標を達成した暁には別人となって帰ってくると予想できるものである。今現在私は72kg重あり、やせてはいないとよく言われる。この筋肉美が解らぬかなどと言っても仕様がない。写真をみれば一発(太郎)だから悲しい。故に、この暑い夏しかも九州で釈迦力になってコギコギすればきっと・・・きっとやせる(と思う)。糖分を極力控える為、ジュースは飲まず、お茶系統(烏龍茶・16茶等から。マニアックな物を言えばマテ茶・24茶といったもの)しが飲まないという誓いを立てたほどである。まぁ、そんな大目標、小目標を持ちつつ夕方出発した(皆見家を出発するまでの過程は2人を参照)。一応個人的なことを述べれば出発日前日胸がとてもドキドキし、興奮して、思わず朝の4:00頃までのんのんに借りたビクトリー・ゴール(サッカーゲーム)をやってしまい、出発日は非常に眠かったが、当分ゲームができないと思うとなぜか指が自分の意志とは反して動きまくり、スプラッシュマウンテン(バーチャファイター・リミックス版)を決めてしまうのであった。
 品川駅に着いた我々は、当初2時間くらい前に着いておれば十分過ぎると考えていたが、実際には4時間前に既に着いてしまい早すぎると思ってホームに降りると、そこにはもう列ができ、新聞紙を広げて待っている人々が沢山いた。みんなケチ供かと思うとゾッとしたが、そう思っている我々もその仲間入りを果たし、ノンノン名人と皆見九段の将棋の勝負(マッタ3回まで。これはあまりにも名人が強すぎて皆見九段が可哀想だったから、皆見氏が打った手を修正できるようにしたもの)をやったり、今日は調子悪く負けてしまった名人を相手に恐れ多くも私目が軍人将棋の勝負をするのど色々して時間を潰した。軍人将棋の結果はノンノン名人の寛大の対応をもって(時折頭を抱えて私のヘボな手で喜んでらっしゃることもあったが)私が勝つことができた。
 我々の乗る電車が入線する頃にはホームは殆ど足の踏み場も無い位、ケチ人間で満ちていた。さすがに4時間前に並んでいただけに長蛇の列の前の方にいた我々だが、自転車のことを考えると不安でたまらない。色々と作戦を練った挙げ句、皆見が荷物を一手に引き受け、私とのんのんの2人が3台の自転車をもって乗ることにし、まず皆見が突入し、次に自転車を1台持って入り口間際まで運んで行列をストッパー。その間に2台をスコスコ置く我ながら感心な手(非常に迷惑とは思ったが、所詮先に並んだ者のなすがままよ)を実行する。列に並んでいた時自転車旅行はやはり珍しいのか色々と和やかな雰囲気で私達と話していた少し後ろにいたおじさん達が、電車に乗る瞬間に「いけ~」と叫びズコズコ2人をおしやって乗ってしまい、後続の人達も弾き飛ばされた2人を横目に殺気立って乗り込んでいった。列が次第に短くなり、列車内が満ちていく光景をまるでスローモーションで見ているかのように、ただただ茫然と見ている私とのんのんであった。皆見は任務を果たし、席を確保していたが、自転車は1台しか乗せられない状態。1台をなんとか列車の窓から自分達の座席のところに入れもう1台を別の車両に入れて一件落着したが、まるで終戦時の買い出しみたいな感じであった。(当然本物は経験したことはないが)
 電車の出発時刻が迫る一方でまだ2台が外にあり、どこにも入れられない、究極のピンチをクリアしたものの1台が向かい合わせの座席の間に置いてあり、足の置き場に困り果て、よく眠れず出発進行。電車よりフェリーが比較にならないほど楽であると感じたが、時すでに遅し。

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8月13日(日) 晴れ

ノノガキ:
 昨夜11:55乗車の大垣行き。さすがに狭い。とても眠れたものじゃない。冷房も何故か止まった時しか効いてこない。よって眠れなかった我々は色々と話し込んでいたのだが我々と同じボックスにいた真っ赤な服を着た兄ちゃんが突如割り込んでくる。しかも最近の映画の話しをしているのに「僕の好きな映画はトップガン。なぜならかっこいいから。」などとたわけたことをほざいていた。AM6:00過ぎに大垣に着いた後は、とりわけ混んでいるということもなく順調に進む。姫路行きの電車に乗っている時、被災地の状況が窺い知れたが、マンションが斜めだったり、壊れたビルの解体作業が残っていたりと被害のすごさが身に染みて感じられた。が、復興作業も順調に進んでおり、私の千円が有効に使われたことを実感した。18切符を極力使用した為PM11:00頃宇佐に到着。しかし我々3人の間にはなぜかただならぬ気配があった。駅員がうろついていたが、一気に改札を突破。我々はその瞬間笑顔が戻った。品川-宇佐間で1度も見回りにこなかった為18キップに日付の刻印がなくわずか610円で突破したのだ。なかなかできることではない。(ちなみにわたしはきちんとだすきでいたが・・・)
 今夜は宇佐駅前でテントを張った。ちなみに朝食、昼食はおにぎり、夕食は下関駅で立ちそばで済ましたのであった。
(おわり)

ミナミル:
 我々の大垣までの行程は筆舌に尽くし難いものがあった。図1を見ていただければわかると思うが座れたもんじゃない。

私と隠田の間にはなぜか自転車(昨夜窓からねじ込んだ)があり、私の足は体の向きとはおよそ90°逆側の通路にたたずんでいる。隠田の場合唯一の憩いの場である肘掛けもごっつい兄ちゃんに占領されている始末。通路も人人人の嵐である。この状況でおよそ7時間(大垣着6:45)まで耐えたのだから我ながら天晴れといいたいものだ。私の朝食は2人とは差をつけた駅弁。米原で買った牛肉弁当(近江牛)は900円しただけあってさすがにうまい。ちなみに米原では自販機で烏龍茶を買ったのだがもう1本当りという幸運まで得た。無心の私だからこそなせる技なのだが、その後のノノガキの自販機にかける入れ込みが多少なりとも変わったのはいうまでもない。姫路までの行程は快速電車のおかげで快適だったが、それ以後の宇佐までは各駅停車のおかげでえらく退屈した。阪神大震災の爪痕を車窓から眺めたが、地震の威力を初めて知った。昼食は隠ちゃんと糸崎で天ぷらうどん(280円)。夕食も加島氏御推薦の下関での天ぷらうどん(300円)糸崎のうどんは汁に色がついていたが、下関のうどんは無色で西に来たことを実感した
 ところで下関の乗客のマナーは何とかしてほしい。2人がけのいすにノノガキと共に座っていたのだが私の前に妊婦がやってきた為紳士の私はすかさず席を譲るために立ち上がった。とその一瞬まずガキがすばやく席に座り、余ったノノガキとガキの間の空間にガキの親が横にいた年寄りに席を提供し、礼をいわれている始末。仕方なくノノガキが席を妊婦に譲り事無きを得たが、私と妊婦、その夫が目を丸くしていたのはいう間でもない。その後宇佐に22:37につき、キップをだし忘れた(?)為、手荷物料(260)+立川→川崎間の610円で九州へ来てしまった。宇佐駅はお盆の為飾り付けがしてあった。そうそう中津では日本一長い椅子があり、それは写真に納めたので、それは写真を見て欲しい。
おわり

いんだ:
 はっきり言って立川から九州の宇佐まで120円で来れた。もっとも18切符を使わなかっただけでもラッキーなのだが。以上本日は風呂に入らず、よってた移住の変化具合も調べようもない。

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8月14日 雨後晴れ

ノノガキ:
 今日はAM4:00起床。正直言ってまだ眠い。しかしてきぱきと自転車を組み立てて、いざ出発という時にUSA STATIONを発見。こんなところにUSAが・・・。しかしよく見るとここは宇佐なので当然なのであった。しかしこれは特ホウ王国に使えそうだとしっかり写真に納めたのであった。そんなこんなでAM5:30頃出発。40km先の別府を目指して。しかし立石峠を越えた辺りでしっかり雨。早速足留めを食う。そこで早くも誓いを破り(インダ参照)アクエリアス500mlを飲んでしまう。500mlの魅力には勝てなかった・・・。雨宿り日がドライブインだったのでそこで朝食を済ましているうちに(カツ丼大盛り¥550)雨も止み別府に目指してこぐ。途中多少きつかったが無事別府に到着。(皆見が少しトラブッたが・・・)その後2日ぶりに風呂に入り(竹瓦温泉¥60)ロッテリアで昼食(かき氷¥160)を済ます。そこで皆見のfriend加島氏と合流。彼の運転で早速別府を観光。(ちょっと危ない)もちろん地獄めぐり。海、山などの地獄を経て、金竜地獄へ。そこに愛敬のある赤鬼登場。思わずキスするはめになってしまったが、なかなか愉快であった。しかも中に入ると3人の鬼が待ち構えている。何かと思ったらジャンケン勝負であった。皆見は緒戦で敗退。しかし私めはさすが勝負師。見事勝ち抜き賞品をGET。賞品は通行手形(¥推定500)であった。地獄マスターになった後、加島氏とっておきのスポットで(TV局のアンテナのあるところ)でなかなかの景色を見る。その後いよいよ加島家へ。加島家の人は皆温和そうでうまいものがじゃかじゃかでて来る。メインの焼肉の他にもめざし、ぜんまいなど留まるところを知らない。ビールもばかすか飲んだし、みかんそれにすいかまで・・・。まさに余は満足じゃ状態。ござの布団でぐっすり熟睡したのであった。

ミナミル:
 朝4:00に目覚めるのは真面(マジ)に辛い。目覚まし(私の右側においてある)の音で目覚めたのだが寝ぼけた私は左側で寝ている隠田しの腹をまさぐる始末。ノノガキは相変わらず熟睡モードに入っていた。
 宇佐駅(USA STASION)を後にしいざ別府へ。自転車旅行はすでに達人の域に達していたと自負していたのだがやけにこぐ足が重い。2人とも同じ境遇と思い「疲れたよなぁ」といったところ「そんなことないよ」というつれない御返事。そのうち疲れの余り私は気持ちが悪くなったところ、雨が降り始めてきた。クロートの我々は雲の様子や雨の降り具合から「これはすぐに止む」と見抜き(ウソ)ドライブインで朝食をとって(カツ丼)時間を潰した。その後、雨が止み気を取り直していざ別府へ。途中ハーモニーランドのある赤松峠は立石峠より更にきつかったが、そこはカツ丼の威力で何とか乗り越えた。それにしても2人に比べ私の疲れ具合は尋常ではない。ギアの調子も悪かったので調べたところなんと後ろのブレーキがかかった状態のままで走っていたのである。その後別府で竹瓦温泉(60円)で2日の垢を落とし、いざ自転車屋へ。修理台1500円を払い何とか復活。そうそう、竹瓦温泉は店の作り、値段、店名入りの自販機といいただ者ではなかった。昼は別府駅でロッテリアのエビバーガーとオレンジジュース。その時である。私に突然摩周の悪夢がよみがえったのだ。そう、腹がめちゃくちゃ痛くなったのである。早速正露丸を飲んだのだが効果なし。そうこうしている間に加島が迎えに来てくれた。別府の最初の観光先はやはり地獄巡り。写真の鬼と化していた我々はかまど地獄で地獄の1丁目から6丁目まですべてカメラに納めた。その後別府を一望できる山の上を案内してもらい加島邸へ。彼の両親はとても人の良い人の代表みたいな雰囲気をかもし出しており、洗濯、豪華な食事(焼肉食い放題)、風呂といい至れり尽せりといったあんばいであった。それにしても腹(胃)がまだ多少痛みビールをコップ2杯までしか飲めなかったのがとても残念。また訪れるしかあるまい。
(オワリ)

いんだ:
 宇佐の朝は早い。AM4:00だと言うのにテントのちょい離れた所に男がこちらを向いて立っており、恐怖を覚えたかと思うと駅の待合所にはじいさんとばあさんが座っていたりとなんとなく恐ろしい町であった。九州旅行が始まってやっと自転車に乗れるのである。自転車はやはり乗るものであって担ぎ持っていくのは良くないとつくづく感じていたので自転車に乗れるのがとてもうれしくてたまらない。宇佐から別府まで約40km、途中峠が2つほどあったが1人を除いて難無くクリア。箱根峠をクリアした我々に聞いたことのない峠など平地同然であった。例の1人である皆見はリハビリを兼ねてか(私は旅行前テニスをよくやり、のんのんは山に登って体を動かしていた)多少からだに鞭打つ為にブレーキしながら進行しなんでもない峠を箱根峠以上のものにしていたらしい。天晴れな心意気よの~。皆見も十分なリハビリしたらしく、別府にて自転車の修理。どうやら彼はブレーキのみでは飽き足らず、最高ギヤまで使用できなくしていたらしいことが明らかになった。かなりへたばっていた皆見だが風呂に入ることによってリフレッシュした様子。この竹瓦温泉は60円で安く、休憩できるし言うことないのだが、あえて述べれば湯が熱い、水が無い、階段がヌルヌルしてコロンで死にそうなどがあった。湯が熱く風呂から出てもすぐ汗がふき出てきたが、一応すっきりした我々は皆見's friendである加島氏と合流。地獄巡りはなかなか楽しめたが(両氏参照)風呂上がりにまた風呂に入ったような感じ、いや風呂ではなくサウナに入った感じで一気に汗をかいた。加島氏の運転は自分としては楽しめた。ブレーキングが良く、これにハンドル回転をあわせればきれいなドリフト走行ができると私は思った。展望台へ行く時の山道のカーブも丁度良く、彼はきっと良いドリフターズになろう。まぁそれはさておき、加島家へ到着した我々は(私の昼飯はロッテリアのアイス氷いちご240円)腹が空いていた。偶然昼飯をけちった時に限って豪勢な夕飯が出てくるものである。普段小食ぎみの私だがノンノンの食べっぷりに感動し、見習ったおかげで胃拡張になるほどいただいた。来るもの拒まずといったノンノンの精神には今更ながら驚き、貴重な存在と感じ、初めて会う加島家の人達も私以上に感動したと確信する。夕飯、風呂、洗濯、布団(寝ござ着用)と旅の前半でこのような思いをして良いものだろうかと今後のひもじい生活を予想できるだけに不安でたまらない。
 ちなみに加島家は大分川(一級河川)にかかるあけがわら橋のすぐそばである。
 ♪あの素晴らしい愛(会い)をもう一度・・・
(おわり)

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8月15日(火) 晴れ

ノノガキ:
 今日はPM12:28の電車に乗るということもあってゴザの布団の上でPM8:00頃までぐっすり寝る。その後朝食をごちそうになったのだが魚にごはん、ぜんまい、ソーセージなど一件質素に見えるがうまかった。その後車に乗せてもらい別府駅へ。別れ間際の御両親を見て「また来るよ」と心に誓ったのであった。駅に着いた後自転車をてきぱきと組み立てる。組み立てる際自転車を取りにいったのだが戻ってきたら荷物を載せた車は視界の先へと消えていった・・・。(よって駐車場までいって組み立てた)組み立ておわって宇治金時(¥450)を食べる。なかなか美味。そこで加島氏とお別れをし一路鹿児島へ。めちゃめちゃ退屈しつつもPM9:40頃到着。近くの公園でテントを張る。ちなみに昼食はおばさんの作ってくれたお弁当、夜は鹿児島駅で食パンで済ます。そういえば鹿児島駅でMTBを組み立てていたらおばさん達がジュースをおごってくれた。しかしアイスにすればよかったと少々後悔している私であった。(おわり)

ミナミル:
 予定よりも1本遅い電車にした為、旅行前の予定が多少狂うことになったが、それでも十分睡眠がとれたこともあり、遅らせたことは正解だったと思う。何よりも昼食にと弁当を作ってくれたのは予想外の喜びである。鹿児島までの電車のたびは暇に尽きる。乗り換えは延岡の1回のみ、途中車掌と停車中に話しをしたが、どうやら霧島を抜ける途中は坂がかなりきついらしく、電車にしてよかったと胸を撫で下ろす。鹿児島にはPm9:30すぎに到着。駅の外で自転車を組み立てていたらおばさんが(4人位いた)我々にジュースorアイスを自販機でおごってくれること。なんて鹿児島の人は親切なんでしょう!私は遠慮なくミルクティーをごちそうになった。しかし・・・アイスも捨て難かった。
 ちなみに昼食は加島氏のお宅でアジの焼き魚、味噌汁他様々なおかずがついてとっても満足。別府でかき氷(宇治金時450円)、昼は弁当、夜は昨日買った食パンを食べました。初めて家から持ってきたハチミツを使ったぞ!
 寝床は駅の上の方にある公園でテント。(おわり)

いんだ:
 寝ゴザは初体験であり何か変な気がしたが、こちらの住人は夏にシーツでは暑苦しいとのこと。やわらかいとはいえ、ゴザの跡が残っていた。本日の出発は皆見のを参照していただきたいが、寝覚めの早い私はきっちりAM5:00に目が覚め、2度寝できそうもなかったので加島家を出て近くを流れる大分川まで1人で散歩をした。眺めもよくそこで一服、二服とタバコを吹かす。すずしかったのでボーッてしている間に1時間ほど経ち引き返す。途中で加島君のお父さんと行き違う。家に着いてすることもなく、2人ともまだ寝ていたので私も再び床に入る。すっかり2度寝した後、朝食をいただいた。昨夜は肉料理で今朝は魚料理と感動した。かき氷(宇治金時)を電車に乗る前に食したが、予想以上にうまく以後かき氷の虜となる(日記を書いている今は8/18)。大分の加島家の思い出は極めて異例のことであり、このような生活に浸ってはならない。夕飯は旅行に持参したハチミツを使って食パンに塗る。我々はこのような生活をせねばならないはずである。

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8月16日(水) 晴れ

ノノガキ:
 今日は、桜島を1周する為フェリーに乗る日である。朝食に昨日残しておいた食パンを食べる。(3枚)その後急に私の腹がうなり厚岸の再来かと思ったが鹿児島駅に飛び込み事無きを得た。その後歯を磨くため再び駅に寄ったが、その際私に向かって駅員が一直線にやってきて「乗客が迷惑しているから(自転車を)どかすように」言ってきた。なぜ我々の自転車とわかったのか・・・、未だ謎である。フェリーに乗って桜島を1周したのだが、予想以上に道がきつくへたばった。しかし溶岩のかたまりを目の当たりにした時はなかなか感動した。その後「国民宿舎桜島荘」で汗を流す。(¥210)水風呂が気持ちよかった。その後鹿児島本土に帰り、うまいといわれる「くろいわラーメン」で昼食。ちょっと変わった豚骨だが行列ができてるだけあってなかなかだった。昼食の余韻もさめないうちに鹿児島一のかき氷やで「チョコレート白熊」(¥600)を食す。中にフルーツが数種類入っておりちょっとしつこかったがうまかった。かき氷を食べおわった時もうPM3:00くらいだったが、予定通り指宿まで走る。(約50km)そこで砂湯に入った。(¥710)最初は気持ちよかったが、段々熱すぎて痛くなってきたので2人より早く上がる。はっきり言ってもう入る気はしない。晩飯は、洗濯しながら納豆(しそのり、からし付き、醤油無し)とおにぎり1ヶ。寝床はコインランドリーのそばの公園にする。しかし風が入ってこなく汗がじっとりとしてきてなかなか寝付けなかった。(オワリ)

ミナミル:
 朝4:00に目覚ましをかけたはずなのに目覚めたのは6時台であった。緊張の糸は完全に切れたようだ。朝食は昨夜の残りの食パン3きれにハチミツをかけてちょうだいする。まずしい・・・。その後公園でのテントをカメラに納め、鹿児島駅で歯を磨きにいく。昨夜もこの駅で歯を磨いたのだが、洗面台にはなぜか見慣れたひげそりが・・・。どうやら昨夜使ったまま忘れておいたままにしたらしく、もちろんこんなもの盗む奴はいないのでひげそりは無事に一夜を越しそのまま洗面台にたたずんでいたらしい。その後フェリー(片道150円+自転車100円)で桜島へ。時計回りで島を一周したのだが、なかなか疲れる。最初ガスっていた桜島の山もやがてその全貌を現し始め、昭和溶岩のところではその雄々しい姿を我々の前にさらけ出した。途中埋没鳥居の前で写真を撮る。当時の噴火のすさまじさが窺われた。そうそう、この鳥居の100m手前ぐらいの自販機で休息したのだが、旅行前隠ちゃん達が「我々は旅行の最中はお茶系統しか飲まず、炭酸飲料は御法度。コーラなどは言語道断」とぬかしていたにもかかわらず早速500mlのコーラを隠ちゃんが飲み始めたのには笑った。桜島の南部の有村展望所で写真を撮り、東桜島温泉で風呂にする予定だったが、気が付いたら一周しおわって最初のフェリー港に着いてしまい国民宿舎桜島荘で汗を流す。(風呂場で写真撮影)その後鹿児島本土に戻り、コインロッカーに預けた荷物を取ったのだが、駅前で訳のわからない昼間っから酔っ払った爺に捕まり難渋する。爺を適当にあしらい、畠野推薦の「くろいわラーメン」に向かう。途中西郷さんと写真を撮ってラーメン屋に着いたのだが、店がえらく混んでいた。私はチャーシュー麺(750円)とライス(150円)を食し、その後「むじゃき」というこれまた畠野推薦のかき氷やで「白熊」を食べた。ところで「むじゃき」も混んでいて並んだのだが、このときKTS(だと思う・・・)のテレビカメラが、並んでいる客をカメラに納めていて、あろうことか我々に興味を持ったらしく何の許可もなく撮り始めるではないか!中でもセンスのいいカメラマンだったらしく私に向かってカメラを近づける始末。色男は辛い・・・。ちなみに放映されたかは不明。かき氷を食した後、途中大久保利通像の前でカメラを写し、いざ指宿へ。比較的平坦な道が多く、快調に進んだ。(だからといって疲れなかった訳ではもちろんない)指宿に着いた我々は駅で写真を撮り、途中夕食の納豆(今旅行初!)をタイヨーなるスーパーで買っていざ天然砂蒸し温泉(町営)へ。気持ちがよかったが、砂を洗い流すのが大変でかつ料金も高い為、これが最初で最後の体験となるであろう。その後はコインランドリーで服を洗うのだが、途中納豆のパートナーであるご飯を買いにコンビニに寄った。しかし・・・ごはんがない!ほか弁ももう閉まっている!しょうがなく「玄関開けたら2分でごはん♪」のレトルトごはん+おにぎりで夕食を済ます。ちなみに味は・・・まずい。コインランドリーで明日の計画をたてその後公園でこの日を終えました。
おわり

いんだ:
 九州旅行に来て、大分辺りで多少自転車に乗ったもののやはり本格的なものをしておらず面白くない。本日からは今までの楽チンな旅から離れ、苦しいものとなろう。
 朝飯は軽く食パンにハチミツですまし、フェリーに10分程度のって桜島へ。強人のんのんは平気だったみたいだが、私と皆見は上陸して少し進んだ瞬間に目が細目になった。空気自体何となく火山灰を含んでいる感じで大変目がしょぼしょぼした。よく考えるとノンノンは普段から目が細い、ただそれだけだったらしい。時計回りに一周34.5kmと丁度良いものと思われた。桜島の北側から東側にかけてはかなり高低さが激しく、しかも土石流警報機などみかけるほど溶岩地帯であったため木がまばらでとても楽しんで登れた。唯一の救いが桜島の見える角度が少しずつ変化していくことで一応進んでいる実感が得られるだけであった。東から再び西のフェリー乗り場へと行く道筋は快適かつ眺めも抜群でガリガリ進めた。フェリーに乗る前にひとっ風呂浴びてすきっとしたところで、鹿児島のくろいわラーメン、むじゃきのストロベリー白熊とリッチに昼飯を済まし、いざ指宿へ。時間的に無理かなと思われたが走りやすい道路、晴れ男パワーによる雨上がりの天候、桜島一周で足が第3のギヤへと復帰したことにより、時速20km以上をキープ。あっというまに指宿につき、天然砂むし風呂(710円)に入った。我々の金銭感覚からして、この値段は言語道断であったのだが、最初で最後という暗黙の了解のもと入ることに決定。素っ裸にオレンジ色の浴衣を着て砂浜で穴を掘っているところまで行き寝る。おばさん達がシャベルで砂をかけて出来上がり。こんなもので金をとるのかと怒ったが、次第に砂が熱くなり汗がふき出てきた。かなり汗が出てなかなかよろしいと心変わりした。眼鏡を外してきたので、辺りが良く見えないし、日も落ち星も出ていたが私にとってないに等しい状況だった。かなり砂が熱くなりやけどするのではなかろうかとおもったが、720円も払ったのだからもう少し我慢。満ち潮で海水が足先に来るまで粘ることに皆見と決定。のんのんは耐えられず行ってしまっていた。なかなか足先が濡れず、体をもじもじして耐えた。やっと達したので、楽にしてあげようト体沿いにほりを作ってさし上げたら、なぜか海水がそこまで来て引き返してしまいなかなかしみ込まずに悪いことをしてしまったらしい。反省。
 砂風呂はかなり汗が出たらしく、のどがものすごーく乾く、砂が体中について洗うのが大変などなどこれは一度体験しただけで十分という意見に我々は達した。夕飯は納豆におにぎり2個で、2人とはご飯面で違うがこれは正解だったと思った。あまり白いご飯にこだわってはならないと私はニヤリ。

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8月17日(木) 晴れ

ノノガキ:
 昨夜は異様にじとじと汗をかきAM5:00頃眠いながらも起床。指宿駅でクリームパンと食パンで朝食を済ます。(ちなみに8個入りのクリームパンであったが皆見が辞退したので3個食べれる。)その後長崎鼻へ。楽勝と思われた道のりであったがなかなかエグい。長崎鼻でライダー(神奈川綾瀬出身の衛藤氏)に会い談笑しながら見学。なかなかユニークな人でしかもジュースをおごってくれるナイスガイであった。ちなみになぜかその時指が滑り500mlコカコーラが出てきてしまった。やむを得ず飲む。その後枕崎へ。しかし正直言ってこんなにエグいと思わなかった。しかもめちゃめちゃ暑い。Am11:00前ですでにシャツを絞れば滴り落ちるほど汗をかく。その時西村に電話をしたのだが今起きたとの事。何も言うまい・・・。途中カレー屋でビーフカレー大盛り(¥600)を食す。その際上半身裸で入ったのだが「東京でこんな格好したらどうなる?」などと訳のわからないことを店の主人が聞くので少しむかついたが、味と量はまずまず、水は地下水を汲み上げたとかでうまかった。しかしとにかく暑い。テントも乾いてないこともあって枕崎駅そばの喫茶店ですかさず休憩、かき氷(レモン)¥400を食す。その後更にあついなか走り続けPM5:00ころ吹上町に到着。なだれ込むように風呂に入る。さすがにあれだけ汗をかいたのでついに体重が60kgジャストに。はっきりいってうれしい。晩飯は地元民推薦のドライブインでからあげ定食大盛り(¥700)を食す。テントはドライブイン近くのキャンプ場に張る。そこの駐車場で皆見がせっかく持ってきた星座早見版を用い星を見る。東京と違い星がたくさん見え過ぎて帰ってわかりづらかったが夏の大三角形や蠍座等色々確認できてなかなかよかった。今宵は風通しもいいのでぐっすり眠れた私であった。
(オワリ)

ミナミル:
 東京で一度寝たらとことん満足いくまで寝る訓練をしてきただけあって、2人が寝不足ぎみなのにもかかわらず私は比較的リフレッシュしている。指宿で昨日買った食パンとクリームパンを食べ(6枚切れの食パンを1きん買ったので1人2枚)いざ長崎鼻へ。いきなりかなりきつい坂に出会いこれから先の道中の運命的なものを感じた。長崎鼻では衛島(えとう)さんというライダーとともに見学。神奈川からやってきたとのことで我々と意気投合し、思わずジュースまでおごってもらう。ノノガキはボタンを押す前から「手がすべった」などといい、禁断のコーラを手中に収めた。その後枕崎までの道中は案の定かなりきつい。途中休息の合間に西どんにTel。彼が「今起きたところ」との返答に一同・・・・・・なめんなよ!!昼食にビーフカレーの大盛りを食べやっと枕崎駅へ。テントが濡れているためここで乾かしその間駅横の喫茶店でかき氷を食べ休息。一息着いた後、吹上温泉を目指してまた自転車をこぐ。日は身を焦がすかのごとく強い。この日初めて長袖を着用したほどだ。死ぬ思いで吹上温泉(吹上町営講習浴場190円)で汗を流し、吹上市街地なるもので地元住民に教えてもらった吹上浜ドライブインでからあげ定食大盛り700円を食べる。麦茶お変り自由かつクーラーが効いていてとてもよかった。その後は吹き上浜国設野営場でテントを広げ、これまた初めて私が持ってきた星座早見版を使い夜空を見上げ星座を学んだ。夏の大三角形には自信がついた。
おわり

いんだ:
 小倉あんのパンが私としては好きなのだが多数決によりクリームパン(8個入り)と決まってしまい買い込んであったものとハチミツ食パンで朝食を済ます。当初の予定では指宿から串木野まで進むことになっていたが、本日しょっぱなに長崎鼻へと向かうところで挑戦的な上り坂と出会い、恐れ入りもうした。(地図上では平坦な道であるため)ここで衛藤氏(さがみ・せ・2431の緑へルメットのライダー)と出会い写真を撮る。ジュースをおごってもらう。我々がノロノロ進み熊本でレンタカーしている頃、運がよければ九州を一回りし最後に阿蘇にいっている彼に再会するかもしれない。長崎鼻を去って予定変更で吹上まで本日は進むことに決定するほど暑く、アップダウンの激しい道のりが続いた。昼飯はビーフカレーを食し、間食でかき氷(メロン)を夕飯をからあげ定食と本日はよく食べた。こう暑くちゃ飲んで(茶以外にもびしびし飲む)食べて(安くて量があればこのうえないが)いかなきゃやってられん。吹上の温泉は近くで畑を焼いていたので「あれは温泉の湯煙だ」と間違って走ってしまったりもしたがなかなかいい湯であったぞ。

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8月18日(金) 晴れ

ノノガキ:
 吹上のキャンプ場はさすが国営だけあって涼しく熟睡できた。よって出発は少々遅れたもののテントは乾いているし(夜露の影響もなく)今日は阿久根までと楽勝なので(60km弱)よしとしよう。朝飯は少し走った後市来のファミリーマートでレーズンロールとおにぎり1個を食す。ここでジャンケンに1人負けして2個に甘んじる(8個入り)しかしここではまだ余裕だった。そこで変なおっちゃんが話しかけてきたが私は極力無視した。その後は順調に事は進み昼は川内(せんだい)で天丼(¥630)を食した。その後我々の前に突如きれいな海があり思わず泳ぐことにする。ちょっと塩が濃い海だったけど楽しめた。その後PM6:00頃阿久根に無事到着。スーパーで今日の晩飯と明日の朝飯(もちろんパン)を買い込んだ後国民宿舎阿久根へ。道を開いたおばちゃんによると坂は無しということだったがとんでもない。国民宿舎は山の上にあった。しかし国民宿舎は安くてよい。(260円)思わず風呂で写真を撮ってしまった。しかし体重が肥えてしまったのは失敗だった。(61.5kg)
 今日は何とコインランドリーの前にテントを張る効率のよさ。しかしタクシーでコインランドリーに来た2人の姉ちゃん達はいったい何だったのだろうか・・・。

ミナミル:
 相変わらず目覚ましの存在もむなしく5:00を通り過ぎ8時ちょっと前に起床。吹上浜国設野営場を後に阿久根へ向かって発進。昨日朝食を買っておらずコンビニが出現するまで朝食をお預けにするも、市来(国道270号線と3号線の合流点)のコンビまで店がなくえらく腹が減った。朝食はいなり寿司とレーズンパン3ケ。何しゃべっているのかわからない親父に話しかけられうんざりした後、再び走り出す。川内市では地元住民に聞いた三筋なる結構な門構えの店で天丼を食す。この日は阿久根までしか移動しない予定なのでゆっくりとクーラーを味わった。その後阿久根に向かうも、日射が強く西方で水がきれいで砂浜が美しい海岸にめぐりあい思わず海水浴。シャワーや着替えるところもなく隅の方で海パン姿に変身し、海に飛び込む。クラゲに2ヶ所程刺され海が侮れないなと生まれて始めて知った。その後、サンダルを靴の変わりにし、阿久根へ。国民宿舎阿久根の場所を地元の住民に聞いたところ、「すぐそこ。坂なんかないよ」との素晴らしき情報。ところが・・・めちゃくちゃきつい坂の上にあるではないか。秋田以来、住民の言うことはあてにならないと思っていたがこれ程とは。いい経験となる。夕食はパン(ハチミツ)とレーズンパン。コインランドリーの前でテントを建てこの日を終わった。

いんだ:
 昨夜気が付いたことだが我々と同タイプ、同色のテントを立てていた人達がいた。3980円で買ったあのテントを他にも使っているものがいるとは・・・。きっと我々と同じ悩みを抱いているに違いない。さすがにキャンプ場だけにテント内でもさほど暑くなく快適な一夜が過ごせた。本日は水俣までの中間地点である阿久根までの50km強を進んだが、この日記を書いている今日は8/21であり、現時点まで記憶に残っているこの日の行程は少なく余り書くことがない。この日で一番印象深かったのは阿久根のおばちゃん達であろう。国民宿舎阿久根は箱根峠を制した我々でも地に足を付けてしまうほど短い距離で急上昇した道の先にあった。おかげで酸欠状態になりかけ頭が痛くなってしまった。風呂前の運動にしてはかなり大ハード。

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8月19日(土) 晴れ

ノノガキ:
 今日は昨日よりも更に楽な日である。その距離約35km。朝、コインランドリー横の自動販売機でお茶を買ったら入り口のところにベジータベータが。しかもまだけっこう冷たい。ありがたく頂戴する。さて朝飯でも食べようかと思ったら先程コインランドリーに来てたおばあちゃんがサツマイモとヤクルトをくれた。ええ人や。その後順調に走り続けAM10:00ちょい過ぎには水俣に到着。水俣駅で早速写真を撮る。公害の復興に関する看板があったのはさすが水俣であった。昼飯はスーパーで買ったパン。再びジャンケンをするがまたも1人負け。屈辱を味わったがここからは勝利宣言。勝ちにいくことにする。その後PM1:20フェリーに乗って本渡(天草諸島)へ。途中「とらや」を確認。到着後TELする。しかし見事に休み。何しに本渡に来たんだ~。仕方なくTELしたところのそばの「天草国際ホテル」の風呂に入り(¥500)、近所の聞き込みの店で(確か「くろんぼ」)カツカレーを食す。私は具も大きくまずまずと思ったが皆見はめちゃめちゃまずいといっていた。テントは早々に近く公園に張りよく眠れると思ったが余りの暑さになかなか寝付けない私であった。何とかしてくれ~。
(オワリ)

ミナミル:
 今日は九州人の人情に深さに触れた。何と我々が朝食(パンにハチミツ)をとろうとしたらおばちゃんが我々にサツマイモ(ホカホカ)とヤクルトを援助してくれたのだ。この日は水俣発1:20のフェリーに乗れるよう行動すればいいので楽チン。10:00過ぎには水俣駅に到着。郵便局で軍資金を得ようとしたが、何とこの辺は毎週土曜は郵便局のシャッターが閉まっているではないか。わらをもつかむ思いで水俣駅の交番で土曜に営業(?)している郵便局を聞いたところ、自動キャッシュコーナーのみが開いているところを教えてくれてやっと資金が得られる。昼食はフェリーク乗り場でパンとオレンジジュース。待合室はクーラーがなく暑かった。鹿児島とは比べ物にならないフェリーに乗っていざ本渡へ。昔は水俣→本渡間のフェリーは日に4本あったらしいが現在はたったの2本を残すのみ。我々はえらいところへ行こうとしているらしい。本渡には15:45くらいに到着。本渡温泉を目指すも見つからず天草国際ホテルで500円払い最上階の展望風呂につかる。その後、当初の「とらや」という磯料理を食べる予定だったが、何と休みのため「くろんぼ」というカレーやで夕食、カツカレー大盛り(950円位)を食す。私には「カレーのくせしてまずい」というで感想あった。夜は公園でテント。夜は蒸し暑く寝れたものではなかった。

いんだ:
 色々とお金が出ていき財布の中身がさみしく、2000円ちょっとを残すのみ。それでものんのんから借りれば(高利貸しらしい)月曜日までなんとか持つだろうと楽観的そのもの。皆見は私より多少多く持っていたが何故か焦っていた。
 フェリーは前のもの(鹿児島⇔桜島間)よりちゃちで動ける場所も限られ、暇であったためずっと海を眺めて過ごす。時々、海中に茶色い謎の生命体をみかけたが、2人がいる時は出現せず。「とらや」はあいにく休みだそうだが、「くろんぼ」でカツカレーを食べ安く量もあったので満足。味も私としては良い方と思われるがのんのん参照。

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8月20日(日) 晴れ

ノノガキ:
 今日は朝、例によってパンで朝食を済ます。コーヒーロールが10個入りで1人勝ちだったが皆見には買ったものの隠田には敗れる。しかし運は確実に上昇しつつある。今に見てろよ。その後の走行は今までになくハイペース。何と推定時速24.5km。天草5橋にアッという間に到着。噂に違わぬ美しい光景をきちんとカメラに収める。その後の走行も順調そのもの。しかもロードマン兄ちゃん2人が我々を抜かした後、追撃態勢に入り時速30km(下手するとそれ以上)に加速。はっきり言ってめちゃくちゃ疲れる。昼飯は長浜ドライブインのカツ丼(¥600)で済ませなんとPM3:00前には熊本に到着。(約95km)思わず早く着いたので水前寺公園(¥200)と熊本城を見学。水前寺公園では茶を飲んだのだが、きちんと礼儀作法を披露してしまった。その後熊本駅に到着。風呂の場所をきくが、ママチャリで西鹿児島から190km走ってきたとかいうどう見ても嘘つきオヤジに会う。まぁそんな親父は無視して風呂に入ると久しぶりに水風呂が・・・。至福の時を味わう。さっぱりした後自腹をきる初めての豪華な食事。「ラム」という店で4000円の馬刺しのコースを頼む。はっきり言ってバカうま。少々量は少なかったが十二分に満足した。その後今日は特別にテントではなく熊本駅のベンチの上で眠りにつく私であった。(ちなみに他の2人はきちんとテントで寝ている。)

ミナミル:
 今朝は珍しくレーズンパンでなくコーヒーロールと食パンという朝食であった。本日の目的地は三角。朝8:30に本渡を出発。今日は1時間ごとに休息を取るという管理自転車走法を取ることにした。予想に反して道はアップダウンが少なく快調。およそ3時間後には何と目的地三角に着いてしまう。そこで急遽目的地を熊本に変更。三角港で写真を撮った後ガリガリ進む。途中ロードマンに乗った2人組みの男に抜かれ「まぁいいか」と思いきや後ろの隠田君から「皆見抜かせ」との厳しい司令。頭がくらくらしながらもおよそ5kmくらい走ってやっと抜かす。昼食は山菜定食(760円)本渡のカレーに比べ100倍うまい。その後午後3時過ぎにようやく熊本へ。水前寺公園を見学。園内では袈裟紋の水盤で長寿の水を飲み古今伝授の間でお茶をいただく。その後いきなり団子を食し、熊本城へ。熊本城は2回目だが、以前の記憶は薄れていて新鮮な感じで見学できた。それにしても熊本城は将来の自分の家を見ているようで親近感がある。熊本城を後に熊本駅へ。ここで浅草出身というおやじチャリダーに会う。このおやじはママチャリで何と西鹿児島から1日(約200km)でやってきたのだという。今迄で一番怪しい人物であった。ママチャリで200kmを走行するなどクロートの我々に対し一発でばれる嘘をつくなと言いたい。この駅周辺にコインランドリーがないため銭湯へ直行。その後は馬刺しを食べに「ラム」へ4000円コースにビールという超リッチな夕食を堪能した後熊本駅の待合室に眠りにいく。しかしクーラーも止まっていてかも飛んでいるため私と隠田は川原にテントを張って寝たのでした。

いんだ:
 本渡から三角までがこの日の走行予定であった。が予想以上に天草の道は厳しくなくスイスイ進めた。管理自転車走法とやらで再発して1時間後に休憩したが、日差しが強く頭がボーとしていたため、1本目の500mlを飲んだか解らず500mlを2本も飲んでしまったことに後で気付く。1リットルも飲んだ直後から山道に突入、ゲップしながら進んで天草五橋の第5天草橋を見る。橋は高いところを通っており明らかにそこまで登りつめなくてはならない。景色は抜群であったが、早く通過したいほどアップダウンが激しかった。予定の三角までが異様に早く熊本まで一気に行くことに決定。途中2人のロードマンが軽装備でサングラスと小生意気であったので抜かされた後皆見に「抜きかえせ」の指令を出してしまった。かなりスピードをあげたがなかなか距離が縮まらず、後ろを見るとのんのんがちぎれかかっていた。ペースメーカーにしては少し早すぎたが、我々の走行もかなりの領域まで達していることに改めて気付いた。足が太くなる訳だ。
 熊本に早く着き、水前寺公園と熊本城を見学した後熊本駅へ。浅草に住んでいるというナイスガイなおっちゃんの言う事は2人を参照していただくとして久しぶりの水風呂はやはり本日のような走行した時には感謝感激雨あられ。

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8月21日(月) 晴れ

ノノガキ:
 今日は駅で寝ていたのでまわりの喧騒により朝6:00頃には起きる。早速、駅構内のコンビニで立ち読み。すると皆見と隠田が来たので朝食。もちろんパン。その後さすがに阿蘇をMTBで回るのはきついのでレンタカーを借りる事にする。が、例によって駅のレンタカー屋は高飛車なので違うレンタカー屋でカローラⅡを12時間借りる。さすがに車は速い。アッという間に阿蘇に到着。さすがに雄大な眺めである。(一寸硫黄はきつかったけど・・・)その後更に高千穂方面まで車で回り高千穂峡でボートに乗る。最初漕ごうとしたけれど汗もかきたくなかったし皆見がやりたそうな顔をしているので任せる。高千穂峡はジュラッシックパークみたいな光景でなかなかよかった。ただ皆見は少々汗をかいていたようだが・・・。その後夏目漱石の「草枕」で有名な「峠の茶屋」へ。そこでだご汁といきなりだご(だごは団子の事)を食べ昼食とする。我々の間でだご汁と鍋焼きうどんととの違いが話題になったが、「それだけは言ってはならなかった」という結論に落ち着いた。
 更に少し時間が余ったので何とレンタカーでわざわざコインランドリーによるという贅沢の極みを行う。そこのコインランドリーは最高級で洗濯代が700円もした。よって今身に付けている衣服も洗おうとしたらなんとお姉ちゃんが・・・(推定20台前半)特に皆見はもろ直撃だったらしい。しかしその姉ちゃんもさるもの。なぜかTELだけして何事もなかったかのように去っていった。その後レンタカーを返し、ガストで食事。(目玉焼きハンバーグ+大ランチ+ジュース飲み放題)テントは昨晩皆見らが泊まった地点に張る。今日は全然走らなかったので体重が心配な私であった。

ミナミル:
 ノノガキがいないテントは広くかつ涼しかったのでぐっすり寝れる。これからも寝る時のみノノガキもしくは隠田がいないとgoodなのだがそーもいかないところが悲しい。橋はレンタカーを借りて阿蘇へ行く予定。駅前レンタカーで借りようとしたが店員の態度にむかつき日本レンタカーで借りる事にした。最初の運転はノノガキ。阿蘇への道はとても順調で文句があるとすればラジオの内容のくだらなさと有料道路の料金の高いことのみだ。途中隠ちゃんにハンドルが変わり噴火口、予定外の高千穂へ行く。車だからこそ為せる技だ。高千穂でボートに乗る(漕ぎ手は私)のだが、日頃の疲れがたまっていてどーもうまく漕げず、まわりのボートにえらく迷惑かけた気がする。(しかし、どー考えてもまわりの連中も運転(?)が下手だった)そのご私の運転で熊本へ。郵便局からノノガキにまた運転が変わり、草枕の中で登場する「峠の茶屋」へ。団子汁といきなりだごを食したのだが、団子汁は東京で言うところの鍋焼きうどんとどこが違うのか悩んでしまった。その後、せっかく車があるというのでコインランドリーへ。「安い」と銘打っている店だったがメチャクチャ高いボッタクリのコインランドリー。せこい我々はその時着ていたものも洗濯しようとし、パンツを脱ぎかけた時、突然人が入ってきて大慌て。その後宗教の訳の解らぬ戯言をいう人物をあしらいスーパーで納豆の必需品醤油を手に入れた後車を返し、ガストで夕食を済ますのでした。ちなみに私はイタリアンハンバーグ(490円)+大盛りライス(200円)+コールドードリンク(200円)
 それにしても阿蘇の草千里、噴火口といい、高千穂の神秘的な景色は最高だった。

いんだ:
 本日はレンタカーを借りて阿蘇へ行く予定が始めから決まっており、その通り実行した。6時間借りるか12時間かでさして差がなかったので12時間借りることになり高千穂峡までいけることになった。ちょうど足を休めたいと思っていた所なので非常にうれしい一日であった。

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8月22日(火) 晴れ

ノノガキ:
 今日は私のそばで目覚ましがなったのだが無意識の世界に入っていたのでちっとも起きず出発はAM8:00過ぎ。とりあえず熊本浩まで域フェリーに。島原に到着した後、はつよしおばあちゃんがいる銀水へ。今にも逝きそうだったがばあちゃんの作る寒ざらし(¥250)はうまかった。
 その後調子が出てきたのかガリガリ進む。途中休憩によったスーパーで私と隠田はほくそえんでいた。「今日はやせられる」と・・・。その後PM2:00頃皆見が突如昼食はここで食べようと提案してきた。その店の名は「浜勝」とんかつ屋でご飯、味噌汁、キャベツ、おしんこが食べ放題の店。私のもくろみは見事に覆されるのであった。昼食にたっぷり2時間ぐらいかけPM4:00頃やっと再出発。一路長崎へ。はっきり言って何も考えないで走っていたのだが最後にすごい上りが待っていた。しかしそれも何とか突破して諏訪神社へ。英語のくじをひいたのだが¥200で3人前となかなか安いおみくじであった。そしてついに長崎といえばちゃんぽん「四海楼」で食す。(¥900)なかなか美味。ただその前に久しぶりに親に電話したら妙なテストを受けねばならぬことが判明。 ちょっと現実を知った私であった。(オワリ)

いんだ:
 熊本の町を知り尽くした我々は昨日と同じ河原付近でテントを張っていたのだが前の時は私と皆見の2人でゆったりできたのに対し今朝は3人勢揃いのため寝苦しくそんな時は明け方の涼しい頃になって熟睡できるのである。当然起床時刻は延ばされる、出発も遅れるのが必定。
 熊本港まで10km強と朝っぱらからエグイ。港で絵ハガキを購入し、フェリー内で手紙(父と大学の友人と内定会社あて)をかき島原で投函。雲仙が少しガスっていたためよく見えなかったがそれでもかなりの規模。
 島原から長崎まではほとんどが海岸線の平坦な道であったのでガリガリ進むことができ、熊本でのリッチな食生活で肥えた分を取り戻すことができると確信していたのだが。予想に反して、昼を少し過ぎた頃、浜勝という店に入った。ジャンボロースカツというものに皆見の心が奪われてしまったらしい。この店はご飯、味噌汁、キャベツの線切りが自由におかわりできるので、私は注文したチキンカツ定食のチキンカツをチミチミ食って例の3つをおかわりした。我々は2ラウンドおかわりしたのであった。腹がパンパン(普段から出ている以上に)でゆっくりした後に出発。
 長崎に近づくにつれ山道が多くなり、消化しきっていないチキンカツが逆流してきそうな感じでとどめの上り坂をクリアし、トンネルを通過(もっと低いところからトンネルを掘れ!)山の陰で暗かったがトンネルを出た瞬間に夕日が飛び込んだ。
 長崎は坂道の多い町であることが知れた。諏訪神社でハーフラッキーのおみくじをひいた後、「四海楼」にてちゃんぽんを食す。結局この日は太ってしまったのである。計りが壊れているとのんのんは言っていたが(みんな3~4kg増えている)、私は思うに計りは正常だ。ちなみに私はこのとき74kg重。明日こそ。

ミナミル:
 いつも目覚ましの音を感じないノノガキの横に目覚ましを置けばきっと皆早起きになるだろうと思いきや起きたのは7:30過ぎ・・・。
 予定を変更して10:20のフェリーに乗ってついに島原へ。フェリーの窓からは雲仙が見えたのだが島原本土に着いた時はガスっていて少し残念。
 この日は長崎へ行く予定である。銀水で時の流れから外れてしまったような"はつよしばあちゃん”が作る寒ざらし(250円)を食す。その同じ店にいた客が何と東京の小川辺りに住んでいる人であったのには、日本の狭さを感じた。
 朝食(レーズンパンにバターパン)と節約したため、昼食は浜勝というとんかつ専門レストランへ。ジャンボロースカツ定食(1500円以上)とだいぶリッチにしゃれこんでしまった。それにしてもライス、味噌汁などおかわり自由なので、食うわ食うわ。腹がいっぱいで動けず2時間位休息。その後長崎市内へ。
 長崎の夕暮れは美しく、雲の厚さによってオレンジ色の濃淡が描き出され、黄金色の夕日が長崎港へすべり落ちていく。
 諏訪神社で英語のおみくじ(1コ200円)をなぜか3人分200円で入手し、その後四海楼へちゃんぽん(900円)を食べる。本家本元だけあってうまいと思った。この日はいつもより食事が豪華でとっても幸せだ。

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8月23日(水) 晴れ

ノノガキ:
 今日は、昨日の反省を生かしてすかさず目覚ましを止める。早起きはいい事である。朝飯は昨日買っておいた食パンとバターロールで済ます。しかし私の食生活を十日余り支えてきたあんずジャムが息たえた。ありがとう。おいしかったよ。合掌。
 その後長崎見物へ。グラバー園(¥600)、浦上天主堂(¥250)ミニ出島、など次々回る。そして文明堂唯一の手作りの本店へ。1きれづつ買う予定であったが、試供品が置いてありそれを2きれ食う事で済ます。なかなかうまい。しかし横においてある冷水はもっとうまかった。更に平和祈念像の前で写真を撮ったり(もちろんポーズは平和のポーズ)大浦天主堂を見たりした。観光を一通り終えた後本日の走行へ。長崎は思った以上に坂がきつくはっきり言って大嫌い。昼は初のプロジェクトAを敢行。(ちなみに前回の納豆は醤油が無いので失敗)その後厳しい坂を乗り越えてハウステンボス駅へ。そこから電車に乗り換え佐世保へ。(風呂に入るため)そこの銭湯に入りついでに洗濯機があったので洗濯もする。しかし例によって銭湯の乾燥機は小さく全然乾かない。仕方なくそこを出、何とか探してコインランドリーへ。どうにか乾かせるメドがついたが、その時スクーターで通りかかったおじさんがヨボヨボのじいさんを叱っている。しかも警察がどうのといっている。興味津々であったがそこに2日連続で「健康を折る女」が・・・。いいかげんにせい。その後どうにかPM9:40の電車に乗りハウステンボス駅の待ち合い室で終電まで過ごした後(冷房が効いている)テントを張って寝たのであった。今宵は涼しく安らかな眠りに着く私であった。(オワリ)

いんだ:
 長崎の町は坂が多いとは昨日の日記で書いたがそれにもまして歩道が石畳で作られており走り心地が最悪という事も付け加えておこう。
 明け方、5時頃に目が覚めてしまい、大便もしたかったので公園からひとっ走り。コンビニを2ヶ所ほどまわるが、いずれも「トイレはないんですよね」と大ウソをつかれる。ジュースでも買ってあげようかと思ったが、こんな店では買うまい。ウロチョロした挙げ句、6時頃公園に戻ると、ちょうど目覚まし時計の音がテント内から聞こえすかさず止められのんのんが珍しく反応した様子であった。
 今朝は公園で食事した後、長崎の町を観光。のんのん参照してもらいたいが、文明堂のカステラは良かった。皆見が送っていたので私とのんのんは同様ということで堂々と試食&冷水を楽しんだ。
 ハウステンボス付近には風呂に入るところがなく思案した結果ハウステンボス駅に自転車を止め、我々は荷物を持って佐世保駅に言って入浴する事に。ハウステンボス駅近くで泊まる予定のため入浴コインランドリーの時間がかなりタイトであったが、写真に収めたので一応佐世保も「来た、みた、去った」に登録。夕飯は納豆ご飯で済ます。テント内も今日は割りと快適。

ミナミル:
 長崎の町は私の長い自転車旅行経験の中でも最悪といっていい道である。車がメチャクチャ多いし、道はでこぼこで狭い。信号の設備も全くなっていない。長崎市長は時々新聞紙面で偉そうな事を言っているが、もっと自分の足元を見つめろといいたい。全くナメトンのか、寛大な私は長崎の悪口をこの辺で止めておいてあげよう。
 朝食をハチミツパンで収め、グラバー園へ。将来の私の家の庭に多少このレイアウトの知識が生かされる事であろう。大浦天主堂を後に文明堂本舗でゼミの先生と我が家にカステラを送る。1万円強かかる出費であった。ちなみに私が買っている間にノノガキ&インダコンビは試食+水を飲んでいる。客の友人として当然の行為との事だが何ともセコイ。その後平和公園と浦上天主堂へ。見るものは大した事がなかったが一応旅の記念となった。見学時間各5分程度でハウステンボスへ。今回の行程は風呂に最も頭を悩ます。西海橋コラソンというホテルにアポを撮ったところ風呂代1,500円との事。旅館潮見台には断られ、ホテルヨーロッパは各部屋にしか風呂が付いていないとの返事。ところでホテルヨーロッパはハウステンボス1のホテルらしく1泊3万4000~20万円という超が100個くらい着くスペシャルホテルだったと後に判明。我々の無知と身の程知らずさが印象づけられる出来事だった。結局風呂はハウステンボス駅から佐世保へ行き近くの銭湯とコインランドリーへ行くことにした。夜も遅く時間も差し迫っていたので観光もせず最終便で再びハウステンボスへ。明日はハウステンボス+オランダ村で遊びまくるぞ!!この日の昼と夕食は納豆でした。バンザーイ。
オシマイ

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8月24日(木) 晴れ

ノノガキ:
 今日は、ハウステンボス+オランダ村で遊びまくる日である。朝は昨夜佐世保で買っておいた食パンとバターロールで済ます。親切な皆見君がハチミツを分けてくれた。ありがたや。
 その後いよいよハウステンボスへ。まずオランダ村からせめる事にする。ハウステンボスもそうだが、オランダ村はまさにオランダである。ゴブリンのゲームに皆見が妙に燃えていたが敗れ去っていた。(ちなみに私も隠田も敗れた)はっきり言ってオランダ村には面白いものはあまりなく(鏡の迷路はそれなりに楽しかったが)スタンプを押すために来た感じであった。(スタンプを全て押すと賞品がもらえる)その後ハウステンボスを見てまわる。大航海体験記やノアの冒険などははっきり言ってつまらない。しかしホライズンアドベンチャーや宇宙帆船館などキリリと光るものもあった。その後チョコレートハウスでチョコパフェ(¥700)を食べようとしたが、閉店間際に訪れた為見事に売り切れ。とりあえずチョコレートの滝で写真を撮り、オランダ王室ご用達のチョコレートを買う(1000円)その後ドムトールンの105mの高さからハウステンボスの全貌を見渡した。そしていよいよサンバのショーへ。なかなか黒人のお姉ちゃんが現れないのでやきもきしたがナイスバディーな姉ちゃんが登場する前に、29年髭をはやし続けビール片手に赤ら顔のキャプテンが我々を楽しませてくれた。ザンギエフ状態の隠田と妙に気が合っていた。スキヤキが好きらしい。
 そしていよいよねえちゃん登場。最初尻を追い回して満足していたが(写真など撮ってる場合ではない)突如まわりの観客を誘い出しもちろん私も飛び入り。(皆見も飛び入りしていた。)おねえちゃんと、踊る、踊る、けつに触る、触る。私自分でいうのもなんだがリズム感はない、しかしそんなことはお構いなし、ハイ状態になった。その後999円の焼肉食べ放題に行き、肉をそれなりに食べる。(何しろ肉の種類が全然ない)すいかがあったので許すとよう。寝場所は昨日同様の場所にテントを張り眠りに着いたのだが、今日は暑くなかなか寝付けない。隠田は偶然抜け出してしまっているはずの駅の待ち合い室で涼んで寝ていたらしい。それにしてもねえちゃんいいケツしとったなぁ~。
(オワリ)

いんだ:
 ハウステンボスやオランダ村と何があるのかよく知らない。ディズニーランド風の所と聞くが面白いのだろうか。入場料がバカ高であるが唯一、チョコレートの滝のある店でチョコパフェが食べれる点が気に入った。あまり乗り気ではなかったが、入場。
 久しぶりのwalkで歩き方がぎこちない(尻が多少痛くなっていたので)うえ日差しが強烈で苦労した。
 まずオランダ村へクルーザーで移動。今回の旅行で最高の船であった。(トイレの金具が全てゴールドでケバケバしかったが)オランダ村のアトラクション、その他の施設は余り楽しめるものではなかったが幼い頃着ていれば面白く感じられたかもしれない。オランダ村内でも渡船が定期的に出ていたが、このテーマパークは何かにつけて船の移動があり、時間的拘束がかなりある。一日で全部見るのはかなり工夫がいると思われるほどだ。ハウステンボス自体は風景が素晴らしいと言わざるをえない。町並みもきれいで中心には塔が立っていたり、川では船がゆっくり進んでいたりとこちらのアトラクションは当り外れが合った。3スターも消費しておきながら幻滅ものも当然合った。途中でポークカレーを食べたり黒ビールを飲んだりしたが本命のチョコパフェは閉店間際のせいか売り切れというはめに。これは悲しいの一言。やはり楽しみは最後に残しておくというのは好ましくない、時期を逃してはいけないとつくづく感じた。夕方という事で、残ったスターを合理的に消費するがアトラクションの終了時刻が差し迫って多少焦った。サンバの始まる時間という事でその場所に向かうがまだまだであり付近をウロチョロ。海賊船長のオランダおじさんが突如私の方に向かって歩み寄ってきた時は焦った。私も髭を蓄えていたが彼は29年延ばし続けているとのこと。同類とみなされてうれしいのか悲しいのか。彼は脇にビール樽、片手にジョッキと決まっていた。カタコトの日本語(「英語は話せません」と言っていた)を話し、写真を撮った。(彼は写真に撮られる時真ん中でないと嫌がりスキヤキと口走っていた)その後、サンバも始まったのであるがその話しは2人参照。ちなみに皆見のサンバ姿は今まで十数年間で見た事のない切れ様であった。うまく写真に収まっていればよいが、なにせサンバであるからピンボケやら人の陰になっている恐れもある。のんのんもハイテンションであったがやはり皆見には負けていた。
 夕飯は焼肉食べ放題であったが肉の種類が2種類ほどしかなくすぐ飽きた。が値段分食べようと努力する我々であった事はいう間でもない。寝床は昨夜と同じ場所でテントを張って寝た。かなり暑い夜であった。

ミナミル:
 今日は快晴の中ハウステンボスとオランダ村へ。昨夜は比較的快適に眠れ体調は良好。朝食はパンにすっかりお馴染みのハチミツをかけ食べ、ついに我々のハチミツは底を着いた。ハチミツのおかげで今旅行の食費がどれほど助かった事か。ハチミツよ、ありがとう。ハウステンボスとオランダ村の入場券+シャトルクルーザー往復乗車券+35スター(アトラクションを利用する為にはスターが必要)で6,200円という値段にはかなり悩んだが、結局このセットを購入しいざハウステンボスへ入場。いかにアトラクションを攻略するかという作戦の元、「まずオランダ村へ行くべし」との結論を得、シャトルクルーザーの乗船口へ向かう。ハウステンボス内はいかにも「オランダ」という雰囲気に包まれ(しかし、私は本当のオランダへ行ったことがない)今迄の旅にない華やかさ。今旅行4隻目の船に乗りとりあえずオランダ村へ。昨日、へたばりながらオランダ村へ着き、そして意識が切れかかりながらハウステンボスへ行った道のりをこうして席に座りながら船で走行するのは何となくどころかメチャクチャ悲しい。(でも楽ちんだからちょっぴりうれしかったりして)。オランダ村パスポートに書くポイントのスタンプを押すと賞品がもらえる(ハウステンボスも同様)の出足早に各アトラクションを移動。はっきり言ってオランダ村は対して面白いアトラクションが泣く(ハウステンボスはそれに毛が生えた程度)オランダ情緒を楽しむ気持ちで望まなければやってられない。とは言うものの、私はゴブリン館で2人よりはるかに気合を入れて燃えていたが。13:15分ハウステンボス行きの船に乗り、オランダ村を後にする。40分の船旅を終え、再びハウステンボスに着く。まず最初に星を使ったアトラクションは大航海体験館。このアトラクションには4スターも使ったのに、内容といえば・・・はっきり言って涙がちょちょきれた(死語)。4スターのアトラクションでこのレべルとは・・・。はっきり言ってハウステンボス、恐るべし。朝食はポークカレーを食べる。夕食は焼肉食い放題に行くので昼食は我慢する予定であったが・・・ジュース事件に続き、誓いとは破る為に存在すると痛感して止まない。6:00からサンバが広場で開かれると思っていた我々はそれにあわせ精力的に各アトラクションを回ったものの、広場に到着したのは6:45位。バンドの演奏が行われておりサンバの行われる気配無し。しまった!もう終わってしまったかと誰しも思った。ここで特筆すべきは海賊の船長であろう。船長を見つけた我々はぜひ一緒に写真を撮りたいと思ったのだが、なかなかその機会が得られない。そうこうしている内に何と船長の方から我々に向かって目を丸くしながら近づいてきたのだ。船長のお目当ては隠ちゃん。中でも、そう隠ちゃんの髭だったのだ。実はこの船長も29年間(本人がそう言っていた)髭をはやし続け、髭がかなり長く、また隠ちゃんも旅の間髭を延ばし続けていた為、ひげ同志心が通じ合ったのだ。ノノガキが写真を撮る時「チーズ」といったら船長「スキヤキ!マヨネーズ!」と叫んだり、他の人達と写真を撮る時も「私真ん中じゃなきゃやだ!」と叫ぶなど船長だけあってわがままかつユーモアがあった。その後ドムトールというタワーに行った後再び広場にやってきたら何とサンバがまだ終わっていないと我々は知る。最前の地べたに座っていたらいよいよサンバの開始。我々3人は狂喜して観ていたらサンバの姉ちゃんがノノガキに近づきノノガキを立たせ一緒に踊り始めた。さすがノノガキと思いきや何と私にも別の姉ちゃんがやってきて何と私まで多数の観客の中踊るハメに。正直恥ずかしかったが、もうやけくそ状態。旅の恥じはかきすてとばかりにメチャクチャな踊りをする。盆踊りくらいしか踊りを知らない私がいかなる踊りをしたか。想像におまかせ願いたい。その踊りが終わった後ハウステンボスを出国し、焼肉の食い放題(999円)へ。腹が減っていただけありかなり食べた。今日はとても充実した日であった。

P.S. 今朝自転車にちりの様なものがかかっていた。道路の砂が自転車にあおられ、自転車にかかったのだろうとその時私は推測したのだが・・・。その正体を知るのは25日の夜であった。
オワリ

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8月25日(金) 晴れ

ノノガキ:
 今日は、朝6:00頃起床。隠田の姿が見当たらなかったのでどうしたのだろうと思っていたら1人テントを抜け出してハウステンボス駅で冷房にあたっていたとの事。許すまじ。その後日程的に余裕があるのでとりあえず武雄を目指す。しかしアッという間に武雄に到着。(AM11:00前)早速温泉に入る。(蓬菜の湯¥380)
 その後更に佐賀を目指す事になりとりあえず武雄で昼食を取るが(カツ丼¥650)はっきり言ってまずい。とどのつまり武雄は温泉以外ろくなものはない。その後佐賀に到着。ミスタードーナッツで時間を潰した後、ムツゴロウを食いに「まつ川」へ。有明弁当(¥2500)を食す。はっきり言ってムツゴロウは余りうまくなく、他のものも味が濃すぎていまいち私の舌にあわなかったが、パリパリとしたくちぞこはうまかった。しかしその時ふと見た新聞に何と桜島大噴火、史上最大の降灰量とあり笑わせてくれた。釧路同様我々の通った後には何かが起こるらしい。次は阿蘇か?
 結局今日はうまく公園が見つからず私は駅前のバス停のベンチで寝る事に。しかしかはいるは暴走族はパヒャララうるさいわ(はっきり言ってまだこんな奴等がいると思わなかった)挙げ句の果てに「ここはおいらの場所だ」と起こしてくるおっちゃんがいるわで、(眠いので追い返したが)最悪の夜となったのであった。

インダ:
 昨夜は前の日の夜とはうって変わって暑苦しい夜となり、Tシャツを脱ぐも余り効果なし、3時半頃ボーッと夜空を見上げオリオン座など暇過ぎて眺める。と、ハウステンボス駅にかすかな光がある事に気付く。小便ついでに駅へ向かってみると、冷房らしき音が聞こえてくる。用をたして再びテントに戻ると2人とも暑さにめげず熟睡していたのでわざわざ起こすのも気の毒と思った私は寝袋を持って冷房の効いたハウステンボス駅待合所へ。韓国人らしき男女がそこに居たのだが言葉のわからない駅員が今日は面倒だから追い出せずにそのままにしていったと見る。おかげで私は以降朝まで涼しく眠るのであった。スヤスヤ。スカッと朝6時頃目を覚まし、様子見にテントへ向かう途中、のんのんとすれ違う。彼は駅のトイレに行こうとしていた。一連のいきさつを2人に述べると「なぜ起こさなかった」と文句言われたが、寛大な2人は機嫌をすぐ直してくれた。決してねに持つ2人ではなかったので感動した。
 本日は武雄まで30~40km位と楽な進行と計画をたてる。山道もあるそうだし無難なところ。が実際に走ってみると殆ど平地で走りやすく、ガリガリ進んでしまい、11時頃に目的地に到着してしまった。こんな所で半日も過ごす我々ではないので先へ進む事に当然なった訳だが、適当な場所もなく一気に佐賀まで行くことに決定。その前に武雄温泉でゆっくりする。昼時になったのでこの辺りで昼飯を食べようという事になったが、2時までしかやっていないという店ばかり、やっと見つけた定食屋もカツ丼は中の下。武雄の町は温泉でもっている町であった。佐賀への道のりも厳しいものではなく楽チンであった。佐賀ではムツゴロウを食べ(想像していた通りの味であった。好んで食べるものではない)テントを張ろうと付近を探すが見つからず駅の待合所へ。が、終電と共に追い出され、路頭に迷う。のんのんはどこかのベンチに行ってしまい、私と皆見はカが多いという事から、暑くてもどこかにテントを張ることにした。眠たくもあったので深く考えず駅脇の通路(昼間は人通りが激しそう)に堂々とテントを張ってすぐさま寝た。

ミナミル:
 今日は名残惜しいハウステンボスを去り雄武へ行く日だ(実は昼には雄武に着いてしまい佐賀まで行ってしまった)。今朝は昨日と異なり自転車の椅子にちりらしきものがかかっていない。今朝はなぜ…と思いながらも出発。途中コンビニで菓子パンを食べ、有田経由で雄武へ。雄武は歴史ある温泉として確かにそれなりの門構えであったが、周辺の街はぱっとせず、昼の2時過ぎには食堂が閉まってしまう気の抜けた町だ。ここでカツ丼を昼食としてとり、佐賀へ。思ったほど、行程は厳しくなくそれどころか楽であった。佐賀駅に着いた我々はミスタードーナッツでかき氷を食べ時間を潰す。喉が渇いたが、そこは我々、鉄の心臓を持つノノガキ氏に頼み、水を飲んで凌ぐ。長時間居着きかつタダで水を貰う我々が店員の目にどのように映ったかは知る由もない。
 夕食は豪華に有明の郷土料理を食べた。店の名前は「まつ川」ここの店のおばちゃんは親切で特別にご飯のおかわり自由にしてくれたのでバクバク空。おばさんはきっと我々におかわり自由といったのを後悔している事だろう。食後は銭湯に行き本日の汗を流す。脱衣所に外人さんが居たのだが、ノナガキ氏、外人のものを確認できず残念だと大声で嘆くのには手に余った。
 ところで風呂から出てコインランドリーに行く途中、私の自転車のタイヤから空気が突然抜けてしまい汗だくになりながら空気を入れ、その上コインランドリーが24h営業でない為結局この日は洗濯ができなかった。風呂からあがった直後のこの仕打ちはかなりエグイ。ちなみに寝床は佐賀駅構内と決めたが途中で駅員に追い出されてしまい恥じも外聞もなく駅前でテントを張るはめに。佐賀は私にとってろくな街ではなかった。そうそう、まつ川で新聞を読みなんと23日のPm11時過ぎ桜島が観測史上最大の噴煙をまき散らした事を知る。その灰の量は30~50万トンとの事。どうやらその火山灰が風に乗って24日の朝長崎の私の自転車のサドルにつもったらしい。桜島おそるべし。それにしても旅行に影響がなくてラッキーでもあり、我々の旅した後には災害が怒るジンクスが実証されてちょっぴり驚き。オワリ

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8月26日(土) 晴れ後曇り1時雨

ノノガキ:
 昨日はよく眠れたとは言えず、しかも無私にたくさん刺されたのではっきりいって体中がかゆい。朝は昨日暴走族に兄ちゃん達がたむろっていたセブンイレブンで例によってパンで済ます。その後柳川に向けて出発した我々だが途中昨日行きそびれたコインランドリーに寄る。もちろん今着ている下着なども洗濯したのは言うまでもない。そこは冷房の効いているナイスなコインランドリーだったのでしばし熟睡。その後ちょうど昼頃柳川に到着。早速「六騎」で柳川鍋のセット(ミニセイロと柳川鍋セット¥2200)を食す。はっきり言って柳川鍋の量の少なさには閉口したが、味はなかなかよく量より質という趣だった。その後我々には珍しく文化的に北原白秋記念館を見学。白秋の住まいに入れたのはおつであった。
 その後ガリガリ走りファミリーマートで休憩してたら雨が・・・。とりあえず止んだので走ると再び雨が降り休憩。とある店屋の前で雨宿りしていたのだがおばちゃんが親切で中に入れてくれ烏龍茶をくれた、感謝。その後は何とか雨も止み無事太宰府に到着。元祖かさの家で梅ヶ枝餅を食す(1個100円)。閉店間際とはいえ写真も撮ってくれない愛想の悪さ。味は良かっただけに後味が悪かった。その後面倒なので一気に最終目的地博多へ。そしてPM7:00頃ついに到着。バンザーイ。風呂は何と中央署の署員に聞き「都湯」に行く。夕飯は屋台でラーメンの予定だったが、雨も少々降っていたので懲りずにガストへ。そこで加島家に連絡すると「また来てよい」と色好い返事。早速訪れる事に決定し、刺身を婉曲的に頼む私であった。宿は博多駅の2階でマットをひいて寝たのであった。

いんだ:
 さすがに佐賀駅の脇道にテントを張って寝ていたおかげでカに刺されず暑さも耐えられる範囲でよく眠れたのであるが、朝6時ともなると人通りも増し、何か小声でしゃべりながら通過していく人達が目立った。少なくとも立川駅ではやれない事を佐賀でしていた事に今更気付く。のんのんもいつの間にやらふらりと戻って来て体をかきむしっていた。本日は柳川→太宰府→博多と走行する予定で、道中コインランドリーがあれば洗濯を済ます事になっていた。コインランドリーは探すとなかなか見つからず、走っていればきっと見つかるというのが九州旅行で得た知識である。柳川へ行く途中案の定それが見つかり、洗濯の間3人とも熟睡。1時間でも快適に眠った後、出発。柳川ではどじょうを食べる為に、六騎へ向かった。ミニせいろ+柳川鍋で2200円とはリッチそのもの。量もかなり少なく、腹一杯などとんでもなかった。がどじょうにしてはまずまずの味であり、ムツゴロウよりずっとうまかった。趣味ではないが、一応北原白秋の家も拝観料を払って見学。酒屋であったらしく、何気に期待していたのだが、無残に砕け散ってしまった。しょせん私とは縁の無いものよ。
 柳川から太宰府へ行く途中、ちょうどコンビニで休んでいた時、にわか雨が降っていたがすぐに通り過ぎてしまってあまり進行にさしさわりなかったのがTシャツがビショ濡れになっていたので不快であった。早く風呂に入りたいと感じつつもまだまだ博多は遠いのであった。
 太宰府では梅ヶ枝餅を食べ、味も良かったのであるが店員の態度L(エル)で、本に載っている店だからいい気になってるんじゃないぞと一言いってやりたかった。天満宮では開運十二支(私はネズミ)を買った。皆見は学業成就、のんのんは谷保天満宮のみを信ずるがために何も買わず。
 太宰府の町では何やら大きい祭りみたいなものが開催されていたが少しのぞいただけで博多に向けて出発。もう日も暮れかけていたが、一見高速道路に入ってしまったかと勘違いしてしまうバイパス道路を走れたおかげで、ガリガリ、ほぼノンストップで博多に着いてしまった。
 風呂や夕飯はのんのん参照で、博多駅新幹線の待合所脇の床にマットをしいて寝た。が床がやけにポカポカして寝苦しく、寝汗もかいてしまうほどであった。駅前のローソンが開いていたので、モスコミュールを買って酒の勢いでやっと眠れた。他の2人(特にのんのん)はいつものようにスヤスヤ寝ていた。非常にうらやましい。

ミナミル:
 「コンナ所でテントを張って寝てる奴がおるたい」との話し声で目を覚ます。昨夜駅員に構内から追い出され仕方なく駅のすぐ前(ダイエーの横)にやけくそでテントを張ったのだ。ちなみにノノガキは「暑いテントの中で寝れるか」とのたまい外でねたのでかに刺され精根尽き果てた様子。朝食をパンで済まし最低だった佐賀駅からさっさと脱出する。今日、博多に着けば我々の旅は終わりである。
 昼食は柳川で柳川鍋と旅行前から決めており、途中昨夜できなかった洗濯をコインランドリー(クーラーが効いていて涼しかった)で済まし柳川へ旅立つ。しゅびよく「六騎」という店を探し当て柳川鍋セットを食べる。ちなみにこの店で、再び大分に訪れる事を確認し加島家にTelするも親父さんが出てきて本人は今いないとの事。また彼が2日後の月曜日には東京へ戻る事を告げられる。我々の間に緊張が走った。もしや大分で再び飯を食う計画は根底から崩れ去るのではなかろうか・・・。北原白秋記念館を見学し、太宰府、博多へと走る。追い風で最高だ。が、途中夕立に始めて会い追い風だけあって雨雲の進む方向と我々の方向がぴったり一致し雨宿りしながら走るはめに。しかし弁当屋のおばさんが親切に我々3人を雨宿りとして店の中へ招きいれ烏龍茶をごちそうして下さりとてもいい思い出になった。
 太宰府につき2度目の加島宅へコールをする。再び親父さんが応対したのだが声、話し方から友人の方だと勘違いして訳の解らぬ話し方をしてしまう。Oh my God!無論当人はまだいないとの事。天満宮で学問熱心な私は学業御守を手にいれ、その後博多へ。途中祭りがあり、5分程見学をするもあっというまに博多へ着く。旅は終わった・・・。我々は喜びあい早速記念撮影。夕食のガストで加島にやっとつながり、やはり大分へ行くことに。ノノガキ氏、しっかり刺身が食いたいとリクエストしていた。夕食は博多駅の新幹線待合所でゴロ寝。博多名物のラーメンなどを食べさす屋台には結局行きませんでした。
オワリ

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8月27日(日) 曇り1時雨

ノノガキ:
 今日は駅で寝ている事もありAM6:00過ぎには起床。早速駅内を探索する。そこでクロネコヤマトの宅急便を発見したので開店と同時に訪れ、自転車を送れないか尋ねる。すると何とか送れるようで早速おばさんの教えてくれた場所を訪ねる。(駅では扱いきれないらしい)それにしてもせわしないユニークなおばちゃんで面白かった。(大助、花子の花子に似た感じの人である。)しかし訪ねてみるとおばちゃんの5~6千円というのとは話しが食い違い1人8200円もかかるとの事。急遽すぐそばのペリカン便を頼る事にする。ペリカン便は3台一緒にすれば17100円+消費税ですむという事でこちらに決める。輪行袋に梱包中に妙に人なつっこい犬が我々の回りをうろちょろしていた。その犬は店内にも平然と入るなど暴挙の限りを尽くしているので私が吠えてやったがむなしく響くだけだった。自転車を送った後、土産を買いに天神へ。博多名物辛子明太子を購入したがちょっとつっついたら1割引にしてくれた。ありがたい話しである。そのごいよいよ大分へ。大分に着くと例によって加島家の人達が歓待してくれた。そして待望の刺身が・・・。やせる事はもうやめたので食えるだけ食ってゴザの布団の上で寝れるだけ寝た私であった。

いんだ:
 酒の勢いでやっとこ眠ることができたのだが朝6時頃には目が覚めてしまった。自転車での移動は昨日博多に着いた事で終了したので、後は電車の事だけ考えればよいのだが、行きの悲劇はもう味わいたくないので自転車をどうにか処分したい気持ちが我々にはあった。処分といっても捨てるには惜しい(2人は盗まれてもかまわないらしい)ので東京へ送る事を言っているのだが水俣で1台2万円くらいはかかるよなどと聞いていたものだから思案した挙げ旬、1台5~6千円なら手をうとうと博多駅のクロネコへ。せかせかしていたが人の良いおばちゃんが自転車をたたむのなら5~6千円だと、願ったり叶ったりであった。そこでは大きさ的に取り扱えないという事で、クロネコの発送場へ行ってみると話しが食い違って8千円近くかかるという事だったので、クロネコを諦める。近くにペリカンの発送場があったのでついでによって訪ねてみると3台あわせて1万7千円くらいと1台当り6千円弱なので、すぐさま自転車をバラす。これで電車の帰り旅が楽になる。2~3分の乗り換えが可能になる。18切符は1枚使わずに済んでいたので、予想外の旅ができる。昨夜ガストで夕飯を食べていた時、2人が加島家にたいして何やらアタック(のんのん参照)した成果で、本日は大分の加島家で刺身をいただく事になった。久しぶりの寝ゴザで腹一杯になった我々はぐっすり快適に眠った。

ミナミル:
 床が熱く寝苦しい為、何度か夜中目を覚ます。耳をすませば激しい雨の音が聞こえてきた。しかし、「我々は晴れ男だから朝には晴れるさ」と思っていたのだがなかなかどうして今朝は初の雨の中のスタートであった。テントじゃなくてラッキー。
 加島家に行くことにした我々はもはや邪魔となった自転車を宅急便で送る事にする。1台結局6,000円弱かかったが致し方あるまい。それにしても昨日は「なんだもう博多へ着いたのか」という感じで何となくあっけない気がしないでもなかったが一夜明け、自転車を家に送ってしまうと、とうとう私の自転車旅行ライフも終わったのだという実感が湧いて来る。それにしてもあのマウンテンバイクはよくもった。ダイクマで29,800円で買ったのだが、十分元をとったと思う。タイヤの溝はすり減り、ギアは自転車屋にもう直しようがないと断言されたのにもかかわらず何とか機能した(その代わり後半よくギアが外れたが)。改めてmy自転車に驚き、と礼を述べたい。自転車を送り、加島家に明太子を土産として買った後昼飯として弁当と、前から欲しかった「華麗なる一族」という文庫本を買う。(ちなみに朝食はパン)
 電車の旅は自転車がない分非常に楽であった。5時過ぎに大分に着くと加島と親父さんが迎えに来てくれていて昨日の電話の事もありちょっと親父さんには気まずかった。夕食は昨夜ノフガキがTe1で希望した刺身。夕食のメニューまで要求する我々はかなりズーズーしい分類に入るに違いない。それにしても刺身は食い切れないほど食べたし、ビールもたらふく飲みフルーツもうまかった。まさに天国。この日は幸せ一杯のまま花火をして寝ました。もちろんござ布団で。

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8月28日(月) 晴れ

ミナミル:
 加島家の車が使えない為、散々思案したあげく今日は昼に温泉、夕方フェリーに乗って四国の松山へ行くことになった。
 12時に加島家に別れを告げ別府の温泉へ。この温泉はトレーニングルームが付いたなかなかユニークな所であった。また温泉の種類も豊富で満足。4:45のフェリーでついに九州を去る。記念のキーホルダーを買おうとしたが適当なのがなく今回は却下。フェリーの中は屈辱の嵐だった。スナックがしをかけてトランプ(大貧民)をしたのだが、せっかく勝ったのに2あがりの大チョンボをしでかし、その後ことごとく負け続ける。またノノガキとの将棋もなんと・・・。
 それにしても食い物が絡むと2人はたかがトランプに青筋を立てて、友人としてかなり恥ずかしい。もう少し大人になってもらいたいものだ。
 松山駅には無事につき、2人は牛丼を夕食にしたが私はそれ程食べたくなく夕食はカット。待合所で寝る予定だったが駅員に追い出され駅前のベンチで今旅行初のシェラフを使い眠りについた。それにしてもかなり悲しい姿だったと思う。

ノノガキ:
 今日は朝8:00過ぎまでゆっくり熟睡。快適な朝を迎える4:00のフェリーに乗ればいい為午前中は加島家でウノをやってくつろぐ。
 昼食をごちそうになった後(焼きそば+ご飯など)本当に加島家とのお別れをし温泉に行く。温泉場はトレーニング施設などもありとても楽しめた。そして隠田が必死で自転車マシーンをこいで汗だくになった後、「エラーだった」の一言と共に足早に風呂場に向かったのは印象深い。
 そのごバスでフェリー場に行き八幡浜へ。フェリーでは菓子を、賭けて大貧民をしたが、皆見が禁断の2上がりで地に落ちて行った。その後電車を使って松山へ。夕飯を駅前の中の屋で牛丼大盛り(Y500)を食した後、バッティングセンターで久しぶりに遊びに興じる。すると寝ていたはずの皆見が駅から追い出され我々の荷物も出されている。仕方なく駅前のベンチで眠りについた私であった。
(おわり)

いんだ:
 久しぶりの布団なもんで、朝8時頃朝ご飯の時まで熟睡。湯布院へ行くかどうかなど本日夕方加島君が東京へひとっ飛びで帰ってしまうまでの行動を考えたが、第一条件ともいうべき加島家の車が本日は使えない、服も洗濯してもらってまだ乾いてないなどがあり、結局出かけない事に決定。別府で温泉に入って、フェリーに乗って四国の八幡浜に行く時間まで加島家でくつろぎ、ウノに興じる。昼までやり続けたが、勝負は加島君とのんのんがどっこいどっこいで1位2位を争い、私が3位で皆見がだんとつで負け、よくカードをきっていた。
 昼飯を頂いた後、別府の温泉へ。ここは何やら祭りで風呂料金が値引きされてベリーグッド。おまけに風呂に入る前にトレーニングルームでひと汗をかくことができる。サイクリングマシンで気持ちよくこいで体力テストを行ってみたが7分かかった挙げ句エラー。せっかくこの鍛えた足で実力を見せつける予定だったのに。まぁ汗の方はたっぷりかいたのでいざ風呂へ行かん。風呂もよかったぞ。何しろ顔だけ出しての蒸し風呂や寝湯など新しい施設がまだあったのである。(北海道、九州と風呂関係についてはかなりプロとなっていた我々)風呂から上がって、フェリー乗り場へ向かう。例によって例の如くキーホルダーを買おうかと思ったが、あいにく理想的なものがなく断念。フェリーに乗って皆見が菓子を食べようといいだし「とんがりコーン」「チップスター」「チョコベビー」を買う。ただ菓子を食うと我々の事だからすぐに無くなってしまうという事から、大貧民で配当を決める事にした。大富豪は3つ、平民2つ、大貧民1つと当初は決めたのだが「とんがりコーン」の減り方が遅いとのクレームで、倍の6、4、2に変更。1回戦目で大富豪皆見、平民のんのん、大貧民私の順位で私は残念ながら1個しか食えず食べた気がしなかったが、2回目で皆見が2上がりというおお間抜けな事をしてくれたおかげで、私が大富豪、のんのん平民、皆見大貧民という結果になり、その上、その回から菓子の数2倍の6、4、2の配当と私にとってはウハウハ。それ以降、私の大帝国が延々と続き、皆見が腐っていた。のんのんは平民続きだったので、現状で満足していた。
 松屋までは露天で寝た。つまり、浮浪者同様、ベンチで眠った。カがそれ程というか全くおらず快適に眠れたのだが、皆見はいまだに世間体を気にして何やら文句を行っていたが、私とのんのんはノープロブレム。

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8月29日 晴れ

ミナミル:
 朝6:00頃ベンチで目が覚める。駅前のベンチの上でシェラフにくるまり寝ている姿はさぞヤバイ人間だと思われた事だろう。ここ松山は夜に道路沿い又は公園の木々に道路から放水車が水をぶちかますらしく、木のそばで寝ていたノノガキは昨夜かなりビビッタらしい。
 今朝の朝飯は、昼食い放題の店へ行くことになったので抜かすことにし、郵便局を探す。私と隠ちゃんはとりあえず交番へ行き郵便局へ行ったが、ノノガキは立ち読みをしていた。ちなみに私の持ち金は3,000円ちょっと、いんちゃんは500円位と軍資金は芝しい。朝9:00まで郵便局の前で座り込んで本を読み時間を潰し、軍資金を満たした後節約の為歩いて松山城へ。私はこれまで2回松山へ来たが松山城はこれが初めて。リフトに乗って城へ着くがやはり熊本城に比べ貧弱だった。その後本屋へ行き松山市内の食い放題店をチェック!余戸にあるハナマサがランチタイム980円の焼肉、アイスetc食い放題と知り早速行く。この店は探すのに苦労したが、苦労した甲斐あってとっても満足する内容の店であった。その店で3時間ほど食べまくり、道後温泉へ。しかし、私が昨年行ったホテル奥道後のジャングル風呂に入る事を急遽決め道後温泉は写真のみ。バスで奥道後ホテルに行き、ジャングル風呂に入った後再び道後温泉に行こうとしたら何とすでにバスは終わっておりタクシーを使うはめに。バス、路面電車のプリペイドカードを買ったのに・・・。結局今日は昼バイキングでたらふく食べたので1食ですます事にした。寝場所はいつもの所。私はかなり悲しい。

いんだ:
 野宿はお初であったが、なかなか快適。朝起きたら目の前をありんこが3匹いたが、カがいないのでそれくらいガマン。本日は松山観光の日なので、先ずは松山城へ向かった。松山城は山城だったのでロープウェイ&リフトで行き来した。山の上にあるだけに天守閣の近く(決して中には入らない我々、有料だから)から松山市街への眺めはグレイト。その後、昼飯をどこで食べるか本屋で調べ、暇をどう潰すかという問題とあいまって、バイキング方式の食べ放題でひたすら食い続ける事に決定した。今回の旅行では一度、ハウステンボス駅近くの焼肉食べ放題を経験した我々であったが、あの時は自由に肉の種類が選べず、品数も極めて少なかったのでフラストレーションがたまりにたまっていたのであった。本で調べたことによると、あまり近くではないが980円で食べ放題の店があり種類も豊富だそうだ。そのハナマサという店では肉はもちろんの事、フルーチェといったデザート類、かき氷、食べはしなかったがラーメン等、品数の多さに驚きつつも一品一品を口にする我々であった。元はとるのが我々の流儀で3時間ほど食べ続けるが、さすがに腹がいっぱいで確か皆一度はトイレに行ってしゃがんできた様子であった。
 昼飯を食べ終えたら西日が照り付け、道後温泉へ向かった。が、観光名所でもあるそこはゆっくり湯につかれる可能性皆無といってよいほどの人だかりであった為、急遽奥道後にあるジャングル温泉に入る事にする。たくさんの風呂があり、皆見がまだ行ってない風呂がもう一つあるから探してみたらなどと私とのんのんに言っていたので(皆見はかつてここに来た事がある)、風呂のはじにあった怪しげな扉をのんのんは開こうとしたが、そのことについてはのんのん参照。開いたら開いたでそれもよかったのだが、のんのんのリアクションはなかなか面白かった。風呂から出て我々はまた昨夜と同じ場所で野宿。

ノノガキ:
 今朝は駅前で寝ていた為朝6:00頃目を覚ます。しかし昨晩放水車が来て大きな木に水をかけた時、とばっちりを少々受けた。私が驚いて目を覚ましたのは言うまでもない。その後松山城を見学。そして大通りにある本屋に行く。そこで980円の食べ放題屋をつきとめそこに行く。アイスや寿司もあり満足したがかき氷はまずかった。(全種類かけた自分にも原因はあるが…)この後は風呂に入るため道後温泉に行くが、混んでるし、皆見の希望もあり奥道後温泉のジャングル風呂に行く。(¥400)そこはなかなか面白い風呂で秘境の中に色々な風呂がある。水風呂もあり満足したが皆見がまだもう1つ風呂があるというので探しまくり止むを得ず女風呂の扉に手をかけたら当然の如く鍵がかかっていた。その時隣のおじちゃんがニヤリとしたので「ジョークデース」といってかわした。ゆっくり入っていたのでバスはなくなりタクシーに乗るはめに。その後コインランドリーで洗濯を済まし昨日と同じ駅前のベンチで寝るのであった。そういえばまたバッティングセンターに行ったが結果は昨日同様であった。無念。(おわり)

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8月30日(水) 曇り後雨

ノノガキ:
 今日は朝早くから電車で鳥取を目指す。途中朝食は手作りパンを食す。景色は余り見ず本ばかり読んでいたが瀬戸大橋ぐらいは見る。夕方雨の降る中鳥取に到着。とりあえず夕食を食べに行く。食べ放題屋を探したが無いので人に聞いたら「ラッキー」という店がお薦めらしい。そこでカレー大盛り(¥550)を食す。しかし大盛りというには程遠い量であり店員もあぶなかった。更に風呂に入りにいくとパンチの親父が我々と気さくに話してきて、しかもオヤジの店に泊めてくれるらしい。我々は早速閉店後訪ねる事にする。その後「Japans」という店でカクテルを飲み、そば屋で暇を潰した後いよいよオヤジの店「順子の家」へ。しかし私が勢いよくドアに手をかけるとすでに鍵が…。本日も駅内での野宿となった我々であった。(おわり)

ミナミル:
 今日は6:00頃に松山を出発し、鳥取へ向かった。ベンチでのキャンプ(?)生活からの解放である。電車の中はとても暇で博多駅で買った「華麗なる一族」の上巻を読みあさった。中巻、下巻まで買ってしまったので旅行中にせめて中巻まで手が出なけれ面目がたたない。私は内心かなり焦っていた。隠ちゃん、ノノガキは雑誌を読んだり、居眠りをしている。ところで、今回の電車の乗りつぎは全て隠ちゃんが時刻表を片手に指揮してくれとっても楽だった。四国にある多度津という駅の側にある「ウィリーウィンキー」という店でパンを買い、朝食、昼食とする。それにしても自転車がない分、電車の乗り換えは楽だ。坂出で乗り換え、岡山へ向かう途中の瀬戸大橋は景色もよく、眠っていたノノガキを起こしに行った程だ。(我々の席は皆バラバラ)岡山から津山線に乗って一路鳥取へ。津山で乗り換えの空き時間を利用して、駅周辺を探索するものの寂れた町で何も無い。ノノガキがやたらと「腹が減った」と嘆く声が印象に残った。津山から最終目的地鳥取へ。私は鳥取へ今まで行った事がなく、もちろん砂丘を見たことがないのでとっても楽しみだった。ちなみに隠ちゃんとノノガキは海で泳げるというので張り切っている。しかし・・・、突然バケツをひっくり返したような大雨が電車に降り注いできた。我々の晴れ男パワーもついに在庫を切らしたらしい。雨の中鳥取駅へ着く。駅の中にあるミニ砂丘を踏みしめる我々。むなしい。明日が晴れると信じ今日は鳥取で泊まる事にし、夕飯を食いに外へ出る。鳥取県民への聞き込み調査の結果、安くて量のある店という事で「ラッキー」という店に決定。カレーの大盛りを食すがとても安くて量があるという代物ではない。そのご駅近くの温泉に入る。その時である。何やら怪しげなおっちゃんが我々に話しかけてきて、我々と彼の店であるパブ「順子の部屋」に、店が終わった後泊めてくれると確約してくれた。ナイス鳥取!と思い、カクテルを飲んだり、うどんを食べたり、公衆便所で雨宿りした後、約束の0:30に彼の店に訪れたが何と鍵が閉まっているではないか。人はみかけによるものだとつくづく痛感。結局その日は鳥取駅構内の隅で寝ました。明日が晴れである事を信じて。

いんだ:
 野宿はいい、なぜなら自ずと早く起きてしまうから。やはり人がさり気なく近くを通り過ぎるだけでも過敏に反応してしまうものである。本日は松山を離れ、待ちに待った鳥取に行く日である。 博多か鳥取で泳ぐというのが目的の一つであった訳だし、別に日に焼けるのが目的ではないが、一日ゆっくり休みたい、自然の中で、のほほーんという思いでいっぱいだった。
 「時刻表を片手に」というのが最近の私である。いや~皆見君1人に任せてばかりではいかんからね。なんとか時刻表の見方を学び松山から鳥取までのルートは私とのんのんで最も早く着く計画を練った。一応不備はないか皆見のチェックは必要だったが。
 瀬戸大橋は初めてだったが景色は良かったと思う。というか我々は天草五橋も経験してしまっているので、ナンカ新鮮味が余りなかったというのが現実。
 山陽方面は晴れていたのだが、山陰へ近づくにつれて雲行きが怪しくなり挙げ句の果てに土砂降りの雨。これにはマイッタ。鳥取は晴れていればいいなと期待しつつ、とうとう鳥取に着いてしまった。明日も雨なら18切符をできるだけ有効に使ってのんのんの京都の親戚の家まで行って泊まらせてもらおうと、皆見がだだをこねていたが多数決にて鳥取駅にザコ寝する事に決定。風呂や夕飯については両者を参照。

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8月31日鳥取は雨 それ以外は曇り

みなみる:
 朝6:00頃鳥取駅内の売店が開店準備を始めその音で目が覚める。目が覚めると同時に私の寝ている側をゴキブリが足早に通り過ぎたのは多分目の錯覚だろう。何にしろナイスな寝床であったのは間違いない・・・。今日晴れると信じて鳥取で一夜を過ごしたのだが結果は最悪の大雨。ここに来て我々の晴れ男パワーは底をついたらしい。私はせめて鳥取砂丘だけでも雨の中見ておきたかったのだが「雨の中砂丘へ行ってどないすんじゃ」という2人の答えにしぶしぶ納得して東京へ帰る事になった。朝食を駅のコンビニで済まし(パン)ついでに昼、夜のパンもこのコンビニで買い込んだ。構内のみに砂丘を後に8:00頃電車に乗り込み鳥取を後にする。前回同様隠ちゃんが電車の時刻表を片手に我々に指示を与えてくれるので本を読んだり、眠ったりとリラックスして過ごせた。このような順調と思われる電車の旅も米原で思わぬハプニングが生じた。米原で大垣へ行く電車をホームで待っていたのだが、そこへ電車が滑り込んできたのだ。私と隠ちゃんは迷わず電車に乗り込み、ノノガキが他へ行っていたので彼の荷物も親切な我々は電車に乗せたのだが、なんとノノガキが乗り込む前にドアが閉まってしまったのだ。しかも乗り込んだ電車が姫路行きで方向がまるで違う。はっきりといって焦った。次の駅坂田で降り、電話で米原駅のTel番号を調べ、ノノガキに放送で米原駅で我々が来るまで留まっておくように連絡してもらう。やはり我々はなにかイベントを起こさないとおさまらない性分らしい。とりあえずアクシデント記念に坂田駅で写真を撮り、その後来た電車で米原へと戻る。ノノガキは大笑いして我々を迎えてくれた。この事件のお陰で余裕のあったはずの大垣行きへ慌てて乗り込むはめになったが、その後はいたって順調。熱海辺りで腹が減ったと泣いていたノノガキ、インダコンビに鳥取で買ったチョコロールパンを分け与え、寝ている間に川崎、立川と着いてしまった。ちなみに立川に着いたのは夜のAM1:00過ぎ。青春18切符の有効日数を超えていたのだがそこは我々、隠田、ノノガキ、ミナミルという順で乗り越し料金を払わず改札を次々に突破。記念に青春18切符をとっておきたかったが、さすがにこのシチュエーションで切符を渡さない訳にはいかず、涙をのんで切符を駅員に渡す。立川駅には隠田のおばさんが来るまで迎えに来てくれており、ノノガキ、私の順に送ってくれた。玉川上水駅そばに我々の旅行中セブンイレブンができており、改めて旅の長さを感じたのだった。 完

いんだ:
 鳥取駅でのザコ寝は野宿ほどに快適ではなかった。寝ている脇をゴキブリが通過して行ったのは皆見だけが見たものではなく、現実の話しである。まぁ私と皆見はそういった事情で早々に起きたのであったが、のんのんはやはり一味違うと思わざるをえない。結局、今朝も激しく雨が降り続けており、待合所のテレビによると今日もこの雨は止まないという事だった。暇なのは事実だが、無駄に鳥取に滞在する事も耐えられなかったので鳥取砂丘へ行く、泳ぐという計画は断念せざるをえない。時刻表を片手に東京に帰るルートを見つける私であった。難無く東京に帰れるはずであったが、米原で事件が発生した(皆見参照の事)。荷物に自転車が無くなって軽快ゆえのアクシデントといわざるをえない。一時はもう今日中に東京に帰れなくなってしまうのではないかと思ったほどだから。無事にのんのんと合流した後はサクサク進行できたと思う。0時を過ぎていたが立川の改札口も素知らぬ顔で通り過ぎれたし。鳥取で泳げなかったのが残念で仕方ないが、今回の旅行ではけがや事故、パンク等もなく、台風もこなかったという大ラッキー続きだったのだからそれで満足しよう。
 そうそう、体重についてだが、動けばのどは乾く、腹も空くという自明の理から、後半はよく食べ、よく飲んでしまい、もしかしたら行く前よりも太ってしまったかもしれない。小目的はついに成し遂げられなかった。

ノノガキ:
 今日は予想通りというか雨になってしまったのでこの駅にもう1泊する気は毛頭なく、東京に帰る事にする。途中我が田舎京都の綾部を過ぎる頃には雨も何とか止む。飯は鳥取駅のコンビニで買ったパン。更に米原駅で次の大垣行きまで時間があったのでトイレに行った後新幹線の待合室でのんびり時代劇を見ていたらナント放送が…。何気なしに聞いていたら東京在住の野々垣哲様といっているではないか。何事かと思った私は早速指定されたホームに駆けつける。すると私の荷物はなく奴等2人もいない。さては何かしでかしたなと思い駅員に尋ねると案の定間違った電車に乗ったとの事。大笑いで私が出迎えたのはいうまでもない。
 その後18切符なのでひたすら退屈な旅を強いられ翌日のAM1:00過ぎにやっと立川に到着。とにかくこれを全てワープロ打ちしなければならない自身の境遇にうんざりしている今日この頃の私であった。 (おわり)

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