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本州~北海道旅行

人生初の自転車旅行!

人生初の自転車旅行!そして、計画は東京から北海道まで自転車で行ったのちの北海道一周!
本棚から引っ張り出した中学の地図帳をめくり、東京と青森を定規で結んで青森までの最短ルートを検索!
山越えなんて知ったこっちゃなし。
我ら3人の行き当たりばったり自転車旅行珍道中が今始まった!

行程表

7月25日 自宅~かご岩温泉(栃木県日光市)
7月26日 かご岩温泉~塔寺駅(福島県河沼郡会津坂下町)
7月27日 塔寺駅~瀬波海岸(新潟県村上)
7月28日 瀬波海岸~酒田駅(山形県)~にかほ市温泉保養センターはまなす(秋田県にかほ市)
7月29日 にかほ市温泉保養センターはまなす~秋田駅(秋田県秋田市)
7月30日 秋田駅~青森駅~函館駅(北海道函館市)
7月31日 函館駅~長万部公園キャンプ場(北海道山越郡長万部町)
8月01日 長万部公園キャンプ場~小沢駅周辺(北海道岩内郡共和町)
8月02日 小沢駅周辺~豊平川橋の下(北海道札幌市すすきの周辺)
8月03日 豊平川橋の下~江別市国道12号線沿い(北海道江別市)
8月04日 江別市国道12号線沿い~旭川大橋の下(北海道旭川市)
8月05日 旭川大橋の下~層雲峡~旭川大橋の下(北海道旭川市)
8月06日 旭川大橋の下~稚内中央公園(北海道稚内市)
8月07日 稚内中央公園~礼文島~稚内中央公園(北海道稚内市)
8月08日 稚内中央公園~さるふつ公園キャンプ場(北海道宗谷郡猿払村)
8月09日 さるふつ公園キャンプ場~紋別市内の公園(北海道紋別市)
8月10日 紋別市内の公園~常呂町内の公園(北海道北見市常呂町)
8月11日 常呂町内の公園~網走駅(北海道網走市)
8月12日 網走駅~ひがしもこと芝桜公園キャンプ場(北海道網走郡大空町)
8月13日 ひがしもこと芝桜公園キャンプ場~弟子屈小学校体育館軒下(北海道川上郡弟子屈町)
8月14日 弟子屈小学校体育館軒下(北海道川上郡弟子屈町)
8月15日 弟子屈小学校体育館軒下~別海町 郊楽苑(北海道野付郡別海町)
8月16日 別海町 郊楽苑~ときわ台公園(北海道根室市)
8月17日 ときわ台公園~厚岸陸橋下(北海道厚岸郡厚岸町)
8月18日 厚岸陸橋下~ボートピア釧路(北海道白糠郡白糠町)
8月19日 ボートピア釧路~晩成温泉宿泊施設「晩成の宿」(北海道広尾郡大樹町)
8月20日 晩成温泉宿泊施設「晩成の宿」~スマイルタウン灯台公園(北海道幌泉郡えりも町)
8月21日 スマイルタウン灯台公園~静内橋の下(北海道日高郡新ひだか町)
8月22日 静内橋の下~むかわ町内の公園(北海道勇払郡むかわ町)
8月23日 むかわ町内の公園~苫小牧市内の公園(北海道苫小牧市)
8月24日 苫小牧市内の公園(北海道苫小牧市)
8月25日 苫小牧市内の公園(北海道苫小牧市)~フェリー(ブルーハイウェイライン さんふらわあ)
8月26日 フェリー(ブルーハイウェイライン さんふらわあえりも)~自宅

旅の日記

※手書き日記を文字起こししてくれた野々垣氏に敬意を表し、誤字脱字は修正していない。

7月25日 AM2:30

皆見:
 昨夜は10:00くらいに寝た。少し眠い。雨は降っていない。隠ちゃんのおばさんが来た。

ノノガキ:
 昨夜は総決算で「ほんぽこ」と「ライオンキング」をみたけどつまんなかった。カラオケの歌い納めをした。

隠田:
 きのうは暇な一日を過ごしてしまった。一応は4、5時間昼寝していたのでお目めぱっちりである。集合はみんな時間を守って準備万端といったところであろう。

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7月25日 よる 晴れ

皆見:
 「夢ならさめて欲しい」そう何度思ったことだろう。えらく疲れた。半端じゃない。
 しかし、温泉(岩かご温泉露天風呂)は最高だ。まず親切な経営者には感服した。カレーもうまい。(カレー大盛800円)温泉に入った時は天国だった。

隠田:
 結局、みーもが色々と心配していた鬼怒川の到着も無事(?)に終えた。僕は途中で鼻血ブー状態になってしまった。露天風呂はよかった。店の人も大変親切にしてくださったので、これもグー。でもテント内でアセがジワーとしてきて悲しい一日でありそうろう。

ノノガキ:
 早速カバンを壊し、代替してもらうというハプニングの中、スタートしたこの旅行。麦茶をくれなかったバアサン、風呂屋の至れり尽せりのオヤジさんとおカミさん。義理人情いりみだれまずは最高のしょにちではありますが、体はすでにボロボロ。結末やいかに。

夕飯 カレーライス
宿泊地 かご(鬼怒川の駅2つほど手前〉

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7月26日 夜 晴れ

いんだ:
 うー疲れた。眠りたかったが、11時半ぐらいまで走行。温泉はバツグンに良かったものの、5分少々で閉館。2日目はやはり疲れがたまってきたのか、トンネル中に僕が横倒れ、一歩間違えば死んでたかも。それ以来トンネルには皆、細心の注意をはらうようになった。
 でも本当に運が良かったものである。夕飯は山盛ご飯にスタミナ丼と少しリッチ。

皆見:
 毎度のことながら疲れた。鬼怒川から会津へ向かうのは半端じゃない。はっきりいって死んだ。 しかも尻が痛い。 温泉が入るには入れたが、5分も入浴せず閉まってしまうため出るはめになった。会津は田んぼとトンボが多い。 さすが” た”と”と”の違いだけあって一体化していた。テント内のむしあつさは最っ低!

ノノガキ:
 もう何杯飲んだだろうか。すでにペットボトルは三本消費されている。一日の食費1500円の予定が一日の飲料費と化している。今日は特になだらかな登りが続き、ボディーブローのようにきいた。
 やっとついた銭湯「湯ートピア」、まさにユートピアであったが、堪能する暇もなかった。
 晩飯で食ったスタミナ丼はうまかった。その店の冷水はもっとうまかった。生まれて初めて東北に足を踏みいれたが、くそあちゃーだぜ。

宿泊地 塔寺駅

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7月27日 晴れ

皆見:
 隠ちゃんのトンネル事故でトンネル恐怖症になってしまった我々三人は新潟にぬける長いトンネルを拒否すべく電車という強行手段に訴えた。さすがに電車は速い!とにかく楽だ。しかし、自転車の持ち運びにはまいった。手に豆ができる。結局、野沢⇒新潟⇒村上と電車で来てしまうワープ作戦を実行した。
 家に電話し、「もう村上にいるの?!」という返事を期待していたのにもかかわらず、その考えはあっさり裏切られ「その辺にいると思っていた。」等という返事が帰ってきた。今日の親切大賞は「瀬波ビューホテル」である。ちなみに夕食はこの旅行はじまてのビールが登場、メインはおにぎりだがいい。

ノノガキ:
 3日目にして電車に乗ることになった。すげー楽で、余裕で海で泳げるとおもっていたが、MTBのブレーキの調整に手間取ったのが痛く、泳げなかった。夜はとりあえず、村上まで無事来たのでビールで乾杯した。
 海辺は山よりずっといいのであるが、それにしても毎日暑い。北にむかっとるんやで~。

隠田:
 今日は殆ど電車に乗って移動した。いきさつはみーもが説明済みであろう。それにしても本当にトンネルはコワイのだ。これはその場にいた者たちにしか理解できないのかもしれないが。ところで我々はコインランドリーをあなどっていたようだ。ふだん何気なく見過ごしてしまいがちなほど意識しないものを、これほど町をながめながらの走行を我々に強いる、何と・・・(テキトウに想像)。
 結局、下車した村上駅においてもコインランドリー様はあらせられず、洗濯できるホテルを探すことになった。天候の上での運もさることながら、この条件を満たすホテルをこの町にして結う唯一1件(ウソ)発見することができた。従業員さんもこれまた親切で、脱水までしてくれた(我々は風呂の中)。ただ我々の衣類の量は脱水を未完のまま終了していた様子であり、結果的に私個人としては、本日の服と混ぜあわせてしまうのであった。またさらに今日初めて酒を飲んだ。最近酒を飲んでおらず、かつハラは減り、疲れていた私は、すぐにヨってしまった。でも気持ち大変よろしく旅行初めて熟睡ができた。また酒が飲みたいものだの~。そうそう海である。我々は、多少人力以外の者で移動したため、1日半分の距離をすでにかせいでしまった。この村上は新潟県の上方に位置するが、当然海に面している。海はいーよねー。これは色々我々が苦労してきたからこそ、その違いがわかると言えよう。初日の杉林、2日目の山越え、3日目のトンネル、これらはいずれ再び詳しく思い出して書いておきたいと思うところだが、これらの難所を海に抜けたというだけで大半がクリアーされてしまうのである。寝るのも風が吹きぬけて大変良い。など、これからは海岸線を北上していくことになるが、ピッチも上がりそうなので、電車での移動はかなり有意義なものであっただろう。今日は海で泳がず。ぐだぐだ書いてしまった感も否めないが初めて1頁書いたぞ。

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7月28日 晴れ

皆見:
 この文章は7月29日に書いている。こんなことはめずらしくなくもはや常識に近い。この日(28日)は前半えらく気合が入っていた。これも今まで平均3.5時間くらいの睡眠だったのが昨夜のアルコールの助けと海風のすずしさで6時間ぐらい眠れたおかげであろう。しかし、この快心撃も前半ではかなく散った。恐らくペース配分など考えもしないで銭湯を驀進した私のおかげであろう。まず例によって尻が痛くなった。これは皆が感じていることと思う。そして予想に反した必殺”ボディーブロー攻撃”の坂と道路で目玉焼きができると思われる暑さには皆えらく閉口し「東北涼夏」の神話はもろくも崩れさった。明らかにこの日秋田の手前までいく計画は絵に書いた餅であったのだ。ところで午後に入ると私達は明日の着替えがすべて濡れているためある家の物干しを借用し干すことにした。しかし、これがなかなか乾かない。おかげで3時間くらいそこで乾くまでトランプ(*)をするはめになった。その後我々は酒田に着くことに目標をあっさり変え、風呂を探すたびになった。散々探してついた銭湯(温泉)の名は「田田」ロッカー代10円が感動した。その後酒田の駅の待ち合い所で寝ることにしたのだが駅が閉まるという事態に直面し、この計画はままたもや釈迦った。そこで我々は①歩道橋の下で寝る②派出所に泊めてもらうよう頼む③海岸で寝るの選択肢の中から③を選びなぜか途中1時間の仮眠をとった後象潟まで延々と走り続けてしまった。この1日の記憶は不明一。何にしろ全員生きていることに感謝、あ~眠い。

*大貧民、ババ抜き、ブラックジャック

ノノガキ:
 これは7月29日に書かれたものと思って読んで下さい。7月28日、我々に残された衣服はほとんどない。きのう(7月27日)、運よく洗濯機を借用できたものの、干すところがなかなか見つからない。コインランドリーなどというものは存在していないもののようである。その後、干す場所を見つけ、トランプに興じた後、銭湯探しのたびに出た。その名は「田田」。聞く人、聞く人田田の場所は異なっている。しかし、苦労の末、田田にたどり着き、万々歳と思われた我々、特に私に悲劇が待っていた。
 その悲劇とは第一に、田田を出たのがPM9:00すぎだったゆえに飯屋がすでにおおかた閉まっていたことである。しかし、それはまだ序の口だった。飯を何とか食い終えた我々を車に乗っていたカップルが笑っている。何事かわからず「何だ、あのヤロー」と口々にいいながら、宿を求めて我々はさまよっていた。しかし、宿に適した場所が無い。すっかり、きれてしまった私ノノガキが強行軍を無理矢理主張、秋田へと向かった。翌朝、コンビニでの朝食時、ノノガキの短パンが裏表逆になっているのに気付いたのは、他ならぬノノガキ自身だった。「あのカップルめ・・・」ノノガキは心身共に果てていったのであった。(オワリ)

インダ:
 今は非常に眠い。我々は数分間の休みをとると動かなくなってしまう。眠るな!眠ると死ぬぞ!でも、走行中でさえ目ぶたはおもい。
 まるで雪山にでもいるかのような表現であるが、現状はまるで逆である。とにかくアツイがまた眠い、しかし今は光り輝く真昼である。いやもとい、猛暑の昼でありんす。おっとボケてしまった、今日の日記を書くのではなく昨日のもののはずであったのに。
 そう昨日の朝、それは酒を飲んで酔っ払った我々にが快適すぎるほど、涼しく、動きもなめらか、さすがに海岸に出てきた意味というか意義はあったと証明できる。
 そんな感じでスイスイと快心撃を続けていったものの、我々には不完全脱水の衣類を処理するためコインランドリー様を常に追い求めていた。でもやはりあらせられなんだ。ついに民家の物干しを借用することとなったが、あまり乾かない、昼下がりの日光ではダメなのか、でも人間の体には非常にこたえるものであった。結局一部を除いて未だ脱水できないものを我々は、しぶしぶしまいながら(干している間、トランプをして数字間を過ごす)、次の目的である、風呂探しへと足をコキコキした。行き交う住民(?)に尋ねること数回、毎回返答が異なり苦しめられる。しかし、ついに鶴岡にて入浴。一応は為すべきことをしたかにみえたが、晩飯を済ましていない。時は遅く、店はない。再び、夜の行進となり、色々なこと(他の部分を読んでくれ)があって十分に眠ることができない。そして今にきているわけである。ちなみに昨日、衣服に苦しみつつ、私は防寒着として持ってきた、トレーナーに長ズボンをアツさに耐えつつ身にまとっていたのである。こまめに洗濯しておくべきであったと、その時ほど感じたことはない。

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7月29日 懲りずに晴れ

ノノガキ:
 懲りずに晴れである。昨夜からの強行軍がたたり、我々の疲れはピークに達した。午前中、銭湯「はまなす」に洗濯ものの関係上、6時間以上いたが、疲れはまだかなり残っている。私、個人に関していえば尻、足はもちろんのこと、頭が帽子をかぶっていないのにかぶっているように重く感じる。
 皆、足取り重く出発したが、ここから運気が著しく上昇するとは知る由もない。
 我々一行は、まず、当初の目的の洗濯物の残りの干す場所をあっけなく見つける。しかも浜辺であったため、海でリフレッシュできた。待望の海水浴である。
 そして気分良く再出発した我々を待っていたのは花火であった。田舎の花火大会と侮るなかれ。大小取り揃い、魚の形になる花火もあってなかなかおつであった。
 とはいっても秋田までは遠い。秋田到着は、PM11:00頃。まだ晩飯を食べてはいない。ヘトヘトの我々は明日の朝まで時間をつぶせるファミレスを探していたが、期待に反して駅前にはない。しょうがなく「ミスタードーナッツ」でドーナツを食べることにした。しかし冷房がきつく、いるのがおっくうになり出た我々を待っていたのは何と5千円札であった。こういっても何だかよくわからないだろうが、ファミレスの存在を尋ねたぶっきらぼうな若い男性が、我々がミスタードーナッツに入る時、「おなかすいてるやろ。おいしい焼肉屋があるで~」と親切にいってくれて、その時は当たり前だが、そんなお金はないので、結局ミスタードーナツに入り出てみたら「秋田の焼肉はうまいで~」と書いた紙とともに5千円札が隠田のカバンにはさんであったのである。そのお金で食べた焼肉は当然のようにうまく、その店のおかみさんも親切でまさに最高の1日となったのであった。
(オワリ)

皆見:
 この日はこれまでの我々の旅の中で一番GOODなものだったにちがいない。朝7:00から温泉に入り、その後海水浴また温泉(はまなす)と命の洗濯をした後、日が傾きかけた頃秋田に出発。途中海に沈むSUN SETをたんのう。また道川の花火大会にも出くわしここでも東北の美を満喫といったスペシャルコースを味わった。しかし一番驚き感動したのは秋田の人情であろう。秋田駅に着いた我々は24h営業のファミリーレストランで一夜を過ごそうと町の人に尋ね開いたが、この辺りにはその様な代物はないというご返事。あきらめた我々3人はミスタードーナッツでしぶしぶ夜をあかそうと決めた。ところがそこへある1人の男の人がやってきたのだ。ダメもとで聞いてみたのだが、ミスタードーナッツぐらいしかないという返答を受け、我々は落胆とともにドーナッツ店に移動(男の人にあったところから40m先)し荷物を荷台から取り外そうとした。ところがそこへ先程我々がファミリーレストランのある場所を尋ねた人が我々の所に引き返し、「焼肉ならあるぜ」と忠告してくれたのだ。当然貧乏な我々は焼肉など高価すぎて手が出ず、断ってドーナッツ店に入った。店の中はクーラーがききすぎてとても長くいられず外へ出発、駅前で野宿しようと自転車に乗った時である。隠ちゃんの自転車の荷台に「秋田の焼肉もうまいんだぜ!」というメモとともに5,000円つつんだ紙がくくりつけられていたのだ!!正直こんなことしてくれる人がこの世のいるなんて思いもしなかった。しかし、気付いた時はすでにAM1:00、焼肉なぞ食えまいと思いきや、店を閉めようとしていた焼肉屋のおばちゃんが「食べていく?」と聞いてくれる始末。おまけに野菜、ご飯をサービスしてくれるなんて!最後に寝やすい場所を教えてくれもした。秋田!!なんて素晴らしい都市。隠ちゃんが足を痛めた点を除けば、本当に本当にいい日だった。
 しかし、この男の人、最初は恐い人かと思いきや・・・。俺にもこんなことができるだろうか?この旅に出て意義があった気がする。
 明日は電車に乗って青森 函館へ!!

インダ:
 今日中に秋田へ着かなくてはならない。ちなみに昨日は1時間の仮眠をとったきり、ぶっ通しで走り続けた。今朝金浦にて、温泉に入った。また、これを利用して洗濯物を干すという行動をとり、6時間近くそこに滞在した。当然浅い眠りではあるが、数回にわたって全裸にタオル状態で、バクスイした我々であり、のんのんは頭がカクンカクンとうなだれたり、後ろへ反り返ったりとハタから見て楽しくあった。その後、我々は近くの海で泳いだ。浜から少し離れたところにテトラポッドが壁のように積み重ねられ、海水浴場を守っていたが、多少おもしろみがそのために欠けていると思った。海はきれいで、透き通っていたが、ゴーグルが無いため、目が大変しみた。口も塩水で苦々しかった。
 再び秋田へ向けて出発したが、ひざが痛い。2日くらい前から足に負担がかかるために、膝がきしみだしてきてはいたが、今ではもう負担のかかる走り方ができない。いや、そうした走り方であったからこそ膝を壊したのである。以来、通常よりも軽いギヤで走行するようにしたが、それでも上り坂では2人に遅れをとることとなった。このままでは秋田に着かないのは必定といった感じがしたので、夕方のやや日差しのゆるくなった頃、軽いギヤではあるものの高速回転にてスピードアップを測った。秋田まで30km近くまで来た頃にはもう日も沈み、空もうっすらと深い青を東の方向に見せた。また、そのころ先の空を明るくする光を前方の山陰から見ることができた。それは花火であり、立川のものと比較すると少し劣るのではないかと思っていたが、近づくに連れて空を見上げ、次第に迫力もまして、比較どころではなく、花火の破裂する時の波紋は、まるで気攻師が触れることなく人をふっ飛ばす、あれに似た感じがした。少しそこで立ち止まり花火をしばし見続けたが、時間的にヤバサを感じずにはいられなかった。やっとこ秋田市に入った時には、目は半つぶりで、早く眠りたいという思いばかりが頭を支配していた。が、我々は晩飯を食べていなかった。それでも私個人としては何よりも眠りが第1の欲望であった。結局、24間営業の店を探すことになったが、それもかなりキビシクなかなか見つからず、やっとミスタードーナツを見つけて、翌日早朝の青森行き電車まで暇をつぶすことに決定。いざはいってみると冷房がかかりすぎ心身共に消耗しきった我々には耐えられるものではなく退却、駅前でザコネしようとした時、5000円札と書き置きが私の自転車にはさみ込んでいることに気付き、「秋田の焼肉もけっこううまいぜ」という一文によって我々のそれからの行動が決まった。きっとこの親切な人(筆舌に尽くしがたい)は我々が晩飯の店を探す中で尋ねた人であることがわかっている。そこの時は多少ムゲにその勧め(金銭的に余裕が無いので、焼肉なんてもってのほか)をあしらってしまっていた。世の中には、こんな素晴らしい人もいる。(秋田だからとかそういう問題ではなく、旅行以来幾人が親切に我々の尋ねごとを応えてくれたか)という思いの頂点というか恐らく、今までの自分では絶対行うことができない(今後は未定だが、自分なりに親切な方向へ努力する予定)ことを彼は我々にさり気なく示してくれた。お金が高いだの低いだのということではなく、行為に感動したのである。当然我々は焼肉屋に行き、晩飯(自分は13時間ぶりの食事)を食べ2時頃に店を出て、駅の東西通路のベンチで電車の時刻まで寝ることができた。今日はこの度で恐らく一番、二番をとる親切人に出会ったことが非常にうれしく思う。また、色々と苦痛はあるけれど、この旅が本当に良かったと感じる1日であると我は思う、ゆえに我あり。(なんだこれ、これはごろだからあまり意味無い)

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7月30日 晴れ

インダ:
 今日は病院へいった。名前は神病院。両ひざの痛みはその極みに達していたのである。医者に見てもらったところ、やはり水がたまっていた様子である。なんこうと痛み止めの薬を貰って、去った。その後、薬局でサポーターを買おうとした時、やさしそうな店員が出てきて、2800円のサポーターを2100に負けてくれた上に、湿布までくれたのは、大変ありがたかった。これで、大分楽になったので、北海道に着いたら頑張れることになったのである。その他、昼食時の件や、コインランドリー様のことなどについては、私は割愛させていただかせてもらおう。

ノノガキ:
 今日は本州滞在最後の日である。まず電車で青森に行き、皆見ご推薦の天ぷらやに行こうとした。が、やっと着いたら店が移転していた。そしてどうにかこうにかその場所に着いたが、今度はかきあげ天丼が無い。
 しかし執念深い皆見は、「かきあげ丼ってありませんでしたか?」と聞き、我々はこの旅行一番のごちそう「かきあげ丼大盛1,500円也」を食したのであった。
 その掻揚げは、分厚く、たれも効いてうまかったのだが、ある本にその店(芝)がそばがうまいと書いてあったので我々は2回目に来店を早くも心に誓うのであった。(ちなみに木曜休業)。その後、ようやくコインランドリーを見つけ、我々は狂喜乱舞した。と同時に今までの洗濯にたいする悪戦苦闘を思い出し、むなしさを感じるのであった。
 その後、函館へと向かうのであるが、その際青函トンネルで見たアニメもどきはどうなってるのか不思議に思った。その後函館に夜景を見にいった。
 さすがに世界3大夜景の1つだけあって、素晴らしかった。が、その際、写真を頼まれ、WOMANだったのでサービスで「1+1は? 2ぃー」のギャグをしてあげたのだが、ギャグに気がいき過ぎ、シャッターが浅くなってしまった。
 なにはともあれ、今宵で1部は完。北海道よ、涼しかれ。

皆見:
 この日は、青春18切符を超有効につかった。秋田⇒青森⇒函館へと向かったのである。青森ではこの間(大学1年の時)食べなかった掻揚丼を食べた。もちろんうまかった。次はそばを食べたい。ところで青森にコインランドリーがあったのには感動した。このおかげでこの日は洗濯で終わってしまったのはいうまでもない。はっきりいって観光どころの騒ぎではない。風呂は近くの(コインランドリーの近く)銭湯でこれは初体験。今までの温泉続きに終止符を打った。18:05の快速に乗って、一路函館へ。函館の食事はおにぎり2つとウーロン茶。すばらしい!函館についてまでこのメニューとはさすが貧乏な3人であろう。その上寝たのは駅の待合所。我ながらサバイバルに強くなってゆく気がしないでもない。いや非常にする。

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7月31日 晴れ

ノノガキ:
 いよいよ北海道のツーリングが始まった。景色もいいし、牛や馬など見れたりしてなかなか面白い。
 でも、何といっても最高なのは、同じツーリング仲間との挨拶である。
 MTBやロードマンの人はもちろん、バイクに乗った人達と腕で合図をしたりするのは面白い。結局、今日は函館から長万部まで100キロ程度走ったが、非常に楽しかった。昼飯のかに飯¥1000もなかなかだった。
 キャンプ上も無量で少し寒かったが、快適に眠れた。
 と、このようにいい事尽くしの1日であったのだが、次の日に悪夢が待っていようとはこの時点では知る由もなかったのであった。
(つづく)

ミナミル:
 この日は函館駅で目覚め、ついに北海道観光が始まったと思いきや、この観光都市函館で見たものといえば昨夜の函館山からの夜景(山の途中から)とハリスト寺院(だとおもわれる教会)そして今朝の五稜郭である(これも外から写真を撮っただけ)いや、さすが俺達3人である。結局、この日は長万部のキャンプ上(今回初めての)でこの次からの食事にかけるお金をかんがみご飯(大盛り)と納豆で夕食を済ませた。しかし、なっとうもしょうゆがないとあれほどまずいとは・・・。いい教訓になった。明日はいよいよニセコ方面へ。

インダ:
 7月31日にして函館から長万部へと我々は走行した。距離は106キロと平地を走るわりにはあまり多い数字ではない。これは私のひざに負担がかかるのをなるべく避けるためではあったが、後の我々の手によってこの日の移動について述べれば、少し甘い。もう少しは、先へ進んでおいたほうがよかったであろうといえるものであった。しかしながら我々はこの日、早めながらに温泉に入り、コインランドリーもそこに見つけ、無料キャンプ上へ向かい、快適な、今後ともこうあって欲しい1日を終えた。ちなみに、朝飯は昨日に買っておいたパンでけちり、昼飯は、「長万部といえばかに飯」という話しを小耳にしたおかげで、当然それを食べ(1000円)、夕飯はコンビにで大盛りライスと納豆を買い、キャンプ上で、納豆ご飯を食べた。(ミナミルの案)。私はそれにおむすびを付け足した。

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8月1日 曇り時々天気雨

ノノガキ:
 今日はまず、昼飯の「ヌプリカレー」を目的として昼までにニセコ駅を目指していた。
 昨日の平坦な道とは打って変わってアップダウンの多い厳しい道のりだった。
 しかし、ついにニセコ駅の1つ手前「松尾駅」通過。その直後、悪夢は起こった。
 何と、タイヤがflatになってしまったのである。つまり初のパンクである。
 悪い時は悪いことが重なるもので雨は降るわ、空気つぎのチュープは落としているわ、(しかも今日)で大変だった。
 しかも、直したけれどもわずかにチューブの空気がもれていてまたパンク。結局、皆見の予備のチューブと取り替えることとなった。その際空気つぎを借りた民家でスイカをもらえたのはよかった。結局、ニセコについたのはPM4:00過ぎ、みんな飢えた顔をしてたのか、大盛りの更に大盛りにしてくれた。「ヌプリカレー」はうまかった。目的地のワイス温泉についた時は皆、疲れきっていて、大安売りの旗のある市場にテントを張ってすぐ寝た。明日のために晩飯をぬいたのであった。
(おしまい)

インダ:
 この日は、キャンプ上からスタート。テントや寝袋を干したりしたので、出発時刻は8:00ぐらいであった。すっかり日は高く、日差しが強かった。この日は長万部からニセコ経由でワイス温泉へ行くことになっていた。
 昼過ぎ、あと10キロメートル程度でニセコに着くというところで、なんとパンク第1号があらわれた。それは1番荷物が重いみーもでも1番体重がある私でもないのんのんであった。近くの家でバケツに水をいれてもらいあとはパンク修理をチャッチャッとやって、ものの20、30分で再出発となると思いきや、チューブをニッパでちぎり、やすりをごりごり、空気入れ担当の、のんのんが空気入れの先端のチュープをどこかに落としてきたため、自ら口をタイヤのチュープにつけて膨らませたりと、とんでもなく時は過ぎ去ってしまった。その間、雨が降り、しばらくして止んだ。ようやく修理したものの、しばらく走ると空気が抜けていることに気付く、どうやら別の場所か修理したところから空気がもれている。処置なしといった時に、予備のチューブをのんのんにみーもが貸し、それで走ることにし、農家で空気入れを借りて、やっとこさっとこ普通に走れるようになった。ニセコ駅についた我々は、ひどく疲れ果てた様子で店の人の同情を買ったらしく、大盛りヌプリカレーを頼んだのに更に多めにしてくれた。味も良く、これで800円は安い(東京比較)と我、思う。ゆえに我あり。
 ここが目的地ではないので我々は食後、すかさずワイスへ向かった。到着した時はもう日は沈み、温泉から出て服をコインランドリーにいれているあいだ、我々はいつもながら眠りこけていた。店の人に「もう閉めるので」といわれるまで寝ていた我々は、10:30頃にそこを出た。当然、メシより風呂が先であったからこんな時刻でもメシは食べていなかった。ワイス付近はこれまた他のところと同様に、車の通るもの以外は静まりかえっており、コンビニなんぞ存在しない。寝床もまだ決まっていない。少し先へ進むこととなる。1.5キロメートルほど進んだ町で野菜かなにかの大売りだしの仮設テントがあり、その下でテントを張ることにし、本日の行進は終了した。メシはぬき、ということにした。途中で時間を、大分割いたが、それでも一応のノルマは達成した我々であった。

皆見:
 この日はやたら疲れた。道路のアップダウンが激しいのだ。もはやバイクの兄ちゃんに手を振る気力すらなくなった。この日唯一の救いはやはりニセコで食べたカレーであろう。実にうまかった。何せこの日は朝8:00に出発して、PM4:00まで食べていなかったのだから。ノノガキのパンク、隠ちゃんの足の痛み、けっこうなダメージをうけながら、なんとかワイス温泉へ。この後、小沢駅の近くのスイカ売場のテントの下にテントを張って寝た。
 背に石があってごつごつとしていたがぐっすり寝てしまった。

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8月2日 曇りのち晴れ

皆見:
 小樽、札幌をまわった。ほっきり言ってこの日の食事は超ごーかであった。ウニ丼、ホタテ焼き、にしん焼き、ジンギスカン。6,000円近くつかった。これから先は極貧生活が続くだろう。しかし、この日のためにどれだけ苦労したことか。納豆の日、夕食カットの日が思い浮かぶ。ジンギスカンを食べた店は「だるま」という店で有名のよーだ。まさか並んで食べるとは。小樽の町は建物が古く、趣があったが札幌の町は新宿のようだ。今まで見た県庁所在地に比べようがない。そうそう、ウニ丼のことも書こう。これもまた美味(時価2,900円)であった。しかし、店のおばさんの愛想のなさが気に食わない。たぶんもーいかないだろう。
 この日は札幌のすすきのの近くの橋の下で寝た。その夜は雨が降りはじめて床上浸水を味わった。背中は濡れるは、寝袋はぐしゃぐしゃだわ、えらくひどい目にあった。おかげでこの日は寒かった。次回からは雨が溜まるようなところでテントは張るまい。

インダ:
 今日は、ワイス温泉から札幌まで走行。当初小樽迄で終了する予定であったが、以外と快走。そのため小樽でウニ丼(時価2,900円)とニシン焼きを食べた後、すかさず札幌に向かった。夕暮れ時に札幌駅についた我々は、まず温泉を探し、あとは寝床と晩飯であるが、晩飯はジンギスカン(成吉思汗)を食べた。しかし、ジンギスカンと普通の焼肉との違いが未だ不明。そこでビールを2本頼んだせいか、店を出た後、寝床を、山の中のキャンプ上から、とよひら川の橋の下に変更。変な人が来たらおしまいだが、なかなか立地条件は良い。ちなみに我々が寝静まった頃、雨がザーンと降りはじめ、橋の下であったので直接の雨の被害は免れたのである。直接であり、実を言うと間接的には雨の被害はみーもを襲ったのであった。雨の流れが土手の上からチョロチョロ流れ出し、それが我等のテントの下を通過していたのである。被害にあったみーもは、すぐさまテントを移動させ、下にビニールを敷き、濡れた服を着替えていた模様、私とのんのんは対して濡れずにすんだ。

ノノガキ:
 今日は何といってもメシの日である。朝は東京じゃ絶対食べられない量のウニ丼。わさびじょうゆとのりとごはんとウニを混ぜて食うその飯は、まさにゴージャスアンドリッチ。値段のほうもリッチで2,900円もした。
 その後、我々は一路札幌を目指した。もちろん目的はザ・ジンギスカン。本を便りにススキの界隈をうろつき回りやっと「だるま」を見つけたとおもったらかなり人が並んでいた。
 飢えに飢えていた我々は(昼飯はぬいている)何とか空腹を我慢して食事にありついた。その料理はまさに豪快そのもの。ウニ丼を柔とすればこちらは剛というかんじか。焼肉との違いに若干疑問を感じたが、こちらも非常にうまかった。と、まさに今宵は贅沢の限り、まさに幸せの絶頂なのでありました。

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8月3日(水) 晴れ

ノノガキ:
 昨夜、橋の下で床上浸水を経験した我々は、テントを乾かした後、みそラーメンの元祖「味の三平」へと向かった。やっとこさっとこたどり着いた我々を待っていたのは「8/1~8/5夏休み」と書かれた紙切れ1枚であった。やむを得ず、我々は「味の三平」から「糸末」へと切り替え、私はそこで塩ラーメンを食べた。たしかにうまかったが、味がしつこく、700円にしては少し物足りなさを感じた。我々一行は糸末から時台へと向かい、その後、我が姉の欲しがっていたマルセイバターサンドを買うために六花亭を探すこととなった。姉の地図は地図と呼べる代物ではとてもなく、聞き込み調査が始まった。結局緑花亭は三越の地下にあった。
 私は1,000円と1,600円のバターサンドを買った。だがクール宅急便代として+1,440円も取られてしまった。しかしこれも北海道でしか食べられない味だからやむを得ないと自分を納得させていたのだがあとで(北海道大学内で)三人でバターサンドを食べた後、口々に東京にもこの手のものはあると語り合っていた。その後北海道大学を探索し夕方5:00頃からようやく自転車をこぎはじめ、結局江別付近に落ち着いたのであった。(オワリ)

インダ:
 橋の下でのテント生活は割りとよかった。風はふきぬけ雨はしのげることができるからである。まあ雨水がテントの下を流れたり、風でテントがふっ飛びそうにはなったのだが。テントや寝袋を乾かしたので、11時くらいにそこを離れ、札幌見学をおおまかに行うこととなった。
 まず時間的なもので味の三平(みーも’s bookに載っていた)へ向い元祖たるものの味を求めた。が散々探した挙げ句夏休み、我々は糸末(これも本にあり)へ行き、そこで私はみそラーメンとライスを食した。味はわりと薄めで私としてはうまいとおもった。それから、時計台へ行き、きちんと中まで見てきた我々は、のんのんの姉がうまいという六花亭のマルセイバターサンドを探しに再び札幌市内を徘徊した。やっとそれを買い、北海道大学内のクラーク像を前にして記念写真を撮り、生協で食べ物を買うなどした後、芝生の上でマルセイバターサンドを食べた。うまいことはうまい、だがこの味、前にも別の店のもので食べたような気がする。多少そこでくつろいだ後、我々は明日の我々が苦労しないよう、今日中になるべく先へ進んで行こうということに決定し、旭川に向けてガリガリ進んだ。江別付近までず~と平地であったが何もなく、ただひたすら電話のある明るいところに出るまで進み、ここで念願の北海道限定ビールの札幌・クラッシックを飲んだ。(札幌でサッポロ・ファクトリーに入ったが、何も関係のない店、例えばタカQだのがあり、限定ビールを飲もうとした我々はショック、特にみーもは非常なショックを受けていた模様。)基本的にビール嫌いの私が、このクラシックをやすやすと飲み干せたのは、ピール特有の苦み、(それが、うまいという意見もあるが)が極めて少ないせいであろう。実にうまかった。北海道限定ビールにはあとキリンの「北のキリン」があることが今現在わかっている。これはまた後日にということである。ほろ酔いの我々はその場所から少し進んだところでテントを張るこに決定。生協で買っておいた食パンにジャムをつけて、質素な晩飯をその中で食べて我々は寝た。

皆見:
 この日は、我々の旅ではじめて観光と呼べる行動をとった。まず、ラーメン屋へいった。1軒めの「味の三平」は見事に夏休み。なめとんのかー!2軒目は開いていたが値段の割りにたいしてうまくない。むろん店の名前などもう忘れた。その後、時計台へ行きノノガキの姉の推薦した六花亭へといってノノガキは土産を贈った。この後北海道大学へといったのだが、ここの生協は半端じゃない。野菜、肉から自動車のたいやまで売っていたのにはビビッタ。ウニ丼、ジンギスカン、ラーメンとぜーたくざんまいしてきた我々は、極貧生活にカムバックすべくここで食パン2キン、ミニ小倉パン1袋を買って次の日の朝と今日の夕食を確保するのであった。サッポロびーる園はビールを作っているところではなく無念な思いを胸に一路旭川へと向かい江別で風呂へ入ったのだが北海道に上陸して初のコインロッカーのない経験をした。しかし、この日の風呂は初の電気風呂、なかなかいい体験でもあった。明日はバリバリ進むであろう。

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8月4日 晴れ

インダ:
 今朝、家にハガキを書いた。これが届くころ我々は、礼文島にいることだろう。滅多に手紙を書かない私にとって裏に風景の写真のある絵葉書は書くことが少なくてすみそうなので楽だと思っていたが、いざ書き始止めると意外や意外、けっこう書くことはあるものだ。まあ色々と書いて父あてでポストに投函した。今日は特に何もなかったといいたいところだが、一応深川駅の祭りは、かなりきていた。町のメインストリートにビニールとブロックで水を溜め、さらに噴水まで行っていた。また3ON3までやっており、若者から年寄りまでそれを見つめていた。
 ここで気付いたことがある。今までにもあったことだが、派出所に警官がおらず、パトロール中、御用の方はこの電話で、警察署まで連絡をというような感じで、机の上に直通の電話が置いてあるだけといった光景に出会うことがしばしばあった。なんだか、のどかでいいなぁと思う瞬間である。
 "おさむない”とかいう町で今日を追える予定ではあったが、この町から旭川までおよそ20kmぐらいであることから我々は一気に旭川まで行くことに決定。この間は山道でたいそう疲れるはずであったが、もう日が沈み何度かわからぬがはっきり言って寒い。ブルブルするくらいであり、汗も冷えてしまい、早く山越えしたい思いで全速力で走行した。車道と歩行者&自転車用が完璧に区別されてあり、暗くてもスイスイ行けたのは幸運であったろう。山を抜けて旭川に着くと我々は早速寝床を探し、川原付近で今日を終了した。
 今日はよく走ったもので、テントを張った時刻は11時ぐらいであった。晩飯はコンビニ。

ノノガキ:
 今日は久しぶりにガリガリ走る日である。朝から走る。昼はもちろん走る、夜も走る、計百キロ程走った。(オワリ)
 という訳にもいかないので一応続けるが、今日は銭湯にいってからも走り旭川へ着いた。朝飯は食パンにジャムをかけたもの。昼は神社の横でからし、しょうゆ、たれ、鰹節ミックスの納豆。夜はサンドイッチにおむすび1ケとまさに極質であった。 (本当にオワリ)

皆見:
 この日は追い風も手伝ってまさに「ガリガリ」進んだ。途中寄ったコインランドリーでおばちゃんがとーもろこしをくれて食べたがうまかった。北海道ではとーもろこしを「とうきび」と呼ぶようだ。
 この日はあんまり長く走ったので足にやや隠ちゃん現象がおきかけ、ピンチを感じたため休憩を多くはさんだ。用心に越したことはあるまい。旭川まで行くつもりはなかったが、結局着いてしまい、橋の下(やや橋から離れているが)で寝た。旭川の町は立川レベルのようだ。この日はおにぎりが夕食だった。ちなみに昼は2度目の納豆ご飯。

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8月5日 晴れ

皆見:
 この日は北海道で初めて車のハンドルを握った。層雲峡へ行く為である。これというのも旅行前に浩也が「層雲峡は車でも大変なのに、自転車で行く気なの。ハッハッハッ」とかましてくれたからである。どこがじゃ!!!全く楽ちんな道のりではないか!あんまり楽なみちのりであるため眠くなってしまうほどだ。隠ちゃんなんか、本当に眠りかけてしまいバイクに軽くぶつけてしまったほどだ。幸い、バイクも、バイクの兄ちゃんも、レンタカーも無事であったが、ところで層雲峡は眺めのよろしいところだ。ロープウェイ(往復1,500円)リフト(往復500円)が多少痛かったが、でも、晴れていたし(山の上はガスが少し出ていたが・・・)車で楽であったため快適であった。そうそうこの日私は腕のかゆみが治まらず、薬局へいって薬を買ってきた。腕はなかなか見事にはれている。何とも形容しがたいものだ。夕食は熊っ子ラーメンなるところで学生ラーメン(350円)の大盛りとライスを食べた。札幌で食べたラーメンよりもうまかった。そして例によってまた昨日と同じ橋の下で寝た。ここでは昨日と異なりテントの隣で花火をしていたが、物事に動じなくなってきたせいか、いつのまにか寝てしまった。

インダ:
 今日は旭川を出発して層雲峡へ自転車でガリガリ登る予定であったが、朝テントや寝袋が湿っていて予想外に時間がかかり、どうも自転車で行くには遅すぎるという事態となり、やむなく、バスで行くことにした。旭川駅についてバスについてよく考えた我々にレンタカーの存在が急浮上してきた。
 バスよりレンタカーの方が値段と時間の双方において分があったので我々はこちらに決定した。層雲峡については景色がよかったぐらいで、思っていたほど感激するものではなかったといえる。再び旭川に戻って我々は今日を終えた。実を言うと今私は眠い。よってこれにて終わることにする。

ノノガキ:
 今日は、朝も早よから上川をめざし、その後バスで層雲峡に行く予定であったが、見事に頓挫した。何しろ初期のように朝3:00におきる気力もないし、足に疲れもきている。結局、我々は旭川からバスで行くことにした。が、旭川駅前にレンタカー屋があったことに呼応して、我々は1300ccのシビックで一路層雲峡を、目指す事になったのだった。
 皆見の弟によれば、自転車で行くのは無謀とのことだったので、日光のいろは坂の様なものを想像していたが、それ程たいした物ではなかった。が、実際にMTBで走ってみないと何ともいえない。層雲峡はなかなか美しく、心が洗われるような気がした。特に2つの滝は雄大でよかった。
 層雲峡から戻ってきた後、急いで稚内を目指す案もあったが、結局ゆっくり旭川に落ち着くことにした。夕食は「学生ラーメン大盛り450円」を食した。安い割には美味であった。寝床は再び川の橋の下の公園でテントを張った。サバイバル生活はまだまだ続くのであった。
(オワリ)

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8月6日 くもり

ノノガキ:
 今日は、稚内へと電車でワープの日である。朝、皆見がかぶれが激しく病院へいった。これで、病院にいっていないのは私一人である。さすがにブルジョワ育ちの私は、悪環境に強い。「無事これ名馬」である。
 旭川駅では、これまで前輪のみを外していたが、前輪、後輪、荷台をも外してかなりコンパクトにして電車に乗った。宗谷本線というからにはさぞや立派であろうと思われたが、実際は1両編成のワンマン電車であった。荷物をコンパクトにしてなかったらMTBを乗せられたかどうかも怪しい。その後、昼飯はカロリーメイトで済まし、PM5:00前ようやく稚内に到着。予想以上に風も強く、涼しいというよりは寒い。晩飯は懲りずにしょうゆ、鰹節入りの納豆+おむすび2ケですます。その後、稚内駅周辺で行われていた祭りを見学。顔に化粧をしたり、ペンギンの格好をしたりと、様々な姿で踊っている様は見ていて飽きず、面白かった。
 寝床は、稚内駅そばの小さな公園で宿泊。まわりにテントが群れとなっいるのには驚いた。明日はいよいよ礼文島。天気が好くなるといいなー。(オワリ)

インダ:
 今日は旭川から青春18切符をつかって一気に稚内へ行く日である。よって楽な1日を過ごせるので私はうれしい。みーもはかぶれが見るからに悪化しているようなので、朝1番でひふ科の病院へ行った。私とのんのんは、その後ゆっくりと旭川駅へ向かい、自転車を解体。今回は最後の乗り物ということで、前輪の他に後輪、荷台まで外した。そんなことをしているうちにみーもがやってきて、我々に続いて解体。電車は1両編成でなんだかちゃっちい気もしたが、脱線でもしないかという程、速い、揺れもすごい。でも、我々はぐっすり眠れた。夕方近く、我々は稚内に着いた。強風がつ、超寒いという初めての経験を我々は味わった。板に付いた我々の行動は速やかで、交番で銭湯とコインランドリーを電話で聞き、晩飯もコンビニで納豆ご飯で済まし、稚内中央公園で寝た。ペグを利用したのは今日がはじめてであった。

ミナミル:
 今日、私はこの旅初の医者へ行った。腕のあせもが悪化し昨夜はかゆくて眠れなかったからである。あせもがこんなにつらいとは思わなかった。幸い、この病院は保健書のコピーでOKであったのが私には唯一の幸運であった。病院を後にして私達は稚内へと電車に乗って向かった。あいかわらず電車は楽である。自転車も、今日初めて後輪と荷台も外したため、今まで以上にコンパクト。電車は1両編成であったため、この方式をとって正解であった。窓の外を流れるのどかな風景。詩人である私は電車に乗りながら数句作ったがこのようなぼろいノートに披露するのはプライドが許さず、紹介できないのが残念である。昼飯は名寄りの立ちそば。本当は駅弁を食べるつもりであったが売り切れていて誠に無念。稚内での夕飯は豪華に納豆とライス2つ。コンビニのおばちゃんが「こっちの納豆の方が安いわよ」とアドバイスしてくれたのがうれしいようで悲しい。
 駅に着いたら稚内祭りが行われていた。祭りばやし、タイコの音、どれとっても本州のようでちょっと悲しい。見ていて、北海道の人達が無理にこっちの文化に同化しようとあがき、自らの伝統を忘れようとしているかの感じを受けもの悲しい気持ちになった。

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8月7日 晴れ

皆見:
 今日は礼文島へいってきた。フェリーの自転車運搬料が結構高いのが難。礼文は美しい島であった。風が強かったのを除けば、走りやすく、来てよかった感である。昼飯は礼文でカレーの大盛りを食べた。ところでこの店はカレーが出てくるのに45分もかかり、かつ大盛りとは呼び難い量。ののがきが激怒するのもうなずける。礼文は最初の便でやってきて最後の便でその日に帰った。そうそういい忘れたが、礼文の牛乳「最北端」もなかなか。この牛乳屋の写真を見て、ののがき先生が、「この男の人、作家の誰かに似ている」という会話に即座、おばちゃんが、「それうちの旦那です」と切り替えしたのには笑えた。PM7:00すぎに稚内へ戻り夕飯は駅前の店が高かったため市街の飯店。この店は本来居酒屋としての活動がメインらしく食事はできないと思いきや店のおばちゃんが食事もOKといってくれて助かった。ところでこの店はメニューに値段が書いていなく、おばちゃんに値段を聞くと「○○ぐらいかな」というあやふやな返答が帰ってくる始末。ちょっとあやしいと思いながら私は「やきうどん」を頼んだ。味はなかなかうまく、おばちゃんはあいそがよかった。ちなみにおばちゃんはヤクルトファン。味噌汁、おしんこもおまけしてくれて、かつ料金もまけてくれた。いい1日であった。

インダ:
 ♪レブン~レブン~レブン、レブン、レブン、レブン、レブン、レブン、はるかな島のレブンと~お~、ウルトラ~レブン、ファイターレブン・・・♪なんたる歌(ちなみにみーもの歌)、強烈な逆風に立ち向かう我々にとって、この替え歌は一気にパワーダウンをうながした。朝一番で礼文島に着いた我々は、すかさず北上し、道場牧場の牛乳(最北端の牛乳として本に載っていた)を飲みに行った。行きは途中に山があり、ロングな上り坂を我々はコキコキ、しまいに歩いて登りなんとか峠を越した。その後は下り坂で左方向に久種湖を眺めながら下った。反対側の海岸につき我々はそこで最北端の牛乳を飲んだ。各自2本(1本80円)をうまいうまいと飲み干し、途中でおばちゃんに写真を撮ってもらう。のんのんの「この人」事件についてはみーもが説明しているので省く。スコトン岬までいってとど島を見たかったが時間がなく(昼飯に関してもみーも参照)、しかたなく香深港へ向かう。山道を通って帰るのはいやだ、という全員一致で少し遠くなるが海岸線に沿って返ることに決定。距離的には行きが20km少々帰りが25kmぐらいといった感じであるが帰りは猛烈な向かい風で、非常な体力の消耗を余儀なくされた。港で少し休み、再び、桃岩展望台へと向かう我々を待ち受けていたのは、これまたロングな上り坂であり、港で貸し出すスクーターが何台も我々を抜き去っていった。我々は自転車を押して歩いていた。礼文島屈指の観光地だけあって展望台の眺めは、素晴らしい、多少ガスっていたが、木は生えておらず、一面花畑(?)の山々は、改めてここへ来てよかったと感じる光景であった。最終で稚内に帰り、(フェリーで見た日没は、これもまた、きれいであった)、昨日と似た行動をとって(晩飯に関してはみーも)この日を終了、大分我々の行動もパターン化してきたようだ。

ノノガキ:
 今日は、まず大枚3190円を払い(自転車運搬両込み)フェリーに乗り、礼文島へ到着した。礼文島へ着いた我々は、一路、道場牧場(最北端の牛乳が飲める地)を目指した。道場牧場につき、牛乳を飲みつつ、写真を撮ってもらっていたりすると、1枚のPICTUREが私の目に入った。その写真には何と立川出身の芸能人、水谷豊が写っているではないか。しかもその隣に作家の椎名誠らしき人物もいる。私が思わず驚嘆の声を上げたら、店のおばちゃんいわく「それは家の主人です。」
 その後、牧場付近の店でカレーを食べたが、時間はかかるし、量も大盛りといい難く、味もいまいちと最悪だった。
 更に悪いことに、帰りは強風の向かい風となり、久しぶりにかなり足に負担がかかった。私が10数メートルおいていかれたのは言うまでもない。その後桃岩展望台に根性でよじ登り、みたものは、こんなものかという程度の花畑であった。まあ、それでも礼文島はさすがに美しく、わざわざ来たかいがあったように思われた。帰りのフェリーでは、さすがに疲れ寝こけていたので(しかもうつぶせ)、周囲の人の笑いを誘ったらしい。更に到着しても寝こけていたので、あわてて起きて、外に出てみたら、すでに私のMTBがない。一瞬焦る。しかし、係員の人が持っていてくれた。あわててダッシュした私は何だったのであろうか。
 その後、居酒屋で親子丼大盛り700円也を食べた。味噌汁のサービスもありなかなかよかった。そして寝床は、結局昨夜と同じ公園になったのであった。

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8月8日 晴れ

ノノガキ:
 ようやく稚内を後にした我々はまず、ノシャップ岬へと向い着板の前で、DRAGONBALLにでてきたギニュー特戦隊のポーズで写真を撮った。
 その後、いよいよ最北端、北緯45°31'14"(だと思った)の宗谷岬に到着。柏屋というお店で最北端証明(¥100)を買い、その店にあった流氷館で-6、5℃を味わった。最北端という余韻を味わいつつ、一路海岸線を下る我々に、思った以上の向かい風が襲った。しかも海岸線の割には坂のアップダウンが激しくなかなかエグい道のりであった。が、なんとか猿払村営牧場に到着。アイスを食した。予定では浜頓別という30km先に宿をとることにしていたが、テントがそこでは群れをなしているほど、環境がよかったために我々もそこにテントを張ることにした。しかし、唯一の難点は回りに食べ物屋がないことで、結局皆見は若干高いレストランでハンバーグ定食(¥1,200)とリッチな食事をし、私と隠田は、付近を散策し、玉子丼大盛り(¥600)と相変わらず質素なのであった。それにしても今日はやたらと虫が多い。異常発生といっていい。ますます虫がきらいになる私であった。(オワリ)そういえば牛がいっぱいいた。

皆見:
 「やばい」この日初めてこう感じた。今までの倍近い痛みが足を直撃したのだ。ペースをゆるめよう。こうちかったのはいうまでもない。この日はやっと稚内を後にすることができた。宗谷岬を回り、一路興部へ。しかし途中の猿払牧場が余りにもキャンプしやすく、今までの旅で一番素晴らしいところで泊まるべくここで走るのを止めた。
 ここでできたてアイスを食べたのだが高いだけあってうまかった。
 夕食は各自自由とあって少しリッチにハンバーグ定食を食べた。久しぶりに文明人としての感触を得た。腕のかゆみも消え、順調そのものである。

インダ:
 稚内からまず北上し、ノシャップ岬へ(4~5km)一発写真を撮って、我々は南下し、稚内を通過。海岸線を通って宗谷岬に向かう。ハガキをだし、日本最北端の地で多少くつろぐ。ここにあるものはすべて最北端であるので、最北端の公衆便所にも入った。お店(柏屋、日本一北の店)で、最北端に来た証明書を買い、流氷館もついでに(無料だったので)入った。我々は再び、海岸線に沿って南下。本当は途中のはずであった猿払で、思わず環境のよさから、そこでテントを張る。本日の目的地であった興部(オコッペ)まで20~30kmあり。明日が大変だ。

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8月9日 晴れ

ノノガキ:
 牛をバックに写真を撮った我々は、昨夜到着予定だった浜頓別に午前中に到着。朝食をそこで食す。プロジェクトBを決行した。(ちなみにプロジェクトAとは納豆とごはんにかつおぶし、Bは6コ入りのぶどうぱんを2つづつ、4コいりのまめパン1/3づつ)
 その後、興部(オコッペ)に向けてダッシュで進み過ぎた我々が、ある家で横たわっていたら、かき氷系のアイスをあるおじさんがくれた。
 大変美味だった。その後、ある町に昼時に到着した時、2軒の似たような定食屋があったのだが、適当にジャンケンで選び(じゃんけんをあなどってはいけない)、そこでチャーハン大盛り700円をリッチ(?)に食した。
 その後も、ガリガリ進み結局興部にはたどり着かなかったものの、雄武(オーム)という街に到着。風呂屋のガキ女が、やたらうろちょろしていたので、笑わせてやろうと変な顔をしたあら、リアクションをしてくれた程度だったので、自信喪失した。夕食は美々運で大盛りカレーを食した。(¥650)「足で踏みつけているから」とか、昼間カレーを食した隠田に、私と皆見がカレーを頼んだからといって「カレー3つでいいね」と有無を言わさぬ発言。なかなかユニークなおばちゃんであった。
(オワリ)

ミナミル:
 朝2:30に目覚ましをかけたのにもかかわらず起きたのは7:00過ぎ。さすが我等3人である。
 朝食はコンビニでパンとジュース。この食事もだいぶなれた。この日記書いているのは8/11なので細かいことは忘れたが、昼飯は大盛りチャーハン、夕飯は大盛りカレーというのは覚えている。風呂には入ったがコインランドリーはなかった。テレビは風呂でちょっとみかけたのみ。稚内から網走へ向かう町々は言っちゃ悪いが田舎そのものである。さすが北海道、広大な土地である。しかし、この辺は牧場が多いので空気がうまいとはいい難い。なんにしろでかい、見渡す限り何もない北海道。走っていていい加減あきてきた。海沿いを走っているためアップダウンが少ないのが唯一の救い。
 東京では5km起きにあるような自動販売機を数キロごとに置いてあるためまるで砂漠のオアシスのようだ。物価も思ったより安くないし、今年は暑いときちゃ北海道へ来たのも考えもののような気がしてきた。しかし、いいかげんバイクの兄ちゃんに手を振るのに難儀してきた。そう感じつつこの日は終わったのであった。

インダ:
 今日、ひたすら走った。猿払はもーもーさんが沢山いた。興部へ行く予定であったが、朝寝坊の上に、昼近くに、大々的な休みをしたせいで(おかげで民家の人にかき氷アイスいちご味を3つもらった)、雄武までで本日の進行を終えた。朝はコンビニ、昼、夜は食堂で、カレーライス、最近、食堂でメシを食う時は殆ど大盛り(大体100円増)なので金がやけにフッ飛ぶ。極貧をせねばならないはずなのに。テントを張った場所が町の外れであったので、電話しにわざわざ町に戻らねばならない。みーもは面倒だといって今日はせず、私は1人町へ1~2km戻った。雄武の町を熟知するほどこの町にはテレホンカードを使える公衆電話がない。見当をつけていた公衆電話は、パンチの兄ちゃんが超長電話、3回ほどその前を通り過ぎた。あげく、農協の建物の中に入って、やっとこ決着が着いた。テントまで戻る途中、しょぼしょぼと雨は降り出すし、本日は精根尽きた。

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8月10日 はじめ雨、そのうち晴れ

インダ:
 昨日は疲れた。今日も同様に疲れた。久々に夜間も走行した。雄武の町から、常呂へひたすら走った。

ノノガキ:
 今日は、悪夢の日となった。興部で朝食をとっていた私は、100円で1リットルのアイスコーヒーが買えてちょっとHAPPYだった。しかし、私の嫌いな虫が、虫が、アイスコーヒーのパックに突入してきやがった~。私は、やむなく、アイスコーヒーの大方を捨てるはめになった。その後食後の歯磨きをしょうと思ったら、歯ブラシがない。どこを探してもない。¥329の無駄な金が放出された。
 昼には、プロジェクトAを実行。日陰で納豆を食ってたら、ミナミルが一言、「ノノガキのチャリ、今までPOLDINGかと思いきやSPALDEINGじゃん。」ダイクマで¥24800のお買い得なメーカー品かと思いきや、単なるニセものだったと知った私の心の動揺は隠せなかった。
 その後、やっと気を取り直した私に坂の雨アラレ、町への遠い道のり、夜間走行が追い撃ちをかける。腹ぺこぺこで常呂につき、カツ重大盛りを食べたとこまではよかったが、その後、7イレブンで肉入り焼きそば¥250を見つけ、これはお得だーと思いきや、まずかった。
(オワリ)

ミナミル:
 昨夜「もしや」と思っていたが、どうやら本気(マジ)にキャッツアイ(赤い点滅ランプ)が無くなったことがほぼ間違いないことが解った。3,100がこの瞬間あっというまに消えた。この気持ちを2人(インダ、ノノガキ)にはわかるまい。この日は、昨日できなかった洗濯にえらい時間がかかった。紋別のコインランドリーで行ったのだが、どうやらこのコインランドリーは有名らしい。初めて我々はここで「有人」コインランドリーを体験するに至ったのだ。ところでこの日の昼飯はすでに何度か体験したプロジェクトA(納豆ごはん)ちなみに朝飯はパンとかつげん(のむヨーグルトみたいなもの)である。こんな食事で100km近くを走るのだから(正確には120kmぐらい)我ながらたいしたものだ。しかし、我々もスーパーマンではない。途中、温泉があり、ここで落ち着こうと思いきや入浴料800円也。満場一致で次なる銭湯を探したのだがいかんせんここは北海道。しかもここら辺は電車が走っていないので町の発展度も推して知るべし。結局風呂へ入る気力も時間も無くなり常呂の炉端焼き屋へと飲み屋のおばちゃんの案内(?)により一直線。久々の夜間走行もたたってもうくたくた。明日は網走。そして摩周湖方面である。少なくても今までの倍以上は疲れるであろう。くわばらくわばら。

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8月11日 晴れのち大雨(大雨洪水警報発令)

ミナミル:
 この日は網走へと向かった。網走への道のりは常呂から網走までは平坦が多く走りやすいのだが、いかんせん風が向かい風でかつ強風である。おかげで30kmぐらいの道のりにもかかわらずえらく疲れた。網走へ着いた我々は早速フェリーの日にちを1日早めるため(26日に東京に着けば迎えが来てくれるから)早速その手続きをしに網走駅へと向かった。おっと忘れる所であったが駅へ行く途中かの有名な網走刑務所へ行き850円もするニポポ人形を買ったことを書き留めておかねばなるまい。何にしろフェリーの手続きが終わり我々は昨日風呂へ入らなかったため銭湯へと出陣したのだが町の人に聞くとPM3:00まで開かないときている!ちなみにその時はAM11:00まえ。我々は戦士にも休息が必要であるという認識のもと今日は網走で1日過ごすことに決まった。昼飯は各自勝手にとることになったため私は一人、土地に人に聞き込みを行い推薦された店、その名も『浜長』へ行った。ランチタイム、ラーメン+にぎり(6ケ)750円という豪華かつ割安なメニューに私が惹かれたのはいうまでもない。大盛りプラス100円を払いラーメンと寿司を食べた。この旅行初の寿司である。セットで出てきたのにもかかわらずうまかった。店を出たのはPM12:50。PM1:00にセブンイレブンに向かい、3:00まで今までたまった日記をかいたり本を読んだりと時間を潰した。やがて銭湯の時間となり風呂からあがってみると外は大風ト雷。やがて雨も降り出し銭湯の番頭台からはテレビが紋別、網走、北見に大雨洪水警報が発令されている始末。テントが張れないため夜は網走駅の改札口近くで初の床寝。我々のような人々もたくさんいて心強かったが、それ以前に我々もサバイバルに慣れたせいか平気でその場でぐっすり寝てしまった。ちなみに夜食は野菜ラーメン。そうそうこの日の夜、九州の福岡から来たという男と知り合った。ちなみにこの男が雨男ではないかと感じ始めるにはまだ時間が必要であったことを一応ここに書き留めておこう。
(つづく)

インダ:
 珍しく7時前に常呂を出発した我々は、強い向かい風にもめげることなく、ちんたらと網走へ走行した。網走駅に着く前に名物網走刑務所に立ち寄った我々は、公衆電話がニポポの形になっているため、一応写真を撮った。入り口の前でも一枚。お店で850円のニポポを1つ買い、ライターも買った。あまりお土産を買うつもりはなかったのだが(貧しいので)、ついつい買ってしまう。今後は控えよう。昨日はやむなく風呂に入れなかったので今日は必ず入ろう、という一心から、銭湯の開く、PM3:00まで時間を潰す。いつものように風呂で、コインランドリーを利用した我々は、それだけで2時間も更に無駄な時を過ごし、銭湯から出た時には、この旅初めての大雨にやられた。聞くところによると、紋別、網走、北見方面には大雨洪水警報が出されたらしく、たたきつける雨に、傘は無意味に近い状態で、やっとこ網走駅に戻ってきた私は、下半身はびしょ濡れになっている有り様、そこでひもじくセブンで買っておいたおむすび2個とジュース(合計300円ぐらい)を食べ、寒いので白角をちびちびのみ、横にいた福岡出身の兄ちゃん(21才にて私より1才、年下なのだが、風格がしっかりしているので)と色々話しながら、みーもとのんのんを待つ。(晩飯は自由行動)本日は初の床寝、新聞紙の上に寝袋状態であり、なんか風通しがよく変な感じであった。我ら意外にも多数あり。

ノノガキ:
 今日は、向かい風の中、なんとか網走に到着。途中、網走刑務所に寄った。私が12cmサイズ¥650のニポポ人形を買って喜んでいたにもかかわらず、残りの2人は「その大きさじゃ首がぽきんととれてしまうんじゃない。」などといいながら¥850、15cmサイズのニポポを買っていた。
 その後、昨夜の夜間走行がたたり、銭湯に入れなかったので、銭湯を探す。すんなり聞き出せたものの、PM3:00まで開いていない模様。やむなく7イレブンの立ち読み+ケンタッキーで時間を潰す。その後、ようやくPM3:00になって銭湯に行き、ついでに洗濯をしていたら、外はにわかに暗くなり、やがて雨が降り出し、TVは大雨洪水警報を発令していた。無情にも、なかなか乾かなかった洗濯物は、雨がピークの時渇き、大雨の中、我々は外に出ざるをえなくなった。私と皆見は、聞き込みの末、うまいらーめん屋を聞きだし野菜ラーメン(¥650、みそ)を食べた。確かに量も多く、なかなか美味だった。寝床は雨のため網走駅、改札前となったのであった。(オワリ)

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8月12日(金) 雨

ノノガキ:
 今日は、朝から、雨が降り、午前中は、網走に足留めを食らうはめになった。その間、私はのんびりと本屋での立ち読みで憩いの時を過ごした。「オレンジ通信」に出会えたのはラッキーといってよいだろう。昼食は、昨日皆見が食べたラーメン+寿司大盛り¥850とリッチに食す。午後になってようやく雨もやみ、一路、屈斜路湖方面を目指す我々に、低気圧によるものすごい追い風がプレゼントされた。何しろ、ダンボールが飛んでくるような風であるからしてこがなくてもすいすい進む。アッという間に東藻琴に到着。そこの生協で買い物などをしてたら雨が降ってきて、近くの家の車庫で雨宿りをした。そのころ、我々の間では、網走駅であった兄ちゃんが、雨男なのではないかという噂がひたひたと流れていた。その後、雨もやみ結局今日は、東藻琴温泉に落ち着いた。そこのキャンプ上でテントを組み立ててたら、再び雨が降り出し、一応の応急処置をテントに施したものの、雨はもってくるわ、中は暑いわと最悪の夜を迎えている我々のすぐ横で、楽しそうに隣のテントでは一家が食事をしているのであった。(オワリ)

インダ:
 網走駅で目覚めると、外は雨。本日はここで再び一泊かと、昼近くまで、そこでトランプなどをして過ごす。次第に晴れ間が出てきた。我々は少しでも進んでおこうという理由と、雨がすっかりあがったので、昼飯(のんのん参照)を食した後、斜里方面に進み、藻琴付近で南下。その間、我々が網走を去るのと同時に、雨雲が後ろから追ってきて、空を見ると少しずつ接近しているのがよくわかる状態で自転車をこがなくても坂道を下るぐらいのスピードを得るほどの追い風を受けた。これは大変楽であった。何しろおよそ10kmも進んでしまったのだから。まあその分、砂が足にあたったりダンボールが我々の行き先を邪魔したり、突然横風になって車道に流されてしまったので操作に難有りといった感じではあった。東藻琴の町をすぎると当分町はないというので、この町で本日の夕食と明日の朝食分を買い込む。とは言うものの、食パンを各自1キンずつ買い私は蜂蜜をみーもとのんのんは共同でいちごジャムを買っただけのことである。と、店を出てしばらくすると大粒の雨がぽつり、ぽつり、我々の今までの経験からこれは網走での出来事の前兆であると判断、すぐさま適当な場所を探す。車庫にて雨宿り、この機会を利用して日記(だいぶたまっている)を書く。数十分をそこで過ごした後、この先の東藻琴温泉へ向かい、風呂に入ってテントを張る。そんなことをしているうちに再び雨が・・・。屋根のあるところがベストなのだが、なにぶんもう暗くて探しようがない。仕方なく他のキャンプ客と動揺に普通にテントを張ったが、我々のテントは耐水性が非常に悪いため、他の客と同様にいくはずもなかった。下にビニールを敷き詰め、その上に寝袋を敷き、更にその上で我々が寝るといった状態で一応落ち着くが、サイドからの水滴には参った。殆ど処置なし。テントの内側は内外との温度の違いと、雨が染み込んできているため、びしょ濡れになってしまい、中は暑いが、テントに触れると冷たい。今までにない最悪な夜であった。

皆見:
 前回紹介した九州の兄ちゃん。やってくれました。今まで快晴続きだった我々の旅に2日連続の雨をプレゼント。九州の台風を土産に北海道へ来てくれるとは。しかも停滞前線とごていねいに。駅のテレビにうつった天気図を見た瞬間我々3人は当分雨が続くことを思い知らされたのはいうまでもない。もちろんこの日は朝から雨。駅の活動が始まる朝5:30には駅員がやってきて他のツーリング野郎共々起こし、我々は仕方なくトランプをやった。途中坊さんがやってくるという変化もあったが我々は"大貧民”をやり続けた。最初好調だった私だが後半はボロボロ。しかし、そこは私、大貧民から大富豪へと一気になりあがると思いきや駅員に追いだれれる始末。結局この日は昼雨が止んだのを好機に東藻琴まで風に乗っていった訳だがここでもまた大雨。結局なんだかんだいってキャンプ場まで行ったがここでもまた雨。雨、雨、雨の散々な日であった。

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8月13日(土) 雨。時々晴れ、でも雨

皆見:
 当然今日も朝から雨。仕方なく雨合羽を着て我々は難関である峠を越え一路屈斜路湖へ。峠を下り展望台へ着いた時は雨もやみ屈斜路湖が我々の前にその雄姿を現していた。感動的な光景である。屈斜路湖を摩周湖のおまけと見ていた私も「屈斜路湖もなかなかやるな」と思わせた程。その後勢いよく川湯まで下った我々は珍しく屈斜路湖の近くにあるビジターセンターで観光。屈斜路湖の成り立ち等を学んだ。そしておにぎりなどを買い込み、このセンター付近でテントを乾かしアイヌ民族資料館へ。本の入館料よりもちと値上がっていたが、そこは太っ腹な我々、文句一ついわず入館、アイヌの歴史を学び摩周駅付近のうまい店として本にあった味処「久兵衛」へ風呂へ入った後行き天丼の大盛りを食べた。うまかった。が、どうしたことか私の腹が突然激痛に教われ、後半味を楽しむどころではなくなる始末。食事の最中に飲んだためか正露丸も役に立たずコインランドリーでもうなっていた。2時間位たってやっと良くなった腹も缶ジュースを飲んだら再び悪化。腹が痛いので警察へ行き水を貰って再び正露丸に頼る状況。雨も降っているし最悪の日であった。しかし・・・九州の兄ちゃんおそるべし。

インダ:
 最悪の夜が明け、多少雨が降っていたが、雨合羽を着て強引に出発。こんなところに長くいても冷たいだけで、いっこうに晴れる気配が感じられないためであった。出発してからずっと登りであり(みーもいわく登って、下って、登ってはつらいから、いっそのことずっと登りで、峠からずっと下るのが良い)、まさにみーもの希望であったが、雨合羽を着ているため、汗をかいても乾かず、逆に肌にぴったりとくっついてカッパを着ている意味が無くなるほど内側から濡れていた。結局、カッパを着ても着なくても濡れる以上、まだ涼しさを感じられるだけ、カッパを着ない方がましということになり、途中の休憩で、脱いだ次第である。緩やかであるが、延々と続く坂道はパワーアップした(はずである)我々でさえも苦労した。さすがに押して歩くことはなかったが超ノロで峠を越し一気にかけ降りる我々は、霧の中、一応ブレーキをかけつつ猛スピードであった。右前方に屈斜路湖と叫びつつ、しばらく降りていくと展望台があったのでそこで休みがてら写真を撮る。ちょうど霧も晴れてきたので北海道で2位の大きさを誇る屈斜路湖を全貌できた。なかなか良い眺めであった。川湯までずっと下り(楽ちん楽ちん、苦あらば楽あり)、ビジターセンターで屈斜路と摩周湖の成り立ちから四季の風景まで色々と見て、ついでに濡れたテントや寝袋などを干して昼飯にした。それから屈斜路湖岸を走り、途中砂湯で写真を撮り、摩周駅のある弟子屈市に突入。晩飯を味処久兵衛(本に載っている)で950円の天丼を大盛り(100増)にして、青森以来の豪華な丼ものを食し、テントを張るところを探し、色々あって結局、小学校(?)の屋根のある説明し難い場所で寝た。多少雨が降っていたが、ここなら安全というところであり、ぐっすり眠れた。

ノノガキ:
 今日は、昨夜同様雨が降ってはいたが、初のかっぱを着て出発。が、屈斜路湖までの道のりは長かった。雨+峠という悪環境により、かっぱの中では半サウナ状態で汗びしょびしょだし、到底スピードもでないという状態であった。が、どうにかこうにか屈斜路湖に到着。その光景は、まさに今までの苦労のかいありと思わせるものであった。
 その後は、苦あれば楽ありという感じで、雨も止み、下りとなった。川湯で昼食をとり、川湯ビジターセンターで屈斜路や摩周の資料を見学。無料とはいえ、それなりのものはあった。
 昨夜の雨で濡れたテントなど乾かして、屈斜路の回りを通る。途中、砂湯で写真を撮ったり、アイヌ民族資料館(¥300)を見学したりした。資料館の隣で手作りの木彫人形を売っている店が有り、素晴らしいと思ったが、値札の0が1つ多かった。その後、今日の宿泊予定地、摩周(弟子屈)に着いた。銭湯に入るまでは予定通りであったが、2日分の洗濯が乾かなかったのは誤算だった。ちなみに夕食は本に載っていた店の天丼で非常に美味であった。が、皆見は食前の水で腹を壊したそうである。哀れとしか言い様がない。その後再び雨が降ってきたのでテントは小学校の体育館の軒先となったのであった。(オワリ)

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8月14日(月) 一日中雨

ノノガキ:
 今日は、ひどい雨だったので足留めを食わされた。朝は、昨夜乾かなかった洗濯物を乾かし、乾いた後も夕方までそこに居着いた。余りにも暇だったので本屋で立ち読みしていたら注意された。
 メシは、3食ともおにぎりORパンで済ますというまさに極貧であった。宿は、昨夜同様小学校の体育館の軒先であった。とりあえず、今日は骨休みの1日なのであった。(オワリ)

インダ:
 朝、目が覚めた途端に、また深い眠りについた。これは当分止まぬ気配であったからであった。おとといの朝に比べ、今朝の朝は快適であり(場所がベリー・グッドだから)どうせ身動きできないのだからこのまま寝てしまえという気持ちであった。さすがに、ずっと寝ていられる時間でなくなった我々は、昨日、半乾き状態であった衣服などを再び、昨日行った宿、エルムに入ってコインランドリーで乾かした。朝10時のことであり、我々は外部からの一番手かと思いきや、何と2人のライダーが乾燥機中なので、しばらく待たされる。我々の番の間、そこで雑誌などを読んでいた時、宿のおかみさん(らしき人物)は、お金持ってなさそうだし、外は雨だし、そこでゆっくりしていきなさい。夕方まではそこも暇だから、家の息子も・・・(アトダラダラ続くので省略)といってくれたのでお言葉に甘えて、まさに夕方までそこに滞在。(当然外は雨)まあ、食べ物を買いに、コンビニ、本屋などに行ったことはあったが。
 ちなみに、本日全食コンビニ、風呂には入らず、再び昨日の寝床(のんのん参照)へ。夕方近くにその宿エルムを去った。寝るには早かったので、レクチャー(トランプ)をやって寝た。

ミナミル:
 復活。どうやら腹の痛みは失せた。ちなみに今日も雨。九州の兄ちゃんパワーもいっこうに衰える気配が感じられない。どうやら今日は弟子屈にとどまりそうである。その瞬間グルメの私は昨日の失態、すなわち後半天丼の味がわからなかったというマイナス点をカバーすべく昼も天丼を食べることを誓ったのであった。そのため、朝食はもちろんけちった。スペシャルBの他何も個人的なものは買わなかったのである。(一説によると某N氏(ののがきくんというのはナイショ)は毎回この技を使用しているようだが・・・)なんにしろ私は味処久兵衛へ1時過ぎ1人朝食を食べに向かった。昨日の失敗を繰り返すまいと水を半分しか飲まず、天丼もよくかんで食べた。完璧である。圧勝であった。昨日あれほど苦しんだ腹は正常に機能しているではないか。もちろん天丼を最後まで食べた感想はうまかったに尽きる。今度来る時は天ぷら定食と山海らーめんを食べよう。(どちらもこの店の看板メニューらしい)食べることばかり書いたが今日の活動にも触れておこう。今日は民宿エルムのおばさんの情により一日の3/4近くコインランドリーのある場所につめていた。ちなみにこの旅で初めて雑誌「将棋の世界」を買った。(この雑誌を買うこと自体初めて)恐らくこの旅が終わったら同時に私の棋力も数倍上がっていることだろう。(つづく)

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8月15日(月) 雨のち晴れ

皆見:
 今日は私の今度の北海道旅行でメインディッシュに位置付けられる摩周湖を訪れた。前々から死ぬ前に一度行きたいと思っていたところである。朝、6時に目がさめたらテントに太陽の日差しが差し込んでいた。「今日はいける」この確信のもと我々はこの摩周駅付近の小学校を後に摩周湖へ向かった。朝食は納豆。今まで人前で納豆を食べている姿を見られまいとコンビニから離れた人影の少ない場所で細々と食していたが、日に日に『人間としてやってはいけない最低線』というものが下がっている我々はついにコンビニの前で納豆を食べるという行為にまで走ってしまった。真に悲しい。しかもこのコンビニ、この辺にはこの一軒しかなくえらく混んでいる始末。当然車の中から我々の姿を見てにやにや笑っている人は私の見た限る数人いた。(私は人目をはばかるようになるべく下を向いていたのにもかかわらずである!)朝食を首尾よくすませた我々はその後摩周湖へと向かったのであるが霧の摩周湖といわれるだけあって途中我々は霧雨にあい、摩周湖第一展望台には着いたがカムイッシュ島は愚か湖自体が切り(雨)のため見えない始末。はっきりいって私は落胆した。例えていうならばハンバーグステーキを頼んだのにもかかわらず運ばれてきたものはポテトとニンジンしか乗っていない鉄板であったというようなものである。メインディッシュそのものがこなくて前菜とデザートが来たってうれしくない。仕方なく我々は展望台の下のレストハウスに行き寒さを凌ぐついでに摩周湖のビデオを鑑賞することとなった。カムイッシュ島の伝説はなかなか面白かったが多少腑に落ちない点もあった。しかし、ここにそれを書くのは止めておこう。
 その後再び外に出てみると、どうしたことであろう。風が霧を流し始めたのである!(うっすらと)激写!!いんちゃんがカメラのシャッターを押したのはいうまでもない。その後大阪から自転車で来た(フェリーに乗って)女の子4人と私の頼みにより一緒に写ってもらい、一路別海へ、追い風にも助けられ順調に別海へ着き郊楽苑なる温泉へ。そしてそこのキャンプ場で今日を終えることとなったのでありました。また再び晴れた摩周湖を見にこなくてはという決意と共にいい。(秋は晴れやすいよーだ)「摩周湖や心の映る水の色」次こそこれを歌ってやる!!
(つづく)

インダ:
 朝、目覚めると、風が強い、晴れている、ことに気付く。最近、雨に悩まされていた我々は、この瞬間、本日の行動が昨日のものとは決定的に異なるであろうことを確信する。テントから、はい出ると前方20~30m離れたところにもう一つテントが張られている。昨日も一人の男(サイクリスト)が夜にやってきていた。このテントから少し離れたところに2台のレーサー、どうやら我々と同じ、サイクリストであるらしい。我々がてきぱきとテントを解体中、そのテントから二人の女性が出てきて、途端にテントを押さえている。どうやら強風でフッ飛びそうなのは我々だけではないらしい。小学校で顔と歯磨きをしたが、みーもの時だけ水が数回にわたって止まる現象が起きる。みーもは私とのんのんの笑いをものともせず他の蛇口をひねったりして、顔を洗おうとしていた。この現象、私が最初に気付いたことだが、北海道らしく、水道の水が凍らないよう、すぐ横にガスの元栓みたいに水道水の元栓がついているのである、それをみーもの洗顔中に私が一回行ったところ、のんのんも気付き、後を引き継いだわけで、結局、この現象は人為的なもので、それに伴う私とのんのんの笑いは、それに気付かぬみーもの対応が面白かったわけである。(これはジョークであり、別に意地悪したのではない((と思う))きちんとみーもは顔を洗うことができたわけだし。言い訳であった)久しぶりの晴れなので、朝っぱらからはしゃいでいた我々は、二人のサイクリストに挨拶をした後、いざ摩周湖への出撃に向かった。途中コンビニ((セイコーマートは大繁盛、行列ができるほど))で朝飯(みーも参照)を食し、再び摩周湖へ続くローングな坂道を登り続けた我々は至大に強くなる雨(はじめは霧)にもめげず、多少の風にもめげず、さしあたっての第一展望台に進み続けた。第一展望台に着いた、が何もみえない(みーも参照)、当初はこの後第三展望台へ(更に眺めが良い)行く予定であったが、この状態では、意味なし、よって、今来た道を引き返すことになった。でも折角摩周湖に来たのだから、もう少し待ってみようということになり、レストハウスにてしばし休憩、雨で体が冷えているため都合がよい。二度目の西どんへの電話もした。こちらは、すごくいい風景だ、やっぱり来てよかった。カムイッシュ島まで良く見えるぞ、等と大ぼらをふいて自らの悲しみをはらす。(?)休みを終えて我々が再び眺めの良い場所まで戻ると、風が風が湖面をはっているるるる・・・もしかして、霧が晴れるのではないかと(2さつめに続く)思われるほど霧が横に流されているのであった。今まで視界ゼロに近かったものが、まわリノどよめきと共に湖の輪郭が洗われ、さらにじーっと待つとかむいっしゅ島がかすかに、それからややはっきり、パシャ、やはり写真におさめなくてはいかんだろう。多少気分も良くなったので、帰りがけ、みーもは四人の女サイクリスト(大学生、関西からやってきた、以上が判明)に一緒に写真に入ってくれるよう頼むほど。さらに気分が良くなった我々は、鬼のような上り坂を、今は、猛スピードで駆け降りていった。寒さに震えつつ、ジェットコースター並のスリルと迫力は、やはり苦労した我々に当然の御褒美であるといえよう。数時間かけてのぼった摩周湖第一展望台を我々は数十分で下ったのであった。さあこれでこの町から逃げることができる、この町には三日間いたわけだから、しかも、小さい町なので、本屋もろくにない、こんな気持ちになるのも当然(?)であろう。我々は別海方面に向かって走った。まれに見る追い風の作用と、気分的な問題もあってか、時速20km弱で長時間、走行。多少足に負担がかかり、あまりこうした走行はしない方が良いと思ったが。別海にあるコウラクエン(郊楽宛)で風呂に入り、テントを張り、メシを食い、本日を終了する。おっとここは設備がよく、コインランドリーまでキャンプ場にあった。明朝、ここの写真を撮ったので、ここの有り様が大体解るだろうが、いつもがこんな所であるわけではないので決して誤解せぬよう。

ノノガキ:
 今日も朝早くは、風も強く、雨が降っていたので「まただめか」と一瞬思ったが、しばらくすると晴れ間もみえたので、一路摩周湖へ出発。上り坂が厳しいのは予想していたものだから、まだ良いものの、霧がすごい。さすがに「霧の摩周湖」と呼ばれるだけある。当然第一展望台に到着しても霧に囲まれていてカムイッシュどころか摩周湖そのものも見えない、このまま帰るのはしゃくだから下の売店などで時間を潰し、さらに摩周湖に関するビデオもみた。仕方ないから、そろそろ帰ろうかと思ったら、霧が少し流れて、摩周湖が見える。カムイッシュも見える。(輪郭のみ)我々は狂喜乱舞した。(が、このとき今日の午後は晴れてくっきり見えるとは知る由もない我々であった。)とりあえず、摩周湖を見終ったので帰ろうかと思ったら、ある家族連れが「シャッターを押してくれ」と頼んできたので「お安い御用だ」と私がシャッターを押したらきちんと撮れない。もう一回やってもダメ。結局皆見にタッチ。しかし、皆見も撮れない。そのカメラはオートフォーカスだったのだ。どうも霧のため焦点があわなかったらしい。オートフォーカス恐るべし。
 その後、帰ろうかと思ったら、同じく自転車に乗った女子大生に(四人組み)会い、一緒に写真を撮った。一服の清涼剤となった。その女子大生とも別れ、我々は一気に下り摩周を突破。追い風にものり別海に到着。別海にある銭湯「郊楽宛」は500円もしたものの、なかなか豪華でブルジョワな私にはあっていた。今日は追い風を利用して一気に厚床まで行く予定であったが、郊楽宛の横にナイスなキャンプ場があったのでそこに泊まることにした。コインランドリーがあったのはラッキーであった。が、夜はえらく寒い。「寒い、寒い」といいつつとっとと寝た我々であった。
(オワリ)

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8月16日(火) 晴れ

ノノガキ:
 今日は、久しぶりにガリガリ進む日である。別海を出発した我々は、向かい風ではあるものの快調に厚床を突破、根室に向かう。厚床-根室間では途中、隠田のMTBがパンクするも順調に回避。昼には根室に到着した。そこで私は、納沙布で手紙を書く予定だったので家に友達の住所を聞き出すべく電話した。すると東京では我々3人の親が集まっているようであった。1回目の電話では、まだ住所が調べられてなかったのでもう1度電話したら3人の親と我々子供達が入り乱れてしまっていて、私は思わず「取り敢えず住所教えてくれよー」とぶっきらぼうに応えたら、受話器ごしにいた人はうちの親にあらず皆見のおばさんであった。その後、改めて隠田が我が家へ電話したら、我が親達の特別のはからいによりかにを食べてもよいことが判明。極貧生活の我々に奇跡の光が差し込まれた。その後、向かい風は更に強まる中、根性で納沙布岬に到着。日本最東端から北方領土を視察した。(その証明書もいただいた。)何しろ今まで私は北方領土に殆ど感心がなかった人間であり、別に帰ってこなくてもいいというような考えであったが、納沙布の資料館を見てその考えは覆された。
 帰りは、追い風と何よりもカニを食べたいという心理が猛スピードにさせた。何しろ20kmを1時間弱で着いたのだからたいしたものである。(しかもアップダウンも結構激しい)その後¥2,100のウニ・カニ丼を食し、そのそばの公園で今日は寝ることにしたのであった。
(オワリ)

インダ:
 朝8時すぎに別海のキャンプ場を後にした我々は近付のセイコーマート(最近このコンビニしか目撃せず)で朝食を済ませ、アップダウンにもめげず、ガリガリ根室へ向かった。途中私のマシーンがパンクしたが、7センチぐらいの釘が曲がってタイヤに突刺さっていたので2箇所穴が開いていることがすぐわかり、近くに水もなかったので、穴を塞ぐという修理は、無理と即断、必殺技チューブごととっ換えるという手段に出たおかげで、すぐに復帰し、さして問題もなく根室に着いた。この町はすごいアップダウンの町であるが、半端じゃなく高低差があるのである。ジェットコースターのようであった。昼飯はこの町にあるファミリーデパートに洗剤やら機会油を買う予定で入ったのが、当初の2品がなく、地下のラーメンや丼ものなどをやっている店で、しょうゆらーめんを食した。再び納沙布岬へ進路を向けて出発した我々は、あいかわらずつ強い向かい風に四苦八苦しながら進み続け、遥か前方にチョンと立つ白い灯台がより大きくなりつつあるのを喜びながら、決してそれに直進することなくジグザグやアップダウンを繰り返し続けた。みーもはあの灯台は最東端ではなく、アーチ場の建物があるはずだと目標物であった灯台より更に進むのではないかという発言をしていたが、その灯台が次第に巨大なタワー兼灯台であることが判明するかしないかというぐらいに我々が近づいた辺りで、その脇にアーチ状なるものが発見された。これこそ最東端であると断言できるものであった。(絵葉書にノサップ岬のはこのアーチがあったから)まあここが納沙布岬であるので、くつろぎ(超寒い)ひなたで絵葉書を私は2通、家あてに書いた。午後4時ぐらいであった。日差しは次第に弱まり、風はものすごく寒くこれでも夏かと疑うほどで、鳥肌状態でハガキを書いていた。(北方領土の件に関してはのんのん参照、私も同意見)昼に電話し、親の許可を得ていた我々は晩飯にかにの入ったのも食すためやまつねという店(本に掲載)でウニ・カニ丼の大盛り2200円を食べた。実にうまかった。ちなみにサンマの刺し身500円も皆でつついた。寒い、外はぶるぶるするほど、11月並みの寒さで、その後、すぐに風呂に入って近くのときわ台公園でテントを張って、寝袋の上ではなく中にすっぽりはいって、本日を終了せり。

ミナミル:
 ちなみにこの日記を書いたのは8/18日である・・・。この日は根室へと向かった。運悪く向かい風。また運悪くいんちゃんがパンク。さらに運悪く寒い日であった。さすがにこれだけ日にちがたつとこの日何があったのかいまいち思い出せない。印象深いのはこの日「北海道名物」きびだんごを食べたことだ。「きびだんご=北海道」不可解である。しかもきびだんごを包む紙はこれまたなぜか桃太郎。この話しを読んでも誰も信じてもらえないと感じた私は、この包み紙を持って帰ることを決意したのであった。
 納沙布岬に近づくにつれて「北方領土を返せ」という立て看板が増え、さすが北方領土に一番近いところだと感じた。納沙布岬からは双眼鏡で北方領土が良く見えた。何もなさそうな島である。しかし漁業を生活の糧にしているここの土地の人にしてみればとても必要な島なのであろう。ここで納沙布岬から北方領土を見たなる証明書を手にいれた。根室といえば花咲ガニである。この日はうにかに丼とサンマの刺し身を食べた。高かったがうまかった。しかし、北海道は寒い。

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8月17日(水) 晴れ後雨

ミナミル:
 この日は厚床を抜け厚岸へ向かった。この日もなぜか向かい風。風に運のない我々である。厚床では後日練馬から来たということが判明する人に会った。この人とはこの日何の干渉もなく別れ、我々はすぐ厚岸へ向かった。道のりはアップダウンがきつく、風も冷たく道の両側は何もない退屈な道である。この道をだらだらと進むうちに霧雨が降り始めやっと厚岸へ着いた。このとき、いつもけちけちしている野々垣が親からの臨時収入に着をよくして夕食は豪華にしてよいといった。川湯温泉のビジターセンターでこの辺のうまい店を記憶していた私は早速富多波(ふたば)という釜飯、かき料理の店を提案。風呂から上がって早速この店で食事。食べたメニューはかき定食。ちなみにかき、ご飯共に大盛り(1,200円)さらにごはんをもう一杯おかわりをして、札幌以来久々に腹一杯食べた。いやーうまかった。(ちなみに昼、朝、コンビニ)寝たところは道路の下である。

インダ:
 根室のときわ台公園を出発し、コンビニで朝食を済ませ、昨日通過した厚床まで同じ道を引き返す。アップダウンは無理をせず、平坦な道でも最大パワーで走行せず、セーブしながら、体力を温存するという走りち方をしたせいか、さほど疲れず、マイペース(でも最低10km/h以上を維持)で2~3時間走り続け、厚床駅に昼ごろ到着。ここでは行き先が同じという人が我々より先に出発したぐらいであった。そこで昼飯をコンビニぽい所で済ませ、再び厚岸へ向けて出発した。次第に天候も変わり、霧っぽくなり雨で服が濡れ、風はつめたいわで、また鳥肌になっての走行だった。厚岸の富多波で牡蠣定食を食べた。10個近くカキが入っていたので、ごはんをおかわりしたので腹ははちきれんばかりであった。寝床は陸橋の下。

ノノガキ:
 どんよりした曇り空の中、根室を出発した我々は、昨日同様の風向きでガリガリ進めるという思惑は見事に外れ、向かい風の中進むことを余儀なくされた。しかし、推定30%は脚力アップした我々はマイペースで昨日通った厚床を通過。そこで2人の自転車の旅人に出会った。午後になると最悪なことに霧雨となり、少々寒かったが、4:00すぎには予定通り厚岸に到着。このとき、納沙布では名物でなかった「カキ」は実はこの厚岸が名物であることが判明。早速、「富多波」でかき定食、具、ご飯共に大盛り(¥1,200)を食した。このかき定食は大食漢の私が一瞬「おおっ」とうなるほどの量でかきが11~12個入っていた。久しぶりに腹一杯になった我々は、すっかり動く気力が失せ、陸橋の下でテントを張り雨露を凌いだのであった。(オワリ)

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8月18日(木) 晴れ

ノノガキ:
 天気予報に反して「晴れ」だった訳であるがその快適なる朝に異変が起こった。何と朝から「クソ」がしたくて使用がない。しかも晴れとはいえ、冷たい風が吹いているのでますますもよおしてしまう。もう我慢できない。人間の究極の最低線「ノグソ」も止むなしかと思われた瞬間、ミナミルが「警察署そこにあるよ。」ようやく快適な朝となったのであった。朝食は例によってプロジェクトB(食パン+ジャム)であったのだが、ジャムの量が少なく貧相な食事が更に貧相になっていた。
 と、その時自転車が1台通りかかった。よくみると、昨日厚床でであった男ではないか。その男と軽く雑談を交わした後テントなどを乾かし、少々遅くなったが(だいたい10:00)釧路に向けて出発。久しぶりの陽射しにかなり汗を書いたが、順調に進み、ある場所で休んでいたら、またあの男が・・・。これはただならぬ因縁。結局、その男(名は箱崎、日大4年)と一緒に釧路へと行くことになった。
 PM1:00ごろ釧路駅に到着。そこでちょっとfatな外人の女の人がいた。国際的な我々は、彼女と英語+日本語でコミニュケーションし、(彼女は日本語を少々話せた)一緒に記念写真もとったのだった。我々3人はそこで「サンキュー」といい彼女と別れたのだが、箱崎氏は「I LOVE YOU.」などど迷惑千万な事を彼女にほざいていた。
 その後、相変わらずコインランドリーなどでてこずった我々は、晩飯まで釧路におり、さすがにこれではと15kmほど進んだ地点にある競艇場の駐車場で今日の宿をとったのであった。(オワリ)

ミナミル:
 朝起きてセイコーマートで朝食を買い込み、テントを干しながら食事をしていると昨日厚床であった練馬出身の人に偶然再び会った。「ずいぶんワイルドな生活をしている」という感想を述べた彼は再びその後、釧路へ行く途中自販機の前で会い、釧路まで一緒に行くことになった。釧路への道のりはなぜかまた向かい風。なんとか釧路駅へ着き、練馬の人(はこざきさん)とともに写真を撮りそこで別れた。ちなみにこのとき撮った写真は彼に贈る約束をした。この日はなんとなくだらけてしまい、昼食をとったところで長居をし、コインランドリーでたまった洗濯をし、風呂に入った。その後またコインランドリーで洗濯をしていると、名古屋から来たというライダーに、ミッキーという店のジンギスカンと鹿肉がうまいという情報を得て、明日そこで昼食をとることを決意。私はこの釧路駅周辺の本屋で網走の本屋で買おうと決意した「名人羽生善治」という本を買って満足した。(1600円也)
 その後ダラダラと釧路より先へ出発。競艇場でその日を終えた。この日久々にうどん(カレー南蛮)を食べたのであった。それにしても久々の晴れだったなぁ。

インダ:
 立橋の下でテントを張っていたわけだが、夜露のため、あいもかわらずテントは濡れていた。よってテントを干し、10時ぐらいにそこを去る。厚岸を出発して、釧路へ向かう途中昨日厚床でであった人にまた会ってしまった。(その日とについてはのんのん参照)釧路では、洗濯物が大分たまっていたので、コインランドリーでやけに時間を食った。昼飯はカツカレーの大盛り850円。風呂に入った後本日分のコインランドリーとそこで晩飯(コンビニ、納豆ご飯)を済ました。今日はあまり走ってなかったので、夜ちんたらと走り続け(汗をかかない程度に)10kmちょっと釧路から進んだところ(のんのん参照)でテントを張る。

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8月19日(金) 曇り後大雨

ノノガキ:
 今日は朝は晴れていた。珍しく朝早く起きた我々は、朝食のジンギスカンのため、軽くコンビニで朝食を済ます。その後、順調に浦幌のジンギスカン屋を目指し進んでいたら、何と8:00すぎにジンギスカン屋「ミッキーハウス」に到着してしまった。これは浦幌中心地そばにあると思っていたら浦幌に入るとすぐにその店があったためである。仕方なく寝袋を乾かしつつ、店の開くのを待つことにしたら、すでに店のおばさんらしき人物が料理を仕込んでいる。これはひよっとしたら意外とすぐ開くかもと思い、店の開店時間を聞いたら、なんともう開いているという。早速我々は店に入り、昨夜釧路のコインランドリーで出会った2人組みのバイク乗りの兄ちゃん推薦のジンギスカン定食(1人前+ご飯もう一杯)+鹿のロース焼肉(2/3人前)を食した。さすがに、量、味共に抜群で腹もいっぱいになった。その後、腹いっぱいで動けない我々は11:00ごろまでそこに滞在した。名残惜しくは会ったけれども、ジンギスカン屋を後にし、一路襟裳岬方面へと出発した我々は予想もしなかったアクシデントに襲われた。悪路(ジャリ道)である。地図上にある道路であるから、てっきりアスファルトであると思った我々が甘かった。しかも途中の分岐点で当初の予定と道を変え(わざわざ峠を通るルート)アスファルトを選んだのだが、アスファルトは長くは続かず、またもとのジャリ道となってしまったのであった。「北海道、おそるべし」という印象を持ったのはいまでもない。その後、やっとジャリ道を抜けた我々を待っていたのは雨であった。小学校と民家で雨宿りを少々したものの何とかやみ、今日の目標地点広尾を目指す。しかし、雨宿りやジンギスカンの店で時間がかかったため、結局生花にたどり着くのがやっとで、そこからほどそばにある晩生温泉に落ち着いた。しかしそこまではまだ序の口だった。
 温泉に入り終えた我々は、夕食をとりつつ、TVの天気予報を聞いていると、この地域は大雨洪水警報が出ていた。その声を聞いて青ざめていると、どこからともなく大雨が降り、もはやあのテントの領分ではなく、不覚ながら素泊まり¥2,500のホテルに泊まることになった。その温泉からホテルまでは50mほどであるが、我々がびしょ濡れになったのだからその雨のすさまじさがわかるであろう。しかしこうして泊まったいまとなっては誠に快適で酒を飲み、将棋に興じる我々であった。
(オワリ)

インダ:
 みーもがひじでつっつく。それから目覚まし時計のベル、今朝は5:30と最近では珍しい時間に目覚ましをセットし、かつ、これまた珍しいことに、その時点でガバッと私を除く二人は起きてしまった。私は両人が寝袋を巻き終えた頃に、スピーディーに寝袋からはい出し巻き始めたのだが、もう少し中に入っていてもよかったらしい。テントから一番に荷作りし終えて出てきたのは、私であったのだから。多少、自慢。大便と電話では、私は二人をはるかに越える時間のかかりようだが、その他の面ではスピーディーそのものであると思う。まあそんなことは置いといて昨日は釧路より少し進んだ場所の競艇の駐車場であったから、下はごつごつしておらず、アスファルトであったのでまだそこに滞在していたい気持ちは多少あった。そこを出発したのは6時頃、今日は久々に無理なくガリガリ進めそうであったし、その場所から55km先の浦幌にはミッキーハウス(のんのん参照)があるらしく、ちょうど昼頃にそこについて昼飯にありつくはずであった。が、意外や意外8時過ぎにそこに着いてしまった。詳しいことはのんのん参照ということで、省略させていただくが、鹿のロース焼肉は実にうまかった。生でも食べられるので、あまり火を通さずにバクバク食べたが、ジンギスカンもうまく共に量があったので腹がいっぱいになった。
 その後の我々は、多難な行程を経て、今ホテルに一室を借りている。途中は大体のんのんが説明済みなので割愛させてもらうことにする。

みなみる:
 昨夜の天気予報での雨予報もぶっとびテント内をすかす日差しで目が覚めた。昨夜一人雨が降ることを怖れ靴をテント内に持ち込んだ私の懸命な行為はどうやら私の一人よがりで終わったらしい。まあ、なんにしろ晴れてよかったが。競艇の駐車場でテントを張ったせいか、下がコンクリートのためテントはさほど濡れておらず、さっさと仕度し出発することとなった。朝からトイレに行きたいと騒いでいたノノガキ先生の願い(?!)が通じたのかサービスエリアらしきものがすぐ出現し、その後、コンビニ(サンクス)も登場するといった好手順を踏みながら昨夜コインランドリーであったライダー2人の「ミッキーハウス」という店の鹿肉とジンギスカンがうまいという情報を有効に利用すべく浦幌へと向かった。途中戦車を輸送するトラックが次々と我々の横を通り過ぎ、やがて浦幌という看板が見えた途端、何と「ミッキーハウス」があるではないか!ちなみに市の中心街まで26km以上。昼食にと考えていたここでの食事を8時過ぎについて狼狽した我々であるが、そこはそれ、並みの人間ではない(今回の旅でかなりの成長(?)を遂げた我々)我々は、早速店が開いていることを確認し、食事へ。こんなに早く食べるとは思わなかったため二人よりもおにぎり2つ分多く朝食をとってしまったことを私は非常に悔やんだ。量、質共にAランクであったこの店を11時過ぎに出て、襟裳岬方面へとそのあと我々は進んだ。もう浦幌中心街へ行く必要が無くなった我々は店のすぐ脇にある直別共栄線(1038)を通り海を見ながらの順風満帆な走りが続くかと思いきや、昆布刈石というあたりで砂利道に出くわし、やむなくこの道を突き進んだ。その後途中雨が降ったため小学校の玄関、牧場の倉庫を借り雨宿りした。生花を通り晩生温泉というところまで辿り着いた。さすがにここまでの距離と激しいアップダウンの連続で身も心もボロボロになり、温泉につかりリフレッシュしたかと思いきや、雨の音が響いてくる始末。どうやら小学校でおじさんが教えてくれた大雨洪水警報の本領が発揮されたようである。散々テントにするか、素泊まりで¥2,500円払い宿に泊まるかで悩んだ我々であるが徐々に強くなる雨の音でついに初の宿に泊まることが決定。滝のような雨を通って温泉から100m先の宿へ飛び込み、「はまなす」という一室に落ち着くこととなった。しかし、久々の布団、テレビ、しかもコインランドリー(釧路より先はないと覚悟していた)こともあり、居心地はなかなか。しかも、明日はトイレではなく洗面所で顔や歯も洗い磨きできるのでまあ、よしかなと思う。当初、この予想外の出費に怒りをあらわにしていたノノガキも、今回の旅が一日、当初の計画よりも早まったため、その浮いた分をここに消費したのだという説得にやっと納得顔。部屋で落ち着いた我々はその後、ビールを買い込み、将棋をし、テレビを見てAM1:00にやっと寝た。昨夜、2,500円分電気代などを使ってやるというノノガキ氏の野望はどうやら達成できなかったようである。ちなみに明日の天気は午前40%午後50%の降水確率である。果たして我々の明日の命運やいかに、次回乞う御期待。
(つづく)

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8月20日(土)

インダ:
 昨日はひどい目に遭った。2500円もするのだから、この施設をフルに使わなくてはという貧乏臭さが、昨夜12時近くまで起こさせていた。この旅が始まって以来日が暮れると寝るという生活の連続であったので、昨夜も少し静かになるとふーと眠りにつきそうになった。今日は40%の雨の降るかくりつ(漢字で書けますよ)であったのも、昨夜寝るのを遅くさせた理由でもあった。当然今朝はぎりぎりのチェックアウト時間である10時まで寝てたり、ごろごろしている予定であった。ここまでは昨日の日記に書いていない範囲のことであったので本日分に書いた訳である。
 まだかなり時間が早いと思うのに、テレビがついて本日の天気予報をみーもが見ていた。声が大きかったのでボリュームを小さくするように行った。まだ眠らせてくれ。スヤスヤ。パチリ、ピシッ今度は何の音かと思いきや、みーもが将棋の本を片手に、将棋を1人で打っていた。う~ん、まだ寝るぞ。さすがに布団の心地は良い。まだまだこの余韻を楽しみたいのに。9時頃私は起きた。(布団から出たということ)色々と仕度をして晩生温泉を出発する時刻は10時ちょいすぎ、荷物をくくりつけてとおもったが、寝袋を止めるバンドがないことに気付く。散々探したが結局見つからず、不覚である。今まで私の所持品は1つとして紛失していなかったのであるから。値段はさほど高くはなかったが、使用度は高く前の荷台に寝袋を取り付けることができなくなってしまった。今日はいつ大雨が降ってもおかしくない状況であったのでなんとか空がモッテイル間に、できるだけ進んでおこうということになり、通常より速いペースで走行した。一応の目標は襟裳岬までであったが、朝飯、パン3つ、昼飯、コンビニで共同のパン、晩飯はドライブイン銀でチキンライスで済まし、休憩も普段より少なめであったので、当初の目的地である襟裳岬まで来れてしまった。海岸線は、久々に追い風であったので、一時は24km/hという速さで走行。波しぶきは道路まで飛んでくるところもあった。ほんと今日はラッキーであった。が、本日はバスの停留所の中で寝る予定。理由としては風がものすごく強い、大雨が降る可能性があるといったところと、意外と頑丈なバス停で扉付きであることかな。今日も100km弱走ったのではないか?苫小牧まで160kmぐらいというから、あと2日で着いてしまうかも、すると苫小牧で2日ブラブラすることになるなぁ。まあそれならそれでいいけど、ちなみに今日は昨日に続いて、当日中に日記を書いている。これは珍しいことである。

ノノガキ:
 ここ数日続いた雨にうんざりしていた私は、「どうせ今日も雨だろう」とタカをくくり、大枚2,500円も投資したのだから、チェックアウトの10:00くらいまでゆっくりすべしと久しぶりの布団の中で考えていた。が、予想に反して空はどんより曇っているものの雨の降る気配はなくAM9:00過ぎ出発することにした。このとき、今まで唯1人、所持品を失っていなかった隠田がついにゴムバンド(MTBの前の荷台につけるもの)をなくし、その捜索に入った。が、結局見つからず、旅館の前で写真を撮ってから出発、襟裳岬を目指した。広尾で休んでいたら、軽自動車の運ちゃん一味が、チャリに乗った三人組みにインネンをつけていた。興味津々の我々であったが、一方的な展開にがっかりした。
 昼食はそこから13kmほど先のセイコーマートで、例によってかしパンを買い、いざ出発と思ったら、ポシェットが落ちていた。即座に私がそれを拾い、中身を確かめたら、福沢諭吉先生の顔が2枚も見られ、郵便貯金のカードも入っていた。免許証もその中に有り、みたら中積とかいう人だったが、見当たらず、結局セイコーマートに預けた。彼はこのポシェットを手にいれられたであろうか?知る由もない。今度こそと仕切りなおし再出発した我々は、追い風にものり順調に進んだ。襟裳岬に近づくにつれ、益々風も強くなり、それに比例して我々の速度も上がった。海岸線を走っていたので、時折波の水しぶきが飛んできた。
 そして遂に襟裳岬に到着。眺めのよさ云々といったことより、まさに強風、まっすぐ歩いてられない。ききしにまさる強風であった。妙なポーズで写真を撮った我々は、襟裳岬から13kmほどの襟裳市街のドライブインで食事(私はカレー)をとり、旅館の風呂(¥500)に入った。今日の宿泊地はバス停の中になる予定である。
(オワリ)

ミナミル:
 今日は朝6:50に目が覚めた。昨夜はビール、ウィスキーをのみ、AM1:00までテレビを見たりして起きていただけに我ながら驚きである。天気予報をつけると、朝(午前)30%午後40%の降水確率であるとアナウンサーが述べており、半ば「降るなら降れ。降ったら昨日の温泉へいってくつろいでやる!」と思いきや曇りつつも雨が降る様子はない。歯を磨き、顔を洗って将棋を1人研究していたがどうにも雨は降らず、刻一刻とチェックアウトの時が近づいてくる。仕方なく9:00に二人を起こし、用意を整え、退館、隠ちゃんのゴムバンドが無くなってしまうというアクシデントにもみまわれたが我々は宿をバックに写真を撮り、襟裳岬へ向かうこととなった。追い風も手伝い、我々の自転車は疾風の如く野を駆け、驚くべき速さで町々を通り過ぎた。そのため今日は宿を出たのが遅かったため無理と思われた襟裳岬にも着くことができたのである。襟裳岬を訪れたことで我々のたびは9割方終わったようなものだ。しかし、だからといって気をゆるませ事故を起こしてはこの旅自体が失敗に終わってしまう。今日でやっと行程の半分を終わらせたと思うのがよかろう。朝昼とパンで過ごした我々は夕食はドライブイン「はまなす」でカレー(インちゃんはピラフ)を食べた。この店は味は普通だが高い。昨日の「ミッキーハウス」でドライブインもまんざらではないと思っていたが、この店はダメだ。どうやらドライブイン+ライダーハウスの店でなければ安く、量のあるメニューはないようである。風呂は襟裳岬から10km位離れた「田中旅館」で入った。店の人がコインランドリーも使わせてくれたため、意外なことに洗濯物をためずにすむようである。明日も追い風が吹いてくれることを願いつつこの辺で筆を納めよう。
(つづく)

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8月21日(日) 晴れ

ノノガキ:
 襟裳岬を通り越した我々にようやくゴールの3文字が見えてきた。あと少しである。今日は、昨夜とまった灯台公園のステージの上から出発。場所が場所だけに早起きした我々は、朝飯までにすでに30kmほど走る。その後も、軽快に走り、昼飯は残りの2人が天丼大盛りの中、玉子丼大盛りと質素に済ました。
 そして、午後3時過ぎにはえりもから70kmほど離れた静内に到着。予想以上に街も大きく、コインランドリーや銭湯、宿泊地も簡単に見つかった。
 銭湯では実に21日間はやし続けた髭を鼻の下の部分を除いて剃った。実に爽快である。鼻の下のチョビヒゲも明日そるつもりであったが、なかなか似合っているという評なのでしばらく様子を見ることにした。その後、晩飯も珍しく定植屋で過しチョコをたしなんだ後、早々に眠りにつく我々なのであった。
(オワリ)

ミナミル:
 我々の旅も遂に佳境に入り、それと同時に天気も回復したようである。朝5:00に目を覚まし6:00に我々はえりも(灯台公園)を後にした。海岸線を走ったためアップダウンも激しくなく快調な走りである。今まで小さな街しかみかけなかったが途中JRの駅が見られる様似からは街にも店屋が見え始めた。朝食はコンビニで済まし、家に電話をかけてみたら東京は大雨が降っているとのこと。我々にはまだ遠い世界の話しである。この日の終点は静内であったため、ゆっくりと走り、途中三石温泉の駐車場で2時間ほどテントなどを乾かしながらお昼寝。その後少し走ったところで昼食と、まさにのんびり走った。静内に着いたのはPM3:00くらいであったろう。ここはコインランドリーも銭湯も完備しており申し分ない。寝場所は橋の下と決め、早速本屋(スーパーのでかいところ)で立ち読み。夕食は中華料理屋でカレーチャーメン(かれ一焼きそば)を食べた。少しリッチに過ごしてしまった1日である。

インダ:
 苫小牧まで160kmという襟裳岬の町にあった灯台公園を場所柄(ステージの上であり、文句をいわれる可能性大有り)早々と立ち去った我々は、朝飯を昨日中に買い込んでいなかったため、店が開くころまで、カリカリと軽やかに走らざるをえないことになった。セイコーマートは7時から開くのだが、何せ電車も走らない辺境の地にコンビニなどまず存在しない。まれにAコープをみかけるが、開店するのはもっとあとのことだろうから、我々は休むことなく走らなければならなかった。いずれにしてもコンビニのある街にたどり着くか、店が開く時間になるかのどちらかであり、距離と時間の問題であった。
 朝飯にありつけたのは9時くらいであったろうか。走り始めてからおよそ30kmほど進んだ地に、セイコーマートがあった。朝飯前にしてはちょっとハードであった気もするが、公共でパン2つと私的な2個入り五目おにぎり(大体がコンビニで済ます時はこのパターン、プロジェクトBである)で腹はいっぱいになってしまった。この旅に出る前の体重は69kgぐらいであったが、30日ぐらい立つ今は66kg付近(その日によって1kgの変動あり、体重計がおかしかったのかもしれないが、64kgという数値を指した時もあった)で、思っていたほどやせていない。目標は60kgであったのに、やはり10kgの減量は無理か、せめて五kgぐらいはやせてやろうという気もするが、毎日朝から晩まで運動するのに、飯を減らすのは自滅行為といえよう。まぁあと2日の運動は距離数から言ってたいしたものではないので少な目にしておこう。一説には脂肪が燃焼される前に、ハードな運動のため、筋肉がついてしまっているというがそれなら納得がいく。(旅の最初の頃は70kgを越える時があったが、それから徐々に減っていった)この旅は別にやせるために行っている訳ではないのだから、余り気にしない。やせていたらもうけものと思うことにする。(が、毎日風呂場で体重を計ってしまう私であった。ちなみに2人も計っている)
 体重のことは本日のことには特に関係なかったが、いつか書こうと思っていたことなので。
 本日は久々に良い天気であり、あと残り僅かということもあって、日に焼けようと試みた。当然、長袖シャツは着用せず、下の半袖のTシャツは、肩まで袖をまくりあげた。今までは晴れた日には必ずといってよいほど、長袖を来ていたのだが、曇りなどの日差しのきつくない日には長袖も着ていなかったので、風呂場で体を見ると、まず短パンより下、靴下より上の部分は黒く、Tシャツの袖より先の部分は、多少黒くなって、やけに胴体は白く感じたものであった。手の甲ははじめの頃は手袋をしていたが、殆ど常にむき出し状態であったので、一番日に焼けており、2番目に足、3番目に腕、4番目に肩と、焼け具合に段階があって、その差が少し目立つ所が気にくわない。もう少しうまく焼きたかったと多少後悔。海で再び焼いたら、きちんとなるかもしれないが、そんな余裕もないかもしれない。まぁ日に焼けることがこの旅の目的でないのは体重の件と同様。
 再び、本日の日記に戻ることにする。朝飯を済ませた我々は、食前とはうってかわって、ゆったりとした走行を続け、三石温泉付近で、日光が強かったのでテントを乾かし、(昨日、テントが匂う、とみーもが発言)。寝袋を干し、人間どもは昼寝をした。2時間くらいそこで休んだ後(1時頃)、再びちんたらと走り静内町で本日の走行を終えた。余裕であさって着ける地点のこの街は、意外と大きく、コインランドリーを発見したかと思いきや銭湯も、対面に見つけ、寝床もある程度決めていたため、時間も3時頃と中途半端なせいもあり、ニチイ(大きいスーパー)で立ち読み。昼飯はこの町にくる途中のこんびにであったので晩飯は定食屋(別に決まっている訳ではないが)、寝床は見当をつけていたとおり、橋の下(橋が異様に低く、トレーラーなどが通るたびに、ガンガン音がしてビクついていたが、すぐに慣れすぐに寝る)

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8月22日(月) 晴れ

みなみる:
 朝目覚め、コンビニニ朝食を買いに行った。戻ってみると隠ちゃんが何やら1人の青年と話しをしている。その人は東京の調布から来たようである。そこで北海道限定のたばこが売られていることを知り、土産が安く済ませそうな予感がしてちょっとうれしい。大学のゼミの先生はビールとたばこが好きだからである。なにせ私は夏休みのインター大会の論文作成と合宿までに読まなければならない本をすべてこなしていないためどうも肩身が狭い状況だからである。なにわさておき、9:30には静内川の橋の下を去り一路鵡川へ。残り80kmぐらいな為この日は50kmほど進むこととなったのである。途中、昼食をとろうとコンビニによったら、何とジャンプとスピリッツが発売されており、早速立ち読みをしたのだがものの数分でおばちゃんに注意され、気分を壊された我々はもう一軒のコンビニでも同じく立ち読みをしたのだがここでも注意。どーもせこいコンビニであった。(けして我々がセコイ訳ではない!)なにわともあれ、その後無事鵡川につき早速駅で写真を撮った。その後例によって本屋で立ち読み。立つのは疲れたがやっと私が読みたかった漫画を読み尽くした次第である。この街はコインランドリーがなかったが明日苫小牧につく我々は別に慌てふためくことはない。夜食もコンビニでカップらーめん等を食べた。ちなみに寝たところは公園である。

朝食・・・納豆、パン
昼食・・・パン、おにぎり
夜食・・・パン、おにぎり、カップラーメン(カレー)
以上。

ノノガキ:
 今日の朝は、昨日と違いゆっくりと過ごす。テントや寝袋などを乾かしつつ、調布から来たという兄ちゃんと、しばらく談笑。AM10:00頃ようやく静内を後にした。途中、休憩所のコンビニで皆見が1回立ち読みしても、懲りずに立ち読みし続けた為(私と隠田はおとなしく引き下がった)、店の人にもう1度注意され、かつにらみも聞かされるというハプニングはあったものの、たかだか50km弱の道のり、屁の河童という感じで到着。まだPM2:00過ぎくらいであった。
 その後、銭湯にはまだ早いので、駅の売店のおばちゃんに聞いたこの街(鵡川)一番の本屋のあるプラザ斎藤へといった。その店は、一瞬円の一部が欠けている(色はだいだいと緑)マークでお馴染みのダイエーかと思わせるようなマークをを持っていた。その違いはダイエーは左下が欠けているが、斎藤の方は真下が欠けているという非常に微妙なものであった。その本屋で、先程読めなかったジャンプなどを読みつくし、すっかり満足した私は、この夜に初のインスタントラーメンを食し(ブルジョワの私とした事が・・・)深い眠りに着いたのであった。(オワリ)

インダ:
 静内の街から苫小牧まで約80km。本日は、ここから50km弱進んだ鵡川(むかわ)まで走行。余裕であった。我々の自転車旅行も明日の30km走行で終わりかと思うと、意外とあっけない気もする。・・・
 本日は特に思うことは・・・あるがのんのんがコンビニの件について書いているので省略。今日は楽であった。明日はもっと楽であろう。

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8月23日(火) 晴れ

ミナミル:
 遂に苫小牧に着いた!思い起こせば、東京を夜逃げするが如く朝3:00に出発し、数々の試練を乗り越えたものである。苦しかった日々が走馬灯の如く私の頭をかすめては消える。しかし、今まで一度も自転車旅行をせず、しかもいきなり本州を抜け北海道を一周を無事に終えたことはまさに快挙である。旅を始める前は親を筆頭に多数の人間から「無謀だ」「無理だ」などのアドバイスや嘲笑をいただいたがやはり我々に不可能はなかったのである。
 この日は朝食をコンビニで済まし、残り30kmにまで迫った苫小牧へ向かった。心なしかペダルが軽い。しかし、それにもまして隠ちゃんのペダルも軽かったらしく飛ばすわ飛ばすわ!午前中には苫小牧の領域に入ってしまい、早速下調べとフェリーの着く場所をチェックする為にフェリーターミナルへ向かった。フェリーターミナルの中に北海道のあちこちの食事、博物館などの割引券を発見したがもはや我々にはようのない代物であった。フェリーターミナルを後にした我々は一路苫小牧の駅へ、途中「両国」という店で「じゃんぼ特製天丼」(1,200)を食べ、その後苫小牧の駅に着いた。早速写真を撮ろうとしたのだが、なかなか人が通り過ぎずやっと通ったおばさんにシャッターを押してもらったのだがなんとこの人は神父だという。そして我々に祈らせてくれときた。日頃この手の宗教は大嫌いな私であるが、写真を撮ってくれた手前むげに断ることもできずしぶしぶOK。どんなことをすると思いきや目をつぶり手をあわせて「ハレルヤ」と繰り返せといってきた。ちなみに何度も書くようだがここは駅前。人の目はやはりある。我々は恥ずかしかったが仕方なくこの人のいう通りにした。そして祈りが終わり、もうこれでおしまいと思いきや聖水を受け洗礼しないかといってきた。さすがにシャッターを押してもらっただけでそこまで付き合う義理はないと感じた私は即座に断った。その後銭湯、コインランドリーに行き、その日は公園でテントを張った。そうそうノノガキが公衆電話でお菓子を奪取して3人で分けて食べたのもここに一応付け加えておこう。(つづく)

インダ:
 本日の走行距離およそ30km、鵡川の公園を後にしていざ最終目標地点たる苫小牧への軽快な走行。たった30kmほどを1日で走るだけである。この旅に出る前の私には30kmなんて、遥か彼方の遠くの地までいけるのではないかと思っていたことだろうが、今の私にとっては、寝ながらいける距離、気が付いたら着いていたと感じるぐらい、楽ちんなのである。初日の鬼怒川までの100km強の走行は、なにぶんMTBの取扱そのものを知らないから、チェーンが外れたり、一気に尻が痛くなったりしたものだが、次第にMTBのしくみを知るにつれてそうしたトラブルも徐々に消えていったような気がする。他の2人は東京に帰ったら当分自転車に乗らないだろうなんて言っているが、私はマイ・マシーンにものすごく愛着を抱いている。この旅でウン千kmも走り続け、潮風や雨などによって普通より早いサビつきようだが、多少のチューン・アップでまた元に戻るだろう。タイヤの溝も新車の時にあった凸凹がほぼ半分近く削れているのもよく走ったなぁと感じさせる。マイ・マシーンが回復したら、今度は伊豆辺りにでも、チャリチャリ走っていってもいいかな、なんて思いのする今日この頃である。でも今度北海道に来る時があるなら、何がなんでも車。
 余裕で苫小牧につき、フェリー乗場まで下見に行き、昼飯をちゃんこ両国という店でジャンボ特製天丼(1200円)を食し(朝飯はコンビニ)、その後駅に向かい、写真を撮る。(このときのエピソードはみーも参照)、それから、本屋で立ち読み、風呂、コインランドリーと昨日と同じパターン。晩飯はプロジェクトA+おにぎり2個入り、だが今まで食事の写真はリッチなものだけであったので、一枚ぐらい普段の食事風景を撮ってもよいのではないか、この旅の真実を知らない人が、旅の写真を見たらいつもこんな食事をしているのか、等と誤解されない為に。本日で自転車でガリガリ進むたびは終了したが、あとはフェリーその他家に帰るまでの体を動かさない楽な旅が始まるのである。ほっ。

ノノガキ:
 今日の朝は、昨夜インスタントラーメンを食したSunKusでみかけた北海道限定じゃがバターまんを食す予定であったが、見事に品切れだった。しかもよく見ると北海道じゃがバターまんであり、限定の文字はない。北海道限定物マニアの私の血は一応収まった。その後、最終目的地苫小牧にアッという間に到着。昼飯はそのお祝いという訳ではないが、1200円也のジャンボ特製天丼を食す。その店は「ちゃんこ両国」という名で店内には小錦やら曙の手形が飾ってあった。
 その後、早々に風呂に入り、2日分のコインランドリーを済ます。その暇な間家に電話しようとしたら、その公衆電話のボックスである袋を発見した。無地なその白い袋に入っていたものは菓子であった。私は喜びいさんで戻ったが、「青酸カリはとりあえず入っていないらしいな」などと反応はいささか冷ややかであった。が、夕食の後彼らが、喜んでその菓子を食べたのを私は見逃さなかった。皆見と私がその菓子を食べてしばらく後、食べ始めた隠田はさすがといっておこう。とにもかくにも、目的地に着いたので安らかに眠った私であった。(オワリ)

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8月24日(水) 晴れ

ノノガキ:
 今日は、ゆっくり眠っていてもいい日なのだが、日頃の習慣がそうもいかず午前10:00過ぎまでは立ち読みで時間を潰す。朝食は、昼食と兼用とし、コンビニで済ます。
 その後お土産を買いに行ったのであるが、水曜日である為、ダイエーと長崎屋が閉まっている。開いているのは駅ビルの土産屋とイトーヨーカドーぐらいで、しかも品数が少ない。その後、散々探しまくった挙げ句、やっと某土産点で土産を購入。午後2:00頃今日の用件はすべて片付いたのであった。
 晩飯までの間は、夕張メロンソフトクリーム(¥200)を食したり、DOMDOMバーガーでお好み焼きバーガー(¥200)を食べながら時間を潰した。晩飯は、数人の聞き込み捜査の末、中華料理屋「三匠」で1人¥2,000のお任せコースで食した。なかなか美味であったが、3等分に分ける際のじゃんけんで怒涛の2連敗と、完膚なきまでに叩きのめされ、悲惨な憂き目に遭った。宿は、昨夜同様の公園で、北海道限定ビール「北のキリン」を飲んだ後、北海道での最後の眠りに着いたのであった。(オワリ)

インダ:
 本日は、おみやげを買うだけの日で、それ以外は自由。店が開くのは10時からだから、それまで、テント内にて待機。ノンノンは立ち読み兼、フェリーでの暇潰し用の雑誌を買う為、我々がテントでボーッとしている時に、フラフラ出ていってしまった。11時頃ブランチとしてコンビニで済まし、駅方面に向かう。が、ダイエーが休み、何たることか、今日は水曜日ではないか。この旅のせいで、曜日感覚は全くといってよいほど失ってしまっていたことに、今更ながら驚かされる。踏み切りの向こう側にある長崎屋も当然定休日。残されるお土産購入可能な場所は駅内の土産屋か、イトーヨーカ堂と、アーケード街のお店ということになり、デパートが使えないので、こんなに範囲が制限されてしまった。
 まず駅内、一応2、3軒見つけるが、これはという土産がない。そうそう、私は兄から、北海道の夕張メロンチョコを買ってくるよう頼まれていたものだから、それも今日買わねばならなかったのである。当然そこには、それはなかった。次にヨーカドーに行ったが、2軒しかなく、当然なし。よいとまけが苫小牧名物らしいことと夕張メロンソフトクリーム(200円)があることを知る。再び、踏み切りを渡って、アーケードへ。店が、昨日に続いて殆ど閉じている。(昨日の銭湯はこの並びにあったから)人影もまばら。ゴーストストリートといった感が会った。仕方なく、もう一度ヨーカドーへ行こうとした時、駅前に、三星という店を発見。兄に頼まれた夕張メロンチョコはあきらめるとして、この店でハスカップ8個とよいとまけ2本入りを1個かい、家に送った。2人もこの店で買い夕張メロンソフトクリームをヨーカドーで食し、ドムドムバーガーで、お好み焼きバーガー(200円)を食べ、そこで暇を潰した。6時頃晩飯の店、三匠(数人に聞き込みした結果、北海道の最後の晩飯を飾るであろう店)へ向かった。中華料理店であったので日頃慣れてないから、各自2000円、計6000円のコースを店任せにしてしまった。とても満足の行く量、味であった。その後再び公園へ。北海道最後の晩なので、限定ビール「北のきりん」を飲んで寝た。明日は10時頃(手続きは8時より)フェリーに乗るので久々に目覚ましをかけた。みーものおじさんが腹痛の為、我々が東京についても、車で帰れないかもしれないという恐ろしい話を聞く。

ミナミル:
 明日はフェリーに乗って帰るだけの為実質的には今日が最後の北海道である。苫小牧は観光名所がない(少なくとも駅の近くにはない)ので東京に買ってゆく土産を買いに行くこととなった。朝はデパートが開く10:00までは寝ていようと昨晩皆で言っていたが習慣のせいか7:00には目を覚まし本などを読んでいた。ちなみにこの日は自転車で走りまわることもない為、朝昼兼の食事(セイコーマートでカップとおにぎり)を食べ銭湯も入らないこととした。11時頃になってテントをたたみ駅前のダイエーに行ったら、何とこの日は水曜の為休み。北海道も水曜日は休みとは・・・とくだらないことに思わず感心。駅の北口の長崎屋も休みとあって残るはイトーヨーカ堂のみ。結局イトーヨーカ堂はウィンドーショッピングで終わり、土産は駅前の南口三星という店で買った。その後イトーヨーカ堂(北口)に再び行き夕張メロンソフトクリーム(200円)を食べ北海道最後の夜にふさわしいうまい店を探そうと街の人々に聞き込みをしたがどうもこの街にはこれといってうまい店がないらしい。それでも中華料理店の「三匠」が比較的うまい(それだけ値段もはるが・・・)と聞き、夕食まで時間を潰す為ドムドムバーガーでお好み焼きバーガーを食べた。そこで2時間ほど時間を潰し、早速迷いながらも「三匠」へ到着。我々がメニューを見てもなかなか決まらない為店のおばちゃんが1人2,000円の予算で料理を出してくれたのだがどれもうまい。一品一品でてくるのであるが、そのおかずのたび食事に関しては友情の薄い我々3人はじゃんけんをして公正さを保ったのには少々恥ずかしかったが。食事を終えた我々は昨夜と同じ所に寝るべく公園へ。そこでキリンの「北のきりん」という北海道限定ビールを飲みながら今までの北海道旅行の思い出を語ったのでありました。
(つづく)

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8月25日(木) くもり

ノノガキ:
 今日は、朝6:00におき、コンビニでフェリーに乗っているあいだの食料の買い込みをした。その際、サンクスで前回品切れであった北海道じゃがバターまんがちょうど3個あったので皆で食す。
 その後、8:00頃にはフェリー乗り場に到着した我々は、早速乗船手続を済まし、休憩所で待っていた。そこで、夕張メロン入りチョコレートを買い更に北海道限定ジュース(というかカクテル)を発見。危うく逃すところであったが最後の最後でようやくGET。さすがにこれで北海道限定物は味わい尽くしたであろう。一件落着である。
 更に、その後皆見の提案で本革性のキーホルダー(¥1,030)を各々購入。北海道の良き思い出となるであろう。
 そうこうするうちに、フェリーに乗り込む時刻となり、早速乗り込んだ我々は、礼文島行きのフェリーと異なり、各々の寝場所があったので、その中に潜り込んでいたら、いつのまにか寝てしまい気付かぬうちにフェリーは北海道を後にしていた。フェリーの中では、とにかく寝こけ、さすがに退屈したのでフェリー内を探索すべく歩き回ったら軽度の船酔いをしてしまい再び寝たきり生活に戻ってしまった。とにもかくにも早く東京に戻りたい私であった。(オワリ)

ミナミル:
 いよいよ北海道を裁つ時が来た。7/31からずっと北海道をまわっていた私はこの日が来てもいまいち北海道を去るという実感が湧かない。朝は6:00前に起き身の回り等の仕度を済まし、コンビニへ朝食とフェリーでの食料を買い、そこで朝食を済ました後、フェリーターミナルへ向かった。途中、北海道ジャガバターマンを食べるといった寄り道もしたがそれでも8:00にはフェリーターミナルへ着いた。フェリーターミナルへの道中は向かい風で北海道の大地が我々がこの血を去るのを名残惜しみ引き止めているかの感を私は感じた。搭乗手続を済まし、我々は2階の待合室で搭乗までの時間を潰すこととなった。土産品コーナーを回り、夕張メロンチョコを買い、キーホルダーを買った。このキーホルダーは隠ちゃんもノノガキも同じ物を買い、3人の旅の記(しるし)とした。このキーホルダーを見ることにより我々3人は辛かったが今となっては楽しく有意義であった今度の旅を思い出すことだろう。弟と妹に個別に何か土産を買おうとあちこち探しまわったがキーホルダーじゃつまらないだろうし、どれもくだらないものばかりだったのでやめた。たぶん向こうも買ってこないと思っているのだろうから、やはりその期待を裏切ってはまずかろう。そうそう、このフェリーターミナルで北海道限定のラベンダー風味のカルピスフィーズを飲んだ。我々の「北海道限定」への追求心は最後まで健在であったようだ。放送の後、我々はフェリーに乗った。我々は2等である為、広間のようなところの一部をあてがわれた。それでも今までのテント内に比べると快適であった。デッキに上がると風が強かった。船に乗って少したってから寝てしまった我々は北海道を離れる瞬間を見ることができず、デッキを出て回りを見たがもう北海道の影すら見ることもできずまわりがすべて青い海であった。まぁ出発してから2時間以上寝てたのだから当然だろう。ノノガキは船の中を見てまわるうちに酔って眠ってしまった。私は暇だったので雑誌の付録である「詰め将棋」をしていた。隠ちゃんは推理小説を読んでいる。フェリーの中は本当に退屈であった。
(つづく)

インダ:
 さすがに目覚まし時計に反応し(今までは、無意識のうちに消してしまい朝寝坊が数回)、さっさとテントをたたみ、近くのセブンで朝食兼、フェリー内での食べ物の買い込みを済ませた。6時にかけてあったから、その時7時ちょい過ぎという、速さは今までなかったであろう。そのすぐ先のサンクスで念願の北海道じゃがバターまんを食したが、これには一度振られたことがあったので食べられて本当によかったし、おいしかった。北海道限定というものは意外と多くあったが、そのことでとくを食べOR吸い尽くしたのではなかろうか。代表的なものとしてはビール、サッポロクラシックとキリン北のキリンは当然飲み、タバコ、ホリデーも吸った。その他きびだんご(?)、今朝のじゃがバターまんなどがあった。その話しとは少し違うが、日糧パンが出す、大きいシリーズは今朝、メロンとアンパンを食べたので、制覇。この大きいシリーズは、ジャム、小倉あん、クリーム、メロン、あんぱんの5つの味があり、通常より大きく、食べごたえがあったのでのんのんがまっさきに食べ尽くし、次に私もという事であった。
 さぁ、8時頃、予定通り乗船手続を済ませ、10時頃まで暇ができた。この間に、家あてにハガキを2通かき、お土産屋をブラッと見たが、なんと夕張メロンチョコがあった。殆ど諦めていたものだが、これで兄の頼みを無事に為せることになった。あとは、みーもの案で、北海道のキーホルダー(1030円)を買うということになった。これは値段は高いが、3人とも同じものを買い、これを見るたびに、我々の北海道自転車旅行を思い出せるという訳である。ちなみに北海道限定煙草であるホリデーを私は1ケース(16個入り)を買い(2200円)、思わずみーもから2000円借りることになってしまった。もう少しお金をおろしておくべきであったと思う。その後皆で北海道限定ジュース(?)を飲んだ。これはラベンダーのエキスが入っているらしいカルピスジュースであり、アルコールも少々入っていた。200円はちょいと高いと思うが、ここまで来たら、限定という名のつくものは、何でも経験してやろうという意識しかなかったのであった。
 そんなことをしているうちに時間となりフェリーに乗った。さんふらわあえりもという名のフェリーであったが、チケットに部屋番号と席番号が書いてあったのを思い出し、それを係員に見せながら、我々の場所に到着。礼文島の時のフェリーみたいに、乗客が大部屋に勝手に雑魚寝するのかと思っていたが、部屋・席番号が指定されていた通り、きっちり、1人分のスペースが用意されていた。この部分は写真に収めてあるのでそちらを参照。そこで、布団を敷き、我々はすぐさま寝こけてしまった。寝心地がよかったので昼寝をしてしまった我々(ノンノンは起きていると酔うので寝ていたらしいことが後に判明)は、時々外に出てみたり、船内を徘徊したりしていたが、殆ど布団で横になっていた。することもないので買い込んでいた本を暇つぶしがてら読んだりするが、それでも退屈であった。あれだけ昼寝をしていたにもかかわらず、我々は夜もグーグー眠り続けた。明日は東京に着くのだと思うとなんとなく、うれしい。家では飯も風呂も布団もあるのだから。

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8月26日(金)

皆見:
 朝3:30に目が覚めた。昨日、船室でゴロゴロしていたせいかいつもより目覚めが早い。せっかくだから朝日を甲板から見ようと決心し、仕度を整え、甲板へ出た。風は吹いていたが冷たくはなく、そのままデッキチェアに座っていると東の空がうっすらと明るく、水平線が赤くなり始めた。あいにく日の出るであろうところは雲がかたまっており日の出の瞬間は目撃できなかったが、まぁ、よしとしよう。日の出を見た後9:00までまた寝た。朝食は昨日コンビニで買い込んだパンを食べた。ちなみに昼食は船内レストランのカツ丼である。船内は揺れるせいかトランプといった真剣勝負(我々は旅の間トランプを数日やっていたがすべて全力投球である)はやる気になれず、私は相変わらず詰め将棋、雑学の本を読みふけっていた。途中船内ビデオで「Out of Africa」(邦名は忘れてしまったが、左の題とはかけ離れた題であった)を見たがつまらなかったが、午後行われた「美女と野獣」は面白かった。美女と野獣が終わる頃にはもう東京の有明埠頭まで少しというところまで来ており、3人は甲板に上り写真を撮った。それにしても東京は本当にでかい。今度の旅であちこちの県庁所在地、観光名所を見てまわり、札幌が唯一東京に比肩できると思っていたが、それは大きな誤りで、札幌何かの数倍はでかかった。港につき船から出ると両親が迎えに来てくれており、車(ワゴン)になかに自転車を入れ一路我が故郷(ふるさと)立川へ。最初は道に迷いながらも高速に入ったらすいており自転車では当然不可能な速さであっというまに立川へ。最初隠ちゃんを降ろしたのだが、隠ちゃんの髭面(づら)を見ておばさんはよろけていた。その後私は自宅で降り、車はノノガキ邸へと向かった。東京は北海道に比べやはり暑かった。
 この文章を書いているのは一夜あけた27日の朝である。昨夜は「やっと着いた。」という感や「もう食事に事欠かない」といった気持ちが大勢を占めていたが、今は今度の旅行を振り返る余裕がある。何度も書くが正直疲れた。しかし、旅が終わってみるとお約束通り疲れた思いよりも本州、北海道の様々な楽しかった場面が思い出される。何より、自分で北海道をまわった達成感と夏休みを全力で過ごした充実感がある。今は当分自転車旅行ではなく自転車そのものも乗りたくはないが若しかしたらまた旅に自転車で行きたくなるかもしれない(あくまでも“かも”である)その時は当然野々垣は嫌がるかもしれんが今度のメンバー『隠田、野々垣、皆見』でいかなければ!北海道で買ったキーホルダーを持って!まぁーそんなことはこれから先多分ないと思うがマーフィーの法則にも「99%の確率という時、残りの1%の確率はやたら大きい」というのがある。だから、一応次の旅に備え英気を養おうと思う。 完

隠田:
 寝起きがさわやかであった。この旅で2回目の布団であるのだから当たり前といえば当たり前か。なんせテントでの生活に慣れきってしまっていると言えども下に石があったり、ツユでテント内が濡れていたりと不十分な点が多かったのだから。あ~気持ちいい。と、まぁ朝はゴロゴロしていたが、一応甲板に出てみたりもした。のんのんは相変わらず横になったきりで、我々の誘いにも応じず。朝飯、昼飯は食パンに蜂蜜を付けて、食べた。他の2人は朝食を船内レストランで済ませたのだが、私は所持するお金が少なく、確か昨日フェリー乗り場のお土産屋で北海道限定煙草ホリデーをワン・カートン(2200円)買う時みーもに2000円借金していたこともあり、無意味にお金を使うのは避けようとしたまでのことである。ちょうど昨日、セブンで食パンを2キン買っていたので、昨日の夜、今朝の飯、昼飯の3食分に分けると一回当り4枚も食べられるので妥当であると思われる。多少、ひもじい思いをしたが、それは、この旅で既に慣れ親しんでいるので今更気にしてもしょうがないという心境であった。
 普段は横になって小説や碁の本を読んでいたが、時々甲板に上がって外のきれいな景色を眺めやった。潮風がフワ~ッと吹いてくる時は、海はいいよなぁとつくづく思う。のどが弱い私は、海でこの潮風を吸って生活していたら、幾らかダウンする回数も減るのではないだろうか。海面も穏やかであった。太平洋を南下しているので右舷方向には本州の陸地がはるか遠くに見え、反対側の左舷方向には、何もうみ以外は存在せず、当たり前だが水平線がず~と続いているだけであった。空気は潮の香りがほのかにして、なかなか。気温も暖かく、やはり夏なのだなぁと思わせる。後半の北海道は寒かったから。フェリー内の我々の大部屋にもテレビがあり、何やら、やっていたらしいが、誰も見ている様子はなかった。昼過ぎ、だいぶ東京に近づいてきた頃「美女と野獣」を放映するとあったのでテレビで見たがなかなか感動した。あっというまに見終えてみると、もう東京湾まで来てしまっていた。渋っていたノンノンもつれて皆で甲板に上がってみると、コンビナートやらの工場がひしめきあって、何ともゴミゴミとした感じであり、海水はガソリン混じりが明らかといえるほど汚れ、空気もまずい。なんか嫌なところに帰ってきたような気がした。久々の東京の景色、多少心の中で美化されていたとはいえ、これはひどすぎる。おまけに蒸し暑い。電話や、天気予報で北海道より、東京の方が10度近く高いということは知っていたし、大体予想していたものだが、実際この暑さは異常だと(一応)東京都民の私が北海道という土地を経験(夏だけ)した上で、比較的に述べられよう。あの寒さが、今は懐かしい。
 フェリーから降りて少し進んだら、みーものおじさんの声が聞こえ、1ヶ月ぶりの再会であった。私は髭をかなり蓄えていた為、おばさんに多少なりともショックを与えたかもしれない。どこかのおっさんかと思ったといわれた時は、“やはりな”と思わざるを得なかった。ほぼ一月はやしっぱなしだったのだから自分としてはちょっと剃り難い思いに負けて、かくなる上は皆様にお見せ致そうと大切に大切に育て上げた代物であった。この髭に反応をしてくれることが私にとっての願いであったので、みーものおばさんの反応は本当はうれしかったのであった。
 おじさんが車で迎えに来てくれて本当、助かった。車はやっぱり速いよ。北海道でも、東京でも。北海道は信号がないからブッ飛ばそうと思えば何km/hでも出せるが(パトカーナンカいやしない。飛ばし放題、自転車軍団にはつらいけど)東京でも高速は速いね。すぐに立川に着いてしまった。予想よりも早く、8時には家に到着。母に髭面を見せて希望通りの反応を見せてくれた後、みーもとのんのんと家の前で最後の写真を撮り、2人と別れた。今日は風呂と夕食と布団が十分楽しめるぞ、という気分であり、あと父と兄と祖母にこの顔をお見せする楽しみもある。
 今は旅を終えて数日が経っているが、たいした事故、ケガがなく(自分は病院に行ったが)割りと思い通りの行程ができ、多少のいざこざはあったにせよ、仲良く無事遂行できたことはいまだに心に深く思い出として残っている。こんな冒険的(ホテルなどの宿泊施設を極力使用しない)な生活で、冒険的な行動(オート○○使用せず、なるべく自転車)は、一生涯で一度あるかないかの出来事だと思う。親に借金をしてまでも(他の2人は資金力あり、よって借金なぞ私だけ)やった甲斐はあったと断言できる。この何ともいえない自信がついたことは私にとって非常にメリットに作用するものだと思う。これは皆に共通することだと思うが、やはりこの旅を終えて我々は今までより大きくなったといえる。色々と体験してきたのだから。この思いは、我々が何才になってもあのキーホルダーを見るたびに思い出されるであろう。
P.S. 私はすぐにでも自転車に乗るよ。愛しいマイ・マシーン。さぁ今度は、ちょいと伊豆へか?みーもはO.K.?のんのんは?

ノノガキ:
 朝、すでに習慣化しているのか、AM6:00頃には目を覚ます。まだ、東京に帰るという実感はない。朝食は、昨日コンビニで買いだめをしておいたパンで済ます。昼までは非常に退屈であったが船酔いを恐れてじっとしている。とりあえず今日も天気はいいらしい。朝食は、まだパンが残っていたものの、本当に最後の食事ということでカツカレー大盛り(¥850)を食す。このとき、フェリーは房総半島南端に到着。いやがおうにも興奮は高まる。午後は、船内ビデオ「美女と野獣」で憩いの時を過ごす。いかにもアメリカらしく情緒というよりは、派手なミュージカルっぽい映画であり、なかなか楽しめた。
 そうこうするうちに船内情報では東京湾内に入ったとのこと。帰り支度を整えた後、甲板に上がり、どす黒い東京湾や工場群を眺めた我々は、一様に北海道の素晴らしさを再認識し、旅の感傷に浸っていたい気持ちと我が家へ速く帰りたいという気持ちが入り交じっていた。なんだかんだでやっと到着。船の扉がじれったいほどゆっくり開いた後、ワーッと一斉に飛び出した。いよいよ東京である。
 港には皆見の両親が迎えに来てくれており、一気に車で帰る。たいした渋滞にもあわず、無事隠田家に到着。髭面の隠田にたいするおばさんの態度がリアルで非常に笑えた。そして当然ここで隠田と別れることになるのだが、30日余り一緒に過ごしてきた奴と別れる。ここで何となくこの旅が終了したのを実感した私であった。最後にこの旅で何を得、何を失ったかはまだわからないが、思い出に残る旅であることは確かである。その思い出深い旅に一緒に同行した隠田、皆見両君に感謝の意を表してこの筆をおくことにしたい。
(本当に終わり)

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