富士山・富士五湖旅行
自転車旅行第4弾!
夏の暑さが落ち着いた10月中旬。
我ら3人は再び集結し日本一高い山、富士山を目指して旅立つのであった!
自転車旅行シリーズ最終回!果たして我らの自転車旅行は有終の美を飾ることができるのか?!
行程表
| 10月14日 | 自宅~須走護国神社(静岡県駿東郡) |
|---|---|
| 10月15日 | 須走護国神社~表富士キャンピング場前(静岡県富士宮市) |
| 10月16日 | 表富士キャンピング場前~小室浅間神社(山梨県富士吉田市) |
| 10月17日 | 小室浅間神社~自宅 |
旅の日記
※手書き日記を文字起こししてくれた野々垣氏に敬意を表し、誤字脱字は修正していない。
10月14日(土) 晴れ
ノノガキ:
昨日は深夜1:00に寝たので3時間位しか寝ていない。はっきりいって眠い。朝5:30過ぎ出発。途中我が家によりカイロなどを補給する。今日は寝不足もたたってか足取りが重い。しかもじわじわ登る山中湖まで48kmからやっと19kmに。しかしここからが長かった。ずーっと登り坂である。峠だから当たり前であるとはいえ、なかなかしんどい。14:00頃ようやく山伏峠(1,100m)を突破。ここから山中湖まではまさにあっという間に到着。ここからは例によって風呂を探し(相場が高く探すのに苦労した)途中暇だったのでMt.Fujiのキーホルダーを皆で買いカツ丼大盛り(¥900)を食す。その後やっと風呂(¥500)に入り(ひょんな事に飯屋の隣にあった)テントは初の神社内に張りPM8:00には眠りについた私であった。ちなみに朝は家でパン、昼は隠田からったおにぎり(奈良漬、梅、何とソーセージ)夜は前述のカツ丼であった。
インダ:
私も眠い出発。西どんより借りていた伝説のオウガバトルをやっていたら思わずAM1:00それから4時までの3時間しかねていない。緊張感がないせいであろう。皆見家に予定通り5時に着き、待つ事30分でやっと出発進行。本日は山中湖まで行く予定であるが、途中の山伏峠(1100m)を超えなくてはならず、辛い。箱根峠(879m)でもかなり厳しかったのだから。山中湖まで19kmという所から延々に登り続け、スタミナ切れで飯を食う。のんのんはおむすびを持参しておらず、私の分を3個譲る。山伏峠を越えたら一気に下り坂で山中湖までまっしぐら。こんな時期なのにテニスをやっている連中が結構いるのには驚いた。もう目的地には着いたので安心したが風呂だけに入らせてくれる(安くて)ホテル、旅館などがなく電話帳で探しまくる。ここら辺の相場は1000~1500円と高い中でホテルふじのやが500円とリーズナブ。ここの風呂に入る事に決定。その前に、キーホルダーを買い、夕飯を食う。夕飯はカツ丼大盛り(900円)であったが、その隣がほてるふじのや(オウムが挨拶していた)であった。風呂上がり後は余りこぎたくないのだが、寝床が見当たらないので籠坂峠を登って表富士方面に抜け、須走の交差点付近の神社でテントを張って寝る。一応バチが当たらないように挨拶してから寝た。8:00頃である。
ミナミル:
学生生活最後の自転車旅行と富士五湖めぐりと富士山の新五合目に上る事に決めついに我々は旅立った。前日までは浅野屋で合宿(?)だった為集合時間の5時に目を覚ます醜態。我ながら先行きが不安だ。結局5:30過ぎに出発し、一度ノノガキ邸へ雨具を取りによった後本格的な旅が始まる。九州旅行以来体を鍛えていなかったのでかなり辛い。道志道の入り口、青山交差点から少したったところで朝飯を私1人だけとる。この辺で3人ともかなり疲れた状態。その後小刻みに休息をとりながらも両国橋などを突破。つり橋のある所で昼食を食べる。その後の走りはもう食事の楽しみが無くなった為かえらく大変だった。特に山伏峠を越えるまでは尋常な辛さではなく自転車をひきづりながら、3人ともグロッキー状態。なにせ、今まで我々にとって最高だった箱根峠(879m)をゆうに越える1100mの山伏峠。それだけでもう精神的にもダメージは大きい。
なんとか山中湖につき、500円で風呂に入れるホテルふじのやをTelで探し当て、三楽園でカツ丼の大盛り(900円)を食した後ふじのやへ行く。ここのオウムはなかなかしゃべるのが上手だ。そうそう食事前に富士山のかっこいいキーホルダーを見つけ購入。
風呂上がりの後、ローソンで明日の朝食、昼食を買い、籠坂峠を暗闇の中下って須坂の交差点にある浅間神社でテントを張った。籠坂峠をかなり下ったので明日の富士登山に我々3人かなりの不安を感じたのは言うまでもない。
10月15日(日) 晴れ
ノノガキ:
今日は昨日の疲れもあってか予定よりやや遅れてAM5:30頃起床。けっこう寒いが目の前にローソンがあるので便利だ。結局6:45頃出発。体調はかなり万全だが、しょっぱなからじわじわる。とにかく登る。ひたすら登る。果てしなく登る。とどのつまり登る。富士山スカイラインに着くまですら長い。着いてからはもっと長い。そしてやっとのことで水ヶ塚Pに到着。フィルムを買い求めたが24枚撮り(400円)が950円。さすがに暴利である。この後ついに表富士周遊道路に突入。はっきり言って言語を絶するすさまじさ。殆ど手押し。しかもそれすらきつい。100mが長い・・・しかも寒いどころかめちゃ暑い。特に右足の裏の筋が痛いのがいかんともし難い。しかし達に、とうとう、At last富士山新五合目に到着。標高ナント2,400mである。もちろんMTBも入れて写真を撮りジュースを飲みつつしばし休憩。しかし私がジュースを買おうとした際前の人が550円入れておつりをとり忘れたので思わずGET(400円)。よい行いとしてそのうち200円は共通資金に追加した私であった。あれだけの苦労をすればやはり報われるもの。下りの速いこと、速いこと。あっというまに(中略)白糸の滝に到着。そこで抹茶ソフトミックス(¥250)を買い求め食べながら見学。思ったより雄大でよい。夕飯は天丼セット大盛り(¥1,050)を食し、風呂は白糸ホテルのトロン湯(¥1,000)に入る。何がトロンかよくわからなかったが、まぁよしとしよう。テントは白糸の滝近くの公園に張り星など鑑賞した後PM9:00頃にはやすらかな眠りにつくのであった。
(オワリ)
インダ:
激しい道路の脇にあった神社でテントを張ったものだから騒音がひどい。挙げ句の果てに族どもがバク音をたてて何度も走り抜けるのだから、あまりよく眠れなかった。
本日は富士山5合目まで上るというハードな1日であった。標高2400mというのだから、箱根のおよそ3倍という場所だ。富士のすそのは緩やかな上り坂であるが、ひたすら登り続ければ次第に速度が下がる。ギヤ比を前1後1で走ってもしんどい。自衛隊やら米軍基地を横目に我々はちょびっとずつ進み車は事も無げにバンバン通り過ぎて行った。あまりにキツイので手で押してでも進んでやっとこ水ヶ塚Pに着き、少し休んで再び登山。殆どコゲずに手で押すのだから。特に元料金所のあった場所から先は斜度がきつく、5合目まで押しては休み押しては休みして、たった13km進むのに4時間もかかってしまった。5合目の看板前では当然自転車も入れて写真を撮った。皆見がハガキを書いている間、ジュース(値段が高くても飲まずにはいられない)を飲んで休憩。下りは自動車に追い付けるほどカッ飛んで30分弱で下ってしまった。
本日の目的は何とかクリアしたので後はテキトーに今日できる範囲で行動。ということで白糸の滝を見に行き、その大きさに驚きつつも、オプション的地位に追いやられた音止めの滝の素晴らしさに感動した。その後夕食べて白糸ホテルの風呂に入って近くの公園で寝た。
ミナミル:
朝は思った程寒くなく目覚めた。昨夜は暴走族が明け方までエンジンを吹かしていてうるさかったが、疲れていたせいかよく眠れた。朝食をとり、テントをたたみ始めようとした時、地元の人が、「ここにテントを張っちゃだめなんだけど、もう張っちゃったんならしょうがない。旅を楽しみなさい」と有り難いお言葉。我々は6:30過ぎに意気揚々と五合目へ出発。しかし滝ヶ原駐屯地を過ぎた辺りで体力的な消耗が激しく、昨夜買った午後ティー(ストレート)1リットルがいかにも頼りなげ。早くも自転車を押し始める始末。にもかかわらず馬返を過ぎた辺りで外人さん達の集団にたまたま自転車に乗って出くわした時は、挨拶を交わした後彼らの視界から消えるまでミエで自転車をこぐ自分がちょっぴりいじらしい。(もちろん視界から消えた後すかさず自転車から降りて押した)水ヶ塚公園でジュース(150円)とフィルムを購入し、ようやく表富士周遊道路に入る。2合目で写真を撮り、新5合目から8km地点で昨夜買ったおにぎりを食べる。それにしても、我々の前を走り去る車やバイクがとてもうらやましかった。道中の大半を自転車を押し(残り4㎞は自転車をこいだ)なんとか新五合目(2,400m)に到着。駐車場が混んでいるため車が渋滞していた。「2400m新5合目」という看板の前で1人1枚写真を撮りジュース(200円)を飲んだ後、ハガキを書く。5合目にポストがないのが少し残念。4時間表富士周遊道路から5合目に上るのにかかったのだが下りは写真を撮ったりしたのにもかかわらず30分で下ってしまった。その後白糸の滝へ。道のりは快調。白糸の滝で抹茶ソフトクリーム(250円)を食べながら音止の滝、白糸の滝を見学し、夕食をとる。風呂は1000円払って「ホテル白糸の滝」で入る。世界で数少ないトロン薬石を使ったトロン湯が売り物で、かつ健康いいアロエエキス配合のアロエボディーソープも完備しておりさすが料金が高いだけあった。寝床は表富士キャンピング場が閉まっていたのでその前にある公園にする。私が持ってきた星座早見盤を使い星座を研究した後、今日の疲れを癒すべく眠りに落ちた。
おわり
10月16日(月) 晴れ
ノノガキ:
今日はAM6:30に目を覚ましたように比較的余裕の日である。途中人穴に行く前にフィルムを買う。何気なく買って外に出てみると目の前にオウムサティアンビルの看板が・・・。よく見ると検問している。どうやら富士宮本部らしい。思わずパシャリ。人穴はそれらしい所があったが、結局鐘乳洞はなくとりあえず通り過ぎた。が、その後もその姿はなかった・・・。その後比較的登って本栖湖に到着。なかなか美しい。そこの前のそば屋でそば大盛り(¥1,000)を食す。更に5千円札の撮られている場所に行く。その後ついでに本栖湖を1周した後なんとサティアンへ。サティアンで検問している人と混じって写真を撮る。バカ丸出しである。そして精進(しょうじ)湖。特にここは大した事はなく風穴・氷穴へ。(各¥190)風穴もなかなか良かったが氷結は冷え冷えしてるし狭いとこあり万年氷ありと楽しめた。その後軽快に下りながら西湖・河口湖を楽しむ。夕飯は苦労しながら結局河口湖駅の方まで行きカツカレー大盛り(¥850)を食す。風呂は更に苦労し「電気湯」という銭湯で済ますが電気風呂らしきものはなかった。(¥310)テントは皆見が執念で公園を探しそこで眠りに着いたのであった。(おわり)
ミナミル:
人穴(ひとあな)が9:00から入れると知り、今朝はゆっくりと出発する。昨日テレビの天気予報では曇り一時雨といっていたが、太陽が雲の切れ間からときおりのぞきこみ我々の晴れ男パワーのすさまじさを象徴しているかのようだった。(ちなみに全体的には晴れの1日)オーム・サティアン前の潰れかけたスーパーでフィルムを購入し、20世紀日本の犯罪史上最悪ともいえるオーム真理教の支部と思われるサティアンをカメラに収める。その後、人穴と思しき所に到着。想像したのとかなり違い人っ子一人いない。しかも人穴らしい穴も真っ暗闇なので、我々3人、暗黙の了解ですかさずこの場を立ち去る。その後歌を歌いながら本栖湖へ。写真を撮った後昼食に手打ちうどんの見せ"本陣"で天うどん(1,500円)を食す。ところで、この店にいた怪しげな客(推定年齢60才)が上九一色村にあるオーム真理教のサティアン見学を我々に強く進め、急遽訪れることになった。5千円札の裏の景色が見える展望台をよりながら本栖湖を一周。湖の水はとてもきれいで、かつ富士山に傘がかぶっているシーンを初めて見ることができとても満足。一周した後、私がトイレに行き、その後少し来た道を戻り有名な上九一色村、オーム真理教のサティアンへ。途中犬に追いかけられながらも無事到着しサティアンと検問の機動隊の兄ちゃんと一緒に写真を撮る。機動隊の兄ちゃんはなかなか話せる人だった。予定外のサティアン見学を終え、精進湖へ。精進湖は水もそれ程きれいでなく、かつ小さいのでこれといった特徴はない。精進湖をあっさりと後にし我々は富岳風穴・鳴沢氷穴見学へ行く。風穴をあっさり見学し、途中寄生木で写真を撮り、氷穴へ。風穴よりも水穴の方が複雑な構造をなしており(その証拠に隠ちゃんは何度も頭を天井にぶつけていた)とても楽しめた。
鳴沢氷穴を見学し終わるともう既に3時40分をまわっており慌てて根場林道を通って西湖へ。急いでいながらも途中西湖蝙蝠穴をしっかり見学。西湖の道路は車が殆ど通らず快適だった。フィルもを買って西湖で記念写真を撮った後すかさず河口湖へ。西湖と河口湖はトンネルをくぐって目と鼻の先にあり、既に日は山に沈みかけていたが、夜にならずに河口湖へ着くことができほっとした。西湖よりの河口湖は静かでなかなか美しい景色を残していた。夕食は河口湖駅そばにある“食事処ふじそば”でカツカレー大盛りを食べた後、月江駅そばにある電気風呂という名の公衆浴場で疲れを癒す。その後浅間公園でテントを張り1日を終えたのでした。今日は色々な所を見学して有意義でありました。
おわり
インダ:
今回の旅行は4日間行程であり、昨日までの前2日間は鬼のようなハードさであったが、本日と明日の後2日間はそれこそ、天国のようなラクさと言えよう。
本日の行程は8時頃白糸付近から出発し、基本的には本栖湖から河口湖まで(山中湖を除く)富士五湖を実際に見る予定であり、途中観光程度にオウム真理教のサティアンビルが見られたらよいなと思って行動開始。
白糸から少し北上すると人穴という洞窟があるらしく、これは一見の価値ありとそこへ向かった。しかしそれらしきものはあったが、どうもへんぴな場所で一気に見る気が失せて(暗い、じめじめ、ナナフシや蜘蛛などがすぐ近くにいて気持ち悪い、狭い、人気が無いなど)そこを立ち去る。そうそう、この人穴へ向かう途中、オウム富士宮総本部のサティアンがあり、機動隊やら、検問などを行っていた。よく取材される側の反対側からであるが当然写真に収める。予想外の出来事で我々は大満足。さて、そんなわけで(どういう訳?)肩透かしにあった人穴を後に、富士五湖のある裏富士側を軽快に走行。標高800m以上の所を走っている為か、秋のせいか、どちらのおかげでもよいが空気がひんやりとしていて非常に気持ちよい。我々は今回の旅行も含めて4回の自転車旅行(春1回、夏2回、秋1回、冬無し)を経験したのだが、今回が一番走り心地がよい。春の旅行は、一番最悪だ。寒いし、花粉症(我々全員)だし、何といっても雨が多い。夏の旅行はまぁ普通だろう。長期休日がとれるのは最大のメリットだが、暑い。ものすごく暑い。日中の暑さは郵便局などで涼しさを味わう術を体得したおかげでクリアできるのだが、明日への活力を充電する睡眠が困難と来た日にや、食べ物で補充するしかなく太ってしまうのが最大のデメリット。旅行中は食べても、運動するからまだ安心だが旅行から帰っても、過食症は続くのがイカン。ちなみに昨年の北海道旅行前が63kgであったのに対し今現在73kg前後。皆見は変化せず56kg位だとか。やせ過ぎだぞおいコラ。のんのんはおお心の友よ。私と同じ道を歩んでおるらしく62kg位で着々と太り続けておるらしい。秋の旅行はというと、一見春と大差無いのではなかろうかと思われがちだが、実際、経験してみると大違いである。雨は降らずカラッと晴天が続き、花粉症に悩まされることもなく暑過ぎもせず、寒過ぎもせす、紅葉が楽しめるからだ。ただ夏に比べ、日が早く沈むので、快適な時間はそう長くはないというのが惜しむべき点か。冬の旅行は未だかつて経験したことがないが、経験したくもない。我々の旅行は修行や筋トレの様なハードさを時折必要とするのだが、あくまで景色や観光、おいしい食べ物がメインであり、冬の旅行は、単なる修行だ。修行ならまだ得るものがあるが凍死したら何のことやら。故に大学生活最後の冬はおとなしく、ゲームなど(12月1日にバーチャ2が出る)して過ごす予定だ。大分、話しがそれてしまったが、ここでもとの日記に戻る事にする。そう、軽快に走り続けて11時半頃には本栖湖につき、看板をバックに写真を撮る。いつものことだが、その後、湖の写真を撮る時、これまたいつものことで皆見がカメラアングルを神経質なぐらい気にして、近くに人がいないので、湖の岸辺(溶岩がむき出しで、九州の長崎鼻のようだった。つまり足場が危険)の方までいくといって聞かずここら辺ならどこで撮ってもさして変わらんという意見を持つのんのんと私はいつもながらしぶしぶ。ちょうど昼飯時だったので、なにか食うかという話しとなって本陣という手打ちうどんの店に入って昼飯を食す。我々が和やかに食事していたら、ちょっと離れて横に座っていたおじいさん(おばあさんも一緒で車旅行らしい)が、我々の勇ましい格好を見て、どこから来ただの、(オウムの)サティアンはもう見てきたのかとべらべらよくしゃべり、まだサティアンは見ていないというと「今車で見てきて冷やかしてきた。ここからあー行って、こー一手すぐだよ。車で10分位だから自転車なら30分ぐらいだろう。(この後延々とたわいのないことを話し続けるので省略)」話しによるとサティアンへ行くには来た道を4km程戻るらしいが、記念に(?)行ってみようかという結論に達する我々であった。と、まぁ行くことは行くのだがその前に、せっかく本栖湖に来たのだから、当初の予定通り、5千円札の絵にある、富士山のシーンと同じ所から写真を撮ろうということで本栖湖を半周弱走って目的地に到着。プロのカメラマンらしき人物が(三脚に取り付けた望遠レンズ付きの一眼レフカメラにときおり、のぞき込み富士山の写真を撮っていた)そこにいたので本栖湖、富士山をバックに写真を撮ってもらう。こちらのカメラはバカチョンであったが、“弘法は筆を選ばず”というのでさぞかし素晴らしい写真が出来上がることだろう。その写真を撮ってもらった時、富士山に雲の傘ができていたのだが我々がその場を離れようとした時急速にその傘がふき散らされるかのように薄くなったので、別の人に写真を撮ってもらうことにした。(後日わかったことだが、プロらしき人物に撮って貰った写真にはあまり富士山がきれいに写っておらず、しかも指がレンズにかかっていた。2枚目の方がよかったゾ。)「本栖湖は河口湖や山中湖と違って美しい景色がまだ残っている」とは皆見の言葉だが、実際湖面も鮮やかに澄んでいて、紅葉しかかったまわりの山々も何ともいえず美しかった。開発の手がまだここまで(富士五湖の中では一番西側に位置しており、ややさびしい感あり)来ていないおかげであろうが、5年後、10年後はどうだろうか。いつかまたみんなで来てみたい思いがした。(自転車ではない可能性99、9%)ということで、風景が良かったのでもう半周走ることで本栖湖1周した。本栖湖1周は本日の目的地河口湖へ行く距離を縮めることには何も貢献しない走行であるが、不思議と北海道の道を走っているかの印象があった。九州旅行には車が滅多に通らない時というのがあまりなかった感がある。やはり北海道ならではの思い出なのだろうか。地平線までまっすぐ続く道路を車は時折通り過ぎるだけで、道の脇には牧場が広がり牛たちがモーモー言っている中を我々3人が自転車でガリガリ(懐かしい響きだ。死語)進む。この思い出と本栖湖とはちょっと異なるが、北海道でいえば屈斜路湖の回りを走っていた時と似ている。やはり車は余り通らないというのが第一条件でありこのおかげで車に対する注意が大分薄らぎ、美しい風景に目を向けることができ、リラクゼーションできるのである。さて、本栖湖一周を終えたら、オウム教団のサティアンビルを見ることになっていたので、次の湖、精進湖とは逆方向、つまり来た道を4km戻ることになる。4kmも戻ってまで見に行きたくはないというのが私の心情であったが、いざ機動隊やら遠くにサティアンが見えたりするとすかさずカメラを出してしまう私であった。まぁ「日本の犯罪史上最悪ともいえるオウム真理教」(皆見氏より引用)のサティアンビルなのだから、記念としては申し分ない。さぁ寄り道を大分してしまったので、急いで精進湖へ向かう。途中、長い橋があったが、下は別に川が流れている訳ではない。我々は自転車旅行者だからよく感じることだが、山、谷、山に道路を通す時、大抵がその表面に沿って起伏の激しい道となるのにここにあった橋は山をぶち抜き、谷に橋を架け、また山を切り崩すといった平坦化を行っていたところに感動した。のんのん曰く「自転車旅行する前までは環境保護の観点からもそんなことをしてはならないと思っていたが、今はどんどんトンネル掘れ、切り崩せ、環境なんてどうでもいいから走りやすい道にしろ」(多少のアレンジあり)とにかく感動的な橋ではあったが、一つ難点を発見した。横風である。襟裳岬の横風(道の脇は崖っぷちで恐ろしい為風で押されても大丈夫なように中央ラインの上をずっと走る。これまた危険)とまでは言わないが向かい風となった時は言葉も出ないほど。
精進湖まであと少しというところで、かなり干からびた小さな湖があって、人もまばらにいたのでまさかこれが精進湖?と思ってしまったが、すぐ進むとトンネルがあり、そこを抜けると本栖湖には及ばないもののそこにはものさびしげな精進湖があった。山中湖、本栖湖の時もそうであったが、記念に湖名の看板をバックに写真を撮ってきていたので、当然精進湖もそうしようと思った。しかし、人がいなかった。かなりひなびている。何分か待ったがいっこうに誰かくる兆しがなかったので3日と一緒に撮ってもらう作戦は断念。のんのんには珍しく自ら身を引いたおかげで看板をバックに皆見と私を撮る。まぁ、大した湖でもなかったので別に自分が入っていなくてもいいかという思いは皆共通のことだったろう。精進湖の次はい西湖へ向かうのだが、途中富岳風穴、鳴沢氷穴が見ものということで寄る。鍾乳洞といえば、日原鍾乳洞しか物心ついてからは行ったことがないが、あそこは規模が大きくかなり楽しんだ思い出がある。それに比べるとこちらの2つは雰囲気はよかったのだが奥が深くなくイマイチ。それよりもここら辺は海の真っ只中ということで大木や溶岩、コケ、穴ぼこなどがものすごく、今まで見たことのない風景であった。さぁ西湖へ。という所でこの近くにコウモリ穴というものもあるらしいので寄ってみたが、危険につき立ち入り禁止となって誰もいなかった。西湖の湖沿いに走る道路はこれまた我々以外殆ど何も走っていなかった。先程のコウモリ穴のところでフィルムが終わっていたのでこの道沿いにある時たま見かける店で買おうと思っていたがなかなか見つからず、西湖の写真は撮れないかと思いきや耳の遠いおばあさんが営む(店番かも)民宿風のお店でゲット。ところが今度は西湖の看板が見つからず延々と湖の回りを走り、河口湖へ向かう道路を通り過し、少し進んだ工事現場近くにアレを発見。逆行そのものであったが撮らずに去れるものかといった具合で写真を撮る。西湖からトンネルを通って、すぐに河口湖が現れまわりを走りながら看板を探すのだがやはり開けているなぁと感がひとしお。車もいきなり多くなり人も増え、コウモ差があるとは思わなかった。日も沈み、暗くなり始めていたのに看板が見つからず風呂や寝床をまず近くで確保してメシを食べ明日看板を見つけようとしたがメシを食べる場所(我々の希望する)が見つけられず、動めく。結局そんなことをしている間に看板が見つかり写真に収め夕飯、風呂探しに移行。河口湖駅周辺でメシにありつき次に公衆電話で風呂を探し(電気風呂という名前であったがどこが電気なのという風呂屋であった)近くの公園というか神社で寝た。
10月17日(火) 晴れ
ノノガキ:
確か(2ヶ月ぐらい前の事だから忘れてる)神社の便所にくそしに行ったら、ドアの大きさが違ってて閉まらなかった為開けたままにした。誰か来たらヤバイかなと思ったけど、有り難い事に誰もこなかった。その後出発したが余裕の行程の為駅に逐一立ち寄り野茂のトルネード投法をまねしつつ写真を撮った。(連続写真となっている)何か道はすごい楽で鼻歌まじりだった。昼飯は旅行に1回はつきもの(?)のガストで何かでかいハンバーグ食った気がする。その後相模湖に行き日記を書く。全部書いてる程の余裕はないので出発。何か湖から駅までの道がめちゃめちゃ上ってた気がする。その後また楽かと思ったけど、ジリジリ登りだしついに峠へ。2400mを登りきった我々には400m弱の峠は楽勝だった(ホントか?)その後初日の道を逆戻りPM4:00過ぎには我が家に到着。もちろん写真をパシャリ。その後家で久しぶりにバーチャをしながらたまっている日記をワープロで打った。少しは私の苦労がわかったらしい。平和に今回の旅行は終了したのであった。現在64kgになっているのを付け加えておく。(ベルトの穴が1つ減った。)(おわり)
ミナミル:
まさか平成7年10月17日の日記を翌年の2月14日(この日は卒業旅行オーストラリアの為、ビザを取りに大使館へ行く)に書く事になるとは思わなかった。正直行ってかなり忘れてしまった部分が多々ある。この日は北からの富士山をカメラに収め、立川への帰途に着いた。道は9割がた下り坂でとても楽ちん。昼食は相模湖そばのガストで300gハンバーグステーキとポテトを食べる。ちなみに九州旅行の博多での食事と同じ。食後は湖畔にある公園で休息。余裕の行程である。しかしこの行程にも多少の山場はあった。大垂水峠越えである。富士山の五合目まで登った我々にとって楽勝と思いきやなかなか辛い。隠ちゃんは情けない事に「さっき食ったハンバーグが出ちまう!」と叫ぶ始末。出されては困るので休憩をはさみながら登った。大垂水峠を越えれば後は楽勝。高尾駅の横をすり抜け一路立川へ。結局明るいうちに野々家に到着して、野々垣のおじさんに無事到着した事を喜びあっている我々を撮ってもらう。野々垣の家でたまった日記を書きつつ遊んでいたら野々垣のおばさんが帰ってきてコーラとドーナッツとアイスをごちそうしてくれた。文化的な味に感動。テレビのニュースでは昨日我々が訪れた本栖湖等がオーム事件の関連で写し出されている。そこに写し出された場所は我々にとってもう遠い世界ではないのだ。結局この日は日が暮れるまで野々垣家で旅の疲れを癒した後、私と隠田は家路へと着くのであった。
P.S.今日はゼミの日でしかも卒論発表の順番を決める大切な日。そんな大事な日に「自転車旅行の為休みます」など言おうものなら確実に私の発表が一番になることは明白であった為大月の駅でゼミ員に「今日、俺風邪を引いてゼミに出られない」とTelを入れた。ところが普段から私を信用していないゼミ員は私が野々垣家で旅の疲れを癒している間に我が家にTelを入れ(どうやら酒のサカナにするつもりだったようだ)電話に出た私の母から「昌也は今家にいません」なる言質を手に入れたものだからもー大変。後にそれを知った私は必死にそれを釈明してはみたものの時すでに遅くゼミ員からきつい仕打ちを受けたのでした。
おわり
隠田:
平成8年3月13日(水)、本日大学の成績表を受け取り無事卒業できた事を知る。後は入社まで残り少ない学生生活を楽しむだけである。1週間ほど前にオーストラリアへの卒業旅行から帰ってきた我々+西どんはひとまず学生旅行にピリオドをつける。総じて、この旅行中は何かと試練があり(言語的なものが殆ど)トゲトゲしくなったり、意味不明な行動をとったり、ナチュラルハイ状態になることもあった。嫌な事もあったがそれ以上に得るモノがあったからだろうか。楽しかった思い出が随分多い。社会人になったら恐らくもうできない内容の旅であったので、今度は定年退職後かな・・・でも体力なくなくなっていそう。ちなみに富士山旅行は忘れた~なんてウソだが両氏を参照されたし。
やっとおわりじゃホッホー