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番外編 オーストラリア卒業旅行

ズッコケ旅行記特別編 IN AUSTRALIA

大学卒業が近づく2月下旬。
新メンバー西村を加え、one more summer vacation! を合言葉に日本を飛び出した我ら4人!
海外旅行が初めてでも、英語がダメダメでも、そんなの関係ねぇ!
我らの旅の生き様を刮目して見よ!!

行程表

2月23日 成田空港発(カンタス航空60便 20:30)
2月24日 ケアンズ着
町を探索後、バンジージャンプ(野々垣のみ)ツアーに参加
2月25日 GREAT ADVENTURESのツアーによるグリーン島とアウターバリアリーフのツアー参加
2月26日 RnRのツアーによるタリー川ラフティングのツアーに参加
2月27日 ケアンズ空港発(カンタス航空943便14:15)~アリススプリングス着
2月28日 AATキングス社のツアーによる1泊2日のエアーズロックツアー(全行程バスを利用)に参加(6:45発)
エアーズロック・リゾート村到着後、エアーズロック、Mt.オルガそしてエアーズロックのサンセットを見物
2月29日 エアーズロックのサンライズ見物、登山等を行い再び午後にバスでアリススプリングスへ戻る
3月01日 アリススプリングスの町を見物、ショッピングの後、14:00に"THE GHAN"でアデレートへ
3月02日 アデレート着 カジノ(皆見、隠田、西村)やフェスティバル見物(野々垣)を楽しむ
3月03日 7:45発の"INDIAN PACIFIC"でシドニーへ
3月04日 シドニー着
シドニーの街を見物後ショッピング
3月05日 シドニーの街でショッピング後コアラ・パークを見物
シドニー空港発(カンタス航空21便22:30)~翌日成田着

時差(日本基準)

ケアンズ・・・・・・・・+1時間
アリススプリングス・・・+30分
アデレート・・・・・・・+1時間30分
シドニー・・・・・・・・+2時間

宿泊ホテル

ケアンズ LAKE CENTRAL A GREENTREE INN
アリススプリングス VISTA HOTEL
エアーズロック・リゾート SPINIFEX LODGE
アデレート HINDLEY PARKROYAL HOTEL
シドニー GAZEBO HOTEL

ゲームタイトル

将棋 名人・竜王
王将・王位・王座・棋王・棋聖
西村7冠王からスタート
 
軍人将棋 名人・大将・地雷・スパイ・軍旗
野々垣5冠王からスタート

今旅行キーワード

「様子を見る」隠田氏考案

旅行費(一人当たり)

航空券 90,000円
出入国税 2,600円
列車代 42,400円
ホテル代 約28,350円
エアーズロックツアー 22,400円
グリーン島ツアー 約10,200円 ($126)
タリー川ラフティング 約9,900円 ($122)
CNS-ASP 21,100円
保険料 7,610円
計234,560円
※TC:A$1=約81円で計算
※バンジー・タクシー代・食費等含まず

旅の日記

2月23日(Fri.) 晴

 今日はオーストラリア旅行初日。我々全員、海外旅行初めてのくせに宿から交通、ツアーまで一応全て自分達で計画。親には「ツアー旅行だ」といって安心させたが実は大嘘。100%のハンド・メイド旅行である。ちなみに4人とも英語が98%位話せない。私はこの日、光進堂(本屋)で英会話が載っている本を購入する始末である。しかし、この本がかなり役に立つとはこの時誰も思わなかった。
 ところで、私はなんと前日に38.5℃の高熱(3~4年に1度あるかないか)をひいてしまい非常にピンチであった(そのため、昨日わが家で行われた最終旅行計画会議は寝込んでしまい不参加)。いつもだと3日間は寝込むところを気合いでなんとか次の日には平熱に落とす。何事も気合いが肝心だ。しかし、時々頭がだるくなるのは仕方あるまい。野々垣が「皆見がいけなかったらちゃんと土産を買ってきてやって、その上たっぷり写真を見せながら土産話をしてやろうと思っていたのに。」とほざいていたがそんなことになったら間違いなく私は殺人者になっていたことだろう。
 15:30に玉川上水駅に集まり、成田空港の第2ターミナルに18:10頃に到着する。隠田の時計は早くもオーストラリアのケアンズ時間(日本よりも1時間早い)になっており、その時計にだまされた私は少々焦った。その時計によると搭乗手続き開始の2時間前を過ぎていたからである(ちなみに騙されたのは私一人のみ・・・)。実際は少し早く着いていたので空港内で食事(私はオレンジジュース300円、隠田・野々垣はおろし牛丼800円、西村は焼き肉丼980円とケーキ&その他)をとる。かなり高い。私は家で日本食の食べ納めとしてカツ丼の大盛りを食べていたのであまり腹は減っていなかったが、西村はおにぎりを少ししか食べていなかったようで、かなり腹ぺこだったようだ。成田空港の「旅客サービス使用料」を払うべきなのかの是非に迷った以外は難なく登場手続きはクリア・・・おっと西村はX線検査で多少手間取っていたが・・・し免税店へ直行。西村・隠田は、たばこを1カートンずつ喜々として購入する。確かに値段は安い。私も安さを確認し、孝行息子のサガかつい家にTELし、「欲しい口紅はないか」と母にたずねた。ところが母が欲しいといった高級品でないため免税店にはなく、免税店の店員に聞いたところ「海外のスーパーにはあると思いますが・・・」という返答が。普段遠慮をしない母が妙な時に遠慮したものだから思いもかけないところで恥をかく。
 飛行機(QF60便)には20:10に搭乗できた。我々の席は真中(29D~G)で禁煙席である。そのため、隠田・西村はタバコを吸うために喫煙席へ行きそこで立ったまま吸っていたら「貧血になるから、座って吸うように!」とスチュワーデスに日本語で注意されたそうだ。飛行機の機内食は正直うまくなかった。ちなみにアペリティフに隠田と私は赤ワインを頼む。(ちなみに、隠田はその前にすでにバーボンとビールを飲んでいる。)機内では「9ヶ月」という映画を上映していたが音が悪く途中で寝てしまった(ちなみに4人の中で野々垣が一番早く眠りにつく)。機内では将棋をして時間をつぶしていた。

将棋対戦結果(勝者名―左 敗者名―右)
野々垣―西村 野々垣「名人」を奪取
皆見―隠田 ノンタイトル戦
隠田―西村 ノンタイトル戦
隠田―西村 ノンタイトル戦(2回戦目)

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2月24日(Sat.) 晴のち雨のち晴のち雨のち晴のち…結局雨

 飛行機がそろそろケアンズ国際空港に到着するというコール音で目が覚める。私は入国手続き時の英語の返答に間違わないよう、前日購入した本を読んで一生懸命イメージトレーニングをしたのだが、実際は空港での人国時に何も聞かれず、無造作に入国印を「ポン」と押され少々拍子抜けした。
 ケアンズ到着最初の天候は雨。湿気の多い空気でムッとくる。後にビジターセンターで日本人の観光案内の女性が「ケアンズは5分ごとに天候が変わる」と冗談のようにいったセリフが実は的を得たセリフだったと痛感したように、この日は晴れ(かなり強い日差しがさす)たと思うと雨(日本の夕立を少し弱くした感じ)が降る天気であった。何はともあれ、記念すべき海外旅行初の地ケアンズを我々が無事踏んだのはめでたいことだ。ともあれ、ケアンズ到着は4:50頃とかなり早い時間であったため町に行かず、飛行機のリコンファーム(今旅行初めて英会話らしきものを行う)と記念写真を撮った後、空港内の軽食喫茶らしきところでホットドックとコーラのセット($4)で朝食もどきをとる。格別にうまいとも思わなかったが値段と量の多さに満足。ちなみに私と隠田の支払時に私の$10札のおつり(すなわち$6)がレジの中に不足しており、何やら英語でベラベラ言われたものの隠田曰く「時が解決してくれた」ようだ。
 外が明るくなった6:30頃、なかなか来ない町までのシャトルバスを見捨て、タクシーでケアンズ駅へ行く。駅で恒例の記念撮影をした後そこであるアクシデントに遭遇した。なんと男の外人(本当は我々の方が外人なのだが)が話しかけてきたのだ!4人とも正直びびった。というのも、我々には彼が何を話しているのか分からなかったからである。しつこく話しかけてくる外人も我々が全く分かっていない様子を見て「SHIT!FUCK YOU!」の捨てゼリフ(なぜかこの言葉はすぐに理解できた)を吐き捨て、野々垣の高笑いを真似しながら去っていった。いきなりのこの展開に西村と私は腹を立てたが(あとの2人はどーだか知らぬ)、それと同時に自分達の英語に対する無力さを痛感した。(これは後に「これから日本語をしゃべったらダメだぞ」と言ったとたん急に皆無口になったのが見事に証明していて悲しい。)ビジターセンターが8:30までOPENしないということで、それまで宿の場所の確認をかねて市内を散策(ケアンズの町は碁盤の目のように道がはしっており散策しやすい)。西村はその間荷物が重いためかなり参っていた。ケアンズは思っていたよりもずっと小さな町で、この散策である程度町の様子がつかめてしまった。8:30になりビジターセンターへ行く。そこには気さくな女性(サチコ)がいて、我々のツアーの希望をことごとくかなえてくれた。日本語が通じるので大変助かる。そこでケアンズの予定は次のように決定した。すなわち、本日24日はバンジージャンプ(野々垣のみ)、25日はアウターバリアリーフとグリーン島のツアー、26日はタリー川ラフティングである。ちなみに私はこのツアー料の支払時に、話の分かる人に会ったらすぐ使おうと決め込んでいたサインを間違えたトラベラーズチェックを理由(わけ)を話し使ったところ「しょっぱなから笑かしてくれる」と大爆笑され恥をかいた。その後、レイク・セントラル・ア・グリーンツリー・インにチェックインし、バンジージャンプをする場所まで送迎してくれるバスの発着所横のマクドナルドへ10:35に入る。ちなみに送迎バスは10:45出発だ。私はフィレオフィッシュとオレンジジュースを買って早々席に着いたのだが西村以外なかなか戻ってこない。(ちなみに彼らはビックマックにポテトとコーラ。)私が食べ終わったあたりにやっと2人が戻って来て食べ始めたのだが、なんと窓の外にはもう既にバスが待機しているではないか。あせる野々垣。
 「あと10秒待ってくれ!」
 そう彼は叫び、言葉通り10秒で食べ終え外に飛び出したのだが、願いむなしくその直後バスは発車してしまった。ぼーぜんとする隠田・西村と私。動揺していないと言いながらも顔がこわばる野々垣。5分くらいその場に立ちすくみバスが決して戻ってこないのを確認すると「やっぱ海外は時間に厳しいな。いい経験になったよ」と吹っ切れたような訳の分からぬことをのたまい、再び一路ビジターセンターへ行くこととなった。もちろん、マクドナルドでの食事中にバスがちゃんと時間通り来たのだが、食べ終わるまでそれを無視したため5分くらい遅刻し、結局乗り遅れたとは言える筈もなく、野々垣は必死に考えた末「当初時間通りにバス発着所で待っていたらバスが見あたらず、バスに気づいたときにはおいてけぼりを食らった」とのでたらめの証言をしたようだ(私と隠田は外にいて詳しいことは分からない)。何はともあれ「次はバンジージャンプが終わってから来てね」との言葉をサチコ嬢から頂き12:30に再びバス停へ行くこととなる。それまで時間が余ったのでサンオイル等を買いにスーパーへ行き(ここで北海道限定発売のタバコ「Holiday」を大量に発見)その後いったん宿へ戻った。
 ところでオーストラリアは日本と同じ、車は左側通行である。しかし、信号は縦に配置しており、上から赤・黄・青の順。歩行者の信号も上から赤青なのだが面白いことに日本は赤になりそうになると青が点滅するのに対し、ここでは赤が点滅するのだ。しかも、青になったかと思うとすぐ点滅しだす。それと踏切には滅多に遮断機がついてなく、列車が来ると音がなりランプが点滅するだけのようだ。
 話をもとに戻す。今度はさすがに遅れることなく到着した我々は、この時間帯バンジーチャレンジャーが多いためマイクロバスではなくタクシーでジャンプ地点まで送られた。非常に快適だ。タクシー内では気の良さそうな老人の運ちゃんが2・3話しかけてきたが我々が英語がダメなのを知り黙ってくれた。ジャンプ地点はかなり遠かったが、オーストラリアでは一般道の最高時速が80kmや100kmが当たり前のためわりとすぐに着いた。バンジーチャレンジャーは野々垣のみ。残る3人は見学者。登録手続きをしてから彼が飛ぶまでかなり時間がかかり、途中から大雨が降り始める。雨を避けるために小屋に3人は待避しそこに置いてあったバンジーチャレンジャーを映し出すモニターで野々垣が登場するのを待つ。雨が止み始めて少したってから野々垣がモニターに映り3人落下地点へと急ぐ。彼のジャンプはためらうところを見せない男らしいジャンプであった(本人はかなり怖かったらしい)。でかした野々垣。それにしても、バンジージャンプ挑戦者の日本人の多いことにはあきれた。挑戦者の内9割以上が日本人である。実際、飛び込むだけで$95(ビデオ・写真代は別途)も払うような人種は世界広しといえども金持ち日本人くらいのものなのだろうか。帰りのマイクロバスの中は21人中18人が日本人(外人は子供2人に母親らしき女性1人。しかし3人がジャンプしたところを見ていない)のため、バスの中は日本語の雨あられ。まるで日本国内の観光バスのツアーのようで気分を害したが、運ちゃんが聴いているラジオがかなりの大音量で車内を流れており、それが私の不快を救った。再びケアンズに戻った4人はその後再び買い物をする。買った物は西村が短パンと雑誌、私が日記用のメモ帳と雑誌、その他は、4人分の次の日の朝食等である。スーパーを出ると外は大雨。映画館が入っている建物で多少時間をつぶし、小雨のなか宿(ホテルとは言い難い)へ帰る。宿へ着くと3人はベッドで休み私は昨日と今日の日記を書き続ける。19:00にオーストラリア1日目を祝い、ちょっとぜいたくな料理を取るため「ダンディーズ レストラン」へ雨の中出かける。ダンディーズの名は映画「クロコダイル ダンディー」から取ったとのこと。このレストランは、西村が通っている歯医者(原医院)のご推薦だそうだ。入り口には店長のおうむ(?)がいてちょっと驚く。ここでは、初日ということで$50の高級料理を食す。店員の言っていることはだいたい分かるのだが、テーブルマナーが4人ともなっていない。特にパンを食べたときパン屑があたり一面飛び散ったのはまずかった。また今回の食事で、食前酒の大切さをしみじみと感じた。今回、我々は断ってしまったためその後喉が乾いてつらかったのである。後半、店内で外人の年輩の人たちのグループが肩を組み店内に響きわたる声で歌を歌っていたのがとても印象的であった。さすが外国だ。食後は宿へ帰ってシャワーを浴び、コーラを飲む。本日の最高の瞬間だった。

将棋対戦結果(勝者名―左 敗者名―右)
隠田―野々垣 隠田「名人」を奪取
西村―野々垣 西村6冠王「竜王」を防衛
隠田―西村 隠田名人「竜王」を奪取
本日の名勝負 竜王戦(西村V.S.野々垣)
西村竜王が劣勢を盛り返し奇跡の大逆転を演じる。

西村竜王のコメント
信じられませんでした。まさか1六桂の1手で局面があそこまで変わるとは。

しかし、その後西村竜王は力を使い果たしたのか、隠田に竜王をすかさず奪取される。

現在の成績(将棋)
隠田…名人、竜王(2冠王)
西村…王位、王将、王座、棋王、棋聖(5冠王)

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2月25日(Sun.) 陸―雨 沖―時々雨 夜くもり

 朝6:00にアラーム音で目を覚ます。外は雨。昨日の天気予報では晴れとなっていた(ビジターセンターより)のに昨日より雨足が激しい。晴れると見込んで本来今日タリー川ラフティングを行う予定だったのをアウターバリアリーフ&グリーンランドツアーに変更したのだが・・・。まぁビジターセンターの人には罪がないのでしょうがあるまい。朝食は昨日買った食パンにいちごジャムをつけて食べ、アップルジュースを飲んで済ませる。ちなみに食パンをトースターで焼いたのだが早速真っ黒に焦がしてしまった。う~ん、我々らしい。
 昨日のパンジーバスの経験から、10分前の7:35には宿の前に行き送迎バスが来るのを待つ。失敗は生かさなければならない。雨の中少し遅れて大型の観光バスが迎えに来た。いくつかのホテルをまわって次々とツアー参加者を拾い、やがてバスはフェリー乗り場へ。今度のバスは外人がかなりおり、彼らはバスの中ではとても静かなのが印象的であった(ちなみに日本人はバスの中ではやたら声が大きくうるさい)。クルーザーに乗る前に写真(後に$10で売りつけられる)を撮りいざ出発。クルーザーは激しくスピードを上げながら波を砕き海を突き進むのだが、いかんせんかなり揺れる。西村・野々垣は早速ダウン。特に西村は吐いて係員に心配される始末。ちなみに私と隠田は「どうせ揺れるんだったら(遊園地にある)バイキング並に揺れろよな」などとのんきなことを言って、相変わらず元気。やがて、クルーザーはグリーン島に着く。西村はグロッキー状態。野々垣はなんとかもちこたえる。グリーン島は雲っていたが(途中小雨も降る)、砂浜も海も美しく、海の中は目の前を魚がかすめ魚ではなくこっちの方が驚いた。
 ところで、JTBのガイドブックはトロピカル諸島の項でグリーン島を次のように説明していたのでここに記しておく

 グレート・バリア・リーフの中でも珍しい、珊瑚礁でできた島。一周30分ほどの小さの島で、周囲は白砂のビーチになっている。ケアンズから気軽に行ける島として人気。海中観測館では、ガラス越しに珊瑚や魚を観察できる。

 この島では私と隠田はずっと海で泳ぎ、西村(今ツアー中1回も泳がな・・・いや、ふらついて泳げなかった)と野々垣は途中ワニ園見物にいった。これが西村にとって一番楽しめたイベントだったらしい。この島では2時間楽しみ、我々4人は11:30に次の目的地へ再びクルーザーで旅立つ。相変わらず揺れが激しいこのクルーザーの旅は、西村には相当きつかったようだ。ちなみに目的地は陸ではなく、ひょっこりひょうたん島のように海に漂う海上浮遊基地(?)であるのだから彼にはお悔やみの言葉も見つからない始末である。グロッキーになった西村を残し隠田と野々垣と私はシュノーケリングに挑戦。最初は慣れなかったのだが、慣れるとこれほど便利な物はない。珊瑚の海や様々な色の熱帯魚を間近で観察できすばらしかった。(シュノーケリングで海中に潜った外人を野々垣が溺れて沈んだと勘違いし、あわててその場に駆けつけてみたものの、それが他人と分かり、安心してほっとした拍子に肺に海水が入り自分が溺れそうになった以外は・・・)ちなみに、西村はここでは基地の水中観覧室を見物した以外は寝ていたそうだ。全く哀れとしかいいようがない。基地は多少揺れるが結構広く快適だった。昼食はバイキング方式でメニューの中にカレーがあり、それをおかわりにいったらご飯がもうなくなってしまったのには、ちょっと悲しかった。それにしてもここの海は澄んでいて、珊瑚礁や熱帯魚が美しくすばらしかった。海がこんなに素敵なところだとは今まで思ってもみなかった。ダイビングだったらもっとすばらしかったに違いない。ここは「また来たい」そう思えるところであった。
 ケアンズに帰ると外は大雨。バスで宿の前につけてもらい、じゃんけんでシャワーの順番を決める。私は最初2番だったのだが仕切直しで3番に転落(隠田・野々垣・私・西村の順)非常に無念だった(そのかわり順位が上がった野々垣は勝ち誇っていたが)。私の番がまわってくるまで野々垣と将棋をし、その後軍人将棋タイトルの検討を行う。夕食は外でケバブ(意外とうまい)を食し、散歩の後再び宿で軍人将棋のタイトルを検討。結局5つ(名人・大将・スパイ・地雷・軍旗)を決め、早速軍人将棋のタイトル戦に興じる。私は眠いので熱戦を横目にさっさとベッドに入って寝たのであった。

軍人将棋対戦結果(勝者名―左 敗者名―右)
西村―野々垣 西村「スパイ」を奪取
野々垣―隠田 野々垣4冠王「地雷」を防衛
西村―隠田  西村スパイ「スパイ」を防衛
野々垣―隠田 野々垣4冠王「地雷」を防衛

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2月26日(Mon.) 晴時々雨

 今日は6時に起きるつもりが寝坊して6:20に目を覚ます。そのため朝食を食べずにタリー川ツアーに参加するはめに。ちなみに隠田はちゃん。6:00に目を覚ましたのだが、みんながまだ寝ていたので自分も皆を起こさずに寝にはいったと誇らしげに語っていた。さすが隠田である。(血圧が上がる)
 タリー川まではバスで移動したのだが結構時間がかかり、腹が減った。今日は午前中から良く晴れており、日に焼けそうであったため(昨日はくもりであったのにもかかわらず日に焼けてしまい既に背中が痛い)たっぷ日焼け止めクリームを塗ってラフティングに望む。我々のボートに付いたインストラクターは日本人でその名をハヤトといい、通称BOBと呼ばれる楽しい人だった。ボートは8人乗りで、我々4人とBOB、そして男(卒業旅行)2人と女(社会人)1人の計8人だ。ラフティングはインストラクターを除いて全員初めて。激流の中全員インストラクターの指示に従って(西村は「全員前漕ぎ!」の指示の時、誤って後ろ漕ぎをしてしまいオールで頭を叩かれるアクシデントがあったが・・・)必死。しかし、次々とポイントをクリアーしていく内に次第にこつをつかみ余裕が生まれてきた。ちなみに不可抗力で川に落ちたのは隠田のみ。しかもトータル2回というダイナミックさ(川に落ちた隠田にBOBが「あそこは落ちる場所じゃないよ」という一幕も)。ところで今回の西村は船酔することなくとても楽しめたそうだ。午前中2時間漕いで昼食休憩。昼食の内容はハンバーガーとフルーツ。うまかった。後半は3時間漕ぐ(今日は水の量が多かったためいつもより長い距離遭いだそうだ)。途中、西村、野々垣と他の一人がインストラクターの変わりにキャプテンを務めたりもした。タリー川ラフティングはとても疲れたがそれ以上に充実した1日を過ごせ、とっても満足であった。
 宿に戻って私はすぐシャワーを浴び(じゃんけんで1番の権利をかちとる)、その後夕食と買い物のため外へ出る。ところで食事前に宿のコインランドリーで今旅行初の洗濯をした。夕食はハンバーガー2つ。かなり量があった。食後はゲーセンに行きゲームをした後、宿で昨日に引き続き軍人将棋をする。私は昨日同様それを横目にさっさと寝てしまった。

軍人将棋対戦結果(勝者名―左 敗者名―右)
野々垣―西村 野々垣4冠王「スパイ」を奪還し再び5冠王になる。

野々垣5冠王のコメント
(普段より1オクターブ高い、歌うような調子で)独占っていい気分ですね。

野々垣―隠田 野々垣5冠王「地雷」防衛
野々垣―西村 野々垣5冠王「スパイ」防衛
隠田―野々垣 隠田「地雷」奪取
西村―野々垣 西村「スパイ」を再び奪還
隠田―西村 隠田地雷「スパイ」を奪取し2冠王になる。

現在の成績(軍人将棋)
野々垣・・・名人、大将、軍旗(3冠王)
隠田・・・地雷、スパイ(2冠王)

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2月27日(Tues.) 晴

 今日はケアンズを立つ日。そういう日に限って良く晴れるものだが、我々の旅行も例外ではないらしく朝からとってもいい天気である。まさに快晴だ。6:30頃目を覚まし、身支度をした後、ケアンズの朝の様子(晴れた日の)を見ておきたく一人で朝の散歩に出かける。3人は、久しぶりに早起きする必要がないため、昨夜は遅くまで軍人将棋に興じ、今は熱睡状態だ。カメラをもって、裸足でケアンズの町を歩くとなかなか気持ちがいい(ケアンズのかっこいいスタイルは、裸足・短パン・ノーTシャツだそうだ。本当かどうか知らんけど)。所々、ケアンズの町並みをカメラに収め、途中腹が減ったので店でオレンジジュースとドーナッツを食べる。なかなかいける。そして食後久しぶりに家に電話をかけた。$1硬貨がなく、¢50・¢20・¢10で初めて国際電話(0011-81-0を除いた市街局番と電話番号)をかけたが話せる時間が短いのに驚いた。
 宿はせかされながらも10:00にチェックアウト。西村の多すぎた荷物を家へ送り返すため郵便局へいく。彼は、この時期半袖・短パンでOKのこの国にやたらと厚手の衣服を持ってきていたため荷物がとんでもなく重かったのである。郵便局で、段ボール2つ分の荷物を家に送り返し、その後我々は、昨日のラフティングの写真をとりに行き(西村・隠田はここでTシャツも購入)、ついでに西村が前々から目をつけていた近くにあるアイスクリーム屋で各々アイスクリーム(隠田はチョコパフェもどき)を食べる。うまい。アリススプリングス行きの飛行機(14:15)にはまだ時間があったので、西村と隠田の帽子を買いに町を徘徊。2人ともとてもお似合いの帽子を購入できた。私も欲しくなる。ちなみに私もこの時間を利用してサンダルを購入した。
 空港へは13:30に着き搭乗手続きをする。私のネイティブ・イングリッシュのおかげ(?)で今回は窓際の席を確保できた。飛行機の中は狭かったがなかなか快適。軽い昼食も出され、腹が減っていた我々にはうれしかった。それにしても、空から見るオーストラリアの道はあきれるほどまっすぐに作られており驚く。空から見た下の景色はうっそうと茂った緑の森から赤茶けた痩せた土地に変わっていく。
 アリススプリングス空港にはアリススプリングス時間(ケアンズよりも30分遅い)で16:30に着く。空港から我々の泊まるビスタホテルまではタクシーで行く。運ちゃんは飛ばし屋で、空港からホテルまではかなり距離があったのに結構早く着いてしまった。ちなみに料金は$17弱。愛想のいい運ちゃんであった。
 ビスタホテルはアリススプリングスの町の中心からかなり離れたところに位置しており、アリススプリングスの町を歩き回ることができずちょっと不満だったが、部屋は2人部屋で広くそして整っており快適である。このホテルはカンガルーを飼っており、宿泊客が自由に柵の中に入ってカンガルーに触れるといった特色を持ち合わせていた。隠田・西村はカンガルーをたいへん気に入り、あるカンガルーに勝手に「ピッピーちゃん」なる名前をつけて喜んでいた。
 夕食はこのホテルの周りには何もないため半強制的にこのホテルのレストランで済ますこととなる。それぞれ異なるメニューを頼み、私はサーロインステーキを食べたのだが正直うまくなかった。ちなみに、ここでの食事でオーストラリアでは肉の焼き具合をミディアムにしたかったらレアと頼まなければならない点とご飯は決して頼んではならない点を学ぶ。私と西村はご飯も頼んだのだが、これを食べるのは拷問に近いものがあった。ところで、レストランでは西村が昔のアニメにやたら詳しいことが判明し、3人をびびらす一幕もあった。
 食後、隠田は家に電話を入れようとしたが失敗。今日は、久しぶりに風呂につかって寝た。ちなみに部屋割りは、野々垣・皆見が171号室で隠田・西村が173号室である。 (ちなみに、部屋割りはこの先ずっと変わらない)

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2月28日(Wed.) 晴

 今日はAATキングス社のツアー(これは日本から申し込んでおいた)に参加し、エアーズロックに行く日。5:45に西村に起こされ目が覚める。6:35にはホテルの前でツアーバスに合流しなければならないので6:00位に昨夜のシストランでバイキング方式の朝食をとる。料金は$13。
 乗り遅れることなくバスに合流し、英語ガイドによるエアーズロックツアー(日本語ガイドは高いのでやめたのだ)が始まった。バスによるアリススプリングスからエアーズロックまでの行程はかなり長いものであった。しかし、バス旅行ならではのゆったりとした旅行気分を味わえ、かつバスならではのイベント(途中、らくだに乗ったり($3)、ちょっとした店でうまいパンをごちそうになる)を経験でき楽しかった。(窓の外の景色が変わらないのには参ったが・・・。)それにしても、エアーズロックへ行く道の両脇にやたらとタイヤが捨ててあったのが謎である。やはり熱い路面の上を高速で走らすとパンクしやすいのだろうか。エアーズロックの宿(スピニフィクス・ロッジ:決してホテルではない)に着く手前(手前と行っても100km以上離れている)でアマデウス湖(ソルト・レイク)とMt.コナーを見物する。まぁまぁの眺めだ。
 バスは昼にエアーズロック・リゾート村に到着し、宿にチェックインした後昼食を食べに出かける。やたらと蠅が多いのにうんざりした。それと観光客相手の場所柄食事の値段が高いのが不満であった。14:35に再びツアーのバスに合流することになっていたのだが、そこで1つのアクシデントが起こった。時間になっても我々の宿の前にバスが来ないのである。そうこうしているうちに、宿の受付の人が我々を呼びにきてAATキングス社のツアーの人は「Sails in the Desert Hotel」の前に集まらなければならないことを教えてくれた。どうやらバスの中でその説明を受けたらしいのだが我々4人だれ一人そのことを理解できなかったらしい。そのため、我々4人のせいでバスを数分待たせてしまった。
 午後のツアーは、まずエアーズロック(本当はアボリジニが名付けた「ウルル」という名が正式名称)のそばにあるアボリジニの民族博物館見学から始まった。アボリジニの絵は点で構成されるのだとあらためて感じ、そしてその絵に見慣れてくるとなかなか味のある絵だと思い始めるから不思議だ。今旅行中にどこか安いところでアボリジニTシャツを買うと誓う。ここで私と野々垣、そして隠田は絵はがきをそれぞれ購入する。その後、再びバスに乗って、エアーズロック登山口を見物し、Mt.オルガのビューポイントへ行く。このビューポイントはMt.オルガを一望でき、かつエアーズロックも眺められるという贅沢な場所であった。そして次の目的地はMt.オルガの麓である。そこは1時間の休憩であるためMr.オルガを存分に散策する。雄大な景色に圧倒されるが、少々歩き疲れた。岩に反射した光が足にあたりそこが緑色っぽく見える。Mt.オルガの散策コースを突き当たりまで行くとそこにベンチ等があり皆写真を撮っていたのでもちろん我々も休憩しつつ写真を撮った。野々垣は、今日の日のためにわざわざミネラルウォーターを買っていたのに宿に置き忘れてしまいくやしがっていた。ところで、ここである外人が野々垣に話しかけてきた。どうやら彼のもっているビデオカメラで自分のことを撮ってくれと言っているらしい。一つ返事で野々垣君、ハリウット仕込のカメラさばきで様々なアングルからその外人を撮ってあげるサービスを披露した。彼は相手が何者であろうと自分のペースを崩さないから偉大だ。1時間の休憩が終わり、バスに乗って次はMt.オルガの全景を今までとは違う角度から眺められるところで少々休憩する。ここではMt.オルガを背に4人、壊れかけたベンチの上に立ち、日本語ぺらぺらの観光バスのガイドの女性に写真を撮ってもらった。そして、いよいよ次の目的地がエアーズロックのサンセットがきれいに見えるビューポイントである。ちなみにエアーズロックは今旅行の目玉。私は、今日という日が晴れてとてもうれしく、サンセットの光景は非常に楽しみにしていた。サンセットの光景は実際はパンフレットの表紙に載るような真っ赤の色にはならなかったが(隠田曰く、そのような色になるのは年に1回ぐらいしかないらしい・・・もちろん彼のいうことは後に「東スポ隠田」といわれるようにあまり当てにならないが)、確かに岩肌が次第に赤い色へと変わって行きとってもinterestingであった。この辺りは太陽に光を遮るものがなく19:00を過ぎてもまだ明るかったが、さすがに砂漠もどきのような場所であるため日が沈むとちょっと肌寒い。
 夕食は、ショッピングセンターのレストランでピザを2枚(結構量がある)頼み4人で食べる。ショッピングセンターにはこのレストラン一つだけしかないため、混んでいて食事にありつけるまでずいぶん待たされた。しかし、ピザの味に関していえばうまかった。食後は宿に帰り、私は金杉とわが家に手紙を書き、その後今日の出来事を日記に記す。3人はそんな私の横でUnoに燃えており日記を書き終わったら強制的に参加させられる気配である。

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2月29日(Thu.) 晴

 今日は4年に1度の2月29日である。朝4:00に起き、昨夜買ったハンバーガー(ベジバーガー)を電子レンジで温め、ファンタオレンジを飲みながら食べる。5:15にツアーバスに乗るため早起きなのだ。
 ところで、今回我々が泊まった宿についてコメントしていなかったのでこの場を借りてちょっとしてみたい。まずランクについて。今回のAATキングス社のツアーには選べる宿が4つほどあったのだが我々の宿(Spinifex Lodge)は一番安い宿である。実際、我々が泊まった宿(電車を除く)の中で一番ひどかった。まず、一部屋に2段ベッドが2つあり、部屋の広さは6畳ぐらいで絨毯は汚い。トイレ・シャワー(風呂はもちろんない)は部屋になく外にあって共同で使う。ちなみにシャワー(2つしかない)は洗面所の中に設置されている。とまぁ、こんな状態である。しかし、安いし一泊しかしないのだから、まぁこれで十分だ。第一、昔の自転車旅行時のテント(このテントは最悪で狭いし雨が降ったら上と下から水が漏ってくる)に比べたら天国みたいなところである。
 宿の話しはこの位にしておいて、今日のツアーの内容はというとメインイベントのエアーズロックのサンライズ見学と登山である。まだ日が昇っていない暗い中ビューポイントに着く。眠いしさすがに寒い。しかし、やがて地平が白み始め徐々に辺りが明るくなり、エアーズロックがその色を華麗に変えていく。自然が作り出す美しさを感じる一瞬だ。皆がその一瞬を逃すまいとある人はカメラのシャッターを切り、ある人はビデオにその姿をとらえ、またある人はスケッチをする。生まれた国がそれぞれ違ってもその美しさの価値は共有できるのだ。
 太陽が完全に昇った数分後、我々は再びバスに乗り次のイベントであるエアーズロック登山に挑戦するため登山口へと向かう。登山口はエアーズロックに対し太陽と反対の方向にあり、日陰のためまだ寒い。エアーズロック登山は見た目楽勝かと思っていたのだが、その考えの甘さは登り始めてすぐ思い知った。まず、登りが急すぎる。しかも、登り疲れて時々体憩するのだが座っていても斜面が急で落ちつかない。その上風が強いのにはたまらない。眼鏡が吹き飛ばされそうになるので、手でおさえながら私は登ったくらいだ。もちろん、4人とも帽子をリュックにしまいこんでいる。苦労しながらもやっとの思いで終点の頂上に着き、エアーズロックからの眺めを解説したポール(?)の前で写真を撮る。その時、そこでビデオカメラを持ってそのポールを撮影していた外人も一緒に写ることとなった。なかなか陽気な人であった。それにしても、エアーズロック山頂からの眺めは最高である反面、非常に危険を伴う登山であると感じた。
 登山後、下に再び降り時間があまったのでトイレに入った後(ちなみに私は登っている最中から無性に行きたかった)ベンチに座って野々垣とゴダイゴの歌についてあれこれ話しをし、隠田と西村はその間アーズロックの周りを散歩していた。ところで本当にこの地域は蠅が多い。あきれるぐらいぶんぶん飛んでいる。しかも、迷惑なことにやたらと人間の体にとまろうとする。足や手にとまるのはまぁいいとして顔や耳や眼鏡の内側にとまるのは勘弁ならない。さすがの野々垣も最初は「虫を愛でる」などとほざき、博愛精神の塊のようなことを言っていたのだが、蠅の半端じゃない多さに途中でその路線を変更し、切れてしまったほどだ。9:30にちょっとしたゴタゴタがあったが迎えに来たバスに乗り、かつてアボリジニが描いた壁画やウォーター・ホール等を見学する。その間バスの運転手が英語でなにやら解説してくれたが、理解するのが困難でかつ頭をフル回転させるため疲れた。その後、昨日と同じアボリジニの博物館へ行き隠田・西村はアイスクリームを野々垣は一足早い昼食を食べる。野々垣の食事はあまり満足な味ではなかったようだ。食後、ついにエアーズロックを後にしリゾート村に戻る。エアーズロック・Mt.オルガはもう十分堪能できた。
 昼食はショッピングセンターで昨日と同じハンバーガーと鳥のからあげを買って済まし、郵便局(ここで、野々垣の持っていた$1硬貨のうちの1枚が実はニュージーランドの$1硬貨と判明。どこかで買い物をした際おつりにもらった中に紛れていたようだ。野々垣、激怒ス)でわが家と金杉に葉書を送った後宿に預けた荷物を回収した。30分位時間があまり野々垣と将棋をし(もちろん私の圧勝)、13:45にバスに乗って一路アリススプリングスへ。19:00位になつかしのビザホテルに到着し、シャワーを浴びた後洗濯する。(その間、隠田・西村は近くにあるカジノを偵察にいった。)夕食はホテルのレストランで食べ、部屋に戻って4人でUnoをする。その途中、テレビでXファイルが始まりUnoをやめ隠田とともに観る。内容は何となく分かった。私も英語に慣れてきたのであろうか。(←我ながらおめでたい)

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3月1日(Fri) 晴

 8:00(日本時間7:30)、予定通りに目が覚める。今日の予定は「THE GHAN」に乗ってアデレート(翌日着)に旅立つことだ。前回同様レストランで朝食をとる。(ここで野々垣は、本人曰く中学時代以来久しぶりにコーンフレークを食べたそうだ。)10:00にチェックアウトする予定だったのでそれまでに荷物をまとめ、余った時間で「ニューヨーク東8番街の奇跡」をテレビでみる。昨夜のXファイル同様なんとなく内容が分かりうれしい。
 ホテルで飼っているカンガルーに別れを告げ、ホテルで呼んでもらったタクシーに乗りまずはアリススプリングス駅に行く。ザ・ガン(この季節は週に1本しか走っていない)は既に到着していたが、出発30分前からの乗車ということで(すなわち13:30)それまでアリススプリングスの町で買い物をすることになった。(どーでもいいが、この国の列車は非常に長い。)私と野々垣はここで前々から欲しがっていたカーボーイハットを隠田はウイスキー入れを購入(ちなみに私はカジノ用の$10の襟付きシャツも購入)。ショッピングセンターの中で食事(私と西村はピザを食べる)をし、その後電車内での軽い食べ物をスーパーで買って、発車時刻の10分前位に列車に乗り込む。部屋割りは野々垣・皆見と隠田・西村。部屋は2等寝台(私は1等寝台がいいと主張したが却下されたのだ)で狭いのだが最低限必要なものは全てコンパクトに揃っていた。14:00にザ・ガンはアリススプリングスの駅を出発。列車は昨日バスの中で見たのと同じような景色の中を延々と走っていく。ラウンジで休憩(ここで隠田がアリススプリングスで買った葉巻を1本もらい吸ってみるがむせてしまう。西村曰く「葉巻は肺にいれず口の中で煙の味を楽しむ」のだそうだ。私には合わなかったらしい)後、16時前に食堂で軽くハンバーガーとコーラを食し、食べているシーンを通りかかった日本人(シドニーでその人の名を「さの」さんということを知る)が撮ってくれた。その後、4人でUnoに興じたのだが隠田の負けっぷりはすさまじいものであった。ところで、Unoにあまりにも熱中してしまったため私は2つの大ポカをしてしまった。1つは車内から地平線に沈むサンセットを見逃したこと。もう1つはディナーを食べ損ねてしまったことである(腹は減っていなかったが車内でのディナーを楽しみたかった)。Unoなどといういつでもできる遊びで大切なものを見逃し自分にあきれ、腹が立った。結局夕食は皆ホットドック(私)やハンバーガーといった味気ないものに終わった。ちなみに野々垣は、裸足で食堂車に行きウェイターに注意され追い返されるアクシデント発生。外国の食堂ではノーシューズ・ノーシャツはダメだと聞いていたが、野々垣君が身をもって証明してくれた。食後は恒例の将棋・軍人将棋・トランプ(大貧民)をラウンジで遅くまでおこなった。

将棋対戦結果(勝者名―左 敗者名―右)
野々垣―西村 野々垣「棋聖」奪取
隠田―野々垣 野々垣すかさず隠田名人・竜王に「棋聖」を奪われる
隠田―西村 隠田3冠王「棋王」奪取。4冠に

軍人将棋対戦結果(勝者名―左 敗者名―右)
野々垣―西村 野々垣3冠王「軍旗」防衛
隠田―野々垣 野々垣3冠王「軍旗」を失い2冠に
西村―隠田 西村「スパイ」奪取
西村―野々垣 西村スパイ「大将」を奪取
隠田―野々垣 隠田2冠王「名人」奪取。野々垣ついに無冠になる。

現在の成績(将棋)
隠田・・・名人、竜王、棋聖、棋王(4冠王)
西村・・・王将、王位、王座(3冠王)

現在の成績(軍人将棋)
隠田・・・名人、地雷、軍旗(3冠王)
西村・・・大将、スパイ(2冠王)

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3月2日(Sat.) 晴

 6:30に目が覚める。私のベッドは上で柵がないため(しかも電車は結構揺れる)落ちはしないかと心配したが大丈夫だったようだ。昨夜はアデレート時間(アリススプリングス時間より1時間早い)1:00過ぎまで大貧民をやっていたが、ザ・ガンからの日の出を見たかったので根性で起きる。3人は私よりも寝るのが遅かったため、起こしてはみたものの朝日を拝む気力はなかったようだ。というわけで、しかたなく私一人ラウンジで日の出をみる。地平線が燃えるように赤くなり、やがて日が昇って自いく様子(正確には太陽が顔を出す瞬間は食堂車で朝食をとっていたため見逃してしまったが)はすばらしく、それだけで今旅行に列車の旅を入れた価値があったと確信した。列車は一度Port Augustaで20分くらい停車したためアリススプリングス以来初めて電車から降り、カメラを手にザ・ガンの先頭写真を撮った。本当はもっと色々な写真を撮りたかったのだが乗り遅れてはシャレにならないためこれ1枚のみで終わったのは残念(外に出たのが遅かったのだ。実際、旅行者の中には外へ出ている間に列車が発車してしまい、それに気づいた車掌があわてて列車を止めるといったことがおこったのだ。ラウンジでは昨日会った京都から来た我々同様卒業旅行をしている3人組(後に、さの・しば・高中という名だと知る)に会って色々話をする。彼らも翌日はINDIAN PACIFIC(インディアン パシフィック)に乗ってシドニーに行くとのこと。
 列車はアデレート時間の12時くらいに着きそこからタクシーに乗りHINDLEY PARKROYAL HOTELにチェックインする。このホテルは我々の旅の中で一番豪華なホテルであった。タクシーを降りた瞬間ポーターが来て我々の荷物を運んでくれたのだがこんなことは今までなかった。部屋は今までと比べようがないほどすばらしく、さすが一泊$275(一人$137.5)するだけのことはあると感じる。このホテルはアデレート駅(=カジノ)からも近く、周りはショッピング街でとても立地条件が良かった。ちなみに、このホテルは日本からアデレートのホテルの手配を頼んだ際、手違いで他の安いホテルが埋まってしまい、しかたなくこのホテルになったといういわくつきのホテルである。しかし、今となってはまぁ1泊くらいいいホテルに泊まってみるのもいい経験だと思っている。ちなみにホテルの部屋の中は写真を参考にしてもらいたい。部屋に入って、早速シャワーを浴び、昼食を食べにゴウジャー・ストリート(Gouger St.)へ行く。ここで、中華料理(今旅行初)を食す。とびきりうまい。北京ダック、マーボードーフ、チャーハン等全てうまかったものの、私と西村は食べきれず途中でダウン。人間ポリバケツの異名を持つ野々垣・隠田コンビが結局全てを処理してくれた。ちなみに、ここでは北京ダックで残った肉の調理法をめぐって一波乱が起きた。肉の調理法を聞かれたのだが、英語であったため何を言っているのだか分からず、しかも4人とも北京ダックを今まで食べたことがなかったので言っていることの見当すらつかなかったのである。結局、その場はわずかに聞き取れた「ヌードル」に落ちついたのでした。
 店を出たのは、16時過ぎ。博物館等は17時に閉まってしまうため急いだのだが、迷ったりしたため時すでに遅く、入り口で無念のUターン。しかたなく博物館に飾られている鯨の骨をバックに写真を撮り引き上げる。ところで、アデレートの街は17時になると街のほとんどの機能がストップしてしまうようだ。この街で西村が一番楽しみにしていたショッピングも17時を境に次々の店が閉まってしまい、大道芸人や食堂以外なにもなくなってしまった。アデレートは大きな街(都市といってもよい)なので驚くべき光景である。
 今回の旅行で我々に一番縁があった街はどうやらアデレートだったようだ。そういった意味では、着いた次の日の早朝、この街を出るのは残念である。(電車の関係でしかたなかったのだが。)というのも、アデレートは偶数年の3月にフェスティバルが開かれるらしく、なんと我々が訪れた時期はまさにその開催日(3月1~17日)のさなかであったからである。その模様は、フェスティバルセンターから撮った写真を見て欲しい。私と西村、隠田はカジノに行ったためその模様はちらっとしか見なかったが、野々垣は我々がカジノに行っている間見物に行ったようだ。
 カジノは私と隠田、西村(彼らは、アリススプリングスのカジノでは入り口までで中には入っていない)の3人とも初めての場所である。ちなみにアデレートのカジノはアリススプリングスのようにネクタイ・革靴が必要などという訳の分からぬことをいってこない(Gパンでも入れるぐらいだ。しかし、襟付きのシャツは必要。ちなみに女性はほとんど着飾っており、男性も、もちろんラフな格好の人もいるがたいていジャケットもしくはスーツにネクタイをつけていた)。この日のために、アリススプリングスで買った$10のシャツを着て中に入る。カジノは、映画でみた光景と同じで、華やかな場所である。扉を開けたすぐ目の前ではたくさんの客がルーレットを囲っていた。全ての台で、客とディーラーの呼吸が合っており、ゲーム展開が非常に早く我々がいきなり挑戦するのはためらわれ、まずはエスカレーターに乗り2階でスロットマシーン等を行うことにした。とりあえず$20ぶんを全て$1硬貨にしてせこく遊んでいたのだが意外にも少しづつ儲かり始め、気がつくと最初の倍以上になっている。(西村も好調で隠田は前半は不調であったが後半キーノ(KENO)で盛り返す。)しかし、1つの台でなく、いろんな台を経験しようということとなり、途中台から台へ渡り歩き始めたのが運のつき。気がつくと3人ともコインがほとんどなくなってしまった。機械相手にも少々飽きたので次は対人戦である「ブラックジャック」をこれも$20ぶん挑戦。ブラックジャックのHIT、STAND、スプリット、ダブルアップのしかたが最初分からず、またゲーム展開の早さにためらって、我々3人がいるテーブルは他のテーブルに比べスムーズさに欠けた。またその上トンチンカンなことをし、ディーラーや周りの客に笑われた(嫌みな笑いではない)が、要領を得てくるとディーラーとのやりとりを楽しめる余裕も生まれ、結果的にはもちろん負けてしまったがいい経験になり楽しかった。結局西村が再度ブラックジャックやルーレットに挑戦し、カジノを出たのは夜の23時。私の負け金は日本円にしておよそ3千円強といったところ。カジノから1ブロック離れたホテルへの帰り道、マクドナルドでビックマックとポテトとコーラーを食し、その日は野々垣とテレビを観た後眠りについた(じゃんけんに負けてしまい野々垣は大きなダブルベッドなのに私は簡易ベッドになってしまった。非常に無念)。西村達はホテルに帰った後ゲームセンターへいったようだ。

P.S.
 本日なんと野々垣に将棋で負けてしまった。しかも屈辱的な負け方である。やはり獅子は兎を狩るのも全力を出さなければいけないなという教訓を得た。

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3月3日(Sun.) 晴

 今日は7:45にインディアン・パシフィック(INDIAN PACIFIC)に乗るため6:00に目を覚ます。インディアン・パシフィック号は週に2本しか走っていなくザ・ガン同様観光客に人気のある列車だ。フェスティバルをじっくり観ていなかったのと、アデレートの街が気に入ったためアデレートを去るのが心残りだがしかたあるまい。タクシーで駅に向かう途中、運転手の女性が我々が昨日この街にやってきて今朝去るのを知り「せめて1週間はいなきゃだめよ(訳:戸田奈津子 ウソ)」と笑っていた。我々もそうしたいのはやまやまなのだが・・・。駅で昨日の日本人3人組(名前はのちにシドニーで分かる)に再び会う。彼らはフェスティバルをやっていたのを知らなかったようだ。列車をバックに写真を撮り、インディアン・パシフィック号に乗り込む。部屋割りは前回同様、野々垣・皆見(じゃんけんで再び負けてベッドはまたも上)と隠田・西村。部屋の様子はザ・ガンとほとんど変わらない。隠田・西村は早々にベッドを作り寝にはいるが、私と野々垣はシドニーのポイントを本で調べる。そしてだいたいの見当をつけたあたりで我々も寝にはいるのであった。
 車内放送で「ブロークンヒル(映画マッド・マックスの舞台)で15分ほど止まる」と流れ、その音で目が覚める。アデレート時間の15時くらい。どうやらランチは逃したらしい。ブロークンヒルで列車を降り、写真を撮ってから車内で前回同様大貧民に興じる。今回は隠田の調子がいい反面、野々垣が最悪。18時になり、混んでいたため多少待った後列車内で初めてのディナーを楽しむ。なかなか美味。ウェイターが写真を撮ってくれた。食後も再びトランプ。もちろん大貧民。喫煙室で遊んでいるためけむい。ちなみに周りの外人も我々に触発されたかトランプをやり始める。22時過ぎ(アデレート時間 シドニー時間はそれより30分早い)、3人を残し前回同様先にベッドで寝につくのであった。

軍人将棋対戦結果(勝者名―左 敗者名―右)
隠田―野々垣 隠田名人「軍旗」を防衛
西村―野々垣 西村大将「スパイ」を防衛
西村―隠田 西村大将「地雷」を奪取
隠田―野々垣 隠田名人「軍旗」を防衛
西村―野々垣 西村大将「スパイ」を防衛
西村―隠田 西村大将「軍旗」を奪取

現在の成績(軍人将棋)
隠田・・・名人
西村・・・大将、スパイ、地雷、軍旗(4冠王)

将棋対戦結果(勝者名―左 敗者名―右)
隠田―西村 ノンタイトル戦
隠田―野々垣 ノンタイトル戦

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3月4日(Mon.) くもり時々雨

 5:00に目が覚める。時計を逆さに読んでしまい、5:00を11:00と勘違いして飛び起きてしまった。起きてしまったものはしょうがあるまい。しかたなく、顔を洗った後、初めて車内のシャワーを使う。シャワールームは狭いが、勢いよくシャワーが出てなかなかGOOD。
 朝食を野々垣(隠田・西村は相変わらず眠っている)と共にとったのち、自分達の部屋に戻る。外は雨が降っている。窓から外の景色を見ていると初めてオーストラリアの渋滞を目にした。シドニーに近づいている実感が湧いてくる。
 書き忘れたが車内のシャワーには石鹸しかなかった。ちなみに我々が泊まったたいていのところはシャンプーがあったが、リンスはアデレートのホテルしかなかった。さすがは高級ホテルのアデレートだ。ちなみにエアーズロックの宿はシャワーが共同トイレの中にあり、もちろんシャンプーなど無い。石鹸すらなかったが代わりに液状石鹸(?)らしきものがあった。
 眠っている間に予定通り9:15にシドニーに着く。外に出てタクシーでキングス・クロス(KINGS CROSS)にあるガゼボホテル(GAZEBO HOTEL)ヘ行きチェックインする。まぁまぁのホテルだ。チェックインしたもののまだ部屋が掃除されていないということで荷物をホテルに預けシドニーの街(シティー)を見学に行く。ここで、我々が滞在するキングス・クロスの説明をしておこう。JTBのポケットガイドはキングス・クロスを以下のように述べている。

 単に、ザ・クロスとも呼ばれているシドニー随一の歓楽街。表通りにはセックス・ショップやストリップ小屋が並び、裏手にはバックパッカー向けの安いホテルが連なっている。治安は表通りにいる限りは、それほど悪くない。しかし、暗い裏通りには入らないほうがいい。(以下略)

 日本でいうなら新宿の歌舞伎町といったところか(歌舞伎町よりずっと規模は小さいが)。今まで、パスポートが無くなったりという大きなトラブルがなく気がゆるんでいたが、ここは気を引き締めなければいかんだろう。ちなみにキングス・クロスは大きなコーラの看板が目印だ。
 ホテルから歩いてまずはオーストラリア博物館へと行く。この博物館はオーストラリア最高水準の博物館で、ここでのハイライトはアボリジニの生活の様子や文化の展示、オーストラリアに特有の有袋類の生体コーナーだ。野々垣・隠田が国際学生証を持っていたためみんな学割で見学できた。博物館にはいってすぐフランスがおこなったムルロワ環礁での核実験に抗議する展示があった。珊瑚の海を泳いだ私はフランスの非をあらためて感じる。オーストラリアはX線を発見した科学者を生んだ国だけあって、骨格の展示が多いと感じる。この博物館で私が気に入ったのはアボリジニの絵が展示してあったコーナーであった。
 博物館に1時間ほど費やし次も歩きながらセント・メリー大聖堂(St.Mary's Cathedral)、ハイド・パーク(Hyde Park)を見、バシバシ写真を撮る。ここで久しぶりのアクシデントが発生する。西村がフラッシュのボタンを間違えカメラの後ろの蓋を開けてしまったのだ。よくある、よくある。(やっぱないか?!)気を取り直して、ハイド・パーク・バラックス(Hyde Park Barracks)の前で写真を撮る。ここでもまた失敗。我々はこのハイド・パーク・バラックス(博物館)をその隣にある旧造幣局(The Mint)と勘違いしマネーのポーズで写真を撮ってしまったのだ。いや~これもまたよくある、よくある。ハイド・パーク・バラックス、旧造幣局、シドニー病院と外からみて、州議事堂(Parliament House)の中を見学する。立派な建物で中もなかなか重みのある雰囲気を醸し出していた。中にはエリザベス女王の肖像画が掲げてあり、イギリスの息がかかっている国だと感じざるおえないものがあった。
 昼食を州議事堂側の店で軽く食べ(店の人が計算を間違え安くすむ。そのことを店員に指摘してあげたかったのだが、英語ができない我々は泣く泣く(!)得させてもらった)、観光局に行きオペラハウスや明日のブルーマウンテン(結局行かないこととなった)の交通手段等の情報を収集。その後、ハーフティックスで安いオペラチケットを購入しようとするものの売っていなく、余った時間で西村が待ちに待ったショッピングを始める。ショッピングは効率よくまわるため隠田・西村と野々垣・皆見に分かれ16:15に再び集まるということで始まった。シティー(CITY)からサーキュラー・キー(CIRCULAR QUAY)、ロックス(THE ROCKS)に行くに従い免税店や土産物屋が増えてくる。免税店は安いと聞いていて意気込んで入ったのだがもともとすごく高かった物が普通の高さになったようなもので、私にはどこが安くなったのだかわからない値段。要するにメチャクチャ高い。また、Tシャツ・チョコレートなどは免税店より普通の店で買った方が安いときた日には、もう私にとって免税店は用なしの存在となった。日本に帰ったとき手ぶらじゃ何をいわれるか分からないのでとりあえず弟と妹の分はこの日のうちに買っておくことにする。
 16:15に待ち合わせの土産店にいくと隠田がDRIZA-BONEのコートを選んでいた。どうやら帽子とお揃いにしたいらしい。ちなみに私もDRIZA-BONEのベストを違う店で見つけ欲しかったのだが、そのベストは1着しか無いためサイズや色を選べず、他の店は閉ってしまったので今日は買わないことにした。結局、この日は西村・隠田がDRIZA-BONEのコートを買い、私と野々垣はちょっとした小物を買っただけであった。この結果、まだみんな買いたい物が残ってしまい明日のブルーマウンテンゆきは中止、そのかわりにショッピングとコアラを抱きに動物園にいくこととなる。
 マクドナルドで軽く食べた後、タクシーでミセス・マッコリーズ岬(Mrs.Mac-quarie's Pt.)に行き、ここでタクシーの運転手に写真をとってもらう。この岬はオペラ・ハウス(Sydney Opera House)とハーバー・ブリッジ(Sydney Harbour Bridge)を一つに収められる最高のビューポイントなのだ。そして、次はいよいよオペラ・ハウスである。予算の少ない我々はスタンディング・チケットを所望した。しかし、そのチケットが売り切れたかどうだか分からぬが(我々の英語能力の限界)一人$20するということだけは確実に分かった。座席ならまだしも立ち見で$20かもしれないことから我々4人オペラ・ハウスをバックに写真をとってすかさずタクシーに乗ってホテルに戻る。今度ここにきたらちゃんと鑑賞しようと心に誓って。
 ホテルに戻って、いったん部屋に入ってから再び隠田・西村(カジノ組)と野々垣・皆見(街見学組)の2組に分かれ別行動をする。キングスクロスは他のところと違い、遅くなっても延々と賑やかである。それにしても、キングス・クロスの呼び込みはすさまじい。まさに歌舞伎町のそれとおんなじである(呼び込みの人が外人であるのを除いて)。また、呼び込みが日本語なのがあきれるのを通りこして笑えた。いろんな土産物屋を野々垣と覗き、タイ料理屋で食事することとなった。私は店のおばちゃんに「一番のおすすめをくれ」というと(すんなりとはものが運ばなかったが)笑いながらおすすめ料理を出してくれた。とってもうまく、その上安いため大満足。タイ米もタイ料理にするとこんなにもうまいのかと思った。
 結局この日は、部屋に戻ってシャワーを浴びた後、4人でアイスクリーム(隠田はシェーキ)を食べに外に出て、それから寝たのでした。

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3月5日(Tue.) 晴

 今日はついに、オーストラリアを立つ日である。あっという間に時が過ぎていったという感じだ。10時にチェックアウトするつもりであったため、9時ちょっと前に目を覚ます。列車と違ってさすがに寝心地がよかった。荷物をフロントに預け、外で朝食をとった後地下鉄に乗ってタウン・ホール駅(Town Hall St.)にいく。これで我々は、飛行機、船、バス、列車、地下鉄を制覇したことになった(残念ながらモノレールは乗らなかった)。
 タウン・ホールに着くと我々は一路、昨日閉まってしまったR.M.Williamsの専門店へ。この店はいい服が揃っていて、ここで私はベストと服とベルトを購入。皆もそれぞれ気に入った物を購入したと同時に4人ともほとんど金がなくなってしまった。
 買い物が終わったら次はコアラ・パークに行くため、セントラル・ステーションまで歩く。途中CD屋があり、西村がオーストラリアで聴いたとても気に入った曲を探すためにサビの部分を店員に歌って教えてもらおうとしたのだが、その曲を店員が知らなかったのか、西村が音痴だったのか、はたまた私の英語が通じなかったのか見つからなかった。セントラル・ステーションに着き、多少戸惑ったもののなんとか列車に乗ってパラマッタに行く。ガイドブックを見る限りこの駅が一番コアラ・パークに近かったからだ。パラマッタ駅まではまぁまぁ時間がかかり、駅からはタクシーでコアラ・パークへと行く。コアラ・パークはここからは2つあり、我々が行くコアラ・パークを説明するのに多少手間取ったがなんとかその点はクリアー。コアラ・パークは実際ここからかなり離れたところにあった。列車とタクシーを使ってここまできたからにはぜったい抱いたところを写真に収めると心に誓う私。
 駅でもらったパンフレットにはコアラが抱ける最終時間が16時と載ってあった。コアラ・パークに着いたのは15:30。余裕で間に合う。と思ったのも束の間入り口にはなんとコアラと一緒に写真がとれる最終時間が15時となっているではないか。まさか・・・そんなはずはない。コアラを見るだけなら私の大学のすぐ側にある多摩動物園ですむのだ。触らなければ意味がない。とりあえず入場料$8.5(隠田と野々垣は学割が効いてもう少し安い)を払って中に入る。中はうっそうと木が茂りそれらしい雰囲気を醸し出している。我々は看板に従いコアラのいるところへ直行。いた!木にコアラが何匹も止まっている!しかし、柵の中にいて触れる雰囲気ではない。しかたなく16時まで辺りをうろついているとコアラの赤ん坊だけがいる(といっても2匹)ところを見つける。目と鼻の先にいるのだが手が届かない。しょうがなく去りかけると、カンガルー使いの西村がその力をコアラにも発し、コアラを呼び寄せるではないか。西村でかした!4人ともこのおかげで曲がりなりもコアラを触ったこととなる。そんなことをしているうちに16時になった。コアラの柵に行くと何やら人が集まっている。いよいよかとおもうと、飼育係がコアラの餌であるユーカリを新しく代えミルクをあげているだけ。しかしこれが終わったらメインイベントである「コアラと一緒に写真」が現実のものになると4人とも確信して疑わなかった。隠田など「柵の上にコアラの糞があるだろ。これは観光客に抱かせるためにコアラを柵の外に出した証拠だよ」と本当らしいことを私に力説する。思わず納得する私。しかし、いつまでたっても抱かせてくれる雰囲気はない。しびれを切らした西村・隠田が飼育係にききに行った。すると、「Oh~Sorry!コアラとの撮影は今日はもうおわってしまいました。また明日来てくっださい!(こんな内容であることは間違いない)」との返答が。「おい、ちょっとまってくれ!俺たちは今夜の便でオーストラリアを立つんだよ!」といいたかったものの、そこはまた英語の壁に突きあたり泣く泣く納得することに。いったい我々はここになにしに来たのだろうと自問自答しつつカンガルーを見に行く。カンガルーの敷地は自由に入ってよくしかも思う存分触ってもよい。コアラに比べるとえらい大ざっぱである。私はここで初めてカンガルーが子どもを自分の袋に入れているのを見た。「本当にカンガルーには袋があったんだなぁ」というのが私の正直な感想だ。エミュー、ウォンバット、コアラ(またしても触ることができた)等を見てコアラ・パークを出る。コアラを抱いた写真がとれなかったのはつくづく残念だったが、他の動物もそれぞれ味があり、特にカンガルーが子どもを自分の袋の中に入れているのを見ることができ来てよかったと思った。帰りは、16時の最終バスが行ってしまったためタクシーを呼ぶことに。自分たちでタクシーを呼ぶのはこれが初めてである。この大役を野々垣に託し、公衆電話でタクシー会社にさっそうと電話をかける。が、なんと野々垣の英語がタクシー会社の連中には通じないではないか!(彼の名誉の為に断っておくが、おそらく誰が電話していても通じなかったと思う。)このままではラチがあかないとおもった私は、バイトの姉ちゃんを捕まえ彼の代わりに電話に出てもらいタクシーを呼んでもらった。
 さすがにタクシーはきちんときて、我々4人タクシーに乗り、行きとは違う近くの駅に行ってもらった。列車では、もう一波乱あったがそれをここに書くのは止めておこう。
 ようやくセントラル・ステーションにつきタクシーでホテルの前まで行ってもらいホテルの近くのレストランでオーストラリア最後の食事を楽しむ。ウェイターは日本語が多少できる人で、我々が日本人だとわかるとステーキソースと一緒に醤油も出してくれた。ちなみに、この店だけでなくオーストラリアのステーキはあまりうまくないというのが私の感想だ。私はべつに愛国心など持ち合わせているつもりはないが、料理は日本が断然うまい。これだけは断言できる。
 食後はチョコレート等のお土産を買い、ホテルに戻って荷物を引き取った後タクシーで空港へと行く。いよいよ、オーストラリアともお別れだ。空港で写真を撮り、荷物の整理をした後搭乗手続きをする。ラッキーなことに本来我々のシートはエコノミー席なのだがビジネスクラスの席にしてくれた。空港でお土産にスカーフとタバコを買い、そしてついに飛行機に乗る。座席は隠田・皆見、西村・野々垣の組み合わせ。ちなみに隠田が窓際の席でちょっとうらやましい。ビジネスクラスはエコノミークラスとはかなり設備が違い、ゆったりとしてかつ座席ごとに液晶テレビが備わっており快適だ。飛行機は成田空港が6時から開港する関係上、定刻(22:15)に出発すると早く着きすぎるため10分以上出発が遅れた。しかし、飛行機の中ではいくら出発が遅れても意味がない。やがて、飛行機が成田に向けて飛び立つとの放送が流れ、機体が動き出す。離陸は出発時と同様順調であった。窓から見えるシドニーの美しい夜景がみるみる遠くなり、輝く砂をばらまいたようになる。我々のオーストラリア旅行は終わったのだ。 完

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あとがき

 我々のはじめての海外旅行はあらゆる面から成功だったと思う。一つにはツアー旅行にしなかった点だ。確かに、ツアー旅行にした方が語学に対しても安心できるし、かつ安全で予算的にも安く済んだのは間違いない。しかし、日本人の集団に混じって移動し、あちこちを見てまわるのはどうも味気ないものだし、自分たちの力をためせないのが不満だ。第一、ツアー旅行自体我々のスタンスではない。自分たちで計画し、アクシデントが起こったら自分たちの力でそれに対応する。それこそ我々の旅だと思う。(ずいぶん偉そうなことをいってしまった。)なんにしろ旗を振った人の後をひょこひょこついて行くのは我々の性に合わないのだ。次に二つめとして旅行先にオーストラリアを選んだこと。日本と季節が反対の夏であるオーストラリアで、学生時代最後の夏休みをもう一度楽しむことができ、かつオーストラリアの雄大で美しい自然に触れることで自然のすばらしさというか大切さというか・・・言葉に表せないそんなものを感じることができうれしかった。そして三つめには当然の帰結として全員がこのオーストラリア旅行を満喫できたことだ。今回は、今までの自転車旅行と違いニューメンバーの西村というスパイスが加わわったため、これまでの味とはひと味違った旅行になって旅に膨らみができたと思う。喜びを分かち合う人数は多いほどいい。そして最後に全員が無事に日本へ帰ってこれたこと。
 てな訳で、海外旅行は生まれてはじめて、その上英語がろくすっぽしゃべれない我々4人の海外道中膝栗毛は100%大成功で幕をとじたと私は自負しているのだが・・・さて、他の3人はどう思っているのだろうか。きっと私と同じ気持ちだろうが。
おわり

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