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今治から尾道までのしまなみ海道の島々をサイクリングで走破するという、3年ぶりの我ら3人のアクティブ旅行(個人的にはできるだけハードでなく、マイルドな行程がありがたいのだがなぁ)で、昨夜は20時半早々に床に入り、今朝3時半に起床し、テンション高めで始発前4時半の立川駅ホーム(さすがに人はほとんどいない)に着いたところであるが、ウルトラスーパーハードだったこの旅行を、この時の私は能天気にもまだ知らない。。。(隠)

3年ぶりの3人の旅行。しかも、ちょうど30年ぶりの本格的な自転車旅行である。
写真は、今治に向かって走るしおかぜ5号の車内から瀬戸大橋の様子を写したもの。空は曇っている。ちなみに、昨日は大雨だったようだ。我ら3人の晴れ男伝説もここまでか?

電車の中だけど旅が始まりました。
before なんか元気です。afterどうなる?写真この後見るのが怖い・・・(ノノ)

旅行のアゲアゲ気分をほっぺハートで演出してみた隠田である(隠)

今治駅前レンタサイクルにて。
さっそく、我らの心をくすぐるスポットがあるではないか!
迷わず写真を撮らせていただきました。
ちなみに、今治は雲が多いものの、日も差し込んでおり、我ら3人の晴れ男パワーは相変わらず健在であることが証明されました。

今治駅をバックにパチリ。早く出発したい気持ちを抑え、写真を撮ってます。

しまなみ海道0㎞地点。看板もそうだけど、なんか我々も年甲斐もなくかわいい印象⁉(ノノ)

こんな巨大スクリュー、見たことないぞ。正面は道路のため横からパチリ。(隠)

重松飯店・・・。
実は楽しみにしていた。食べ物の恨みは・・・怖いのだ その1(ノノ)
ご当地グルメ「今治焼豚玉子飯」って、こんな行列になるほど流行っていたのか、時間に余裕もなかったので諦めたが残念だったよ。そして、食べなかったけど、きちんと店前でパチリ。(隠)

今治ラヂウム温泉本館 北東側より
今治城に行く途中、私が寄ってみたくて来ました。たぶん、二人は「なに、この薄汚い建物は・・・」と思ったのではないだろうか。(皆)
うむ、なんだこの古めかしい建物は。。。以上(隠)

愛媛県今治市にある大正8年創建、"今治ラヂウム温泉"(国登録有形文化財)
日本初期の鉄筋コンクリート造のツインドーム型の男女浴室と海を航行する船をデザインした100年を超える歴史的建物の浴場施設である。
日本初期の鉄筋コンクリート造のドーム建築は八角形で全高約13m。今治空襲を乗り越えて愛されてきた町のシンボル。ドーム内部は光によって幻想的な空間が広がり、非日常の異空間は訪れた人を魅了。閉館した今も全国から撮影に訪れる隠れた名所。時代を超えた100年の歴史が感じられる建物だそうだ。

ということで、野々垣と二人で正面から撮影。今治はびっくりするほど、人通りが少ない。店もシャッターを閉めている店がほとんどで、活気のある町からほど遠い状態である。

今治城の前でパチリ。金銭的にも、時間的にも中は見学しない我々であった。(隠)

ここはどこだ。今治城だ~。だから、もちろん城をイメージしたさ~(沖縄弁チックに)。(ノノ)

自転車用のスタンドだが、真横からだと線が細かった。皆見と隠田の目が。。。(隠)

最後にもう一度今治城をバックにパチリ。ちなみに、この時点で既にケツが痛い。(泣)
サドルが固すぎるっつーの!!(怒)
この後、ダイソーを見つけ、三人ともサドルクッションを迷わず購入しました。

脳が融けるほどの猛暑のため、もうすでに汗だくである。(隠)

今治造船の案内板前にて。
記念すべきこの旅初の休憩場所を後で確認できるよう撮りました。(皆)
日差しが強いこともあったが、結構な上り坂が続いて、体力的にもきつかった(隠)

サンライズ糸山内にある休憩スペースに飾ってあった国際大会「サイクリングしまなみ2018」を記念して作られた浮世絵風の屏風。一番奥の橋がこれから走る「来島海峡大橋」である。

サンライズ糸山内にある「風のレストラン」で遅めのランチを取る。結局、ここまでランチを取れる店が無かったのである。
ここには14時前に到着していたのだが、ランチにありつけるまで40分以上待たされました。でも、隠ちゃんの体力回復にはちょうど良かった。
私が食べたのは「シーフードカレー」大盛である。大盛を店員に頼んだところ、「できるか確認してきます」と奥に引っ込むため、「まさか今まで大盛頼む人がいなかったか?」との疑念と、大盛の追加料金を告げられなかったため、「もしや大盛無料なのか!?」と三人で囁きあったが、そこはしっかり200円追加で徴収されました。

食べ物最高~。もちろん、Wピース。その名は松山パエリア。(ノノ)
のんのんと違い、まだ脳がやられている隠田である。(隠)

いざゆかん、しまなみ海道!(隠)

サンライズ糸山正面玄関にて。
サンライズ糸山のメイン棟(本館)には、宿泊施設、レストラン、お土産物売店、研修室などが入っています。宿泊やレンタサイクル利用でなくても、ちょっとした休憩や情報収集などにも立ち寄れる建物です。

サンライズ糸山にあったいつものやつ。やはりそこは顔入れるよね。後、野々垣ヘルメットちっちゃかったのね。今頃気づいた(ノノ)

来島海峡大橋に上る途中で見えた今治造船(今治工場)の様子。

来島海峡大橋から海を見ると写真じゃ分かりにくいけど潮が渦になっています。
ちなみに、鳴門海峡、来島海峡、関門海峡はその急流と渦潮から「日本三大急潮」として古くから知られています。

来島海峡大橋の様子。
来島海峡大橋は、大島と今治の間約4kmの来島海峡に架かる総延長4.1kmの3つの吊橋の総称です。来島海峡は昔から鳴門海峡、関門海峡と並んで海の難所として有名です。狭い海域に複雑な地形が作る潮の流れは、速く複雑に変化をしており、最大潮流速は10ノット(秒速約5m)にも達します。しかし、瀬戸内海の中央海域へ行き来する船舶には、ここは避けられない航路であり、海上交通安全法に指定される航路です。

ちょこっとだけど橋をわたる。その後にパチリ。やっぱ気持ちいいっす。(ノノ)

昼飯食べて元気が戻ってきているのが笑顔からわかる隠田である。(隠)

馬島のエレベーターに向けて階段を下ります。
馬島は来島海峡に浮かぶ島で、来島海峡大橋の第二、第三大橋の間に位置します。
古くは牧島と呼ばれており、江戸時代初期に越智大島の椋名(むくな)から移住開拓があり、後の江戸時代中期に今治藩の放牧地として利用されていたことが島名の由来とのこと。

エレベーターは車専用道路を挟んだ向こう側のようで、下から車専用道路をくぐります。

我々以外、エレベーターに向かう人はいません。

エレベーター前に到着。エレベーターは無料で利用できます。自転車3台でも余裕で入れました。
ちなみに馬島には島民以外、このエレベーターを使って降りるか、船を使う以外にこの島に上陸する方法はありません。人口は10人にも満たないそうです。

馬島神社に到着しました。この後、50段ほどの階段を登りきると本殿があります。(皆)
人もいない寂れた神社で、本殿行く意味ある?まじで上るの?って思った。(隠)

右手には、先ほど走った来島海峡大橋が見えます。

馬島神社の本殿に向けて階段を上る途中にある鳥居。右手に朽ちた神輿がある。

のんのんの元気さに比べ、隠田は昼食のエネルギーがすでに枯渇しました。(隠)

馬島のウヅ鼻灯台です。本殿に向かって、右手側に灯台に通じる短い道がある。
ここの地名は「渦ノ鼻(うずのはな)」という。鳴門海峡ほどではないが、その付近の潮が渦を巻いているから、その名がついたのだろう。
「鼻」という地名は、海に突き出た地形、つまり岬を指すことが多く、特に、海に細長く突き出た地形を指す場合に使われる。
先ほど休憩したサンライズ糸山の休憩室からもこの灯台が良く見えました。

馬島神社付近の絶景(海)を見た後。しかし、そろそろ疲労の色隠せず・・・。やっぱ年だね。(ノノ)

本殿右手側。灯台は正面の階段を少し降りたところに設置されています。

隠ちゃんを正面に3人の写真。三脚を自撮り棒のようにして撮っています。(皆)
もうへばっていて、立ち上がる体力もない隠田である。(隠)

馬島神社の入口階段の先にある海蝕洞門。背をかがめないと入れない。抜けた先にも、もう一回り大きな海蝕洞門があり、洞門を抜けた先の海には渦潮がいくつも渦を巻いていた。隠ちゃんは、神社入り口階段のところで休憩中。

一通り見終わったので戻ります。当初の予定では亀老山の展望デッキに行く予定であったが、すでにサンライズ糸山休憩時に時間的にも体力的にも無理と判断していたため、このまま宿に向かいます。

見ての通り、エレベーターはガラス張りでエレベーター内から外の景色が見えます。このエレベーターに辿り着くまではちょっとした登りです。(皆)
昼飯食べた後だけど、隠田はもう自転車を押さないと上れなかった。(隠)

来島海峡大橋を下からのぞきます。

来島海峡大橋の上に戻ってきました。

来島海峡大橋にて。隠ちゃん、グロッキーな様子。

この暑さ、勘弁してくれー、水が無くなってしまうよ。(隠)

馬島に向けて車がスロープを下りる様子。住人しか車で下りることが出来ないうえ、住人自体、わずかしかいないので、おそらく珍しい光景ではないだろうか。

来島海峡を橋の上から見ると、潮が渦巻いているのが良くわかります。

同じく、来島海峡大橋からの景色。

遠くに、野々垣と隠田の走る後ろ姿が見えます。

車専用道路側の様子。
正面に見える山が亀老山である。

googleナビに従って走ったら、舗装されていない道を突き進むこととなりました。
この道の入口は二又に分かれていて、下りの舗装道路(行き止まり)とこの未舗装の道。最初は、まさかこの未舗装の道が正解とは思わず、もう一方の行き止まりの舗装道路を選んでしまいました。この後、隠ちゃんからは、遠回りでも良いので舗装道路を通って欲しいという要望を受けました。(皆)
悪路の最短距離よりも、走りやすい遠回りの方が尻のダメージが少ないのだ。(隠)

初日の宿、瀬戸内荘~。いや~、初日から大変だった~。(ノノ)

やっと宿に到着したー、西日がまぶしい。(隠)

ビール。はやく飲みてぇ~、の前のパチリ。心ここにあらず。(ノノ)

一晩休んで、元気溌剌の3人である。(隠)

朝食のメニュー。このような朝食が出る宿は、これが最初で最後。美味しくてご飯をおかわりしました。ちなみに、以降は素泊まりの宿です。

我ら3人が滞在した部屋。広くて、クーラーもガンガンに効いており、とても居心地が良かったです。一つ難点だったのは、扉の鍵が閉めづらかったことだけ。

風呂の様子。店の人にお願いしてシャワーの火をつけてもらい、朝から隠ちゃんとシャワーを浴びました。

昨夜、なかなか洗濯が始まらず難儀した洗濯機(使い方が良く分からなかっただけ)。無料で利用できます。ただし、乾燥機は無いけどね。

食事をとる部屋。左手に舞台がある。奥の色紙は小泉純一郎元総理と中曾根康弘元総理のもの。なぜここにあるのか、仲居さんも分かっていませんでした。

会計を済ませ、8時ちょうどに旅館を出ました。これから「能島城跡上陸&潮流クルーズ」に参加するため、村上海賊ミュージアムに向かって出発です。

宮窪峠にあるベンチ。

すでに脳がやられている隠田である。(隠)

開館10分前くらい(8:50)に村上海賊ミュージアムに到着です。写真は繋船石(けいせんせき)。船を繋ぐ木の柱を立てるのに使うそうだ。

小舟によっかかる野々垣。たしか、ちょっとかっこつけたつもりだったが、単に疲れて寄りかかっているようにしか見えない(苦笑)(ノノ)

のんのんは元気だなぁと感心しているひょっこり隠田。(隠)

ミュージアム内にあるジオラマ。これから訪れる能島と鯛崎島がいかに小さな島かが分かる。

「安宅船(あたけぶね)」の模型。この時代の一番大きい船です。

真ん中が「関船(せきぶね)」、手前が「早船(はやふね)」の模型。

過所(船)旗。瀬戸内海を支配した能島村上氏の当主、武吉(たけよし)が発給したもののレプリカ。自己の海上勢力圏を航行する船舶に通航許可を認めたことを示す、通航証的機能を付与した旗である。
帆別銭を払った船は村上水軍から「過所旗」が与えられ、過所旗を掲げた船は村上水軍に他の海賊等から守ってもらえたとされる。

「海城の分布と瀬戸内海航路」
出発の3日前に図書館で2014年本屋大賞1位となった「村上海賊の娘」を読んでいたため、どの展示物もとても興味深く見ることが出来た。
ちなみに、海城の中で特に有名なのが『村上海賊の娘』の舞台となった能島城である。

能島城がある、能島の調査結果。

「能島村上家伝来猩々陣羽織(しょうじょうじんばおり)」は戦国時代の当主・村上武吉と次男・景親が着用したと伝わるものです。鮮やかな赤色は最近の研究で、カイガラムシ(エンジムシ)が原料のコチニールという染料によるとわかりましたが、当時は想像上の動物である猩々(中国の伝説に登場する想像上の動物)の血で染めたと考えられていました。

解説文に「元吉・武吉父子らは」とあるが、武吉が父親で元吉が息子(長男)である。「村上海賊の娘」を読んでいたため、「あれ?」と気づき、それが言いたくて写真を撮りました。

当時の能島城の様子。絵では能島と鯛崎島が吊り橋で繋がっているが、発掘調査によると吊り橋が架かっていた証拠は見つからなかったそうです。

能島に上陸。奥に見えるのが鯛崎島。鯛崎島上に見えるのは、弁財天を祀った祠で、弁財天は水に関係する神様だそうだ。

能島城から見える伯方・大島大橋。高さが26mで、能島の標高(海抜)と同じ高さだそうです。

けっこう参加者が多く、2つの班に分けて観光しています。ちなみに、ガイドに従って移動しなければならず、自由探索はできません。

この日は日差しがきつく、めちゃ暑かった。ガイドのオヤジさん、ジャケットがファン付きでうらやましい。
ところで、この能島が舞台の「村上海賊の娘」は映画化されていないが、同じく本屋大賞を受賞した「汝、星のごとく」は映画化されるそうで、広瀬すずと横浜流星が撮影のため大島に来ていたそうだ。島はこの話題で持ちきりだったそうである。ちなみに、「汝、星のごとく」の舞台は愛媛県今治市に近い瀬戸内海の小さな島とあり、どの島かは書かれていません。

潮流に囲まれた村上海賊の海城跡(小高い野っ原)の島で、ガイドのおじいさんの説明を聞くのだが、なにせ暑くて、たまらない。(隠)

いや~、ひかげがなく、暑かった記憶しかない。文句をほとんど言わない日本人は、やっぱり素晴らしい~。(ノノ)

能島の中心部、かつて本丸があった山頂の削平地に立つ。背後には鯛崎島が見える。ここ本丸では、かわらけ(素焼きの小皿)の破片が1万点以上も発見されており、かつてこの場所で宴が催されていた可能性があるという。
ちなみに、この周囲を一段低い削平地がぐるりと囲んでいる。これを「帯曲輪」といい、三角形の形を有する島の頂点部分にもそれぞれ曲輪が築かれており、能島は計5つの曲輪を有していた。

二人の奥に見えるのが三角形の頂点の一つである「矢びつ」。ガイドの老人が言うには、子供のころ島の老人から昔はこの矢びつから対岸の鵜島に向けて矢を打つ訓練をしていたと聞いたそうだが、調査の結果、矢を打っていた証拠は見つからなかったそうだ。

ふなだまり。ここは穏やかで船を泊めるのに適した場所であったそうだ。

椅子、背もたれ、テーブルが鳥の糞だらけだったけど、そんなの関係ねー、はい、おっぱっぴー!(死語?)この島で唯一の日影で休めるところに感謝であった。(隠)
日陰、日陰~。鳥の糞、そう、そんなの関係ねぇ(あっ、隠田とかぶった)。(ノノ)

三之丸跡に造られた屋根付き休憩所。ベンチは鳥の糞が多く、座るところが選ばれるが、なにしろクソ暑いので屋根付きの休憩所はありがたい。風が気持ち良かった。
ちなみに、ここ三之丸では、かつて鍛冶屋があったことが発掘調査で分かったそうだ。

帰りのクルーズ船が来るのを待っているが、みんな早く来てくれと思っているに違いない。(隠)

ガイドのおやじさんに皆見が頼んでくれてパチリ。このガイドさんはあの暑さの中プロでした。でも、あの暑さには誰もかなわねぇ。(ノノ)

ガイドのオヤジさん曰く、愛媛の魅力を広く発信する県の「まじめえひめ」プロジェクトの一環でピン芸人のゴー☆ジャスとR藤本が今月4日にここを訪れ、その時、自分がガイドを行ったとのこと。来月、9月11日にYouTubeでその時の様子が流れるそうだ。

10時頃に上陸し、11時くらいにようやく島を離れる。さらば!能島よ!

奥に見えるのが「くじら地蔵」
あらすじ
クジラの親子が島の周辺で遊んでいた。母クジラが居眠りしている間に潮が引いてしまい母クジラが島に取り残され海に戻れなくなった。泣いてる子クジラを見かねてお地蔵様が海の生き物を呼び寄せ、皆で母クジラを海に戻しましたとさ。めでたしめでたし。
詳しくはこちらをクリック。

渦潮が発生している。海底の岩礁に潮が当たり、複雑な潮流となるそうだ。

暑いのに、潜水士のんのん頑張ってるよ!(隠)

暑いのに潜水士のんのん頑張ってるよ2。それにしてもドアップすると笑顔がやはり、ひきつってる・・・(ノノ)

伯方・大島大橋へ向かう坂の途中で休憩していると、坂を下ってきた家族連れのサイクリングの一団の中から、男の子が目の前で豪快に転倒した。痛みでうずくまっていたので木陰を譲ってあげました。

しまなみ海道2つ目の橋、伯方・大島大橋。伯方・大島大橋は伯方島と見近島の間に架かる伯方橋と、見近島と大島の間に架かる大島大橋を総称したものです。
この先の伯方島は、当初一周する予定であったが、昨日ショートカットすることが決定済みです。臨機応変な我々。

お好み焼「風」。
関西お好み焼き(豚キムチ)と広島お好み焼き(スペシャル)をそれぞれ大盛で注文。店内はクーラーが効いて涼しく、水も冷たくて天国でした。

能島の炎天下でグロッキー状態になって食い気もなくなった隠田であるが、お好み焼きはおいしかったぞ。(隠)

ビール飲みて~!!と、心の底から思うものの水で我慢!
隠ちゃんの食欲が無く、残った関西お好み焼き、広島お好み焼きそれぞれで1ピースを半分にし、野々垣と分け合う。30年前なら考えられないことである。

ご覧の通り、奥で大将が焼いたのをそれぞれのテーブルに運んでくれる。

お店の外でパチリ。隠田くん、お腹に何か入れてるの?だが、実はお好み焼き、追加でもらった。この場を借りて感謝、ありがとう~。(ノノ)

店の外観。並んではいないけど、お店はけっこうお客が入っています。

記憶があやふやだが、この橋で私(隠田)はコケたような気がする。もう脳天が暑くて、たまらなかった。(隠)

しまなみ海道3つ目の橋、大三島橋は、本州四国連絡橋の海峡部に架けられた橋としては唯一のアーチ橋です。1975年に本州四国連絡橋の中で最初の長大橋として着工し、1979年に開通しました。アーチ支間297mは完成当時日本最長でした。
写真は左側が大三島、右側が伯方島のパノラマ写真である。

当初、大三島を南周りで進む予定であったが、大三島橋で隠ちゃんが倒れ、リタイアの可能性が生じたため、バスも運行している「道の駅 多々羅しまなみ公園」を通る東側ルートに変更。写真は道の駅でみかんジュースのお代を払う、会計係の野々垣くんの様子。野々垣、毎々会計係ありがとうね。

ここのオレンジジュース、まじでめっちゃおいしかった~。オレンジジュース大好きののっちです。(ノノ)

見ての通りみかんジュースが大量にあるが、黄色のケースごとにみかんの種類が異なります。どんな味か飲み比べしたいよね~。

暑いが、みかんジュースを飲んだ後なので、元気を取り戻してパチリ。(隠)

後ろに見える橋は広島県と愛媛県の県境にある多々羅大橋。
明日、あの橋を渡って生口島(いくちじま)に行きます。

私のスマホが熱暴走をし、写真が撮れなかったため野々垣のカメラで撮りました。穴から覗いている顔が暗いので分かりづらいが、左が野々垣で右が私です。

野々垣、前にでてきました~。野々垣の古いスマホでもちゃんと撮れてた。安堵(ノノ)

「サイクリストの聖地」記念碑は、道の駅 多々羅しまなみ公園にある紀念碑。この紀念碑ができた理由は、しまなみ海道と台湾・日月潭サイクリングコースによる姉妹自転車道協定の締結と、サイクリング大会「サイクリングしまなみ」の開催を記念して、2014年に建立された。記念碑に使われている石は今治市産の大島石。一番上の石は自転車のサドルを、2つの穴は二輪のタイヤをイメージして作られている。

大三島多々羅しまなみ公園、サイクリストの聖地記念碑の横にある様々なポーズを取っている人型モニュメント。これは人型をしたバイクスタンドです。初日、今治城の近くにあったスタンドでは実際スタンドに自転車をかけましたが、この時は体力が無く、眺めるのみ。

大山祇(おおやまづみ)神社の総門前にて。
途中、隠ちゃんの自転車が故障してブレーキかけっぱなしの状態になり、レスキューを呼び自転車を交換するといったハプニングが生じたものの、なんとか辿り着きました。一時はリタイアを検討したほどだったので、ここまで来れて本当に良かった。隠ちゃん、よく頑張ったよ。
大山祇神社は、全国に一万社余りある山祇神社と三島神社の総本社といわれる県内最古の神社。

総門を抜けて、左手側を写したパノラマ写真。左が総門、右が神門へと続く道です。

同じく反対側のパノラマ写真。今度は右が総門。左が神門に続く道です。

なかなかの枝ぶり、枯れ具合、盆栽のような形の巨木の前でパチリ。(隠)

総門から神門に続く道を遮るように立つ御神木の大楠(天然記念物)

本殿正面にそびえる御神木は「小千命-おちのみこと(乎知命)御手植の楠」と呼ばれ、大山積大神の子孫「小千命」によって植えられたと伝えるもので、その時代は神武天皇御東征前と云われています。樹齢は2600年あまり。

生憎17時を過ぎてしまったため、奥の神門は閉じられ中には入れなかった。でも、ここに来れただけでもいいのさ!

大山祇神社の御祭神は大山積大神一座。古事記・日本書紀には、「山の神」とあり、伊予国風土記には「御島に坐す。神の名は大山積・・・一名(またのな)を和多志の大神」とあって、山の神であると同時に、大海原の神、渡航の神とされています。
看板にはこの神社がすごい由緒ある神社であることを解説している。

宝物館受付。残念ながら入館時間は過ぎていて入れない。

大三島の大山祇神社には巨大な宝篋印塔(ほうきょういんとう)が3基あり、一遍上人ゆかりのものと伝わっている。
一遍上人は空也上人が始めた踊り念仏を広めながら全国各地を遊行した人である。また死後、時宗の開祖と言われている。

神門から御神木の大楠を撮る。隠ちゃんへとへとで階段で休憩中。

素泊り茶房 トマリギ。実際はちょっと違うけどシェアハウス的な感じでなかなか新鮮でした。(ノノ)

やっと宿に到着したー、西日がまぶしい パート2 (隠)

ここ、「素泊り茶房 トマリギ」の周辺マップ。
受付を済ませ後、オーナー(?)の男性からこのマップなどの資料をもって夕飯が食べれる店やスーパー銭湯である「マーレ・グラッシア大三島」への行き方を教えてもらいました。

夕飯前に汗を流そうと「マーレ・グラッシア大三島」にやって来ました。
マーレ・グラッシア大三島は、海水をそのまま利用し、タラソテラピー(海洋療法)の考え方を取り入れた海水風呂のある総合リラクゼーション施設。
館内では食事をとることもでき、メニューにはなんと!今治で食べるのを諦めた「今治豚焼玉子飯」があるではありませんか!しかし・・・風呂から出たら食堂が閉まっており、ここでも食すことができず。。
食堂閉まるの早いよ・・・

この店に入る前に「きつねのぼたん」という居酒屋を訪れたのだが満席で入れず、ここ「Cafe SANDO」で夕飯をとることに。
この日はいろいろあって疲れました。
3人ともバナシュ(生ビール+自家製レモネード)を注文。最高にうまい!

おすすめのエビ ジェノベーゼピザを注文。

2杯目は島のフルーツサワーを注文
私は「神の島レモン」で、隠田、野々垣は「島みかん」

こっちじゃなかったけど、ピザ傾け過ぎて皿から落としました。ドンマイ!(ノノ)

ビール冷えててうまかった、ピザも熱々でうまかった、もう食べて寝るだけだ。(隠)
そうそう、こっちのピザが傾けすぎて皿から滑り落ちたんだよね。慌てて丸く並び直しパチリ。(皆)

フルーツサワー、「神の島レモン」と「島みかん」
レモンはレモネードになっていて、サワーを飲み終わったあとも楽しめる。
ただ、出てくるのが遅く、おつまみに頼んだフィッシュ&チップスはすでにテーブルから消えておりました。

吾ながらナイス笑顔(笑)。やっぱサイクリング後のお酒は最高~(ノノ)

4種のチーズを使った、クアトロフォルマッジ。大三島産ハチミツをかけて楽しむこともできる。うまい!

高菜チャーハン。これもうまかったなぁ。3人とも腹空いているからテーブルから消えるのが早い!

店の前の看板。ちなみに、この店は大山祇神社の参道にあるのだが、参道で19時半以降に開いていた店はこの店と先に記載した「きつねとぼたん」だけでした。 店が閉まっているなか、参道脇には灯篭の光がつらなっており、ちょっとした肝試し感をだしています。 帰りはローソンに寄って、明日の朝飯を調達しました。

我々が泊まった部屋はロフト付き和室。ロフトに私が、下に野々垣と隠田が寝ました。狭いけど、洗濯物も干しやすく、クーラーも効いていて機能的かつ快適でした。(皆)
下側は布団しか写っていないが、ロフトへの梯子の真下が嫌だったので、隠田はのんのんとは逆向きで寝ていたのである。(隠)

ロフトの様子。下よりはクーラーが効かないけど、普段からクーラーを28℃にして寝ているので、私としてはちょうど良い。

翌朝(8月14日)。部屋の前の廊下。一番奥の右手側が我々の部屋である。

シャワールーム。狭いけど、シャワーを浴びる分には問題ない。

洗濯機。乾燥機は無いけど、洗濯できるだけありがたい。

洗濯機横にある洗面台。

玄関入ってすぐの土間と呼ばれるスペース。ここで昨夜購入したパンを食す。1本あったチョコスティックを3等分にし、じゃんけんで買った順に選ぶ。この旅行初のじゃんけんだ。1位野々垣。2位隠田。3位がわたし。野々垣が3等分されたスティックの真ん中部分を選択。隠田と私がその両端を選ぶことになったのだが、隠ちゃんが私に「皆見、良かったね~。パンは端っこが美味しいんだよ。カステラも端の方が美味しいだろ?」と野々垣の勝利の喜びに水を差す発言。さすが隠ちゃん!

こちらの写真は、みんなおっさん顔。私的には皆、渋くてよいかと・・・(ノノ)

出発前の元気な状態でパチリ。(隠)

隠ちゃんの手に持っているのは、隠ちゃんが6面揃えたルービックキューブ。
後ろは先ほど朝食をとった土間につながっている。

この日は7時前に出発。宿の前で最後の写真を撮りました。

多々羅大橋に向かう途中にある三村峠。当初は島の北側を周るルートを予定していましたが、体力温存を優先し、昨夜通った道を戻ることにしました。
この日から上り坂を手で押して進む際は音楽をかけることに。
いきものがかりの「帰りたくなったよ」は我らの心境を表していました。(笑)

隠田はまだ元気です、キリリ。(隠)

多々羅大橋は中央支間長890mで完成時・世界最長の斜張橋だったそうです。さっそうと走る隠田。

多々羅大橋の縦バージョン。朝なのでまだ余裕。ただし、この後・・・(ノノ)

横にしてもう一枚。この日も天気がいい!分かりやすく言うと「うだるような猛暑」である!

反対側からもう一枚。前の写真では車道が右側にあるけど、この写真は左側でしょ。

安宅船のようなフェリーが航行しています。

ものすごく順調に進み、当初宿泊を予定していた生口島の中心部に9時前に到着してしまいました。後ろに見える黄色い橋は高根島に渡るための「高根橋」。
当初、高根島に渡り、島を一周する予定でしたが、体力温存のため却下となりました。

潮聲山耕三寺(ちょうせいざんこうさんじ)前。9時からの開門前に結構なひとだかりができていました。
ここは浄土真宗本願寺派の寺院で、山号を潮聲山、寺号を耕三寺といいます。大阪で大口径特殊鋼管の製造会社を営んでいた技術者で実業家の、耕三寺耕三が母親の死後、母への報恩感謝の意を込めて、自ら僧籍に入り菩提寺として昭和10年より生涯を掛けて建立したお寺です。

生口橋(いくちばし)にて。生口橋は西瀬戸自動車道の5番目の橋梁として、1991年に完成しました
隠ちゃん、疲れている様子だが、昨日に比べると全然大丈夫な様子。

大山神社境内にある自転車神社。サイクリストに境内の休憩所を開放したところ、交通安全や旅の安全のご祈祷を自転車と一緒に受けられることから、自転車神社と呼ばれるようになったそうである。そのためか、ここはサイクリストに優しい。冷たい麦茶を自由に飲むことができ、また、巫女さんが「自転車と一緒に写真をとりましょうか?」と気さくに声をかけてくれました。

かなり暑いが、神社で麦茶を頂き、その上、巫女さんに写真を撮ってもらっているため、3人とも非常に笑顔である。(隠)
ちなみに、ここ大山神社は、昨日訪れた大山祇神社からご分霊を勧請し、「隠島大神」と称されたと伝えられている。因島で最も古い神社とされているそうだ。(皆)

この写真はみな、かっこいい~。でも、それより言いたいのは巫女さん、かわいかった~。ただし、容姿でなくなく健気なところが。すっかり、おじさんである。(ノノ)

大山神社本殿。大山神社は、しまなみ海道沿線 因島の土生町、瀬戸内の島々を見渡す小高い丘に鎮座しており、宝亀四年(七七三)伊予国大三島の大山祇神社よりご分霊を勧請し、隠島大神と称したといわれている因島最古の神社である。

自転車をかたどった絵馬に三人で願いを書く。

絵馬を掛けたボードの前でパチリ
大体が旅の無事を願ったものばかりだったが、ちょっと怖い願いもあったような気がする。(隠)

チャリ絵馬。カツカレーの願いはその後、半分だけかなうことに・・・(ノノ)

絵馬を掛けるボードには、バイクの絵が・・・
もしかしてここは、本来バイクの絵馬を奉納するとこなの?

我らの絵馬が掛っている様子。(願い面)

我らの絵馬が掛っている様子。(自転車面)

ちなみに、こっちが本来、自転車の絵馬をかけるとこ? 後ろの方でこっそり隠ちゃんが写っています。

昼飯は神社の目の前にあり、11時開店の「きかん坊」。
ちょうど11時だったので、我々が一番乗りである。

3人とも日替わりのとんかつ定食を注文した。とんかつはもちろんうまかったが、疲れた体に味噌汁の塩味が沁みた。(隠)

きかん坊を11時半過ぎに出発し、約20分かけて家老港に到着。写真はフェリーの時刻表と料金表。
フェリーの出発時間は12時で、これを逃すと1時間後の13時までない。乗り遅れることを覚悟して走ったがなんとか間に合った! セ~フ!

停泊している船に家老フェリ汽船と書かれているので、あの船が渡し舟なのか?港には受付の建物も人もいない。ただ我々の後ろの道には向こう岸に渡る車が列をなしているので、ここから乗るのは間違いないようだ。

家老港のパノラマ写真。左側の白いほったて小屋で休憩が出来る。もちろんクーラーなど無い。

とりあえず、フェリーが来る前に3人の集合写真を撮りました。ランチも開店とともに入店、フェリーも出発ちょっと前に到着と効率よく順調そのものである!
フェリーが来たら向こう岸の弓削島(ゆげしま)の上弓削港に上陸だ!

まさかこの後、フェリーが来ない、などとは夢にも思わない中での1枚。プレジャーボートとの衝突事故だそうで・・・。
翌日、その写真もみたが、びっくりである。と、同時にいい迷惑であった。(ノノ)
トラブルが発生したため、なかなか先に進めない状況が続いたのだが、隠田的には待合所でゆっくり休憩できて、非常にうれしかったぞ(隠)

とんでもハプニングで急遽、土生港(はぶこう)から生名島の立石港に渡る羽目に・・・
話し合った結果、生名島→佐島→弓削島と渡り橋を制覇した後、時間次第で佐島のUターンブルーラインに行き、佐島港から岩城港へフェリーで渡ることに。
写真は生名橋に登る途中にある生名橋記念公園。
ゆめしま海道篇が始まったよ~

生名橋(いきなはし)は、愛媛県越智郡上島町の生名島と佐島を結ぶ橋長515mのコンクリート混合斜張橋。ゆめしま海道構想の一環で、2番目に着工、2011年7月開通しました。めちゃめちゃ熱く、スマホが何度も熱暴走し、写真を撮るのも一苦労です。

弓削大橋(ゆげおおはし)は、愛媛県の弓削島と佐島との間に架かる橋梁。上島架橋構想(ゆめしま海道)の一環で、最初に着工し完成しました。斜張橋で1996年(平成8年)に開通しました。

弓削大橋からの景色。生名橋と弓削大橋は高低差があまり無いので、自転車で進む我々には大変ありがたいです。

向こうに見えるのが弓削島である。
「ゆめしま海道」は、上島町の4つの島を、弓削大橋・生名橋・岩城橋の3つの橋でつないで走るルート。
信号もトンネルもなく、海がすぐそばに感じられる静かな道は、しまなみ海道とはまた違った味わいがある。
公式サイトの“ひとくちメモ”には、
「信号ゼロ。交通量少。トイレ多。」と、なんとも潔い三拍子が並んでいた。(笑)
その言葉が示す通り、ここにはのんびりとした空気が流れている。

弓削大橋の真ん中にある休憩スポット。でも、座っている石が太陽で熱せられてお尻が暑い!

少しでも日影に入りたい隠田、もうたまらなく暑いのです。(隠)

Uターンブルーラインは、この「マツランド」の看板が示す方向と同じ、左側の道を250mほど下ったところにあります。
ちなみに、その間は何もありません。この「マツランド」とはいったい何なのか、未だに謎である。

やって来ました!ゆめしま海道のディープスポット、Uターンブルーライン!
サイクリストの聖地としてクチコミで静かなブーム到来中だとか。。
「なんにもない道の終点だけど、インスタ映え間違いないUターンしてるブルーライン」とのことです。途中アップダウンがあってめちゃくちゃ疲れました。

Uターンブルーラインそばから海をみてパチリ。正直、疲れた~。(ノノ)

皆見のスマホが熱暴走でダウンし、なかなか撮影できず、隠田の脳も熱暴走しそうだった。暑くて、1秒でも早く、この場から去りたかった。(隠)

佐島の南端にある長磯の浜を目指すブルーライン(自転車道)の終点がUターン折り返しポイントとなっています。 YouTubeで検索するとけっこ紹介されており、その動画を見ながら「あ~、そうそう、こんな感じだったよな~」と悦に入ることができます。

弓削港まで7.7kMとのこと。これから岩城島に行く我々にはいらない情報である。ちなみに、沖浦とあるのは、ここUターンブルーラインがある場所のことである。

最後にもう一枚。こんな、ブルーラインがUターンしただけの何も無いところ(身も蓋もない!)に苦労して来たんだから写真撮りたくなるよね。
とはいうものの、これで「ゆめしま海道」はただ単に橋を渡っただけじゃないんだと胸を張って自慢できます!
しかし、満身創痍の隠ちゃんが良くここに来ることを許可してくれたよね。感謝!

佐島港の待合所内。ここから16:16出発のフェリーに乗って宿のある岩城島に行きます。出発まで1時間近くあり、クーラーの効いたここで休憩。
待つ時間があるなら、自転車で岩城島に向かわないのかだって?
シャラップ!戦士にも休息が必要なのである。二人ともそうだよね?

佐島港の待合所のおばさん、失礼、お姉さんからチャリ持ち込み料がただになる券をもらうなどお世話になりました。(ノノ)

フェリーの待合所でクールダウンできたので、隠田、元気を取り戻しています、キリリ。(隠)

佐島港をバックにパチリ。もちろん、例のお姉さんに撮ってもらいました~。(ノノ)

受付のおばちゃんが我々の自転車をフェリーに積むのを手伝っています。

ここからフェリーに乗り込みます。

フェリーの中での1枚。たしか、10分ないくらいの短い旅でした~。でも、助かったぜぇ~(ノノ)

船内はクーラーが効いていて涼しいんです、うれしー(隠)

受付のおばちゃんに手を振る野々垣。見ての通り、船内はあまり乗船客はいません。

さらば佐島港!たぶん、もう来ることはないだろう。

岩城島の岩城港に着きました。乗船時間は約10分。自転車なら1時間半ほどかかると思うので、やっぱり船は早いよね。

岩城島の岩城港での1枚。たしか瀬戸内レモンが売りって書いてあったかと(ノノ)

我らを運んでくれたフェリーが伯方島の木浦港に向けて去っていきます。
ありがとう、第一ちどり!

飲食店もほとんどない島なのに、コインランドリーはあったりします、ありがたいー(隠)
『コインランドリーたこハウス』です。夜の暗闇中で、この店だけがメチャ明るかった。(皆)

最後の宿泊場所、「Bike, Cafe and Inn 寄り道」内にて。
築50年以上の古民家を当時の雰囲気が残る空間を活かしながらリノベーションした一棟貸しの宿で、自転車とレトロをテーマにこだわった内装空間になっている。今年4月29日からオープンしたそうでまだ新しく、前日の宿、トマリギと異なり、広々とした大変贅沢な造りだ。にも拘わらず、宿泊費は一人7000円ほど。素泊まりというのもあるが、とてもお得な宿だ。
ちなみに、2026年春頃自転車屋とカフェも同店舗1階にオープン予定とのこと。

上がり口には、懐かしいブラウン管テレビとラジカセが置いてある。しかもこのラジカセ、私が子供のころ実家にあったラジカセと全く同じではないか!めちゃくちゃ懐かしいよ~

室内の様子をパノラマ写真で撮りました。正面の急な階段を上って寝室に行きます。

8月15日。今日は旅行の最終日です。立石港から6:59に出るフェリーに乗るため、6時に宿を出発しました。写真は宿の前から。隠ちゃん、気合入っています。

岩城橋です。今までの橋は橋の上まで来れば平坦だったのに対し、この橋は橋の真ん中まで登りが続きます。
今日も天気が良く暑くなりそうだ。

この日は朝が勝負。果たして時間に間に合うのか!(ノノ)

岩城島と生名島を繋ぐために架けられた岩城橋。2022年3月20日に開通した最も新しい橋で、同時にゆめしま海道も全線開通となった。 写真は岩城橋から見た生名島。

あともう少しで下りが始まります。それまでの辛抱!

岩城橋から岩城島を望みます。たぶん、あのとんがった山が積善山(せきぜんさん)。旅行の計画を立てていた時は、余裕があったら登ろうと話していましたが、今思うととんでもない計画でした。

立石港にある岩城・生名・弓削・魚島の4ケ町が合併して上島町が出来たのを記念して設置された上島町合併記念碑。

無事6:40頃に立石港に到着しました。私は隠田に倣って、直立不動のポーズをとっています。(皆)
隠田はまだ元気です、キリリ。朝日がまぶしい。(隠)

我らが目指すのは重井。片道640円。自転車の料金は船内で払います。

最初はこの画面なので、切符の買い方に戸惑いました。一番下の「三原方面行き」のボタンを押すと前の写真の画面になり、切符を買うことが出来ます。

6:59分三原港行きが表示されています。

この船は昨日我々が載ってきた土生港 長崎桟橋に行く船である。

余裕のピース、と思いきや疲労の色は隠せない~(ノノ)

フェリーの涼しさを堪能し、放心状態の隠田である。(隠)

昨日走った生口橋

生口橋を下から見上げます。

重井港に到着しました。

野々垣、超久しぶりの裕次郎ポーズ。高校時代はこればっかり修学旅行でやってた(ノノ)

重井港の待合所。う~ん、立石港と雲泥の差である。

同じく重井港の待合所。扉を挟んだ反対側。

「INのSHIMAモニュメント」でちょっと休憩。となりに、ザウルくんがいます。

かなり遠くに三脚を置いて撮影しており、皆見は走ってきたところでパチリ。よくそんな体力残っているなぁと感心する隠田である。(隠)

ザウルくんを左手にgoogleマップに従って坂を上ると、はっさく屋がありました。8時30開店で今は7:55。開店まで待つことに。

このはっさく屋、しまなみ海道を紹介するYouTubeの動画でもけっこう登場しており、私でも知っている有名店。ただ、30分待つ価値があるかは、このとき疑問であった。

店の入り口。続々と従業員が出勤し始め、そのたびに我々は元気に挨拶をする。さりげなく、時間前に開けてほしいというアピールだったのだが通じず。

店の前でパチリ。この後、隠田と私は道端で談笑。皆見が1番前で並んでくれたのであった。ありがとう、皆見~(ノノ)

いつもながら食べる前の撮影なのだが、早く食べたい衝動が顔に現れている隠田である。(隠)

まだ食べる前か。それにしてもまじ、うまかった~。お取り寄せしたいレベル~。(ノノ)

早く食べさせてくれー(隠)

30分待つ価値はあるのか?という疑問の答えは「待つ価値大いにあり!」であった。
「はっさく甘夏大福」(期間限定)と「まるごとみかん大福」を食べたのだが、めちゃ美味い!
後ろにあるウォーターサーバーで水かアイスコーヒー、ホットコーヒーを自由に飲むことができ、しばし休憩することに。 ここに置いてあった雑誌で「後藤飲料水工業所」の存在を知りました。

大福の中にみかんがまるごと入っています。

隠ちゃんの提案で行列が減ったら追加でぶどう甘夏大福かはっさくソフトを注文しようということになったが、時間を追うごとに行列が増え、結局撤退することに。
店を出る前に、店内の写真スポットで写真を撮りました。

しまなみ海道最後の橋、因島大橋です。因島大橋は車道の下に自転車道路と歩道があります。写真は向島から因島側に向けて撮っています。
あ~、旅ももうすぐ終わりだよ。

最後の橋、因島大橋でパチリ。ここは割と日陰でそれもよかった~。(ノノ)

車道に向かって下る途中で、因島大橋を撮りました。ついに最後の橋を渡り切ってしまいました。

因島大橋は1983年に、本州四国連絡橋の最初の吊橋として完成しました。中央支間長770mは完成当時日本最長でした。

因島大橋です。なんか、名残惜しい。

向島休憩所。ここで水を補給。

向島休憩所にあるロードマップです。

最後の橋(因島大橋)をバックにパチリ、もうゴールの尾道まで、ほんの少しである。(隠)

はっさく屋で仕入れた情報をもとに「後藤飲料水工業所」を訪問。結構人がいて、有名スポットのようです。
昭和5年創業の昭和レトロを感じられる昔ながらの清涼飲料水製造所だそうです。

面白ネーミングのサイダーがずらり。

ケースの中はこんな感じ。

我ら三人とも、自称、日本一うまいレモンサイダーという「怪獣サイダー」を注文しました。

怪獣サイダー。レモンの味がすごかった~。あっ、腰に手をあてるのを忘れた~。(泣ノノ)

怪獣サイダー、うまいんだけど、量がすくないよ(隠)

後藤飲料水工業所の先にある兼吉桟橋から尾道側の土堂桟橋にこの船に乗って渡ります。

ただ只管に暑いんです。(隠)

向島もいよいよ最後。ちょっと寂しい。

船が動き始めました。

さらば向島~。旅だ~つフェリーは~(ノノ)

もうちょっとで本州に到着です。

尾道といったら尾道らーめん。
ということで、「尾道らーめん ベッチャー」にやって来ました。開店まであと20分弱あります。外は暑く。店の入口に日よけ傘が置いてありました。我々が先頭で、後ろにも数組並んでいます。

我ら三人が注文したのはこの「福盛」です。めちゃ美味かったです。

ベっちゃーラーメン。ラーメンなかなかでした。それよりわしのとなりに桐谷美玲が座ったらしい。でも、バッグ置いちゃったぜぇい。(ノノ)

早く食べたい、匂いでわかる、このおいしさ。(隠)

ベッチャーって、なまはげみたいな鬼のことなの?わからずとも顔出し撮影はやる我ら。(隠)

ベっちゃーラーメン。お店の前でパチリ。この写真より次の写真で指がかかっていたとは、不覚・・・(ノノ)

隠ちゃんとのツーショット。
野々垣~、指がかかってるよ~

千光寺山ロープウェイ 山麓駅です。
見ての通り、ものすごい行列ができていて、あっさり行くのを諦めました。

いつもながらの行った気でパチリ。(隠)

ここから歩いて上に行けるらしい。歩く気はさらさらないけど。

アーケード街を走っていたらこの撮影スポットを発見。
この猫の意味はわかりませんが、撮るしかないでしょ!

ぽっぽの湯。本当に、本当にやっと到着。この時、外は何度だったんだ~(推定40度)。(ノノ)

この時の隠田は、かなりフラフラ状態、こんな所に風呂屋を作るなよ、早く休ませてくれー(隠)
お風呂に入ると日焼けしたところが「沁みる」んじゃないんです。猛烈に「痛い」んです。痛くて涙が出そうになりました。(皆)

お好み焼き屋の「すみチャン」で本場広島焼きを食べることに。
レンタサイクルの返却場所は目と鼻の先。自転車を引いて行くので、旅の最後を祝してビールで乾杯をしました。

すみチャンで最後の食事。それはお好み焼きでしめるよね。すごい量に見えますが、もちろん我々ペロリです。(ノノ)

左から尾道焼、すみチャンスペシャル、肉玉そば。
最後の肉玉そばはちょっと自信ない。野々垣、合ってる?

さっき尾道ラーメン食べて、そんなにお腹は減っていないかったはずなのに、この匂いで食欲が湧いてきちゃいました。(隠)

いや~、でてるね~。達成感。みんな、ありがとう~。ちなみに、皆見、肉玉そばはちょっと記憶なし。すまんね。でも、たしか隠田曰くあってたはずよ~(ノノ)

自転車を返却したところでパチリ。(隠)

作業員のオヤジさんに撮影スポットがあるというので連れてもらったのがここです。
我々の30年ぶりの自転車旅行がついに終わりました。
野々垣、隠ちゃん、お疲れさまでした。とても楽しい旅だったよ。ありがとう。(皆)
いやー、今回の旅行はめちゃくちゃ暑かった。高校野球も暑さ対策で休憩する時代に、50過ぎのおじさんが炎天下でサイクリングしちゃダメでしょ。死ぬかと思ったわ。まぁそれも無事終わったから、良い思い出になったけどね。(隠)
いよいよラスト1枚。これにて無事、終了~。しんどい旅だったけど、笑顔で終われてよかった~。お2人に感謝、感謝です。(ノノ)

尾道駅の建物内にある「カンキツスタンドオレンジ」。
ここでは、オレンジジュースの飲み比べができると聞いていたので来ました。
カウンターに行くと「10分ほどで戻ります」とのメモが。待っている間、何を注文しようかさんざん悩み、店員が戻って来た時に早速注文したところ、
「選べる種類は日替わりで、今日はメニューの赤丸のものです」
とのこと。じゃあ、メニューにそう書いておけよと思ってしまう。

左から順に、八朔、はるか、弓削瓢柑(ゆげひょうかん)。飲み比べるとそれぞれ味が違うのが良く分かり楽しめました。
おしまい。

おまけ1
旅行3日前に松屋の「今治焼豚玉子飯」をこっそり食し、これはこれでうまかった。だが、本場の味が楽しめなくて残念だった。(隠)

おまけ2
8月14日(木)の家老渡フェリーのニュース

【ニュース記事抜粋】
フェリーにプレジャーボートが衝突 わき見が原因か 愛媛・上島町沖の瀬戸内海で 広島・因島~愛媛・弓削島のフェリーで乗客にけがなし

14日午前11時半ごろ、愛媛県上島町沖の瀬戸内海で、フェリーにプレジャーボートが衝突する事故がありました。
尾道海上保安部によりますと、14日午前11時40分ごろ、フェリーの乗客から「船が突っ込んできて衝突した」と118番通報がありました。
広島県尾道市因島を出発し、愛媛県上島町弓削島に向かっていた家老渡フェリーに、プレジャーボートが衝突したということです。
ボートに乗っていた2人のうち1人が頭を打ったということです。フェリーの乗員・乗客24人にけがはありませんでした。
海上保安部によりますと、当時、天候は穏やかで、プレジャーボートの乗組員への聞き取りから、ボートのわき見運転で事故が起きた可能性が高いということです。
海上保安部は、事故の詳しい原因を調べています。(画像は尾道海上保安部提供)

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