1人じゃできないことも、力を合わせればできる。3人の自転車旅行の思い出。
お待ちかね。シリーズ第2弾の伊豆旅行!!
今回は旅行計画のシーンから始まり。マップルを見ながら我々皆、真剣な表情。
計画終了後。3月に自転車旅行が果たして出来るのか。我が家の庭で1泊してみることにしました。ぬかりが無い我々。
家の中で隠ちゃん持参のウィスキーを軽く1杯ひっかけ、意気揚々とテントに入る我々3人。外はちょっと(?)寒い。
一夜明けた次の日。寝たのがam2:00。目覚めたのがam4:00。めちゃくちゃ寒く、途中セーターを取りに家に入ってしまった程だ。ちなみに隠ちゃん、この後体調を崩し、以後旅行の最中苦しむ。
「寒くて寝れたもんじゃない」
もぞもぞテントから出てくる我々。
~結論~
「東京だからこんだけ寒いのであって、伊豆ならなんとかなるだろう。」
相変わらず楽観的な3人。なんの為に庭で1泊したんだ!?
数日後、最終的な計画、すなわち出発日を決める。そろそろ就職のセミナーも入ったり、先輩の卒業式等、皆忙しくなっている。
この集まりが後の世に言われる「伊豆旅行最高意思決定会議」である。(誰も言わねー)
テーブルの上の表札、「最高意思決定会議」が妙に貧乏くさい。私は手帳を手に忙しい中どうやって旅行の日程を入れるかとても悩んでいる。
3月12日。いよいよ伊豆へ出発。
隠ちゃんは体調があの時以来本調子ではないが、とりあえずOK。いざ出陣!!
厚木で隠ちゃん早速パンクか?!とりあず空気入れを住民から借りたら「また空気が無くなったら困るだろう。それ(空気入れ)持ってけ!」との嬉しいお言葉。
あまりに感動した我々は一緒に写真に写ってもらいました。隠ちゃんの手に持っているのが問題の空気入れ。
隠ちゃんやはりパンクでした。我々の初パンクを記念して自転車屋のおじさんとパチリ。ちなみに今回の旅行ではこの先パンクはありません。
なんとか平塚駅に到着。恒例の駅前記念撮影です。まだまだこれから!
海だ!
というので、早速パチリ。湘南海岸がもっとも似合う3人でした。ちょいー
後ろに見える道路はやがて湘南バイパス(自動車専用道路・有料)となるのだが我々はそーとも知らず自転車で爆走。
~感想~
「なんか、おかしーと思ったんだよね」
西湘バイパスを無事に抜け、小田原城跡に。ここへの道順をある老人に聞いたら、その老人やたらとこの辺りに詳しく、なかなか我々を解放してくれずちょっと困りました。(私の手を握って離さないのだ)
我々のこのポーズを観光(?)のおばさんに撮ってもらったら、そのおばさん達、我々にむかって「かわいー」だって。おばさんに言われてもちっとも嬉しくない。
この写真の中に隠ちゃんがいます。さて、どこでしょう?野々垣、お得意の招き猫ポーズ!
この写真を撮った後、高校時代の同窓生と偶然会う。野々垣氏
「このかっこうを知り合いに見られたくなかった…」
世の中狭いものだ。
小田原城内に象がいらっしゃったとは。てな訳で象と記念写真。
見てのとーりです。ちなみに我々は上には登りませんでした。
本丸跡の碑と共に1枚パシャリ。今回は北海道旅行では写真をあまり撮らなかった反省から結構撮っています。
小田原城跡入り口。野々垣氏力こぶのポーズ。
熱海「お宮の松」にて。3人なので、私がアドリブで「貫一」こと隠ちゃんを必死(?)で止めているシーン。お宮の野々垣もなかなかGood!
お宮の松のすぐ近く。荷物をくくり直すのでいったん休憩。そろそろバテ気味。
隠田、野々垣がどーしてもハトヤで写真を撮りたいというので撮りました。ちなみにこの中には一歩も足を踏み入れませんでした。
私の頭が邪魔して見えないが、「伊東駅」と表示してある。この日、本当は下田まで行く予定であったがエネルギーと時間の関係で伊東で野宿することにした。
場所は駅前。今回初の風呂はここです。今回の旅行の中で一番安い(150円)だけあってちょっとボロイ。しかし、まあーさっぱりしたので良しとしよう。
初日の夕飯(ディナー)とあって、けっこう豪華にしました。店の名は「ほまれ」。店員の態度がちょっと気に入らなかった。しかし、我々には少し場違いな所かもしれん。
伊東公園にて。この日、朝早く石廊崎の方へ行く予定だったが、am3:00ごろ大雨に見舞われ急遽予定変更。
テントが雨漏り(?)するので、駅前のヤオハン等でビニール袋を購入し、テントを覆うシートを作りました。
予定では伊豆を一周するものであったが、シートの完成、シェラフ、テントが乾いた後、修善寺へ向かうことに決めた。とりあえず伊東公園を去る前に桜をバックに記念撮影。昼飯はかつ丼を食べました。
中伊豆バイパスを通り、修善寺へ行く途中でまたしても強い雨に見舞われたが、なんとかそこをクリアーしてようやく修善寺駅へ。
峠を下ったあたりで雨も止み助かった。(どうやら我々の晴れ男パワーは北海道旅行の時に使い果たしたらしい…)
修善寺駅の中。ほんのひと時の休息を楽しんでいる。野々垣氏の帽子の傾き具合が道中の疲労を物語っている。
私の履いている靴はちなみに北海道旅行と同じもので、その上あの旅行以来洗っていません。隠ちゃんも同じ。
旅館「つゆき」で風呂だけ入る。どこも800円以上入浴料をとられるここ修善寺で、唯一500円という良心的な値段で風呂に入れとてもgood。
この後「独鈷の湯(無料)」でもう一風呂浴びる予定だったが、疲れたのでやめた。
同じく旅館「つゆき」。ここのオーナーである紳士(真ん中)はとても親切で、テントが張れる場所を車で案内してくれました。感激のあまり、一緒に写ってもらいました。この後、ビールを飲み、ラーメンを食す。
隠田・野々垣が入りたがっていた独鈷の湯。伊豆最古の湯であるとのこと。左側の木の壁で囲まれた中に温泉がある。入るのは次の機会にしようと3人で決める。
独鈷の湯の内部。夕方には入っている人もいたが、朝はご覧の通り誰もいない。周りが旅館で、すぐ側には修善寺というシチュエーションは流石に入るのに勇気がいる。
独鈷の湯の側に珍しい自動販売機を発見し、早速パシャリ。さすが修善寺である。
修禅寺の入り口。昨夜はぐっすり寝たのでエネルギーは十分。これで花粉症でなきゃいいのにな。ちなみに3人とも花粉症である。
地名の由来となった修善寺。貧乏な我々はお賽銭をするなど思いもしませんでした。
同じく修善寺境内である。後ろの石像の名は…忘れた。たぶん、弘法大師でしょう。
これまた修善寺境内である滞在時間は短かったくせに、よくもまぁ、こんなに写真を撮ったものだ。
韮山反射炉を作った代官、江川英竜像の前にて記念撮影。チケットを買うとガイドまでしてくれてお得なスポットであった。左に反射炉が見える。
反射炉の裏。我々の後ろから溶けた鉄が出てくるのだとガイドさんが言っていた。
反射炉のある敷地の中。後ろにあるような大砲を造っていたとのこと。当時大砲は後から穴をくり抜いたとのことで、めんどくさい作業だったことと思う。
三島にて。静岡といえば「うなぎ」という訳で、今回の旅行で一番豪華な食事。うな重の上、大盛である。昼からこんなご馳走で良いのでしょうか?隠ちゃんうれしそー
見ての通り、三島駅である。3人の美しいポーズに注目。
コインランドリーで洗濯している間、すぐ近くの三島神社へ参拝に行く。それにしても太い注連縄(しめなわ)である。
三島神社入り口の所にて。景色が良かったもんで写真を撮りました。
野々垣君の超自然体のポーズに感動し、思わず木に登り始める私である。
「お宮の松」をもう一度。今度は私がお宮役で、野々垣が貫一役である。野々垣の方がお宮の役は上手かった。
三島神社境内にある舞台の前にて。隠ちゃんだけポーズを決めていないため、この後殴られました。
北条政子、源頼朝が座ったという石(腰掛石)である。それ故、私は膝をついて殿、野々垣氏に報告をしているシーンを撮ってもらいました。
三島神社境内。二人の両横綱と行事といったポーズ。なかなか決まっている(と思う)。
神社本殿に飾られた彫り物。須佐之男命(スサノオノミコト)が岩戸を開け、天照大御神が姿を現すシーンであると、案内役の人が説明していた。
三島神社境内。この手の碑があるとすぐに写真を撮ってしまう3人である。
ようやく、ようやく箱根峠に着きました。
標高846m。途中パラパラと雹も降ってきました。左にあるコンビニで休憩し、芦ノ湖付近の温泉(1,000円)に入る。
昼飯が豪華だったので、夕食は必然的に節約。この日の疲れが髪型に表れている。カイロ大、中、小、合わせて10個くらい使って寝ました。
野々垣氏もお疲れ。ちなみに、この写真はテントの中である。袖を見れば分かるが、ずいぶん厚着。テントの外にはまだ雪が残っている。
鼻血が出た訳じゃありません。鼻水が止まらないのです。後ろにあるパンは明日の朝食。隠ちゃんもくたばった様子。
テントが濡れて無いよう、ここに張りました。
まずは、私から。ベンチには黒いビニール袋に包まれたバックが置いてあります。
野々垣復活か?!
早朝は、テント内に水滴が溜まるので、ビニール袋による防水措置が必要なのだ。
背中で語る隠田。
それにしても、今回の旅行で、この場所が一番テントを張るのに適した場所だった。
下にはまだ雪が残っている。木に抱きつく私。
怪しげなポーズの野々垣。
一見危なそうな隠田。
テントを畳み、箱根の関所を見学。天候はくもり。この写真では分からないが、私の尻には昨夜の貼るホカロンが付いたまま。知っていたらこんな笑顔は見せられない。
関所の中。見てのとーりです。
同じく関所の中。隠田の手が見えています。
関所を見学するとおまけに資料館も見学できるとのことで、早速やって来ました。隠ちゃんも髭が目立ち始めた。
芦ノ湖をバックに。この後、今回の旅を記念してキーホルダー(木製)を買う。
箱根から小田原まではあっという間であった。ブレーキが途中壊れたら多分死んでいたに違いない。急な下り坂である。
小田原駅に着く途中、行列ラーメン屋「味一」で「味噌しなちくチャーシュー麵大盛」を食す。うまい!!
行きはバイパスを暴走して寄れなかったので、帰りに大磯駅に来る。本当に駅が好きな3人だ。
平塚の八幡宮。参拝客(シャッターを押してくれる人)がなかなか現れず、少し待ちくたびれた。それにしても…隠ちゃんがすごく決まっている!(私ももっと修行を積まなければ…)
帰り道、私の母校、中大を通るので、記念に一枚。私の怪しげなかっこを見て、最初頼んだ女性はシャッターを押してくれませんでした。なめんなよ。
思いっきり逆光。左、隠田。真ん中野々垣。右、皆見といった配置。
我々の母校、立川高校の前でパシャリ。昔とはえらく変わってしまい、いまいち親しみが湧かない。
シルクロードと芋窪街道の交差点。ここで3人はちりぢりに別れ、今回の伊豆旅行は終わりを告げた。
~エピローグ~
数日後(もう4月に入っている)日記の残りを書くためと、テントのシート(伊東での続き)を作るため集合。(我が家の庭にて)
旅行後、風邪を引いた隠ちゃんも、もうすっかり回復。
つらい旅行も笑って話せる時期に入っている3人。野々垣がまたがっているのが私の愛車。
次の旅まで誰がテントを保管するかを「あみだくじ」で決め、運よく(?)隠ちゃんが権利(義務ともいう)を引き当てる。青い紙がその「あみだくじ」。隠ちゃん無念の表情。
結局、私がテントを預かることとなり、入院した荒川先生を3人で見舞う。その後、また家に戻り旅の日記を遅ればせながら書いているといった塩梅。
フィルムが余ったのでなんとか消費しようと我々も必至。
「隠田早く書けよ」とせかす私。野々垣君、笑っているがこの後家庭教師のバイトがあり、かなり焦っている。
「それではまた会いましょう」と言い合う3人。
野々垣、余裕のポーズをとっているが、この後急いで帰ったのは言うまでもない。
~END~
第2部 完