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シリーズ第3弾!!
3人とも就職が決まり、学生時代最後の夏休みを自転車で九州を周ることに決め、その打ち合わせの為に初めて会議を開く。私のみ右手には本日ダイクマで購入したマットが…。やる気満々。

再度日を改めての打ち合わせ。野々垣の手には九州旅行の日程を記したメモ用紙があり、テーブルには九州の地図。私の手には時刻表と旅行に対する入念な下準備が窺える。

オウムの服を着ているのではありません。今旅行の為に購入した輪行袋です。旅行前に一度自転車をバラしてこの袋に入れる練習をしようと集まりました。

7月30日。暑い日差しの中、自転車を解体する我々3人。隠ちゃんの人間自転車に注目!私と野々垣が思わず爆笑。

こっちの写真の方が隠ちゃんの人間自転車がキマッテいるなぁ。(でも、車輪が前後逆なのが玉に瑕なのだ)

輪行袋の中に自転車を入れることができ、一先ず乾杯。暑さで野々垣は上着を脱いでしまった。

伊豆旅行以来、物置に入れっぱなしだったテントを乾かし、その前で我々3人は自転車を入れた輪行袋を担いでいるといった構図です。それにしても重い。

8月12日。ついに九州旅行当日になった。西どんは我々を見送るついでに自転車解体を手伝ってくれました。ちなみに私と隠ちゃんは北海道、伊豆旅行時と同じ靴。野々垣は一度家に帰り、伊豆旅行時の靴を履いて九州へ。

後ろに見えますのが、初登場の野々垣のおじさん。私は今、野々垣のマットと寝袋を紐で1つにくくりつけている所。野々垣、感謝しろよ!

野々垣はおじさん、隠ちゃんはおばさん、私は父上が運転する車でいざ立川駅へ出発!というところで我々の雄姿をカメラに収めました。

品川駅にて。見ての通りホームは大垣行きの夜行列車に乗るために人でいっぱい。我々は4時間前に着いて何とかこの場所を確保。列車内の悲惨さは日記を読んでください。この後もまだまだ人が集まります。

やっと米原に到着。私の朝飯は豪華、牛肉弁当です。この写真は外人さんに撮ってもらいました。ちなみにここで烏龍茶を買ったらもう1本当たった。

下関にて「ふぐ」ではなく、うどんを夕食として食べる。東京と違い、汁は無色透明で西へ来たことをしみじみ感じる。

中津駅にて日本一長いハモの椅子を撮影。野々垣君、急に座禅を組んで悟りを開き始めました。

ハモの椅子の全景。この駅のホームで我々は歯を磨いたのでした。手前の荷物はすべて我々のものです。

USAだからといって、ここはアメリカではありません。実は、宇佐駅なのです。お盆なのでしめ縄等の飾り付けがしてあるとのこと。これから別府までいざ出発。

途中雨が降ったり、私の自転車の故障があったりとアクシデントが発生したが、なんとか別府タワーに到着。我々のポーズは…。そう、「タワーのポーズ」です。

ここは立派でかつとても安い(60円)!最高の温泉でした。私は1日ぶり、隠田・野々垣は2日ぶりの風呂で、とてもさっぱりして気持ちよかった。(竹瓦温泉)

シャッターを押してくれた人が念のためもう一枚撮ってくれました。どうです!年季の入った門構えでしょう。この後、私の自転車を直しに自転車屋へ。

別府駅に到着。この後、加島家へTELを入れ迎えに来てもらいました。ロッテリアにて昼飯として私はエビバーガーとオレンジジュース、隠ちゃん・野々垣はかき氷を食す。隠田・野々垣、加島家の夕食に対する期待はひとしお。

別府といえば地獄めぐりという訳で、まずは海地獄から。ところで…隠ちゃんはどこでしょう?真ん中には私の大学の友人、加島慎二君が。

後ろに見える「海地獄」の立札が湯気の合間から見えるまで待って写真を撮ってもらいました。写真に対する情熱を感じるシーン。

よくこの場所がガイドブックに載るので真似して撮ってみました。
硫酸鉄を含むため美しいエメラルドグリーンの色をしているのです。

海地獄の敷地内。白い靄は煙ではなく、ここからも出てくる温泉の湯気です。

ここも海地獄の敷地内です。この写真では分かりづらいですが、温泉の色はエメラルドグリーンではなく赤色です。

次は山地獄だ。噴出した粘土が山の形となるので山地獄と呼ばれるそうだ。温泉熱を利用し各国の動植物を育てている。

かまど地獄。
まずは1丁目から。おいおい野々垣、指が違うぞ!

かまど地獄で一番有名な2丁目。4人とも2丁目を指で表しています。

3丁目。
後ろに4丁目が見えてしまっている。1~6丁目全てをカメラに収めようとする観光客は我々以外、見当たらなかった。

4丁目
温泉の色が赤色です。

5丁目
私と野々垣・隠田は長い自転車旅行で自分というものを捨て去っているのだが、加島は写真を撮っている間中、一人恥ずかしがっていた。彼の心境を彼の手が物語っている。

かまど地獄最後の6丁目。かまど地獄だけで、えらい写真を撮ってしまった。

6丁目の温泉(?)の様子。
泡がボコボコ出てくるので「温泉なんだな」と理解しました。

鬼山地獄
ここには「鬼山地獄」の表札がないため、この鬼をバックに写真を撮りました。噴湯を利用してワニを飼育しています。

白池地獄
野々垣君、何やら無駄に気合が入っているご様子。噴出時は無色透明の湯が、池に落ちると温度と圧力の関係で青白色になるとのこと。ここではピラニア等の魚も見学しました。

白池地獄の出口付近で鬼に出会い一緒に写真に写ってもらいました。
それにしても鬼のくせにメガネはいただけないよなぁ。でもちゃんと虎のパンツをはいているので許す。

金流地獄。
入口で出会ったこの赤鬼はとてもお茶目であった。
この赤鬼と野々垣の熱いキスシーンは最高に見物でありました。

金竜地獄に入ると鬼が3人いて、3人全員にジャンケンで勝つと賞品がもらえる。野々垣はなんと3連勝して商品をゲットした。(野々垣が印籠のように見せているのがその賞品)
私といえば…一人目の鬼で(惜しくも)敗退。

ここも金竜地獄の敷地内で、その中でも「地獄」の順路。後ろは「天国」。金竜地獄は湯が深度200mから猛烈に噴出しており、湯量は別府随一。

血の池地獄
その名の通り真っ赤な熱湯の温泉。
野々垣、加島、私は地獄にちなんでムンクの「叫び」のポーズを取っている。それにしても…加島はいまだ自分を捨てきっていないようだ。けしからん!
でも、ノーリアクションの隠田はもっとけしからん!!

龍巻地獄
ついに8つの地獄、最後の龍巻地獄に到着。
まだ熱湯は噴出していない。
私は胃が痛くて龍巻地獄を出た後、薬を飲む。摩周の再来と思わせる痛みであった。(おかげで加島家であまりビールが飲めず。かなしー)

シャッターを押してくれた人が念のためにともう一枚撮ってくれた。
野々垣と私は一応ポーズを変えているが「2人!横着せんとポーズを変えんしゃい!!」
温泉が噴き出すまで、この後かなり待ちました。

やっと温泉が吹き上がりました。
左の看板には間歇泉の噴出周期がこの龍巻地獄が世界一短いと書いてありました。
隠ちゃん人ごみをかき分けて撮りました。えらい!

十文字展望台。テレビ局のアンテナが結構立っていました。
ちなみに、我々の写真の反対側は陸上自衛隊十文字原演習場である。
加島の運転だったのだが、死ぬかと思った。これ本当!

ここ十文字展望台は、見ての通り別府の街が一望のもと見渡せました。
運転にケチをつけたものの、わざわざここに連れてきてくれた加島に感謝。自転車では決して来ないこの場所は車ならではである。
この後、加島家へ直行。

昨夜は焼肉を腹いっぱいご馳走になり、元気いっぱいの我々。一番右のおじさんが加島の父上。温厚な人柄であった。ここは加島家のすぐ近くにある神社。

次は加島の母上と一緒にパチリ。
我々の服を洗濯してくれたり、この日の弁当を作ってくれたりと大変優しいおばさんでした。
この優しさが再度我々を大分に引き寄せようとは…なんたる運命のいたずら!?(単に我々がずーずーしいだけ)
頂いたみかんは甘くて美味かった。

加島家に別れを告げ、いざ鹿児島へ。
延岡駅での電車の待ち時間を利用してパチリ。
ここに来る途中でもう、おばさんが作ってくれた弁当は平らげてしまいました。

アニメ映画「となりのトトロ」と同じ「ととろ」という名に思わず隠ちゃん感動し、シャッターを押す。
なので、深い意味はありません。

やっと鹿児島に到着し自転車を組み立て後、夕食に。昨夜の焼肉食べ放題、ビール飲み放題、みかん食べ放題から打って変わってのこの食事に感無量の私。野々垣のピースも心なしか寒々しい。(ちなみに野々垣はあんずジャムです)

隠ちゃんもハチミツをかけたパンを夕食に。パンは3人とも昨日スーパーで買っておいたのです。この時の3人の会話は「大分に『帰りたい』」であったのは言うまでもない。そうそう、駅に着いてすぐ、おばさん達が我々にジュースをご馳走してくれました。

前の写真でフィルムが無くなったので念のためもう一枚撮りました。
ちなみにハチミツ(野々垣はあんず)パンはここ鹿児島駅が初めて。しかし、この先これが日常茶飯事となる。

鹿児島駅近くの公園でテントを張りました。
一夜明けた今日の夕食も昨夜残しておいた食パンにハチミツです。

フェリーに乗っていざ桜島へ。
逆光になってしまったが、左から野々垣、私、隠田である。体型をを見れば一目瞭然。
晴れていて気持ちよかった。

今回は走っているところも写真に収めました。
上り坂を私と野々垣がエッチラホッチラこいでいます。写真で見ると分からないが、この坂は結構きつい!
左に桜島の御岳が見えるのだが。

桜島の御岳。
実際はもっとはっきりと見えました。
我々はフェリー港から時計回りに走っています。雄大だった。

島の東側から溶岩、御岳を撮る。
我々が訪れたときはこんなに落ち着いていたのだが、8月23日の真夜中、桜島は観測史上最大の豪灰を吐いたのである。降灰で九州自動車道が一時不通。福岡や長崎まで降灰したとのこと。我々の通った後に災害アリ?!

島の東側にある埋没鳥居。大正3年の大噴火で3mの高さの鳥居が一番上の笠木の部分だけ残して軽石や火山灰で埋まってしまっている。
そうそう、この鳥居の手前で休息したのだが、隠ちゃん、さっそく誓いを破り、コーラ500mlを飲み干す。隠ちゃん曰く
「誓いとは破るためにあるのだ」
深い。。

島の南側の道路にて。
隠ちゃん・野々垣が颯爽と走っています。

疲れたので休息。北に比べて南は溶岩がすごい。
この写真を撮ってくれたおじさん、我々が自転車旅行者だと知り、隠ちゃんの足を触り「この足なら大丈夫だ」と太鼓判を押した後、私の足を触り「う~ん…、君は軽いから大丈夫だ」とのこと。
失礼な!

有村展望所にて。
ブランクが長かったせいか、我々3人、かなり疲れてしまっている。

フェリー乗り場近くの道路です。自転車の荷物が少ないのは鹿児島駅のコインロッカーに預けているからです。
ここは車道と自転車道がはっきり区別され、かつ平なのでとても走りやすい。

国民宿舎桜島荘の温泉。今まで風呂場の写真が無かったので、撮ってみました。
昨日は風呂に入れなかったので、とてもさっぱりしました。

鹿児島県庁前の公園にて。後ろの噴水が出てくるのを待って撮ってもらいました。
わがままな我々。

西郷隆盛像をバックにパチリ。
ちなみにこの像の作者は上野の西郷さんと同じ人だとか。隠ちゃん、どうしても自転車を写すんだと段の上に持ってきました。
この後、ラーメンを食べに“くろいわ”という店へ直行。

私の大学の友人である畠野ご推薦のかき氷屋(喫茶店と言った方が正解だ)。
この店に入るのに並んでいたら、テレビカメラ(県民放送)が我々を撮っていた。有名人はどこに行っても注目されてつらい!?

隠ちゃん(いちご白熊)、野々垣(チョコレート白熊)、私(白熊)の順に運ばれてきた。白熊とはかき氷のこと。
この店で写真を撮るのは少し恥ずかしかった。(入口の近くであったし)

やっと私のかき氷「白熊」がやってきた。3つ揃ったところでパチリ。私はスプーン曲げをしている。
ここの店はけっこう有名であるらしい。(店名:むじゃき)

大久保利通像をバックにパチリ。
くろいわという店でチャーシュー麵に小ライスを食べ、その後にむじゃきで白熊を食べたのでかなり苦しい。この近くに畠野の家のマンションがあった。

西鹿児島駅
鹿児島駅よりもこちらの方が開けている。この後、指宿へダッシュ!

やっと指宿駅に到着。
野々垣のTシャツを見れば道中いかに大変だったかが分かる。
この後、納豆(夕食)を買った後、砂むし温泉(700円)へ。

朝です。
我々はグランドらしきここでテントを張り一夜を明かしました。それにしても昨夜は暑かった。私は意識朦朧の中、荷物を整理している。(しかし、我ながら目がこわい)

早朝、いきなりきつい上り坂に出くわし、やっと長崎鼻に着きました。
後ろに見える山が開聞岳。
野々垣早くもTシャツの色が変わってしまっている。
この写真は衛藤さんに撮ってもらいました。

長崎鼻の先端に向かって歩く我々3人+衛藤さん。
我々の後ろには灯台が見える。
衛藤さんはバイクで九州を周っているのだ。

衛藤さんを加えての記念撮影。この兄ちゃん、この後我々にジュースをおごってくれたナイスガイである。
ちなみに野々垣氏、手が滑ったと言いながら500mlのコーラのボタンを押し、首尾よくコーラをゲット。野々垣、昨日の隠ちゃんに続いて誓いを破り去る。ちなみに隠ちゃんはもちろんコーラ。

長崎鼻を出発し枕崎へ行く途中。
私が颯爽と自転車をこいでいる姿である。帽子から垂れているタオルは首が焼けないようにしている。起伏の激しい道だった。

隠ちゃん転落の図。
もちろん演技です。野々垣は上半身裸であるが、実際こいでいる時はいつもTシャツを着ています。彼は休憩時にTシャツをぬぎ、道路に広げて道路の熱でTシャツを乾かすのである。

右端の白い帯は…そう、ここでフィルムが終わったのです。
この後、自転車に油をさし、少し楽な走りとなった。
それにしても野々垣、腕と体の色が違いすぎる。

枕崎駅へやっと到着。この後左側の空き地でテントを乾かし、その間右側にある喫茶店でかき氷を食べながら休息をする。
それにしても暑いし、アップダウンがかなりあったしメチャクチャ疲れた。

ドライブイン吹上浜。ここは量も多く、値段も手ごろで、かつ水ではなくて麦茶が出てきてクーラーも効いているのでとってもGood。メニューは唐揚げ定食です。後ろのテレビでは巨人―広島戦を中継していました。

吹上浜国設野営場。昨夜ここで初めて私が持ってきた星座早見盤を使う。
ところで、私たちの後ろにも見慣れたテントが…。
後で知ったのですが、ここは日本人が朝鮮へ誘拐される有名なところなのだ。(でも、最近は無いらしい)

我々にとって、ごくごく当たり前の朝食の風景。この日は8個入りのレーズンパンをジャンケンで奪い合い、私と隠ちゃんが3個、野々垣が2個の成績。
場所は270号線と3号線が交わるところにある市来のファミリーマートの横です。

串木野駅に到着。
この後、ゴールドパーク串木野を横目に川内(せんだい)に行き、三筋という店で天丼を食す。
この駅で天気予報を聞いたのだが「晴れのち曇り、ところにより一時雨」とのこと。この後も、これと同じ内容の天気予報が続く。

川内を抜け、西方駅の少し手前で思わず泳ぐこととなる。北海道旅行も海水浴をしたのだが、写真を撮り忘れてしまったので、今回はしっかり撮った。
着替えるところが無いので、3人とも外でタオルも使わずに着替える。自分を見失っている我々。
海は最高にきれいでした。

西方駅
これを駅と呼んで果たして良いのだろうかと考えてしまうが、地方はこんなもんです。
私と野々垣はサンダルのまま。それにしても早くシャワーを浴びたい。

本邦初の我々の入浴シーン。
ここは国民宿舎あくね。急こう配の丘の上にあり、来るのに苦労しました。
ここで体を洗うついでに海パンとサンダルも洗う。かなり長湯しました。

阿久根駅
駅前のラジオ体操が終わるのを待って写真を撮ってもらいました。早朝なので涼しく、体力も十分。

念のため、もう一枚撮ってくれました。
この日は水俣港までの約28kmを走れば良いだけなのでとっても楽ちんでした。
この日の朝食はハチミツパンに烏龍茶+近所のおばさんが差し入れしてくれた、さつまいもとジョアでした。

水俣港から少し先の水俣駅。
この辺りは土曜日は完全に郵便局が閉まっており、軍資金調達にとても苦労しました。

ここから御所浦経由で本渡へ。
この待合所にはクーラーが効いているという隠ちゃんの読みもあえなく外れてしまった。
日記を書いて時間をつぶす。

この船に乗っていざ、本渡へ。
見ての通りのオンボロフェリーに我々もちょっぴり不安。
しかし、1日2本という貴重な船なのです。
野々垣、相も変わらず石原裕次郎ポーズでキメテル!野々垣の手には乗船券が。

フェリーから海を眺めて。
逆光のため黒くなってしまった。
天気も良く、海もきれいでなかなか乙な船旅でした。

フェリー内部
クーラーがあるが、ほとんど効いていない。
船内テレビで甲子園を見ながら暇な時間を利用して溜まってしまった日記を書いています。
野々垣の持つシャーペンが日記を書いているのを物語っている。

同じくフェリーから。
「やっぱり船旅は楽だよな」と、我々が言いあっていたのは言うまでもない。
我々もずいぶん黒くなったなぁ。

この後、海鮮料理屋「とらや」にTELし、営業しているか確認したところ、なんと本日は休業とのこと。
天草国際ホテルで入浴した後、地元の人に教えてもらったカレー屋でカレーを食べる。

瀬戸開閉橋にて。
ご覧の通り橋が上にあがっています。
この後、我々は管理自転車走行で鬼のような走りをするのでした。

天草五橋の一つ。
まずは隠ちゃん、野々垣ペアから。

私と隠ちゃん。ここに来るまでにかなり飛ばしたため、結構疲れている。

私と野々垣。同じ枚数写真に収めました。もう一つ手前の橋の方が景色が良かったかもしれない。

天草四郎記念館
入館しようとしたが、高かったので止めました。それを見ていたおじさんは「本当に入館料高いよな」と我々に同情しつつ笑っていました。

天門橋の手前にて。
この橋を渡れば再び九州本土に上陸できる。ここで私はジュースを2本飲んでしまいました。3人とも、も~へとへと。

三角(みすみ)西港。
オランダ人技師ムルドルの設計で造られた港で、後ろに見えるフェリーターミナルは、巻貝をイメージして造られた。
これを見るために我々はわざわざ道から外れてやってきたのです。

フェリーターミナルの正面にある三角駅。
我々は元気いっぱいにコンビネーションポーズをとっています。

この食事にありつく前、我々を抜き去ったロードマン2人組と熾烈なデッドヒートを繰り広げ、も~くたくた。
もちろん抜き返しました。
私は山菜ご飯定食。隠ちゃんはとんかつ定食。野々垣はかつ丼を食す。(長浜ドライブイン)

本渡を8時に出発し、夕方にはここ、熊本の水前寺公園に着いてしまった。
隠ちゃんの手ぬぐいハチマキが妙にきまっている!
左に見える山は富士山を模している。

水前寺公園の正式名称は「水前寺正趣園」。細川忠利、光尚、綱利と3代にわたって造営された茶屋跡。
我々はこの袈裟紋の水盤の隣にある長寿の水も飲んでおり、もう腹がタプタプ。

水前寺公園は桃山式回遊庭園で、芝山、浮石、松などで東海道五十三次を模したとされる。
池の水は阿蘇の伏流水で枯れることは無いそうだ。

雄々しい3人。
いつか庭を造るとき、この庭園を参考にしてやろうと我々は話していました。
隠ちゃん、土方の親父みたい。

頃は、オウム事件が新聞紙面を賑やかしていた時期。
野々垣氏もその影響をもろに受けてしまったようだ。
私の後ろでは鳥が低空飛行で羽ばたいている。

京都から移築された古今伝授の間を前にして冷たい抹茶をいただく3人。風流だなぁ。
テーブルの上の小皿にのっている白いものは茶菓子でおいしかった。この後外へ出て「いきなり団子(だご)」を食す。

熊本といえば熊本城。という訳で、やって来ました。
熊本城は銀杏城とも呼ばれ日本3大名城の1つだそうです。

本渡~熊本間でかなり体力を消耗してしまったので、この熊本城見学は、かなりつらかった。
熊本城は加藤清正が慶長6年(1600年)から7年の歳月をかけて完成させたとのこと。

熊本城全景。
天守閣内には西南の役や加藤清正に関する資料などが展示されているのだが、貧乏な我々は別途料金を取られるため、あっさりカット。

熊本駅に到着
この写真を撮ってくれた親父も東京出身の自転車野郎であった。
しかし、ママチャリで今日の早朝、西鹿児島を出発して熊本に着いたという話はメチャクチャ怪しい。

熊本の代表的な郷土料理の一つ馬刺しを食べようと、最高の馬刺しが食べられる店「らむ」にやって来た。我々が頼んだのは、4,000円のコース。

ビールを飲みながら馬刺し・焼肉等を味わい、最高の夕食でした。
笑顔が絶えない3人。我々はカウンターに座っていたので目の前の店員に撮ってもらいました。

レンタカーを借りて阿蘇に出発。
ここは草千里です。今日は野々垣も免許を持ってきているので3人で交代で運転しました。

同じく草千里にて。
我々の後ろには馬の親子が写っています。
それにしても…車じゃなければ絶対来れないところだ。
熊本~ここまで隠ちゃんの運転。

阿蘇山の噴火口に着きました。
我々の後ろからは、もうもうと噴煙が出ています。

噴火時の退避壕の上にて。
観光客の注目を思いっきり浴びました。陽気な3人。

噴火口から野々垣が這い登っているシーン。オロナミンCのCMのようだ。
野々垣の片手には「Mountain Dew」が握られていて、阿蘇山の噴火口ととてもマッチしている。

前回よりも大きな看板をみつけ再びパチリ。

煙が風に流され、噴火口の底が見えました。
貴重な一瞬。

後ろの白い車が我々が借りた車です。
この車のおかげでこの後、思いがけず高千穂峡に行くこととなりました。

神話と伝説が今も生きていると謂われる高千穂峡に到着。
まさか高千穂峡を見学できるとは!うれしい誤算だ。
ここまでは野々垣氏の運転。

高千穂峡といえばボート。
という訳で、30分近く並んでやっとボートに乗りました。フラッシュをたいた自分のアップは我ながら不気味である。

真名井の滝が後ろに見える。
車でなかったら、たぶんあの滝に突っ込んでいただろう。
まだ余裕の私。

隠ちゃんと一緒にパチリ。
漕ぎ手は途中の交代を禁じられているので、常に私が真ん中。

高千穂峡ならではの景色。

この先、川幅が狭くなって、かつ交通量も多いため、余裕が失せた私。
対照的な野々垣。

もはや私の顔から笑顔は消えている。
それにしても…おいおい、野々垣、お気楽すぎるぞ。

疲れ果てた私と極楽とんぼの野々垣。

隠ちゃんもこの舟旅を楽しんでいるご様子。

ところは変わって、熊本駅の北西にある峠の茶屋。
ここは夏目漱石の「草枕」に登場する有名な茶屋なのだ。後ろの碑は草枕の一部。私がどーしても来たいと言い張ったのです。

この峠の茶屋でだんご汁のセットといきなり団子(だご)を食す。だんご汁なので、汁の中にだんごが入っているのかと思いきや、うどんが入っていた。鍋焼うどんとどこが違うのだろう?
この場で隠ちゃんのジャンケンに勝ちすぎに対する非難が噴出。

熊本港からフェリーに乗って島原へ。
フェリーから雲仙岳が良く見えました。
我々の後ろが島原。

「銀水」の側にある浜の川の湧き水。
隠ちゃんの足元は、この湧き水による町内の洗い場となっている。

ハツヨシおばあちゃんが切り盛りしていることで有名な「銀水」で寒ざらしを食べる。甘くてとても美味しかった。(一杯250円)
ちなみにここで、我々の地元の隣にある小川駅近くに住んでいるという家族に会う。

山を越え、ついに長崎に着く。
写真ではちょっと切れてしまったが諏訪神社です。この先、次の写真の本殿まで急な階段を上っていく。

諏訪神社本殿。
ここは英語のおみくじが売っているとのことで、さっそく引く。
1本200円払わなければいけないのに、なぜか3本で200円しか払わなかった。貧乏な我々に神も許してくれたことだろう。

四海楼(しかいろう)にてちゃんぽんを食す。
この店の初代、陳平順氏がちゃんぽんを考案したという老舗。私の持っている水入れは、何度も我々が水をおかわりするので、特別に用意してくれたものです。
それにしても立派な店だった。

グラバー園内。
これは旧三菱第2ドックハウスです。
園内はエスカレーターがあり、移動が楽だった。

歴史の泉。
我々はここを次の写真の祈りの泉と間違えてしまい、祈っているポーズを撮ってしまった。

祈りの泉。
後ろの彫刻(?)はローソクを、噴水は炎を表現しているとのこと。
野々垣、何やら考え込んでいます。

三浦環像と壁泉。
三浦環はオペラ「蝶々夫人」のヒロイン、蝶々夫人を何度も演じ世界的に有名にしたオペラ歌手です。
野々垣・隠ちゃんは三浦環の像を、私は監督といった設定。我々の姿は観光客にうけていました。

旧オルト邸。
そろそろ建物に見飽きた我々。

旧グラバー邸。
日本最古の木造洋館。英商トーマス・グラバー氏の旧邸だ。

こっちのアングルの方がグラバー邸らしくて良いと私は思う。
建物内にはグラバー氏の人形などがありました。

大浦天主堂にて。
ここに来る途中、お土産屋でしつこく我々に宝石を売りつけようとする人物(店員)に出くわした。我々の姿を見て少しは判断せい!
教会内は撮影禁止のため、撮れませんでした。

オランダ坂にて。
我々はここまで来てすぐ下ってしまいました。なぜなら…坂は疲れるからです。我々をここに案内するために下りてきた坂をまた上ってくれたおじさん、ありがとう!

出島オランダ商館跡にあるミニ出島。15分の1の模型です。
この後、大学の先生と家にカステラを送るため、文明堂本舗に行った。

長崎駅にて
長崎は坂が多く、道はごつごつしており、道幅は狭く、横断歩道が整備されていない。自転車旅行者にとって最悪のところでした。

平和公園
高さ9.8mの平和記念像をバックに、はい、ポーズ!
我々がこんなポーズで写真を撮っているのだから世の中平和であることは確かだ。像も本望だろう。

浦上天主堂。
キリシタンの迫害に耐えた信者たちが33年の月日をかけて造った東洋一の天主堂。原爆で倒壊するが、1959年再建。1981年ローマ法王を迎えて改装された。例によって中は撮影禁止。

オランダ村入口。オランダ村へは行かない予定の我々は、この写真でオランダ村に入場したつもりになりました。

入口から見たオランダ村の内部。
もう15:00になるというのに風呂の場所をまだ決めておらず、焦る我々。

西海橋にて。
ここはなかなか眺めが良かった。ハウステンボス駅から電車に乗り佐世保で風呂に入ることを決め、電車の時刻が迫ってきてちょっと慌てています。

ようやくハウステンボス駅に着きました。もーへとへと。

この列車に乗って、いざ佐世保へ。
これで佐世保も制覇したこととなりちょっと嬉しい。

風呂の後、コインランドリーに行き、終電がぎりぎりになりかなり焦っています。ちなみにここは佐世保駅。ブレが当時の焦りを物語っている。

後ろにそびえるのは全日空ホテル。(早朝)
このホテルと我々のテントの対比は…。う~む…何とも言えない。
野々垣は自転車のサドルの角度を変えています。この日は朝食抜き。昨夜、桜島で大規模な噴灰が起こり、ここまで灰が届きました。

全日空ホテル。
「今度はここに泊まってやる」との決意。駅からこのようにハウステンボスの入口まで歩道が造られています。

ハウステンボス入口。
いざ乗り込もうとする我々はかなり気合が入っている。この後、パスポートを購入。

私の手元にあるのがパスポート。しかし、なんで2つも?そうなのです。我々はオランダ村へも突入することを昨日急遽決めたのだ。
オレンジがオランダ村。緑がハウステンボス。(「オランダ村共通パスポート35」6,200円)

後ろにそびえるのが、ドムトールン。
オランダで最も高い教会を再現した、高さ105mのシンボルタワー。我々はまず、オランダ村へ行くべくクルーザー乗り場へ急いでいる。

時代かかった観光船の前で記念撮影。入口からここまで結構歩きました。

クルーザー乗船カードを確認する兄ちゃんに撮ってもらった。ちなみに我々の船はここに写っていません。石原裕次郎ポーズの野々垣。私の手にあるのが乗船カード。

クルーザー内。
昨日は入口までだったオランダ村に向かっています。クルーザー内では3人とも眠っていました。

オランダ村美術館。
福田繁雄のトリック・ワールド展が開かれていました。

マーケット広場にて。
オランダ村を楽しもうと元気いっぱいの我々。

マジック噴水の前にて。
何がマジックなのか未だ分からず…。後ろにはオランダの象徴、風車が!

オランダ村は2つのエリアに分かれており、最初に我々が着いたのはウィレムスタッドエリア。これから船で対岸のホールンエリアに行くところです。

プリンスウィレムの前にて。17世紀最大の木造帆船。
我々3人の間に
「オランダ村は失敗だったのでは」
と囁かれ始める。

この手の物にはすぐに飛びつく我々。

入れ替わってもう1枚。私は青森の時、ずっと真ん中だったので、2枚とも今度は顔をはめ込みました。

パレスハウステンボス前にて。
前庭までが無料なので、ここで写真を撮る。

外人さんの生バンド。長袖で暑そうだった。

アレキサンダー広場にて。
暑さでご覧の通り氷が融けてしまっています。

我々3人、黒ビールを飲むところ。右に写っているレジが邪魔だ。

マウリッツ広場の噴水にて。
3人とも後ろの像のポーズをそれぞれとっています。

チョコレートハウス内にて。
我々の後ろには流れるチョコレートの滝がある。
本来はここでチョコパフェを食べる予定であったが、なんと売り切れてしまったのだ。残念。王室御用達のチョコレートを食べる。

夕方、サンバを見にオレンジ広場へ駆けつけたのだが、着いたのが18:30(ニュースには18:00~とあった)過ぎだったのか生バンドを演奏していました。
サンバはもう終わってしまったのか?残念がる我々。

突然海賊船の船長らしき人物がビールを片手に現れる。
我々3人、一緒に写ってもらおうともじもじしていたら、船長、いきなり隠ちゃんを指さしながら「ひげ!!」と叫び、近づいてきました。陽気な船長。
それにしても、隠ちゃんの髭も役に立つのだなぁ。

この写真を野々垣が撮るとき、「ハイ、チーズ」と掛け声をかけたのだが、船長、その掛け声にあわせて「スキヤキ!!」と叫びました。なかなかお茶目である。

船長を囲んでの集合写真。
顔を真っ赤にしてビールを片手に観光客と写真を撮るこの船長の商売(?)は我々3人、とても羨ましく、外国で日本村ができたら侍のカッコでこんなバイトをしてみたいと3人で話していました。

ドムトールンを背に。
この後、このドムトールンの最上階へ行き、ハウステンボスを見下ろす。
と、その時、オレンジ広場に何やら異変が!再びオレンジ広場駆けつけたのでした。

なんとこれからサンバが始まることを知り、大喜びの我々。後ろのバンドはブラジルでは有名なグループらしい。

ブラジルからはるばるやって来てくれたバンドさん達である。

バンドが演奏するサンバのリズムに乗ってやって来ました、お待ちかねのお姉ちゃんたち。我々3人、大喜びで一番前の地面に座り込んで鑑賞。

後ろに写っているよちよち歩きの子供が舞台に上がって大暴れ。
子供の親がけしかけ、それをビデオに撮っているのだ。
見ての通り、次々お姉ちゃんたちが我々の目と鼻の先までやって来て踊りました。

お姉ちゃんの一人が野々垣の腕を捕まえて踊りの輪に引きずり込む。もちろん野々垣も大喜びで立ち上がった!
その後、この後ろ姿のお姉ちゃんがなんと私の腕を捕まえて私までも引っ張り込んだのだ!!
もうこうなったら思いっきり踊るしかないでしょう!

野々垣君、リュックをしょって踊っております。激しい踊りのため、野々垣君、顔がぶれています。私も野々垣も盆踊り位しか踊ったことが無いので、サンバのような激しい踊りにはちょっと足がついていけませんでした。
この後、夕食は焼肉食べ放題。

翌日、早岐駅にて。
今日は武雄までなので余裕である。

武雄温泉にて。
後ろは武雄温泉のシンボルの楼門。野々垣と私は、昨夜の興奮がまだ冷めず、踊っています。
それにしても今日の目的地に昼前に着いてしまうとは…。

楼門をくぐって温泉の本館。武雄温泉は神功皇后が三韓征伐の疲れを癒した歴史ある温泉。
我々のこのポーズに笑いながら撮ってくれたおばさんに、野々垣君「このポーズは我々の中で一番つまらないバージョンです」とのたまっていました。

武雄温泉から勢い余って佐賀駅まで来てしまいました。
この日、我々はこの佐賀駅で寝ようとしたのでしたが追い出され、私と隠ちゃんは駅前でテント、野々垣はベンチで一夜を明かす。
ベンチで寝ていた野々垣に浮浪者が「そこは俺の場所だ」と声をかけてきたそうだ。

有明といえば「むつごろう」
ちょっと高かったけど郷土料理の詰まった有明弁当を食す。
店のおばさんは、特別にご飯をおかわり自由にしてくれた。図に乗って思わずおかわり3杯も…。我々に遠慮の文字は無い。

翌日、柳川にて柳川鍋とうなぎのせいろ蒸しのセットを食す。昨夜に引き続きかなりリッチ。
店名は「六騎」。この後、加島家へTEL!

北原白秋生家の筋向いにある民芸品土産と喫茶の「モリヤマ」にあるムツゴロウと記念撮影。
食後だけあって体力満点。私はムツゴロウにアッパーをくらわしている。

白秋生家の前にて。
私は彼の詩、「落葉松」が好きなので、2人を説得してやって来ました。
白秋は柳川藩御用達の海産物問屋兼造り酒屋に生まれたのだ。私の後ろにはなまこ壁が。

上がりこんでよいので思わず茶の間でリラックス。もちろん白秋生家内。

もう一枚パシャリ。我々、早くも自分の家のようにくつろいでいます。
根っからずーずーしい我々。

思索に耽る私。

演技がちょっとくさい野々垣。

なりきっている隠田。

柳川だけあって柳と川がある。
柳といえば幽霊。という訳で、幽霊のふりをする3人。野々垣、ナイス表情!

太宰府駅に着きました。途中久留米で別府以来の2度目の雨に会い、ここまで来るのにとても苦労しました。
駅は天下の大宰府だけあって、凝った造り。我々3人、無事到着して大喜び。
少し手前のコンビニで加島家へ2度目のTEL。

梅ヶ枝餅を食べた後、太宰府天満宮を見学。私は1円、隠ちゃんは5円、野々垣は10円を賽銭した後、お守りを買う。

博多への途中で大宰府市民祭りに出くわし、ちょっと寄ってみました。

ついに、ついに博多駅に到着。我々3人大はしゃぎ。我々の自転車旅行もついに終わったのです。
ちなみに、後ろの「博多駅」の「博」の文字が一部欠けていてちょっとズッコケる。

博多駅と正確に読み取れるよう、もう1枚撮りました。
それにしても、自転車よ、よくも持ちこたえてくれた!!
この後、風呂に入りガストで夕食をとる。

ペリカン便にて我が家へ3人分の自転車を送る。
昨夜は博多駅の新幹線待合所でゴロ寝をし、体調を崩してしまいました。
ちなみに、外は雨が降っています。

再びやって来ましたUSA(宇佐)ステーション。
ここまで来れば加島家はすぐそこだ。前に来たときは自転車があったけど、今はもうありません。

夕食後(夕食は我々のずーずーしい希望により刺身)、ひと眠りした後、おばさんが買ってくれた花火を4人、家の近くで行う。二宮金次郎の像がちょっと不気味。

ちょっと雨がパラついてきたので神社の屋根の下に移動。花火の二刀流をご覧あれ。しかし、花火をすると夏を感じるなぁ。

加島家では夏になると寝ゴザにするとのこと。我々にとって初めての体験。久しぶりに人間らしい眠りを享受できた。
それにしても隠ちゃんと野々垣の足、日焼けした部分とそれ以外の部分との差がスゴイ。

大分駅にて。この後、電車に乗って温泉に行く。
ちなみに、加島家からここまで今旅行初のタクシーを使う。

フェリーに乗って、いざ四国へ。ちなみに四国は予定外の旅で、昨夜決めたのでした。キーホルダーを買おうとしたのですが、良いのが見つからず今旅行の記念は思い出のみ。手前の黒い荷物は私の。

野々垣、手が邪魔だ!
隠ちゃんが持っているのはフェリーに用意されている枕です。

夕焼けをバックに。
今回は野々垣も船酔いせず、3人で写真が撮れました。快調な船旅。
それにしても今回はよく船に乗るなぁ。

私が持っているのはトランプ。我々は大貧民をやっています。ちなみに1位の人がとんがりコーンもしくはポテトチップスを6個(枚)、2位4個(枚)、3位2個(枚)与えられる。私は最初1位でしたが、チョンボしてしまい、ビリに転落。その後、長い冬の時代がやって来るのです。

八幡浜のフェリー港に到着。
隠ちゃんは四国の地は初めて。この後、タクシーに乗って八幡浜駅まで行く。

八幡浜駅に到着。この後、電車に乗って松山駅へ。松山駅では駅から追い出され、外でテントを張らずベンチで野宿。

松山城にて。
私は松山に2度来たことがあるが、松山城見学は初めて。我々の手に持つうちわはリフト乗り場で借りたもの。

松山城がより見える所からもう1枚。内部は資料館となっているが、もちろんカット。(有料だから)
この後、本屋に行き食べ放題の店を探し、「ハナマサ」という焼肉食べ放題の店へ行く。

道後温泉にて。
この温泉は夏目漱石の小説「坊ちゃん」で有名。ちなみに我々はこの温泉には入らず、バスに乗って奥道後にある「ホテル奥道後」のジャングル風呂に入りました。

松山駅を背景に。
温泉に入ったし、コインランドリーで洗濯したし、もー完璧。

別の角度からもう1枚。我々は今日もこの写真のすぐ側にあるベンチの上でシェラフにくるまり1夜を明かしました。
ちなみに、隠ちゃんと野々垣はベンチでは寝づらいと地べたでシェラフにくるまり眠りました。

松山から一路、鳥取へという途中、電車乗り換えの合間を使って津山駅周辺を散策。私の顔が変なのは道路に出てこの写真を撮ってくれた人に車が走って来たからです。
(変なのはもともととは失礼な!)

鳥取駅にて。
今はちょうど雨が降っていないが、この後も翌日も雨が強く降る。お陰で鳥取砂丘には行けなかった。
俺たちは何しに鳥取まで来たんだ!?

ホームに滑り込んできた電車に我々2人と野々垣の荷物を積み込み待機していたら、なんと野々垣を残して電車が発進!その上、乗った電車が間違っていたとは…。2人はすぐさま次の駅「坂田駅」に降り、野々垣のいる米原駅に電話する。その後、隠ちゃんと記念にパチリ。

立川駅にやっと到着。九州+おまけの旅もついに幕を下ろしました。
我々の顔が映っているのは隠ちゃんのおばさんが乗っている車です。
第三部 完

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