しまなみ・ゆめしま海道旅行
サイクリストの聖地についに降臨!
30年ぶりの本格的な自転車旅行。
その舞台ははサイクリストの聖地、しまなみ・ゆめしま海道だ!
今治から瀬戸内海の島々を渡り、尾道まで、我ら3人の珍道中が再び幕を開ける!
行程表
| 8月12日 | 今治駅~大島-瀬戸内荘 |
|---|---|
| 8月13日 | 大島~大三島-素泊り茶房 トマリギ |
| 8月14日 | 大三島~岩城島-Bike, Cafe and Inn 寄り道 |
| 8月15日 | 岩城島~尾道駅 |
宿泊ホテル(?)
旅の日記
8月12日(火) 曇り時々晴れ “初日!”
インダ:
3時半に起床した。4時半の始発に乗って立川駅から東京駅へ向かい、岡山駅行きののぞみ新幹線に乗り込み、のんのんと合流し、名古屋駅で皆見と合流した。
岡山駅到着後、今治駅までは特急しおかぜに乗った。
今治駅前でレンタサイクルし、今治城や「SHIMANAMI」モニュメントなどを巡った。今治駅周辺はそこそこ賑わっていたが、アーケード街などはシャッターが下りた店ばかりで暗く、人もほぼおらず、かなりさびれた雰囲気だった。が、昼食に予定していた名物「焼き豚玉子飯」は長蛇の列のため、やむなく断念した。なお、旅行前に松屋の「今治焼豚玉子飯」を私は食していたので、その写真をアップしておく予定である。本場の味と比較してみたかった。
その後、いよいよしまなみ海道の最初の橋(来島海峡大橋)に突入した。
と、ここまでは確かな記憶があったのだが、久しぶりのサイクリング、海岸線の低レベルから橋の高レベル(橋下を船が通過するため)までの高低差、そしてなによりもアホのような暑さのせいで、私の脳はオーバーヒートし、あまり記憶がない、残念だ。おわり
ミナミル:
夜明け前の3時半に起きる。昨夜は22時過ぎに眠りに就いたのだが、深夜1時過ぎ、2時過ぎと何度か目が覚めた。
久しぶりの自転車旅行で気持ちが高ぶっていたうえ、寝坊できないというプレッシャーもあって眠りが浅かったのだろう。
3時半に目が覚めたとき、ここで二度寝したら本当に寝坊すると思い、起きることにした。
二人にLINEで起きたことを伝える。昨夜、一番早く起きるであろう隠ちゃんにモーニングコールをお願いしていたのだが、それは不要になったという連絡でもあった。
隠田、野々垣が乗ってくるのぞみ1号は7時35分に名古屋駅に到着する。
本来は6時26分の電車で十分だが、せっかく早起きしたので一本早い電車で名古屋へ向かった。
天気は曇り。
駅のホームで、スマホを見ると二人から東京駅に着いたというLINEが届いていた。
電車の遅延情報も無い。すこぶる順調である。
残る心配は天気だ。
昨夜19時のウェザーニュースによると、12日の今治は小雨が降った後曇りになるとのこと。
<2025年8月11日19:20時点のウェザーニュース>2025>
昨日(11日)は九州北部で新幹線が始発から全線運休するほどの豪雨があり、今日も引き続き全国的に雨マークで、特に日本海側(北陸、中国、九州)は激しい雨の予報だ。
そう考えると若干の雨ならば、まだ良い方なのだが、それでも晴れて欲しい。
7時に名古屋駅に到着すると大阪関西万博に行く人向けの案内放送が流れている。大阪関西万博は相変わらず盛況なようだ。
朝、家であんパンを食べたのたが、時間が余ったので新幹線ホームの「きしめん住よし」で「きつねきしめん(500円)」を食す。
本当は冷やしかき揚げきしめんを食べたかったのだが、冷やし系は全滅。温かいほうも、かき揚げやイカ揚げ、タヌキ等、揚げ物は全て売り切れていた。
なぜ?この時間なのに?
どうにも気になり、食べながらカウンターの向こうの店員に尋ねた。すると、新幹線ホームはフライヤーの設置が禁止されており、在来線ホームの店で揚げたものを届けてもらっている。しかし、朝は在来線側も忙しいので、9時過ぎにならないと揚げ物が届かないのだそうだ。
思わぬ新幹線トレビアを入手する。
隠田、野々垣が乗った新幹線がホームに滑り込む。
中に入ると3号車5番席に懐かしい二人の顔が見えた。思わず顔がほころぶ。
3列シートに三人で並んで座り、たわいない話をしているうちに、岡山駅に到着した。
時間を有効活用すべく、私と野々垣は岡山駅のトイレで長ズボンから半ズボンに履き替え、予定通り9時25分発の特急しおかぜ5号松山行きに乗る。
新幹線は3列シートだったが、しおかぜは2列シート。
私と隠田が横に並び、野々垣はシートを回転させ、向かい合わせに座った。幸い野々垣の隣は、この後、今治駅まで他の乗客が座ることはなかった。
今治までは約2時間。長いなと思って窓の外を見ると、隣に線路がない。どうやら単線のようで、なんだかずいぶん田舎に来た気持ちになる。
曇っていた空は瀬戸大橋を抜けると日が差し込んできた。
我々の願いが天に通じたようである。
しおかぜは定刻の11時35分に今治駅に到着した。
イメージしていたよりずいぶん人が少ない。
トイレで隠ちゃんがズボンをはき替えた後、早速、今治駅前レンタサイクル店に向かう。
受付は混んでいるかと思いきや、時間が中途半端のせいだろうか、待つことなく受付を済ませることができ、スムーズに自転車を用意してもらえた。
ちなみに、店から借りたのは「クロスバイク」で、タイヤが細く、ずいぶんと軽い。
店のおっちゃんからギアの使い方や来島海峡大橋に向かう道などの説明を受け、ようやく出発だ。
まずは、レンタサイクル店と今治駅前そして、しまなみ海道0キロポスト壁画の前で写真を撮る。
想定では、誰かに写真を撮ってもらうつもりだったのだが、駅前なのにびっくりするほど人がいない。
念のため持ってきた三脚が大活躍だ。(実はこれ以降、ほとんどすべての写真は三脚を使って撮影することになるのだが、この時点ではまだ知る由もなかった。)
しまなみ海道0キロポスト壁画前で写真を撮り終えた後、隠ちゃんに手伝ってもらいスマホホルダーを自転車に取り付ける。
30年前は自動車マップを確認しながら走っていたものだが、今はスマホがナビをしてくれる。便利になったものである。
市役所前の巨大スクリューに立ち寄りながら、今治B級グルメの『今治焼豚玉子飯』を食べに重松飯店に向かう。
ここは今治焼豚玉子飯で有名な店だ。
早くも想定より30分ほどスケジュールが遅れているが、まぁ、大丈夫だろう。
そう思っていたが・・・その考えは甘く、店の前にはあり得ない行列ができている。
誤解を恐れずに正直に言おう。
豚丼の上に目玉焼きをのせただけのなんの変哲もない丼ものに、ここまで並ぶ意味がさっぱり理解できない。
そもそも、今治の名物と言われなければ、まず注文しないであろうメニューである。
ということで、大して思い入れが無い私(二人も?)は、店の前で写真だけ撮り、後ろ髪を引かれることなく、今治城に向かうこととした。(決して負け惜しみじゃないやい!)
途中、今治ラヂウム温泉本館に立ち寄り、今治城高麗門近くから今治城を眺めた後、サンライズ糸山に向かって自転車を走らす。
それにしても、アーケード街もかなりびっくりするほど閑散としている。信号待ちをしていると、誰もいないアーケード街に小田和正の歌がぽつんと流れていた。その澄んだ声が、静まり返った通りに染み渡り、なんとも言えない寂しさがそこにあった。
さらに先へ進むと、早くも異変が――。
まだ本格的に自転車旅が始まったばかりだというのに、すでにお尻が痛い!
試しに二人に聞いてみると、どうやら同じ症状のようだ。
時々、ケツポジ(ケツのポジション)を変えつつ走るも効果が無く、痛みは増すばかり。
リアルに旅の完遂が危ぶまれ、不安が増す中、道の途中でダイソーを発見した!
地獄に仏とはまさにこのことだ。
サドルクッションを購入するため迷わず寄り道する。
ダイソー、本当にありがとう。
大げさじゃなく、神に感謝した。
その後、上り坂の途中で休憩を挟みながら、ようやく、サンライズ糸山に到着。
本来の計画では「昼食を済ませて13:40着」のはずだったが、まだ昼食もとっていないのに、すでに予定より10分ほど遅れている。
しかも、館内の「風のレストラン」は昼のピークを過ぎた時間にもかかわらず、入店まで30分以上待ちとのこと。その上、値段もそこそこ高め。
窓越しに見える来島海峡大橋のパノラマが絶景で、それが人気の理由なのだろう。
普段の我々なら迷わず次の店へ向かうところだが、隠ちゃんがかなり限界だったこともあり、館内の涼しさもともなって、休憩を兼ねて待つことにした。
あわせて、亀老山展望台は時間的に厳しいと判断し、行程から外すことにした。
15時過ぎ、食事を終えた我々は、「SHIMANAMI」文字モニュメント前で写真を撮り、いよいよ、ゆめしま海道最初の橋、来島海峡大橋に向かって出発する。
ところで、来島海峡大橋に限らず、しまなみ海道の橋はすべて、自動車用の入口とそれ以外(自転車や歩行者用)の2種類の入口がある。
橋はその下を船が通るのに支障が無いよう、かなり高い位置にあるので、そこへは長いスロープで上がる。ただ、長いぶん傾斜は思ったほどきつくない。
今回、我々が最初に走るこの来島海峡大橋は海面からの高さが78m(道路部分)、長さが約4kmと、しまなみ海道(ゆめしま海道も含め)の橋の中で高さ、長さ共に一番大きな橋、いわば、しまなみ海道のメインディッシュ的存在である。
尾道から出発した場合は、このメインディッシュを走り抜け、旅のフィニッシュを飾るのだが、今治から出発する我々は、前菜をすっ飛ばして、いきなりメインディッシュにありつく感じだ。
余談ではあるが、しまなみ海道を旅行先に決めた後、我々は尾道と今治、どちらから出発するかを話し合った。
結果、今治から尾道に向かって走った方が、過去の気象データから追い風になる可能性が高く、また仮に向かい風になった場合であっても、尾道出発時の向かい風より弱い傾向があるという理由(他にもあるが、これが一番の理由)から、今治出発を決めた経緯がある。(楽することに関しては努力を惜しまない我々)
実際は、走行に影響するほどの風は吹かなかったのだが・・・。
来島海峡大橋を渡りながら、眼下の海に目を落とす。ところどころで水面が白い筋を引き、渦を巻いている。
見慣れた海とは違う、その複雑な動きに思わず息を呑んだ。
橋の途中で馬島に立ち寄る。島民以外は車で降りられず、来島海峡大橋のエレベーターで島へ降りるか、船で上陸するしかない。自転車ならではの寄り道だ。エレベーターで島に降り、馬島神社へ向かった。
馬島神社は・・・正直、大した見どころが無く、すぐ近くに灯台(ウヅ鼻灯台)があるだけの小さな神社だ。
だが、階段の登り口裏に広がる海はぜひ勧めたい。途中に二つの海食洞門があり、そこをくぐると、すぐ目の前で信じられないほど速い潮の流れを間近に見られる。迫力は抜群で、おそらく馬島で唯一の必見スポットだ。
残念ながら隠ちゃんは疲れが出て階段前で休憩となり、この景色は野々垣と二人で堪能した。
その後は、来島海峡大橋に戻り、一路、今日の宿、「民宿瀬戸内荘」を目指す。橋から大島へと続くスロープを勢いよく駆け下り、「道の駅よしうみいきいき館」に立ち寄ったのち、途中、ナビに従って未舗装の細い道を抜ける。
隠ちゃんが塩飴を買いたいというので、宿の近くにあるファミリーマートに立ち寄り購入。
そして、17時45分、ようやく宿に到着した。
宿は、予約する際の写真で見ていた通り、古い民宿であったが意外に大きい。
チェックインを済ませたあと、汗だくの我々はまず風呂へ向かった。
男女別ではない浴場の入口には「貸し切り」の紙が貼られていてるが、先ほどスタッフの人から、我々の貸し切りだ教えてもらっているので迷わず入る。
湯船に浸かって汗と疲れを流し、ようやく人心地ついたのち夕食をいただいた。
風呂上がりの一杯は、やっぱり最高だ。しかも、気心の知れた仲間とならなおさら。
刺身、魚の煮つけ、唐揚げなど、料理はどれも美味しく、箸が止まらない。
私と野々垣はもちろんのこと、前回の旅ではほとんど飲まなかった隠ちゃんまで、ビールをおかわりしている。
お盆の時期なのに夕飯朝食付きで一人、1万円以下の宿だったので、正直、あまり料理は期待していなかったのだが、味、量ともに大満足である。
瀬戸内荘は、お世辞にも見映えが良いとは言えないが、風呂、食事、部屋の広さ、クーラーの利き具合と、申し分ない宿であったということで、今日は疲れ果てたため、ここで筆を置くこととする。疲れた〜。
ノノガキ:
8/12(火)4:20起床。さすがに荷造りは終えているので、早々に花の水やり。朝食を済ませいざ出発。ゴミ捨ても完璧。妻にほめられると思ったら、扇風機をつけっぱなしだったらしい(妻からのメールで判明)。合掌。。
その後、新幹線はじめ序盤は順調。も、昼食を予定していた重松飯店が大行列!これがケチの始まりだった。焼豚玉子飯は早々に諦め、今治城etcの写真スポット巡り。そして、いよいよしまなみ海道へ。。
しかしここで隠田が熱中症!?予想外の事が早くも連発している3年ぶり53才の旅。果たしてどうなる?? (たぶんつづく)。
(そして、つづき)。
その後、何とか糸川サンライズで昼食。松山パエリアでエネルギーを補給をしたのち、今日の最大インパクトは馬島神社。神社は正直普通も、よかったのは波打ち際の光景。皆見が動画で撮ってくれているが、やはりその目にじかに焼きつけられたのはよかった。何しろ初日から色々あったが、残り3日。特に隠田、大丈夫か。波乱万丈なスタートであった(おしまい)。
8月13日(水) 快晴 “大変”
インダ:
昨日は猛暑やらで、早々にグロッキー状態になり、辛うじて馬島神社を訪問したものの、予定していた亀老山登りは見送った。
今日は宿を出て、時間指定のイベント「潮流体験クルーズ」があったので、そこまでは予定通りに進行できた。村上海賊ミュージアムを見学し、クルーズ船に乗って潮流を体験した。潮の満ち引きと海底の複雑な地形のせいか、海上に滝のように段差があり、不思議な見ごたえがあった。
と、ここまでは確かな記憶があったのだが、このイベントには、村上海賊の海城があった島に上陸するのも含まれており、といっても、特に当時の建物などなく、小高い野っ原だけがある島で、ガイドのおじいさんがいろいろと説明してくれるもので、炎天下の中、帰りのクルーズ船が来るまでの50分間で、私の脳はオーバーヒートし、あまり記憶がない、非常に残念だ。おわり
ミナミル:
夜中にトイレでちょいちょい目が覚めるのだが、その度に隠ちゃんから声を掛けられる。
3年前の旅行も同じだったなぁと思い出す。
6時ごろ起床し、隠田と風呂に行く。
風呂は温泉でも24時間風呂でもないので、無理かもしれないと思ったが、宿の人が快くシャワーを使えるようにしてくれた。
本当にサービスが良い。(この宿、洗濯機も無料で使えるし、冷水サーバーも設置してあり冷たい水が飲み放題である)
今日は、能島上陸&潮流クルーズを体験した後、伯方島を経由して大三島に泊まる予定だ。
朝7時に朝食を済ませ、9時開館の村上海賊ミュージアムを見学するため、8時に宿を出発する。
テレビの天気予報のコーナーでは、アナウンサーが「今日も気温が非常に高く、洗濯物がすぐに乾くでしょう」と伝えていた。
晴天を願ってきた旅だが、どうやら少々祈りすぎたらしい。
宿を出て、すぐ近くのLAWSONで水を買い、村上海賊ミュージアムへ向かう。
道中は、ゆるやかだが長い上りが続く(いわゆる地獄のボディーブロー攻撃)。ようやく坂を登り切り、宮窪峠でひと息ついたあとは、これまでの苦労をねぎらうかのような心地よい下り坂。風を受けながら一気に駆け下り、8時50分ごろ、ミュージアムに到着した。
村上海賊ミュージアムの前には、開館前にもかかわらず既に数組の観光客が並んでいた。
9時に開場し、さっそく見学を始める。
実は出発の3日前に、能島村上海賊を扱った『村上海賊の娘』を読んでいたおかげで、当時の様子や主要人物の像が頭にあり、資料をいっそう興味深く見ることができた。
30分ほど見学したのち、能島上陸&潮流クルーズに参加するため、道路を挟んだ向かいにある「能島水軍」へ向かう。
このクルーズは5月上旬に申し込み、料金も事前に振り込み済みだ。
受付に行くと、すでに多くの客が集まっており、どうやら我々が最後らしい。手続きを済ませ、乗船前に救命胴衣を装着。
リュックは受付のテーブル下に一時預かりしてもらった。
クルーズに乗ってまず思ったのは、「進行方向の左側に座ればよかった」ということ。
島を反時計回りに巡るため、左側のほうが見やすいのだ。
島のまわりで加速する潮の流れを眺めたあと、いよいよ能島に上陸する。
『村上海賊の娘』を読む前は、上陸は“おまけ”で潮流クルーズが主役だと思っていた。
けれど本のおかげで、何もないように見える島でも、「ここから鯛埼島まで縄梯子が渡っていたのだろうか」「ここに毛利の使者が船を着けたのか」「ここが本丸だったのか」と想像を巡らせることができ、ガイドの話を存分に楽しめた。ただ、暑いのだけは閉口したが。
能島上陸と潮流クルーズを終え、次は伯方島へ。
もともとは伯方島を反時計回りに一周する予定だったが、ここもショートカットして一直線に大三島へ渡ることにした。
途中、「道の駅伯方S・Cパーク」近くのお好み焼き店「風」でランチをとる。
お好み焼きはもちろん旨いが、冷たい水が飲み放題なのが何よりありがたい。
外はあまりに暑く、コンビニで買った水もすぐぬるくなる。
水の価値の半分以上は“冷たさ”だと思っている身としては、好きなだけ冷水を飲めるのが本当にうれしい。
その後、伯方島から大三島に向かうのだが、そこでトラブルが発生した。
それは、隠ちゃんを先頭に大三島橋に至る長いスロープを登り切り、大三島橋を少し走った先で起きた。
他のサイクリンググループが休憩しているのを見て、「ここなら三脚を使わずに写真を撮ってもらえる」と思い、隠ちゃんに自転車を止めるよう呼び止めた。
しかし、隠ちゃんは聞こえていないのか、そのままフラフラ走り続ける。
野々垣も一緒になって大声で止まるよう、呼び止めてくれたのだが、その時突如、隠ちゃんが自転車ごと横倒しに倒れたのだ。
その後、橋の上に座り込んで休憩をとる。
隠ちゃんの様子を見ると、3年前に乗鞍岳登山を途中リタイアした時に似た様子だ。
とりあえず、隠ちゃんを残し、野々垣と相談した結果、当初、大三島を南周りで走る予定であったルートを北側の「道の駅多々羅しまなみ公園」に向かうルールに変更した。
最悪の場合、こちらのルートであればバスに乗って宿のある宮浦まで島を横断できる可能性があるからだ。
隠ちゃんに確認すると、「休み休みならまだ走れる」とのこと。そこで、無理せずゆっくり進む方針にした。
バスは事前検討ゼロで、本数や乗り場、自転車の扱いも分からない。時刻を調べようとネットを見るが要領を得ない。
最悪リタイアなら翌日の移動や行程をどうするか──そんなことを考えながら走る。
大三島ICの入口、「道の駅多々羅しまなみ公園」の250mほど手前の信号側で休憩を取る。スマホでバス停を調べると、信号を渡った目と鼻の先に大三島BSがあるではないか。
隠ちゃんにバス停へ向かうか確認すると「まだ大丈夫」との返答。そこで寄り道せず、そのまま「道の駅多々羅しまなみ公園」まで走り切った。
冷えたみかんジュースで一息つき、「サイクリストの聖地」記念碑で写真を撮ってから、改めて今後のルートを協議する。
自転車で進むなら峠越えで島を横断することになる。最終的に、隠ちゃんの「休み休みならまだ走れる」という言葉を信じて続行を決めた――が、この先でまたトラブルが起きた。
今度は、隠ちゃんの自転車のブレーキが掛かりっぱなしになってしまったのだ。おそらく、大三島橋で倒れた時の影響だろう。手でブレーキを引っ張っても直る気配がない。
もうすぐ16時。考えている余裕はない。我々は即座にレスキューを呼ぶこととした。
しまなみ海道はサイクリストの聖地で、地域が一体となってサイクリングを観光の目玉としているせいか、トラブルに対するサービスも充実している。
とはいえ、まさか自分たちが世話になるとは夢にも思っていなかったが。
レンタル時にもらったパンフレットを頼りに、近場のレスキュー先を検索。
どうやら「井上モータース」が一番近いようだ。すぐ電話で事情を伝え、「上浦支所」バス停そばの橋のたもとにいると告げて救援を依頼。
約30分後、店主が軽トラで駆けつけてくれた。
早速見てもらうと、工具がないと修理は無理とのこと。自転車を軽トラに載せて店まで戻る必要があるという。しかも店は、ここまで来た道をかなり引き返した場所だ。
さすがに、隠ちゃんに来た道を戻ってもう一度走り直すとも言えないし、そうなると日が暮れた中、峠を走ることとなり危険だ。
私は自分の自転車を隠ちゃんに託し、野々垣と先に進むよう提案する。そして隠ちゃんの自転車と一緒に軽トラで店まで戻ることにした。
車内で改めて店主にお礼を伝え、我々が「しまなみジャパン」で自転車を借りていることを話すと、それならば修理するよりも、多々羅しまなみ公園内にあるレンタサイクルのターミナルで新しい自転車に交換してもらった方が早いとなり、先ほどみかんジュースを飲んだ多々羅しまなみ公園に戻ることになる。
こちらの方が戻る距離が少なく助かった。ターミナルで自転車を降ろしてもらったところで店主と別れる。感謝しかない。
ターミナルで自転車を交換してもらい、全力で二人を追いかける。
二人と別れた場所までは迷わず来ることはできたのだが、この後が厄介だった。
自転車にスマホスタンドが付いていないので、走りながら道を確認することができない。
短パンのポケットならスマホを取り出しやすいが、漕いでいるうちに落としそうだ。
やむなく、スマホをリュックにしまい、ルートに不安を覚えるたびに立ち止まり、リュックから取り出して方向を確認する。
リズムが狂うので、これが地味に体力を奪う。
途中、外人夫婦のサイクリングと抜きつ、抜かれつのデッドヒート(?)を展開するのだが、これも別に競争しているわけではない。
互いに追い抜いては止まり、地図を確認する。その繰り返しで、自然とそのような展開になるのだ。
しばらくすると、三村峠の頂上の少し手前に出た。
まだ二人に追いつけないので、野々垣に電話を掛けてみる。すると、道の後方50mほどのところに二人の姿があるではないか。
私は三村峠に通じる歩行者・自転車用の道を走っていたのだが、二人は普通の道を走っていたので、知らず追い抜いてしまったのである。
二人と再会後、自転車を交換して一路、大山祇神社へ。
峠で17時を迎えてしまい、神門が閉じて境内には入れず、拝殿に手を合わせることもできなかったが、リタイアの瀬戸際だったことを思うと全く残念に感じなかった。
大山祇神社で休憩した後、我々はようやく今晩の宿、「トマリギ」に到着した。
チェックインを済ませたあと、備え付けのリンスインシャンプーとボディソープを借り、三人で自転車に乗って宿から1kmほど先の「マーレ・グラッシア大三島」へ向かった。ここは、ひと言で言えば“スーパー銭湯”で、海水を使った海水風呂がウリだ。
余談だが、この施設は本来水曜定休で、今日は休館日のはずだった。5月の時点でそれに気づき、出発日の変更も考えたが、念のため電話で確認すると
「昨年のお盆は休まず営業した」
との返答。
「今年はどうですか?」
と重ねて尋ねると、
「1か月前にならないと確定しないが、おそらく今年も営業する見込み」
とのことだった。そうした経緯があったので、定休日でも慌てず、公式サイトで営業中であることを確認して向かった。
マーレ・グラッシア大三島は海沿いにあり、島の西側という立地のおかげで、展望露天風呂からは夕日が真正面に見える。
三人で肩まで湯船に浸かりながら、沈む夕日を眺め、今日一日の疲れを洗い流していった。
風呂上がりの夕飯は、ここの食堂と決めていた。
実は入浴前、野々垣が「今治焼豚玉子飯始めました」のポスターを見つけ、「今治の仇は大三島で」と盛り上がっていたのだ。
意気揚々と湯から上がったところで、先に出ていた隠ちゃんから「食堂は19時で閉店」との報せ。肩の力が一気に抜けた。
19時に閉店って早くない?と一瞬思うが、過去の旅でも何度も同じ目にあっている。田舎はそういうものだと諦めた。
仕方なく、大山祇神社の参道へ向かうことにした。このあたりでは一番賑やかな通りのはずなのに、ほとんどの店が閉まっている。暗闇の中灯篭の淡い光だけが静かに並んでいる中を走るのは、ちょっとした肝試しのようだった。まずは参道入口にある「きつねのぼたん」を訪れたが、満席で入れず。そこで少し戻って「SANDO」という店に入ってみたところ、これが大正解だった。
バナシュ(生ビール+自家製レモネード)や神の島レモンサワー、島みかんサワーといったお酒はどれも美味く、ピザやフィッシュ&チップス、高菜チャーハン等も、どれも美味い。
注文してからお酒や料理が出てくるのに時間がかかり過ぎるのが難であったが、総じて三人ともとても満足した夕食であった。
帰りにLAWSONで明日の朝食のパンとビール、スナック菓子(キットカットとカールのチーズ味もどき)を購入し、宿に戻る。
宿では土間と呼ばれる共有スペースで野々垣とビールを飲みつつ、スナック菓子をつまみ、宿に置いてあったトランプを使ってマジックを披露するなどし、洗濯が終わるまでの時間を過ごした(隠ちゃんは部屋で休憩)。
今日は走った距離は大したことなかったものの、いろいろと波乱万丈な一日であった。
ノノガキ:
今日は6:30過ぎ起床。昨夜は22時前には寝たはずなので、8時間半以上寝た模様。自分で思っている以上に疲れているのかも。そして、the旅館の朝食(ひじきの煮付けetc)を頂戴した後、AM8:00に出発。まずは村上海賊ミュージアム。
しかし、ミュージアム云々よりミュージアムへの道中で昨日熱中症(?)を発症した隠田氏が、やはり本調子ではない模様。途中休みをはさみながらいく。ただ、昨日よりは幾分元気そうで無事ミュージアムに到着。私としては可もなく不可もない展示場であった。最近、村上海賊の娘を読んだ皆見はとても楽しかったらしい。うらやましい。
その後の潮流体験は正直ごうもんであった。上陸した島に何しろ日陰がない。50分程いたらしく、正直チャリより厳しかった。
その後、いよいよ本格的なチャリ旅行、と思いきや、その道中で隠田のチャリが故障。急きょ、修理か交換になり、大きく時間をロス(結局、交換となった)。さらに時間をさかのぼれば、弱気になった隠田から「リタイア宣言」もあるなど、やはり波乱万丈なこの旅行。一体どうなる!?
P.S.夜に皆見のカードマジックを見た。過去1な気がした。やる~
8月14日(木) 快晴 “大丈夫だった。”
インダ:
昨日は確実に猛暑で、グロッキー状態になり、それでも進行し、自転車で2度ほどコケたり、ブレーキの調子が悪くなったりなど、トラブルが発生し、正直リタイヤできるものなら、したい心境だったように思う。
今日はそんな状況を踏まえ、休み休み進み、ところどころフェリーで移動した。海上は風が涼しく、とても気持ち良い、しかも楽チンである。
しかし、どこかのフェリー乗り場で待っている時、時刻表通りにフェリーが来ず、フェリーとプレジャーボートが衝突したという情報もあり、来た道を戻るといったトラブルもあった。
と、ここまでは確かな記憶があったのだが、しまなみ海道ブルーラインのUターンという場所(?)に行ったあたりで、私の脳はオーバーヒートし、あまり記憶がない、が、大したことなかったので残念ではない。おわり
ミナミル:
5時に目が覚め、ロフトから二人の寝ている居室へ続くはしごを慎重に下り、シャワールームへ向かう。
昨夜はマーレ・グラッシア大三島で入浴したので、この宿のシャワーは初めてだ。
かなり狭いが、洗うぶんには問題ないレベル。(この宿はシャワーしかない)
ちなみに、この宿「トマリギ」はカプセルホテルのような部屋が8部屋、2人部屋とロフト付き3人部屋(我々の部屋)が各1部屋あり、建物の大きさの割に収容可能人数が多い。
なので、全てにおいて機能的かつコンパクトに配置されているのだが、これが窮屈さを感じさせないのが不思議だ。オーナーの手腕に感心する。
トイレを済ませて土間に向かうと、二人が昨夜買っておいたパンと飲み物を並べてくれていた。出発は7時予定。今はまだ6時前の静かな時間。
席に着くと、早速余った1本のチョコスティック3等分し、勝った順で選ぼうという話となった。
30年前の自転車旅行では恒例の朝の儀式だ。
最初に野々垣が勝ち、3等分したうちの真ん中部分を選択する、
次に勝った隠田とビリの私はそれぞれ両端部分を選ぶのだが、そこで、交わした隠ちゃんとの会話を紹介しよう。
隠田:「皆見、良かったね」
皆見:「なんで?」
隠田:「のんのん真ん中で、うちら端っこじゃん。パンは端の方が美味しいんだよ」
皆見:「そうなの?」
隠田:「そうだよ。カステラだって、端っこの方が美味しいじゃん」
・・・せっかくの野々垣の勝利に水を差す隠ちゃんであった。(笑)
その後も、「でも、サンドイッチって耳は捨てるよね」なんて、どうでもいい話題で盛り上がりながら、ゆるやかな朝の時間が流れていく。ひとしきり笑ったあと、旅の支度を整え、予定通り7時に宿を出発した。
途中、昨夜朝食を買ったLAWSONで水を調達した後、当初計画の北回りルートを止め、昨夜下った三村峠の道を引き返すように上り始める。
昨日のことがあったので、上りは必ず隠ちゃんを先頭にし、無理せず早めに自転車を降り、押し進むこととした。
また、歩くときは気分転換に音楽を流すのもこの時から始めた。
早朝にもかかわらず、日差しが強い。
蝉の鳴き声も賑やかだ。
たまに、自転車を押しながら歩いてる我々をサイクリストが抜き去っていく。
そんな中、音楽を聴きながら三人、のんびり進む。
一晩寝て体力が回復したせいもあり、余裕をもって三村峠に到着した。
しかし、まだ朝なのにもう暑い。
休憩中もBGMを流していたのだが、そこで、いきものがかりの「帰りたくなったよ」が流れ、三人で思わず笑う。
峠を下る時は私がナビ役のため先頭となる。
隠ちゃんから「位置エネルギーを有効に使うように(訳:俺にブレーキを掛けさすなよ)」との指示を受け、なるべく車間を開けるよう進むのだが、そうなると一番後ろを走る野々垣がかなり後方を走ることとなり、何かトラブルがあっても下りきるまで気づけない。
気になって頻繁に後ろを振り返るのだが、隠ちゃんから「皆見、危ないよ」と注意を受ける。
このことがあって、次回の休憩で「車間が縮まりスピードを上げて欲しい時は、ベルを1回。トラブルが発生した時はベルを2回以上連続で鳴らす」というルールを提案した。
峠を下りきり、順調に多々羅大橋のキャンプ場近くまで進んで休憩を取る。
この先の坂道を上り、下った先(道の駅多々羅しまなみ公園のすぐ手前)が多々羅大橋の自転車用の上り口だ。
ところがスマホの表示はこの先の坂を上らず、目の前のキャンプ場を抜ける道を上っていくよう指示している。スマホの指示が正しければ、この先の坂を無駄に上り下りせず、ショートカットできる。
そこで私が斥候として先行し、スマホの案内が正しいか確かめることにした。
結論としては、スマホの指示は正しく、多々羅大橋の自転車道路につながっていた。
私は野々垣に電話し、
「分かれ道があっても左手にキャンプ場を見ながら進んでほしい。上りと下りがあれば上りを選んでほしい」
と伝え、道端で二人を待つことにした。
しばらく待っていると、やがて曲がり角から野々垣だけが姿を現したのだが、そのまま引き返していく。どうしたのかと思い、野々垣の追って道を下り二人に合流する。
野々垣の話では、途中で上りと下りの分岐があり、上りを選んでみたものの違うと感じたため、引き返し、隠田を残してこっちの道が正解の道かどうか様子を見に行ったのだという。正確に情報を伝えきることができず二人には悪いことをしたと謝る。
多々羅大橋を渡る。この橋は愛媛県と広島県の県境にあり、記念撮影スポットとしても有名なのだが、うっかり通り過ぎてしまい多々羅大橋を渡り切りてから気づいた。残念。いつものように自転車等専用道を勢いよく下っていくと、他の場所とは違って、カーブの部分にセーフティマットが設置されていた。最初は看板かと思って、セーフティマットとは気づかなかった。ちなみに、このセーフティマットは、多々羅大橋から生口島に下るこの自転車等専用道しか設置されていない。
<セーフティクッション設置の様子。>
生口島を海岸線沿いに時計回りに進む。
海岸線を走る道はほぼ平坦で、驚くほど快適だ。
順調に進み過ぎて、当初の宿泊予定地だった「島宿NEST」の付近に、まだ9時前だというのに着いてしまった。
ここ瀬戸田町は生口島でいちばん賑やかな町で、隣の高根島へは高根大橋で渡れる。当初は高根島を一周することも考えていたが、ここも「臨機応変」にカットし、すぐさま因島につながる生口橋を目指す。
けっこうショートカットし過ぎたせいもあって、途中立ち寄るつもりでいた「しまなみドルチェ本店」も営業が始まっておらずやむなく通過。
約1km先の「ふれあい交流広場」でトイレ休憩をし、再び生口橋を目指す。
生口橋の自転車用入り口側にセブンイレブンを見つけ、休憩をとる。店に入り私と隠田は「inゼリーエネルギー」を購入(ちなみに私はマスカット味)し、エネルギーをチャージ。
それが効いたのか、生口橋につながるスロープも休むことなく上り切り、本日2本目の生口橋も順調にクリア。今まで回った島の中では一番賑やかな因島に降り立った。
当初の計画では、生口橋を渡ってUターンし、生口島の洲江港から船で岩城島へ向かうつもりだった。
だが、道をいくつもカットし、予定以上のペースで進めていることもあって、ここにきて完全に行き当たりばったりのルートになった。
まず目指したのは大山神社。
ここには「自転車神社」が併設されており、本来は明日の最終日に立ち寄る予定だった場所だ。
到着してみると、案内板があり、左手の道を上れば自転車と一緒に境内まで入れるという。案内に従って進むと、思いのほかきつい坂で、息を切らしながら自転車を押し上げる。途中の自販機の前で、隠ちゃんは飲み物を買うかどうか、しばらく悩んでいたが、結局買わずに進むことにした。その判断は、結果的に大正解だった。
というのも、坂をもう少し登った先が目的地の境内で、社務所の前にはウォーターサーバーが設置されており、冷たい麦茶が自由に飲めたのだ。
ひと息ついて麦茶をいただいたあとは、恒例の撮影タイム。
三脚を取り出して準備していると、巫女さんが来て
「自転車と一緒に撮りましょうか」
と声をかけてくれた。
ありがたくお願いして、何枚もシャッターを切ってもらう。
なお、この神社で自転車をかたどった絵馬が販売されており、それを一つ購入し、各々願いを寄せ書きした後、奉納した。詳しくは、写真を見られたし。ちなみに野々垣は、この後最速で願いを半分かなえ、隠ちゃんはこの旅を終えた時点で完璧に願いをかなえた。霊験あらたかである。
この神社でちょうど11時を迎えたので、神社のすぐ近くで11時から開店の「きかん坊」で昼食をとる。
今日のランチは、トンカツ定食700円。しかもご飯大盛り無料とのことで、三人とも迷わず大盛りに。
隠ちゃんが
「キャベツは食べ放題ですか?」
と確認すると、+100円とのことだったので見送りに。
道中、私がかつ丼を食べたいと言っていた際、肉は胃にもたれるから蕎麦が食べたいと言っていた隠田氏であったので、
「隠ちゃん、蕎麦もあるけど蕎麦にしなくていいの?」
とちょっと意地悪く聞いてみたところ、臨機応変に“お得なトンカツ定食”に変更したそうだ。まあ、私も結局かつ丼ではなく、同じく“お得なトンカツ定食”を選んでいるので、人のことは言えない。柔軟な思考は大事だよね。
ランチを食べながら、次は家老港からフェリーに乗り、弓削島(ゆげじま)の上弓削港に行くことを決めた。
もともと明日に走る予定だった区間を、今日は逆向きにたどる形になる。
早速フェリーの時刻を確認すると、次は12時出港。その次は1時間後の13時出港だ。
現在11時25分。
今すぐ出れば間に合う。しかし急がせてしまうと隠ちゃんが昨日の二の舞になりかねないというジレンマを抱え、最悪13時の便も覚悟しつつ、平静を装って「そろそろ出ようか」と会計をお願いする。
すると野々垣が
「ちょっとトイレ。クソしてくる」
と一言。
(ガクッ!こりゃダメだ。)
と、心が折れた私であったが、野々垣がすぐに戻ってきて
「出なかった」
との報告。
(まだ間に合う!)
一転、希望が湧いた私は、はやる気持ちを押さえつつ、隠ちゃんを先頭に一路、家老港を目指す。
ここから家老港まで4km。時刻は11時35分。ゆっくり走るとギリギリか――そんな計算をしながらペダルを回す。
ところが隠ちゃんのペースが思いのほか速い。海沿いの道は走りやすく、スマホのナビを見る限り余裕で間に合いそうだ。
(――いける)
そう思ったのも束の間。平坦は上りに変わり、自転車を押して進むことに。せっかく稼いだバッファみるみる減っていく。
ただ、だからと言ってそれを二人に伝え、急がせるわけにもいかない。
幸い、上りは長くなかった。
上りがあれば、下りがある。一気に坂を駆け下り、なんと出港10分前に家老港に到着することが出来た。今日は本当に順調だ。
港で写真を撮った後、隠田、野々垣は近くのプレハブ小屋(もちろんクーラーは無い)で休憩。
私は周辺をうろうろしながら撮影する。家老港はスタッフが常駐しておらず、乗船料も船の中で支払うようだ。
しかし、まもなく12時だというのに、フェリーの来る気配がない。
場所を間違えたかと不安になるが、弓削島へ渡る車の列もできているし、ブロック塀には時刻表も掲示されている。間違いないはずだ。
しかし・・・出港予定の12時を過ぎてもフェリーは現れない。そこへ地元のおっちゃんが来て、
「いつもなら15分前には着いてるんだよ。まったくどうなってんだ、仕事に間に合わないよ」
とぼやきながら話しかけてくる。
さらに数分後、別の男性が現れ、
「どうもフェリーにレジャーボートが突っ込んだようで、海上保安庁が現場検証中。船が動かせないみたいですよ」
と教えてくれた。
後ろに並んでいた車が続々とUターンをし始める。自転車をフェリーに載せやすいよう道の中央に並べていたのだが、Uターンの邪魔になっている。
慌てて二人にチェーンを外し、自転車を端へ寄せるよう指示する。
同時に頭の中では、
(臨時便が出るのを待つべきか?ルートを変えるべきか?)
と考え、まずは状況確認と家老港フェリーの事務所に電話するが、出ない。三度かけてもつながらず画面を見つめていると、いつの間にか隣におばちゃんが立っていて、
「家老港フェリーの者ですけど、今日は運行取りやめとなったので、土生港(はぶこう)に行ってください」
と告げてきた。
(はぁ?ここに来るのにどれだけのドラマがあったと思ってんの?しかも、こちとら、車じゃなく、自転車なんだから気軽に別の港に行けと言ってくれるなよ。)
と心の中で毒づきつつ、一縷の希望にかけて、
「臨時便は出ないんですかね?」
と尋ね、近くに停まっている家老港フェリーを指さしたのだが、
「お盆なんで、船を運転できる人がいないんですよ」
の一言で一刀両断にされてしまった。
来ない船を待っても仕方ない。やむなく、ここへ来る途中に見かけた港を目指すことにした。
正直、足取りは重い。
救いは、その港まで約2.5kmと距離がさほど離れていないこと。ただ、その短い道のりにも、さっき上り下りした坂がちゃっかり挟まっているのがつらい。
造船所に立ち並ぶ大型クレーンを見上げつつ坂を上り、トンネルを抜け、ほどなく土生港の長崎桟橋に到着した。
すると、驚いたことにちょうどフェリーに車が乗り込んでいる最中だった。
なんというタイミング!
これを逃したら次はいつになるか分からない(実は20分おきに出ているのだが、その時は知らない)。
慌てて会計係の野々垣に切符の購入を頼み、私は誘導員に
「少し待って欲しい」
とお願いする。
車はまだ数台並んでいる。少しは待ってもらえるだろうと思いきや、全部積みきれないらしく
「この車が最後。これを積んだら出るよ」
と告げられる。
マジか〜と焦る私。
ところが野々垣が素早く切符を買って戻ってきた。おかげで、三人そろって無事にフェリーへ飛び乗ることができた。
まだ我々にツキは残っている!
さて、フェリーに乗って落ち着いた私は、
(しばらくは船旅だな)
と思い、二人を誘って船内散策をしようとしたのだが、まもなく到着するというアナウンスが流れた。
え、まだ乗って3分くらいだよ?早すぎない?
と思い、スタッフに地図を見せながら弓削島に行くことを伝えると、ここで降りるとのこと。
わけがわからないまま、とりあえず下船することにした。
ところがここで、私が「弓削島」の読み方を知らなかったことがトラブルを呼ぶ。
弓削島を「ゆげじま」と読めず、「ゆみさくしま」と言っていたのだ。
立石港に着き、誘導のおっちゃんに「この先、ゆみさくしまへはフェリーで行けますか?」と尋ねると、
「高速船で行けるよ。今の時間なら自転車も載せられるし、もうすぐ来る」
とのこと。早速、切符を買いに受付へ向かう。
ちなみに、立石港の事務棟は先ほどの家老港の休憩小屋と比べようもない立派な建物で、例えるなら家老港の休憩小屋が段ボール小屋なら、立石港の事務棟はベルサイユ宮殿である。(行ったことないけど)
受付で地図を見せながら弓削島の弓削港に行きたいと伝えると、出ていないと言われた。
あれ?さっきと違うけどどういうこと?
そう思っていると、先ほど教えてくれたおっちゃんがやって来て、高速船がもう来るので早く切符を購入するようせかしてくる。
おっちゃんが切符の自販機で示した港は「鷺港」とある。
全く聞きなれない港名だ。
念のためスマホで調べ始める私の横で、野々垣が
「今ちょっと調べているので待ってくれと」
とおっちゃんをなだめてくれる。
オレオレ詐欺を例に挙げるまでも無く、こういう時に焦って言われるがまま行動するのが一番やばい。
スマホの検索結果を見ると、「鷺港」は「佐木島」という島にある港で、弓削島とは真反対に浮かぶ島。今夜の宿がある岩城島から見ても、生口島を挟んださらに向こう側だ。しかも、佐木島は島伝いに橋が架かっていないので、行ったら最後、船でないと戻ってこられない・・・。
弓削島を私が「ゆみさくしま」と読み、それが「さきしま」に聞こえたのだろう。
善意で案内してくれたおっちゃんには申し訳ないが、ほんと、危機一髪で踏みとどまった。
さて、立石港待合室で、今後のルートについて作戦会議を開く。
当初は、上弓削港から弓削島に上陸し、佐島、生名島、そして宿のある岩城島と一筆書きで進むつもりだった。
だが、いま我々がいる立石港は生名島にあり、計画の途中にぽつんと放り出されたような中途半端な位置だ。
とはいえ時間にはまだ余裕がある。今日走っておけば明日の負担も減る。検討の結果、生名島から佐島へ渡り、次の弓削島は橋を渡り切ったところで即Uターン。
その後、佐島の佐島港から岩城島の岩城港へ高速船で戻るルートに決定。
時間が余れば、佐島の「Uターンブルーライン」も制覇することにした。
まずは生名橋を目指す。
途中、「ポプラ」というコンビニでペットボトルにラベルが何も貼られていないミネラルウォーター(100円)を購入。
(これ、水道水じゃないの?)
と、たぶん全員思っただろう。しかし、安さの前にそこには触れず、黙って購入。
生名橋へ続く坂の途中にある「生名橋記念公園」で、「ゆめしま海道」と刻まれた石碑を見つけ、写真を撮り、生名橋についてから、再び写真を撮る。
しまなみ海道ではあれほど多く見かけたサイクリストも、ここではほとんど姿を見かけない。
島全体がのんびりとした空気に包まれ、時間がゆっくりと流れていく。
ところで、ゆめしま海道の橋はしまなみ海道の橋と趣が違う。
ひとことで言えば、ゆめしま海道の橋は一般的な橋なのだ。
しまなみ海道の橋は、車と歩行者・自転車で橋に至る道が異なるが、ゆめしま海道は車も自転車も同じ道から橋に上がる。
必然、ゆめしま海道の橋は車とそれ以外で走る道が明確に分かれているが、ゆめしま海道の橋はそれが無い。
少し高い場所にかかる「ふつうの橋」という印象だ。
横道に逸れた。
思っていたより、生名橋、弓削大橋の制覇は順調だった。
ただし、弓削大橋は渡り切ったものの、予定通り橋の下の町へは降りず、親柱の前で写真だけ撮って即Uターン。
それでも、我々にとっては「堂々たる」弓削島制覇だ。
弓削大橋を制覇後、14時前には佐島港に到着した。
佐島港から岩城島に向かう高速船は16時16分出港予定であり、まだ2時間以上余裕がある。
スマホで調べるとUターンブルーラインはここから4kmほどの場所にあり、徒歩50分で行けるとあった。
往復しても高速船には間に合いそうだ。
ということで、隠ちゃんの聖断を仰ぎ、Uターンブルーライン制覇することとなった。
Uターンブルーラインまでの道のりは何度かきついアップダウンが続く。
道は海岸から少し内側を通っていて海は見えず、まるで山中を走っているようだ。
蝉の声だけがやけに響く。
途中、私の休みを知らない会社の営業担当から電話があったが、こちらが何も言わずとも蝉の大合唱が伝わったらしく、すぐに休暇中と察して解放してくれた。
何度も上り坂で自転車を押し、下り坂を駆け下り進むと、ようやくUターンブルーラインに到着した。
もともと、何もない、ただラインがUターンしているだけの場所だと知っていたため、がっかりすることは無く、ただ、ただ、制覇したという純粋な達成感だけがあった。
今回の旅は、お題目として、しまなみ・ゆめしま海道制覇を謳っていたが、ゆめしま海道の4つの島のうち、弓削島は「制覇」と自分に言い聞かせているものの、玄関で引き返した形となってしまい、いわば、全ての橋を渡っただけ(岩城橋は明日渡る)で「制覇」と言い切っていいのか、どこかで引っかかっていた。
だからこそ、ゆめしま海道の数少ないサイクリングスポットで、しかも、わざわざ行こうと思わなければ決して辿り着かない秘境めいたスポットを踏破したという勲章は、ゆめしま海道制覇という目標に対し、胸を張って「達成した」と言える証明に思えたのだ。
Uターンスポットの奥にある梯子を降り、砂浜に下り立つ。
太陽の光が水面を滑るたび、海は透明なガラスのように輝き、真夏の陽射しに焼かれた砂浜は、明るい麦わら色に輝いている。
波打ち際にしゃがみ、海に触る。
思えば、この旅行を始めて、海のすぐ近くを走っていたにも関わらず、海に触れたのはこれが初めてだ。
日焼けした手の甲に海水の冷たさが心地よい。
10分ほどこの場所で休憩をした後、佐島港に向かう。
行きでアップダウンがあったということは、当然ながら帰りも同じだけアップダウンがある。
ようやく上り切っても、すぐ下って、間髪入れずまた上る――賽の河原で石を積むようで、ただ上るより倍疲れる。
しかし、まぁ、長万部からニセコに向かう道よりはマシか。あの道は道の頂から次の道の頂が見渡せたので、坂を降りる前に心が折れそうになったものだ。
15時ごろ佐島港に到着する。
出港まではまだ1時間以上あり、やる気さえあればこのまま自転車で宿まで戻れなくもない(その気はさらさら無くなっていたが)。
待合室はクーラーが効いていて天国のようだ。
スタッフのおばさん(とはいえ、実は我々のほうが年上かもしれない)はとても親切で、無料で高速船に自転車を載せられるチケットをくれたり、岩城島で買い物をするならAコープが良いと教えてくれたうえ、岩城島の地図をくれたり、待合室の中や外で三人の写真を何枚も撮ってくれた。
待合室でたっぷり休んだあと、定刻どおり佐島港を出発。
岩城港には10分もかからず到着した。船の便利さを実感する。
その足で、翌朝の朝食を買いに港近くのAコープへ。買うのはパンと飲み物くらいだが、店内を一通り見て回る。品ぞろえは特に個性もなく、小ぶりなスーパーといった印象だ。
今夜の宿泊場所、「Bike, Cafe and Inn寄り道」はAコープから歩いて3分ほどのところにあった。
入口に向かうと、ちょうどオーナーの若い女性が出てきて迎えてくれる。
どうして到着に気づいたのか不思議なくらい、タイミングがぴったりだ。
チェックインを済ませ、設備の説明を一通り受けたあと、夕食の予定を尋ねられたので、「よし正」で食べるつもりだと伝えた。
ちなみに「よし正」は民宿も営んでおり、当初は宿泊候補に挙がっていたが、1泊2万円は高いと二人に却下された経緯がある。
夕食の予約をしているか聞かれので、予約をしていないと答えると、予約なしでは入店が難しく、しかもお盆の期間は懐石料理のみのため、結構な値段になるという。
一方、この島のもう一つの食堂「ミスティー亀井」なら手頃な価格で名物のレモンポークが食べられると教わり、即決して予約の電話をかけた。
ところが、なんとこの日は定休日。
やむなく、旅の最後の食事をAコープのお惣菜で済ませることとなった。
そうと決まれば、Aコープが閉まる前にさっさと買い物に出かけようということで、私から時間がもったいないので、じゃんけんで勝った1名は、買い物に行かず先にシャワーを浴びる(この宿に風呂は無い)、負けた残り2名が買い出しにでかけることを提案し、勝負を開始した。
結果は隠田の勝利。二番手のシャワー権は熾烈なあいこ合戦の末、野々垣に軍配が上がり、私は見事にビリ。
思えばこの旅、じゃんけんで勝った記憶がない。
勝った隠田は、
「俺さぁ、別に三人で買いに行っても良いんだけど、皆見がじゃんけんしようというから仕方なくね・・・(以下、略)」
と講釈を垂れる。こいつめ〜。
というわけで、野々垣と二人でAコープへ向かう。
さっき朝食を買ったとき、五人前のにぎり盛りやオードブルが並んでいたのを見ていたので、それにビールでも合わせようかと話しながら歩く。
ところが――五人前のにぎり盛りはすでに完売。
まさかこの短時間で・・・。
これぞまさしく、一期一会だと思った。
仕切り直して、にぎり一人前を1パック、太巻き・稲荷セットを2パック、オードブル、刺身盛り合わせ、ビール、ジュース、スナック菓子、雪見だいふくなどを購入して宿へ戻る。
その後、野々垣のあとにシャワーを浴び、明日のルートを練り直した。
当初予定していた弓削島を経由し因島に行くルートは本日走破したため、議論になったのは立石港からフェリーでどこまで行くかだ。
候補は「因島モール桟橋」までと、その先の「重井港」までの二案。
因島モール桟橋から生口橋の入口までは、本日走破済み。ただ、その先の生口橋から重井港までは未走破。重井港まで乗ってしまうと、そこがぽっかり空白になる。
隠ちゃんの体力を考えれば、負担の少ない重井港までフェリーで行くのがベスト――頭ではそう分かっているのに、私は少しためらった。
理由は30年前の北海道旅行まで遡る。
札幌あたりで、私と隠ちゃんが
「もっと電車で楽をしよう」
と言い出したとき、野々垣が嗜めた一幕があった。
旅行を振り返った時、あのとき電車に頼らなくて本当によかった、と今でも感謝している。
その記憶がよぎって迷ったが・・・まぁ、今日はUターンブルーラインにも付き合ってもらったし、最終的に重井港までのフェリー案に賛成した。
明日、6時59分に立石港を出港する船に乗り、重井港まで行くことが決まると、洗濯しに「コインランドリーたこハウス」に行く。
洗濯機に洗濯物をぶち込み、宿に戻ってようやくビールで乾杯した。
ここで何を話したのかは、もうよく覚えていないが、食べきれないと思うほど買った食料もあっという間に平らげたことと、端数のおかずをめぐるどうでもいいじゃんけんの二巡目にしてようやく勝利したこと(一巡目、隠田勝利→からあげ。次点野々垣→いなり寿司。皆見ビリ→いなり寿司。二順目でようやく皆見勝利→コロッケ半分。次点隠田→コロッケ半分。ビリ野々垣→太巻き。勝っても嬉しくない。)は覚えている。
宴会を終えた後は、「コインランドリーたこハウス」に戻り、洗濯を終えた衣服を乾燥機で乾かし(ドラムの半分の量であれば100円(10分)で乾くとあったのに、200円分乾燥させても、まだ湿っていた)、帰り道ではうっかり道を間違えかけ(私一人だったら間違いなく山に向かって歩き、遭難していた。ちなみに、そうなっても二人は探しに行かないとのこと)、宿に戻ってからは、乾ききっていない洗濯物を干し、その日を終えた。
ノノガキ:
今日は朝7:00から出発。特段予定はないが、色々巡るのである(テキトー)。隠田が、休み休み行けば大丈夫、というので、それを信じて出発。
~9:00、~10:00位まで快調に飛ばす。10:30位(実際は、もっと前かと)に自転車神社に到着。ここは巫女さんがかいがいしくて可愛らしかった。やっぱりスケベなおじさん、である。やむを得なし。ちなみに、ここは冷た~い麦茶が飲めるなど正にチャリダーに寄り添った神社なのであった。その後、500円の絵馬を購入。ノノガキは、カツカレーを食べたいと記す。果たして・・・。
そして、昼。おしかった~。ランチは、トンカツ定食。大盛にしたのにお値段変わらず700円。正直、お味は普通でしたが、何だか雰囲気のよい店でした。しかし、順調なのはここまで。その後、フェリーは来ないわ、本当に暑すぎるわ、と本日も色々ありました。ちなみに暑さは皆見のアンドロイドスマホが熱暴走するレベル。恐るべし。
・・・ただ、ようやく着いた宿は我々の貸し切り。古民家をリフォームしたところで、TVこそないものの、基本快適でした。奥さんも可愛らしかった(やっぱりスケベなおじさん2)。色々、経営上素人から見ても問題はありそうなものの、頑張って欲しい。やっぱり自営業は大変です。晩飯はスーパーで買った総菜一式。全部で8,000円。それにしても本日3回ほどじゃんけんをしたのだが、某I氏の勝負強さは際立っていた。特にシャワー順を決めるじゃんけんは大勝負。しかし、I氏はなんと1回で勝ち抜け。なぜか私とM氏は不毛なあいこを繰り返すのだった。合掌~。
8月15日(金) 快晴 “感謝!”
インダ:
昨日は今日予定していたしまなみ海道ブルーラインのUターンを訪問済みで、帰りの電車の時間も気にする必要があったので、休み休みしながらも、フェリーで移動し、尾道に着いた。
今治と違って、尾道はかなり活気があり、観光客で賑わっていた。もちろんアーケード街も人であふれ、自転車走行しにくい状況であった。昼前に尾道ラーメンを食べた。醬油ベースに九州っぽい細麺で、汗で塩分が失われた体に染み入る、ありがたい昼食だった。その後、尾道ロープウェイ(正式名称不明)は長蛇の列で諦めた。
と、ここまでは確かな記憶があったのだが、町の喧騒、脳天からの直射日光、ぽっぽの湯までの上り坂のせいで、私の脳はオーバーヒートし、あまり記憶がない、が、風呂屋で休憩したおかげで、なんとか持ち直した。なお、この旅行では、二日目あたりから顔面と膝下が久方ぶりに日に焼け、風呂の湯がとても痛かった。
あとは、お好み焼きを食べ、自転車を返却してから、尾道駅でお土産を購入し、尾道駅から岡山駅まで鈍行に乗り、岡山駅からのぞみに乗って東京駅、そして立川駅と無事帰宅した。
ミナミル:
5時に起きて1階のリビングに降りると、隠ちゃんはすでに起きて出発準備をしていた。
今日は、立石港を6時59分に出港する高速船に乗るため、6時にここを出発すると昨夜決めていた。
目を覚ますために、まずはシャワーを浴びる。
この宿「寄り道」は今年の4月末にオープンしたばかりで、とてもきれいだ。
ただ、大三島の『トマリギ』のように今風で無駄なく合理的な内装ではなく、築50年以上の古民家をリノベーションし、懐かしい雰囲気をそのまま活かしている。その分、間取りや内装のあちこちに当時の名残がある。
シャワールーム自体は新しく清潔だが、換気は窓を開けるだけ。せっかくのきれいな浴室がカビで損なわれないか、つい余計な心配をしてしまう。
宿についてもう少し触れてみよう。
この宿は2階建てで、下はリビング、上は寝室となっている。
1日一組の一棟貸しのため、広々使えてものすごく贅沢。その割に一人あたり7000円の宿泊費とものすごくお得なので、むしろ「経営大丈夫?」と心配してしまう。
2階の寝室も20畳ほど(正確な広さの感覚は怪しいが、とにかく広い)あり、この贅沢(悪く言うと無駄)な造りは『トマリギ』の合理的な今風コンセプトとは真逆だ。
設備は電子レンジ、トースター、冷蔵庫に加え、紙コップや紙皿、割り箸までそろっている。ただし、『トマリギ』にあるミニキッチンはここにはない。
朝食は、昨日買ったパンで済ます。
端数のパンを3等分して恒例のじゃんけん。
結果はまたしても私が惨敗でビリ。隠田が1位だ。隠田の強さの秘密はこの朝食時様子を録画した動画の中で解説されているのでを参照されたし。
宿を戸締りした後、指定の場所に鍵を戻し、宿の前で恒例の集合写真を撮って出発。
道すがら出会う島の人たちに挨拶を交わしながら進む。自転車旅行をするとなぜか気軽に挨拶が出来てしまうから不思議だ。
岩城橋を渡り、生名島に入る。これで、ゆめしま海道の橋はすべて走破だ。
昨日も訪れた立石港には6時40分ごろ到着。
切符を買って桟橋で待っていると、島の人に声をかけられる。
これから尾道へ向かうと伝えると、土生港行きのフェリーを見ながら
「じゃあ、あれに乗るのね」
と言うので、そのフェリーではなく高速船に乗ることを伝えると驚かれた。
わざわざ自転車旅行をしているのに、フェリーに乗って重井港まで行くとは思わないよね。
定刻に出港し、昨日渡った生口橋を下から見上げつつ進む。
重井港には、20分ほどで到着した。
昨日も実感したけど、船は早くて楽だよね。
しまなみ海道最後の橋、因島大橋を目指して走る。
大きなアップダウンもなく順調に橋の近くまで来たところで、恐竜(ザウルくん)のオブジェを見つけて小休止することとなった。
因島大橋の自転車用入口は今走ってきた道の更に先(上り坂)にあるのだが、ナビを見ると、この公園を左に曲がるとある。
多々羅大橋と同じパターンだと思い、ナビに従って上ると「はっさく屋」という建物が左手に現れた。以前見た、しまなみ海道を自転車で走るYouTube動画で紹介されていた店だ。ちょっと寄ってみると開店が8時30分とあり、まだ開店まで30分以上ある。ただ、入口に貼られた営業カレンダーを見ると、このお盆の週を除けば、営業日は土日祝のみ。これはもう運命だ、待つしかない。
周囲に人影はなく、店先は静まり返っている。
まぁ、こんな店に開店前に並ぶ奴はいないだろうとのんびり構えていたら、従業員と思しきおばちゃんが出勤して来たので、我々三人は元気よく挨拶し、「開店待ってます」アピールを全力で送る。
こんなに早く並ぶ客も珍しいだろうし、その熱意で少しでも早く開けてくれないかな・・・と期待しつつ待っていると、我々以外の客も次々と現れて並び始めた。
え?こういっちゃ悪いが、こんな小汚い店に我々以外にも開店前に来る客いるの?
うちら、ぶっちゃけ時間に余裕があるから並んでるだけなのに。
そう思っていたら、みるみる行列が伸びていく。
どうやら開店前の行列は日常風景らしい。こうなると、開店前に店が開くことは期待できないだろう。気づけば、私の後ろにかなり行列ができていた。
その一方で隠田と野々垣はというと――列に並ばず、道端に座っておしゃべり中。
え〜!
と思いつつも、今さら先頭を放棄するのも惜しく、仕方なく私ひとりで立って待ち続ける。
すると、開店10分前くらいになって二人がのこのこやって来て、隠田が
「いや〜、のんのんと話しててさ。なんで皆見こっち来ないんだろうって。皆見が並んでるとは思わなかったよ〜」
と言う。
こいつめ〜!!見りゃ、並んでるのが分かるだろ!
こういうところ、隠田は30年前からまったく変わらない。ある意味、感動すら覚える。
やがて、開店時間より少し早く店が開いた。
ショーケースには「期間限定はっさく甘夏大福(230円)」「まるごとみかん大福(300円)」「ぶどう甘夏大福(300円)」が並んでいる。
私は全種類を3つずつ購入することを提案したのだが、共通資金を握る野々垣財務大臣に即座に却下された。
やむなく、私は期間限定の「はっさく甘夏大福」と「まるごとみかん大福」を所望する、と宣言。
すると野々垣が、
「3種類を2個ずつ買って、じゃんけんで選ぼう」
と言い出した。
ちょっと待て。冗談じゃない!!
じゃんけんは立場が対等なときにやるものだろう。こっちは二人が座っている間、開店まで30分間ずっと立って並んでいたのだ。なのに、好きなものが食べられないかもしれない(認めたくないが、過去の勝率的にその可能性が極めて高い)勝負に乗れというのか!
全く納得いかん!
というわけで、私は強硬にじゃんけんを拒否。「はっさく甘夏大福」と「まるごとみかん大福」を死守した。
先ほどから言っているように、我々は列の一番先頭である。
つまり我々が購入しないといつまでも後ろの客は買うことができない。
ショーケースの前で50過ぎのオヤジたちが購入する大福の種類をめぐって喧々諤々としている様子は、後ろの客にどのように映ったのだろうか・・・。
恐らく、「自分はこうはなるまい」と心に誓っていたに違いない。
結局、二人も私と同じものを選んだ。
店員が大福を取り出しているあいだ、ふと壁を見ると「はっさくソフト」なるポスターを見つけた。
これだ!
と即座に会計係の野々垣氏に「はっさくソフト」をおねだりするも、これまた、あっさり却下。
無念である。
店内には冷水とお湯のサーバーがあり、横にはインスタントコーヒー(ホット・アイス)、ミルク、砂糖も用意されている。水だけでなくコーヒーも自由に飲めるのがうれしい。
ひとまず冷水を用意して席に着き、まずは限定の「はっさく甘夏大福」からいただく。
美味い!!
正直、こんなに美味いとは思わなかった。隠田、野々垣も同様に驚いている。
「まるごとみかん大福」も本当にみかんをまるごと大福の皮で包んでいて、これはまた、非常に食べ応えがあって美味い!
こうなると、先ほど購入しなかった「ぶどう甘夏大福」と、ついでに「はっさくソフト」も気になる。
野々垣も「はっさくソフト」をただのソフトクリームと勘違いしていたらしく、「はっさくソフト」と知っていたら買っても良かったと。
ということで、全会一致で「ぶどう甘夏大福」と「はっさくソフト」の追加購入に合意した。
問題は、誰が買いに行くかだ。
列は、未だに最初と同じくらいの長さを維持している。そこで、私はじゃんけんで負けた人がもう一度並んで追加購入することを提案した。
すると、隠田が
「皆見、もうちょっと待っていたら列がなくなるだろうから、ここで列が減るまで待ってようよ」
と提案。その案が採用され、アイスコーヒーを飲みながら店に置いてあった、この店を紹介する記事を掲載している雑誌を読むことにした。
しかし、一向に列は短くならない。どころか、さっきより長くなっているではないか!
「こりゃダメだ」
と観念して店を後にした。
自転車にまたがり、ナビに従って更に坂を上る。ところが、100mほどで行き止まりになり、その先は急な階段を上り進むようになっていた。
ナビのモードが徒歩モードになっていたのが原因である。車モードだと、自動車専用道に誘導されるので、あえて徒歩モードにしていたのがここで裏目に出た(なぜか自転車モードは選択できない)。
やむなく、ここまで上って来た道を引き返す。
まあ、「はっさく屋」に寄れたと思えば良しとしよう、ね、二人とも。
仕切り直して自転車道の入口から因島大橋へと上り直し、ついに橋のたもとに到着。
しまなみ海道、最後の橋、因島大橋だ。
この因島大橋はこれまで渡ってきた橋とは趣が異なり、自転車と歩行者の道は車道の真下にある。道の両脇は金網で囲われ、天井もあり、正直なところ眺望はこれまでの橋の中で最も劣ると言っていい。それでも「最後の橋」と思うと、目に映る景色が今まで以上に愛おしく感じてしまう。
金網の向こうに広がる瀬戸内の海、その水面に描かれたさざ波の模様、点在する島々――それらを心に焼き付けるように、最後の景色を目に収めた。
橋を渡り切ったら、路面のブルーラインに従い、向島を時計回りに走って尾道を目指す。
途中の向島休憩所で一息つき、次は「後藤飲料水工業所」へ向かうことにした。はっさく屋に置いてあった雑誌で知った、昔ながらのラムネやサイダーを製造・販売する店で、尾道行きフェリー乗り場の近くにある。
正直、まったく期待していなかったのだが、いい意味で裏切られた。
店内はどこか懐かしい昭和の空気が漂い、ユニークな名前のサイダーがずらり。
空いていると思っていた店は、観光客でごった返していた。
ここで我々三人は、ポップに
「日本一うまいレモンサイダー?!」
とある人気ナンバー1の「怪獣サイダー」を注文。たしかに美味い。
ただ、今にして思えば、所詮サイダーに470円は少々お高い気もする。観光客向けの価格なのだろう。そう考えると、はっさく屋は良心的だった。
サイダーを飲み終えると、次は尾道らーめんだ。
兼吉桟橋からフェリーに乗り、ついに本土に渡る。我々の旅も、最終段階だ。
なんだか、ちょっとセンチな気持ちになる。
尾道駅の周辺は尾道らーめんの店が多数あるが、私はその中から「尾道らーめんベッチャー」を選んだ。選んだ理由はGoogleで検索した際、口コミ数と評価が高かったからだ。
開店11時の約20分前に到着して並び始める。
はっさく屋に続き、ここでも先頭を確保。しばらくすると、後ろには徐々に行列ができ始める。
しかし待っている間、日差しが容赦なく我々三人を照り付ける。店先には黒い日傘が何本か用意されていたが、差しても焼け石に水だ。暑さにうんざりしていると、店員が出てきてスポットクーラーを設置してくれたので、なんとか生き返る。ただこのスポットクーラー、効果の範囲が狭すぎて、恩恵にあずかれるのは先頭のグループ、つまり我々だけだ。先頭で良かったなぁと心底思った。
やがて11時になり、入店。
三人そろって外で並んでいる間に決めていた「ベッチャーらーめん福盛」を注文する。
らーめんが出来上がるまで待っていると、野々垣が壁に貼られたチラシを見つけた。そのチラシには、野々垣の隣の席――我々が荷物置き場として使っている席――が、かつて桐谷美玲さんが座った席だと書かれていた。
「しまった~」
と悔やむ、野々垣。
しばらくすると、三人が頼んだ「ベッチャーらーめん福盛」が出てきた。早速食す。
美味い!!
今回も大当たりだ。
本場、尾道で食べる尾道らーめんが美味くなかったらどうしようかと思ったが、完全に杞憂であった。
さて、次はロープウェイに乗って千光寺を観光だ。
再び自転車に乗り、千光寺山ロープウェイの山麓駅を目指す。距離はここから1kmほどしか離れていないので、ほどなく到着。
ところが・・・着くには着いたのだが人、多すぎ。切符を買うのに行列。ロープウェイに乗るのに行列だ。
汗だくの中、すし詰めのロープウェイに押し込まれては堪らないと、写真だけ撮ってあっさり行くのを諦める。
となると、残すは風呂だ。
ここは最初から「尾道平原温泉ぽっぽの湯」と決めていたので、迷わず向かう。
時間にも余裕があるので、アーケード街を抜け、気になる店をのぞきながら進むことにした。
しかし、尾道はどこもかしこも人が多い。閑古鳥が鳴いていた今治と大違いだ。
アーケード街を抜け、尾道駅を過ぎたあたりで、隠田がいないことに気づく。
あんなにゆっくり走っていたのに、なぜ?
野々垣と来た道を引き返し、隠田を探す。
幸い、電話をしたらつながってすぐに合流できた。どうやら、尾道駅を見ていたらはぐれたらしい。
それにしても、移動中でも電話ですぐにコンタクトが取れるのだから本当に便利になったものだ。30年前なら、こんなわけにはいかないと、しみじみ時の流れを感じる。
三人揃って再び、ぽっぽの湯を目指す。
途中、「大栄湯」という銭湯を見つけ、一瞬心が揺らぐのだが、やはり最後はスーパー銭湯でゆっくり湯船に浸かりたい。
ということで、「大栄湯」をあっさり通り過ぎたのだが、私はこの後、この選択少し後悔することに。
というのも、ぽっぽの湯までの道のりが、半端ない上り坂なのだ!
地図を見ると、ここからたいして離れていないのに、坂が急すぎて遅々と進まない。
もしこの先アップダウンがあろうものなら、せっかく風呂に入っても帰りに再び汗だくになるのではないかと、早くも帰りの心配もし始める。
「さっきの大栄湯にしておけばよかったか?」
という思いが何度か頭をよぎる。
しかしなぁ、大栄湯に決めてたら、決めてたで、このとんでもない上り坂を知らないから、
「ぽっぽの湯でフィナーレを迎えたかった」
と、きっとこの先ずっと悔やむに違いない。
そう思い直して、この選択に間違いはなかったと自分に言い聞かせる。
坂があまりにきつくて、この自問自答を頭の中で何度もリピートした。
ふらふらで付いてきている二人は、この時、私がぽっぽの湯を選んだことをどんな風に思っていたのだろうか。
申し訳なさが先に立って聞く気が起きなかった。
また、それとは別に歩きながらも一つ、全く違うことも考えていた。
それは、
「よくこんな坂のきついところに住宅地をつくったなあ」
という驚きだ。
そう、ここは山の中ではなく、家々が連なるまさに住宅地なのである。
最初の上り始めは、人ひとりが通れるほどの細い道(あまりに道幅が狭く、最初通り過ぎてしまった)なのだが、そこも住宅が密集していて、なんと幼稚園まである。
これ、送り迎えできるの?
と首をかしげる。
また、細い道を抜けると車も通れる道につながるのだが、先ほどから紹介しているように延々続くきつい上り坂は変わらない。
歳をとって、車の免許を返上したら買い物はどうするのだろう?
と、いらぬ心配をしてしまう。
そんなことを思いながら、どうにか、ぽっぽの湯に着いた。
隠ちゃんはもう、倒れる寸前で、館内に入っても椅子に座ったまま床を見つめ、服を脱ぐ力さえ残っていない様子だった。
先に入っていいよ
と言われ、隠ちゃんを置いて風呂に入る。
体を洗い、湯船に入るのだが・・・日焼けが痛すぎて湯船に浸かれない。
沁みるのではなく、ほんと、痛いのだ。
しかも、私の場合、二人と違って手袋をせずに走っていたため、お湯を掬うと手の甲も痛い。
超音波風呂など、まさに拷問だった。
露天風呂も同じだ。
足を入れた瞬間、日焼け跡に鋭い痛みが走り、思わず涙が出そうになる。しかも日差しが強すぎて、肌がじりじり焦げる。
三人でゆっくり湯に浸かって旅の疲れを癒すつもりが、痛みに耐えられず落ち着いて入っていられない。
気づけば水風呂ばかり出たり入ったりしていた。
苦労してここまで来たのに、想像していた結末とは程遠い。少し、残念だった。
風呂から出た後は、休憩室で国土地理院が提供する地理院地図サイトから帰りの道を検索する。なぜ地理院地図サイトかというと、経路の高低差を細かく調べることが出来るからだ。
せっかく汗を流したのに、帰りに再び汗をかく訳にはいかない。
帰り道は1か所、若干、上りがあるものの、それ以外は下り続けることを確認した後、お好み焼き「すみチャン」に向けて出発する。
行きはあれだけ苦労したのに、帰りは楽チンだ。
「すみチャン」に15時近くに到着した。
金曜日は本来、14時で営業終了なのだが、お盆につき土日同様に通し営業していた。ラッキーである。
レンタサイクルの返却場所はここから歩いて1分ほどのところにあるため、無事旅を終えたことを祝ってビールで乾杯した。
最高にうまい!
それにしても、30年前はビールを飲んでも気にせず自転車に乗ったものだが、今はそうはいかない。これも時代の変化である。
旅の最後の食事ということで、店員に勧められるがまま尾道焼、すみチャンスペシャル、肉玉そばを注文。
食べきれるか若干心配だったが、全く問題なく完食した。十分に満たされ、満足して店を後にする。
レンタサイクルの返却場所である「駅前港湾駐車場」はここから100mほどの場所だ。
自転車を押して、返却場所に向かう。
横断歩道を渡り、駐車場内にいるスタッフのおっちゃんに自転車を返し、これであっけなく自転車旅行は終わった。
ちなみに、我々のお尻を4日間守り続けてくれたサドルクッションは、持って帰っても仕方が無いのでそのまま提供することとした。(速攻でサドルから外され、段ボールに投げ入れられたのを目撃したのは内緒である)
その後は尾道駅で土産を買い、YouTubeで気になっていた『カンキツスタンドオレンジ』へ。
みかんジュースの飲み比べができる店だ。店に着くと、カウンターに
「10分ほどで戻ります」
のメモ。仕方なく、カウンター上のジュース一覧を眺めながら、どれを飲むか思案する。
やがて店員が戻ってきたので希望を伝えると、飲み比べは日替わりの固定3種で、選ぶことはできないとのことだった。
じゃあ、飲み比べでなければ好きなジュースが飲めるのか聞いてみると、これも日替わりの中から1種類を選択するのだと言う。
ということで、日替わりの3種類のジュースの飲み比べセットを注文する。
飲み比べてみると、確かにみかんの種類により、それぞれ、甘み、酸味、苦みが異なり面白く、それはそれで良かったのだが、自分で好きなみかんジュースを選べなかったのはちょっと残念であった。
ジュースを飲み終わり、二人と合流。
尾道駅の待合所は外と素通しで当然クーラーもない。
岡山駅なら涼しいかもしれないという期待で、予定していたよりも少し早いが岡山駅に向かうこととなった。
しかし、残念ながら岡山駅もクーラーはなかった。
しばらく岡山駅の待合所で過ごした後、予約していた18時52分発の新幹線に乗るためホームへ向かった。
外に出ると、今にも雨が降り出しそうな空模様で、遠くに雷光が走っていた。
旅の終わりとともに、三人の晴れ男パワーも尽きたのだろうか。
暑さにうんざりしていたから、正直ひと雨ほしいと思った。
その後のことはよく覚えていない。
新幹線は20時27分に予定通り、名古屋に到着した。
二人を残し、私だけ先に列車を降りる。
30年前は、家に着くギリギリまで一緒に旅していられたんだけどね。
列車の外で、最初は二人を見送っていたのだが、なんだか寂しくて発車まで見届けることができなかった。
改札へ向かう階段の手前で、二人を乗せた新幹線がホームのざわめきの中を走り抜けていくのを見送りながら、この4月から計画を始めた「しまなみ・ゆめしま海道旅行」が終えたことを改めて実感するのであった。
ということで、今年4月から計画を練ってきた我々の「しまなみ・ゆめしま海道旅行」は幕を閉じた。
学生時代、最後に自転車で旅した富士山・富士五湖旅行(1995年10月14日~10月17日)からちょうど30年ぶりとなる今回の本格的な自転車旅行は、なんだかんだ言って大成功と言って良いのではないだろうか。
この4日間は、事前に想像していた以上に波乱万丈だった。
「事実は小説より奇なり」とは言ったもので、初日からいきなりスケジュールを変更したり、隠ちゃんが倒れたり、レスキューに助けてもらったり、フェリーが事故を起こしたりと、たった4日間という短い間なのに驚くほど、様々な出来事があったと思う。
そして、三人とまた学生時代のように、シャワーを浴びる順番や買う大福の種類など、くだらないことにムキになって争ったこと。
湯船に浸かりながら三人で沈む夕日を眺めたこと。
4日間、雨も降らず、いや、むしろ日差しが強すぎて難儀したが、その分、美しい景色にたくさん出会えたこと。
それらは、30年前の旅行と同じく、どれもみな最高の思い出であり、間違いなく、私の人生でとっておきの時間となった。
心から、隠田、野々垣――長年の友である二人に、深く感謝を伝えたい。
ノノガキ:
今日(最終日)は、朝が勝負。なんと5時起き。ちょっと遅れたが6時にはスタート。理由は6:59発のフェリーに乗るためである。距離的には楽勝。やはり、このしまなみ地域をなめてはいけなかった。途中、けっこうな上りも。実は朝早くの出発は暑さ対策でもあった。この行程を難なく切り抜けていく我々。そして、無事フェリーも間に合い、あとは大団円のはずだった。尾道道中で食べたはっさく大福、まるごとみかん大福は超絶うまかったし・・・。
もちろん尾道に着いた後も、ロープウェーには乗れなかったものの、尾道ラーメンを食し、順調そのもの。しかし問題は風呂屋だった。少々上りなのは承知していたが、想像を超える難所。しかも暑さが襲いかかる。隠田もそうだが、わし自身もかなりバテた。ただ、たどりついが風呂は最高だったのが救い。そして、ラストにお好み焼き(もちろん広島風)アゲインでしめ。
↓そして
無事(?)帰還。今回の旅行はキョリ的に楽勝。と思っていたが、そこは我々。やはり想定以上のドラマが待っていた。しかし、今はもう日常との戦いが始まっている。特別な4日間を過ごした2人には、とてもとても感謝しつつも、妻のご機嫌をとることの方が重要なノノガキであった。また会おう!(オワリ)
あれから約1ケ月。
時の流れは早いね。もう、普段通りの日常です。
すでにあの日々が懐かしい~。しかし、あの暑さの中、50代という年にあらがいながら頑張ったのになんと体重は3㎏ほど増量に~。神様はいるのか?
そして、話はかわって、この4日間。やっぱり思い出深い日々となりました。何食ったか、もちろんそらで言えるしね。楽しかったぜよ。ありがとう~