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あとがき

自転車旅行を振り返って by 皆見

 よく友人から「自転車旅行ってどこが楽しいの?」という質問を受ける。そして、それに対する私の答はその場その場で毎回異なる。自分の答に「そんなちっぽけなことじゃないんだ」と思いながら。しかし、裏をかえせばそれだけ「我々」の自転車旅行は中身が濃く一口では表現できないのであろう。断っておくが、別に私はうぬぼれてそう述べたのではない。本当にそう思っているのだ。今回、この場を借りて自転車旅行を始めたいきさつや旅行中の3人を振り返り、「我々の自転車旅行」について述べてみたいと思う。

 今思えば、自転車旅行を思いついたのはひょんなきっかけだった。あれは確か私が車の免許を取った翌年、私の運転で隠田と西村と長井で一緒に奥多摩にドライブに行った帰りのことである。途中高尾山の手前(20号線)で渋滞になり、4人で暇を持て余して話していたら「今年の夏休みはどこか旅行に行こう」という話題になった。4人とも車でどこかに行きたいが長井は免許を持っていないし西村は親が車を使うからダメ。私の場合、親父が絶対車での旅行を許さないし、隠田は兄貴の車だから使えないという。車が使えないのなら、その分ちょっと変わった旅行をしたいということで「じゃあ、自転車で旅行しないか」という話しが生まれたのだ。いい出したのは私か隠田かはもう忘れたが西村と長井が笑いながら即座に無理だと言ったのは憶えている。しかし、当時の私と隠田はなぜかこの案に魅力を感じ西村と長井に反発したのだ。今思うと自転車で旅行することに日常にはない冒険の香りがしたのであろう。なにはともあれ、私と隠田はこの時点から自転車旅行を一緒にすることを決め、どうせするなら人がやりそうもないことをしようと決めた。すなわち、家から北海道まで自転車で行き、北海道を一周するという広大な計画(夢物語ともいう)を決めたのだ。それから数ヵ月後に自転車を買ったのだが、その時はまだ野々垣はメンバーに入っていなかった。野々垣がメンバーに加わったのは自転車とテントを買い終わった6月の下旬か7月の頭ぐらいだったと思う。私がたまたま野々垣の家に遊びに行き(この頃野々垣と会うことはめったになかった)軽い気持ちで、「俺と隠ちゃんで自転車で北海道まで行き北海道を一周してくるんだがお前もどうだ?」と聞いたのがきっかけだった。当時、野々垣は家庭教師と塾講師のバイトで忙しくまた、私の誘い自体突拍子もなかったので即座に「忙しいし、自転車旅行なんかかったるい」という返事が返ってくるのかと思いきや、意外にも悩み始めるではないか。はっきりいって、いきなりそんなことを聞かれたら私だったら即座に断ったであろう。その場に野々垣のおばさんが偶然居合わせて野々垣に「行ってきなさいよ」とせっついている。このような展開を予想だにしなかった私は隠田の了承も得ずメンバーを増やすことにちょっとためらいを覚えたが、野々垣なら隠田も文句いわないだろうと判断して「野々垣行こうぜ。こんなことができるのこの学生のうちしかないんだぜ。第一よく考えて見ろ、俺と隠ちゃんとお前が自転車旅行なんかしたものならもう絶対まともな旅なんかじゃなくハチャメチャな旅になるぜ」と本格的に口説くことにした。こうして、野々垣は多少悩んだもののその場で旅行に参加することを決意したのである。野々垣の参加はいわば偶然の産物であったのだが彼がいなかったら、いや誰一人欠けても自転車旅行がこれほどまでにうまくいって楽しい思い出にならなかったであろう。かくして、最高のメンバーが揃ったのである。

 我々3人が北海道(東北)、伊豆・箱根、九州、富士と相も変わらぬメンバーで旅しているのを見て「3人は本当に仲がいいな」と誰もがいう。確かに我々3人は仲がいい。しかし勘違いしないで欲しい。我々は旅行中いつも仲がいいわけではないのだ。殴り合いはさすがになかったものの、本当に頭にきて「こんな連中と旅なんかできるか!」と思ったことは、私自身全ての旅に共通して発生している。ネタをばらすと、たいてい私の相手は隠田である。よくあるパターンは、私が細かいことにこだわりしかも真面目くさったことを言う(隠田曰く)のに対し、隠田が大ざっぱで私にいわせればいい加減な事をいうので対立するのだ。(この場合野々垣が「まぁまぁ」といいながら仲裁にはいる。)もしくは、2人がノホホンとして、私一人がめんどくさい気苦労を背負い込み、不満がたまっていく中、その苦労を知らない2人がつまらぬ不平をいい私の怒りを倍増させるというパターンである(もちろん、彼らなりにいいぶんはあるのであろうがここは私の紙面なので代弁するつもりもないし知ったこっちゃない)。なんにしろ旅行中険悪な場面が必ず存在したことは確かだ。では、なぜ途中で我々の旅行は破綻をきたさなかったのだろう。一つの理由は我々が3人だったことが上げられる。すなわち、二人が険悪な状態になったとき残る一人が仲に入ることができたし、また、重要な決定で意見が対立したとき多数決(我々の旅行では多数決の結果は絶対であった。これが我々の旅行において唯一絶対のルールである)で必ず納得せざるを得ない一つの結論を導き出せたからである(4人ではこうはいかない)。二つ目の理由として、皆この旅行をやり遂げたい(ノコノコ家になぞ帰れないという脅迫観念もなきにしもなかったが)という気持ちと同時に自分一人ではこの旅行は成し遂げられないし旅行の意味がないことを知っていたからだろう。そして三つ目として、我々が小学校、中学校、高校の腐れ縁で相手のことを十分知っていて妙な遠慮がなかったからである。まぁ、こんな理由からか気まずい雰囲気になってもすぐ3人で笑いながら旅することができたのだと思う。

 自転車旅行をしていると必ずいうセリフがある。そのセリフとは「もう、自転車旅行なんか絶対しない」である。全員が必ず全ての旅行中何度も叫ぶ。でも、なぜか旅行が終わるとまた行きたくなるのだ。私がこの点で一番印象に残っているのは九州旅行で枕崎を過ぎ、吹上げに向かう途中の売店前での休憩である。この日はさすがは九州と思われるほど日差しが強く、皆汗だくで日陰に入って休んでいると、野々垣が自慢の大声でこう宣言したのである。
 「悪いけど、俺、今度自転車旅行しようと誘われたらパスするわ。東北、北海道、伊豆、九州とまわったからもう日本は十分って感じだしさ。海外を走るっていうならまだしも、日本での自転車旅行はもういいよ。」
 もちろん、野々垣の意見に私も隠田も反対するわけがなく、私なんか「そりゃいえる。俺ももう絶対やらないよ」と言った記憶がある。しかし、家に帰って1ヶ月後に、3人は今度は富士山の五合目と富士五湖全てを制覇する自転車旅行を計画し、しっかり行ってきているのである。はっきりいって我ながら笑える。もちろん、富士の旅行中もやらなきゃよかったという後悔の声が出たのはいうまでもない。しかし、なぜか自転車旅行は我々を魅了して放さないのである。第一たったの2年間であんなに続けざま旅行をしたのは初めてだ。

 自転車旅行をしていてよかったなぁと感じることを考えてみたい。色々あるが私にとって上位に上げられるのは「毎日が充実している」ことだ。家での生活では3日前どこで何をしていたのか思い出すのもかなり大変なのに、自転車旅行では一週間前に食べた昼飯のメニューだってすぐに思い出される。一日一日がマンネリではない普段とは違う世界をそこには感じるのだ。もう一つが、「旅行中仲間と、共に苦しみ共に心底達成感や喜びを共有できる」こと。これは何といって説明したらいいのか分からないが、とにかく最高である。家に帰ってから3人であそこの景色はああだったとか、お前はああしたとか、その時こうだったとかという共通の思い出を話せるのもうれしい。他にも自転車旅行ならではとして、自動車旅行だとあっという間に走り去って忘れてしまう景色も、自転車旅行では「一つ一つの平凡な風景も思い出として心にとどめておくことができる」メリットがある。何でもない風景なのにその風景をふと思い出すことがあり、それが苦しかったけどそれ以上に楽しかった自転車旅行を思いださせすごくなつかしい気持ちにさせる。もちろん、知らない土地で知らない人とふれあう喜びも自転車旅行ならではの喜びであることはいうまでもない。地方の人たちは本当に親切だった。なんでも無理だと思って勝手にあきらめず、一歩足を踏み出しさえすればそこには苦労以上の喜びが秘められているし、結果はいい方向に向いていくんだということを自転車旅行は教えてくれた気がする。

 以上、ざっと我々の自転車旅行を振り返ってみた。1ヶ月以上も自由にできる学生時代にこんな貴重な体験ができた私はラッキーだったと心から思う。これからは就職をし、離ればなれでかつ忙しく、3人揃って顔を合わすのでさえ難しくなるだろう。しかし、1年に一回は定例として世界中どこにいようと駆けつけ、酒でも飲もうじゃないか。そして、いつかは我々が走った道を3人で辿れたらと今から夢見ている。
おわり


ノノガキ:自転車や ああ自転車や 自転車や


インダ:その通り!それ以上は申すまい。

隠ちゃん直筆付け加え