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今昔物語(伊豆・箱根の巻)

*このページの「現在」は、原則として2026年8月時点の情報です。Google mapから得た画像は2026年8月に公開されているものです。
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平塚駅の昔と今

1995年当時の平塚駅 現在の平塚駅

厚木でのパンクを乗り越え、ようやく辿り着いた平塚駅。1973年に完成した駅舎は、僕らが旅で訪れた当時からあまり変わっていません。平塚は東海道五十三次の宿場町でしたが、隣の大磯宿まではわずか27町(約3キロ)。宿場間の距離としては東海道で三番目の短さでした。これほど近くに宿場が設けられた背景には、鷹狩りを好んだ徳川家康が、この地に滞在所「中原御殿」を構えていたことが関係しているともいわれています。一方、江戸川柳に「平塚の宿は毒にも薬にも」と詠まれるほど、目立った名所に乏しい地味な宿場だったようです。

東海道五十三次 平塚 縄手道

東海道五十三次 平塚 縄手道。
手前の丸い山は高麗山、右手の鋭角な山は大山、その間から富士山が顔をのぞかせます。街道はくねりながら遠ざかり、奥行きを演出しています。松の脇を通過する一瞬を捉えた飛脚の表情も注目です。

小田原城の昔と今

1995年当時の小田原城 現在の小田原城

僕らが旅した当時、常盤木門(ときわぎもん)を抜けると、天守閣を望む広場に無料の小さな動物園がありました。初めて訪れたとき、天守閣の前でインドゾウのウメ子が出迎えてくれるという、なんともカオスな光景にびっくり。例えるなら、カレーと一緒に刺身の盛り合わせが出てきたような感覚です。ウメ子は2009年9月に亡くなり、小田原動物園も段階的に規模を縮小した末、2023年12月14日に閉園しました。今思えば、あの不思議な光景を目にすることができたのは、なかなか貴重な体験だったのかもしれません。

東海道五十三次 小田原 酒匂川

東海道五十三次 小田原 酒匂川(さかわがわ)。
酒匂川を渡れば小田原です。箱根の山の麓に小田原城が小さく描かれています。旅人は輦台に乗ったり、肩車したりと様々な方法で川を渡っています。

貫一お宮之像の昔と今

1995年当時の貫一お宮之像 現在の貫一お宮之像

当時と今で変わったところは、像の右手に尾崎紅葉記念碑が設置(2019年1月)されたことくらいでしょうか。
熱海海岸の「貫一お宮之像」は、尾崎紅葉の小説『金色夜叉』で、間貫一がお宮を足蹴にして別れる名場面を再現したものです。像の原案が発表された際には「女性蔑視ではないか」と抗議の声が上がり、作者はお宮の乱れた裾を整え、表情も穏やかにしたといいます。また、貫一が履いている下駄は舞台などの演出から定着したもので、原作の挿絵では靴姿でした。ちなみに、有名な「来年の今月今夜の月を僕の涙で曇らせてみせる」という場面の日付は1月17日。毎年この日には、熱海で尾崎紅葉祭が開かれています。

金色夜叉挿絵

金色夜叉の挿絵です。

サンハトヤの昔と今

1995年当時のサンハトヤ前 現在のサンハトヤ前

1995年、国道135号沿いで目にしたサンハトヤ。1975年に開業した15階建ての大型リゾートホテルで、海辺にそびえる白い建物は、今も大きく姿を変えず営業を続けています。「伊東に行くならハトヤ」「前は海、後ろはハトヤの大漁苑」といったテレビCMで全国に知られ、魚が泳ぐ大水槽を眺めながら湯に浸かる「海底温泉」は現在も名物です。昭和らしい豪華な造りも、今では「昭和レトロ」として若い世代から再び注目されているそうです。
ちなみに僕らは、当然ここに泊まることもなく、入口の前で写真を撮っただけで立ち去りました。

伊東駅の昔と今

1995年当時の伊東駅 現在の伊東駅

1995年に訪れた伊東駅。1938年、国鉄伊東線の終着駅として開業し、1961年に伊豆急行が下田方面へ延びてからは、JR伊東線と伊豆急行線の境界駅となりました。駅舎は開業当時の建物が今も使われ、外観は僕らが見た頃から大きく変わっていません。ちなみに伊東駅は、JR東日本が管理する駅の中で最も南に位置しています。東京方面から来たJRの列車は、ここから先、私鉄の伊豆急行線へ乗り入れて伊豆急下田まで走ります。見慣れたJRの電車が、そのまま伊豆半島をさらに南へ向かうのも、この駅ならではの面白さだとか。

大衆割烹 ほまれの昔と今

1995年当時のほまれ 現在のほまれ

1995年、旅の最初の夕食をとった「大衆割烹 ほまれ」。現在は割烹店を閉じ、ゲストハウス「Yado Homare」として営業しています。形は変わっても、旅の思い出の場所が今なお残っているのは嬉しいですね。

修善寺駅の昔と今

1995年当時の修善寺駅 現在の修善寺駅

1995年に訪れた修善寺駅。当時の駅舎は1983年に建てられたものでしたが、現在は2014年に完成した新駅舎へと一新されました。駅は1924年に開業した伊豆箱根鉄道駿豆線(すんずせん)の終着駅で、東京から特急「踊り子」が直接乗り入れる私鉄駅でもあります。名前から温泉街の真ん中にあるように思えますが、修善寺温泉までは約2.5キロ離れており、バスで約10分。ちなみに駅名と地名は「修善寺」ですが、温泉街にある寺の正式名は「修禅寺」と、「ぜん」の字が異なります。

独鈷の湯の昔と今

1995年当時の独鈷の湯 独鈷の湯移設工事

修善寺温泉発祥の地とされる「独鈷の湯」。大同2年(807年)、川で病気の父の体を洗う少年に心を打たれた弘法大師が、独鈷杵(とっこしょ)で岩を打つと温泉が湧き出し、その湯で父の病が癒えたと伝えられています。僕らが訪れた1995年当時はまだ混浴の共同浴場で、裸で入浴することができましたが、観光地化が進むにつれて風紀上の問題などが指摘され、やがて全身浴は禁止されました。ところで、1995年当時の独鈷の湯は現在より上流にあり、その後、洪水時に川の流れを妨げる恐れがあるとして、2009年春の工事でなんと約19メートル下流へ移設!同年7月、足湯として再開されました。ただし、現在は足湯としての利用も禁止され、修善寺温泉の歴史を伝える見学施設となっています。
ちなみに、3人のうしろに見える「仲田屋旅館」は、明治10年(1877年)創業の歴史ある旅館で、江戸川乱歩をはじめ多くの文人墨客に愛されました。大正13年(1924年)築の建物は1998年に改修されますが、2004年に廃業。同年に経営者が変わって「湯の宿 花小道」として再出発しますが、コロナ禍の影響もあって2021年に再び宿泊営業は終了しました。しかし建物は解体されず、大正建築の面影を残したままリノベーションされ、現在は食事処やイベント会場など、修善寺温泉の歴史を今に伝える観光拠点として活用されています。

修禅寺の昔と今

1995年当時の修禅寺 現在の修禅寺

1995年に訪れた修禅寺は、弘法大師が807年に開いたと伝わる古刹。境内の姿は大きく変わっていませんが、2014年に山門が修復され、両脇に仁王堂が新設されました。そこに安置された金剛力士像は、もともと約2キロ離れた横瀬地区、現在の修善寺駅付近にあった総門に安置され、寺の最初の門番として睨みをきかせていたといいます。江戸時代から明治初期に総門が失われると、像は近くの八幡社に預けられ、その後、修禅寺の経堂「指月殿」へ移されました。そして2014年、長い時を経て寺の入口に帰ってきたのです。ちなみに修禅寺の正式名は「福地山修禅萬安禅寺(ふくちざん しゅぜん ばんなんぜんじ)」といいます。

韮山反射炉の昔と今

1995年当時の韮山反射炉 現在の韮山反射炉

1995年に訪れた韮山反射炉は、幕末に西洋式大砲を鋳造した、日本で唯一現存する実用反射炉です。2015年に「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界文化遺産に登録され、翌年にはガイダンスセンターも開館。2020~21年には、れんがや鉄骨を補修する大規模な保存修理が行われました。ちなみに、建設を指揮した江川英龍は、日本で初めてパンを焼いた人物としても知られています。

和食蒲焼 高田屋の昔と今

1995年当時の和食蒲焼 高田屋 現在の和食蒲焼 高田屋

三島名物と言ったら「うなぎ」。ということで、当時僕らは、ここ三島にある「和食蒲焼 高田屋」でうな重を美味しく頂きました。「和食蒲焼 高田屋」は、改装は行われましたが、当時と変わらず現在も同じ三島市本町で営業を続けています。創業は1949年。最初は「グリル高田屋」という大衆食堂が始まりで、今も蒲焼だけでなく刺身や天ぷらなど幅広い和食を提供しています。ちなみに、箱根西麓のメークインを使ったご当地グルメ「みしまコロッケ」発祥の店ともいわれています。

三島駅の昔と今

1995年当時の三島駅 現在の三島駅

1995年に訪れた三島駅南口には、1934年の開業時から使われてきた木造駅舎が残っていました。耐震化のため2011年に建て替え工事が始まり、2013年8月に完成。現在の駅舎も、富士山のなだらかな曲線美や三嶋大社の門構えを表現した旧駅舎のデザインを受け継いでいます。ちなみに作家・三島由紀夫の筆名は、編集者と修善寺へ向かう途中、この駅名から思いついたという説があります。

三嶋大社の今

現在の三嶋大社本殿

僕らが当時訪れた三嶋大社は、社殿や境内の趣を今も色濃く残しています。その後、1998年に新しい宝物館が開館し、2000年には本殿・幣殿・拝殿が国の重要文化財に指定されました。源頼朝が源氏再興を祈願した神社として知られ、境内には頼朝と北条政子が座ったと伝わる腰掛け石もあります。また、境内の金木犀は樹齢約1200年と推定され、年に二度花を咲かせる珍しい巨木として国の天然記念物に指定されています。写真は本殿です。

東海道五十三次 三島 朝霧

東海道五十三次 箱三島 朝霧。
背後の鳥居は三島大社の参道入り口に立っています。朝霧の中を発つ旅人の一群を中央に配しています。背景は輪郭線がなく、徐々に薄くなる描写で遠近感と霧が立ちこめる雰囲気を表しています。

箱根峠の昔と今

箱根峠の昔と今

3月中旬の箱根峠はまだ雪が残るうえ途中雹もパラつくなか、17:30ごろ、ようやく、ようやく、箱根峠に辿り着きました。標高846メートルの箱根峠は神奈川・静岡県境に位置し、旧東海道最大の難所「箱根越え」の頂点にあたります。

東海道五十三次 箱根 湖水図

東海道五十三次 箱根 湖水図。
箱根の山道を大名行列が粛々と進んで行きます。険しい岩山を色彩豊かにで表現しています。芦ノ湖を取り囲む山々の向こうには真っ白な富士山が見えます。

ホテルむさしやの今

営業時のホテルむさしや

箱根峠越で精魂尽き果て、体の芯まで冷え切っていた僕らを生き返らせてくれたのが「ホテルむさしや」の展望風呂でした。展望風呂は最上階の5階にあり、本来であれば湯船から眼下に広がる芦ノ湖を一望できるのですが、風呂にありついたのが夕方遅くであったため外は暗く、芦ノ湖の景色はあまり記憶にありません。ただ、ただ、湯船に入り、冷えと疲れをゆっくり洗い流しました。この日の寝床は、ホテルの向かいにある「御殿公園(C・M・バーニー別邸跡)」。雪の残る公園で、ありったけの服を着込み、カイロを抱えてシュラフに潜り込み、寒い一夜を乗り切りました。
なお、「ホテルむさしや」は、残念ながら2024年1月末に閉館しています。

箱根関所の昔と今

1995年当時の箱根関所 現在の箱根関所

「入り鉄砲に出女」で有名な箱根関所は、僕らが訪れた当時はまだ、資料館と一部の復元施設が中心で、現在のような関所全体の姿はまだありませんでした。その後、発掘調査と江戸末期の修復記録を基に、大番所や京口御門、遠見番所などを忠実に再現し、2007年に全面公開。現在は人形展示も交え、当時の取り調べの様子を体感できます。
ところで、1995年の写真の左奥にある木枠だけの門は、その後に続く上り道と、左側が芦ノ湖を面していることから、江戸口御門だと思います。現在の写真にある江戸口御門の写真と全然違いますよね。ちなみに、1995年の写真右手にある建屋は1965年に建てられた旧御番所なのですが、本格復元が進む過程で撤去され、現在は残っていません。

箱根関所マップ

箱根関所の地図です。それぞれの施設について詳しく知りたい場合はこちらをクリック。

大雄山線小田原駅の昔と今

大雄山線小田原駅の昔と今

1995年に訪れた大雄山線小田原駅は、1960年完成の2代目駅舎で、改札口もホームも地上にありました。その後、小田原駅の大規模改良に伴い、2003年3月に現在の駅舎へ建て替えられ、改札口は2階へ移りましたが、線路とホームは地上のままです。
大雄山線は1925年、現在の小田原駅から約500メートル離れた「仮小田原駅」と大雄山駅の間で開業。同駅は後に相模広小路駅と改称され、1935年に路線が現在の小田原駅まで延伸された際に廃止されました。大雄山最乗寺への参詣客を運ぶ鉄道として誕生し、最乗寺が守護神・道了尊にちなみ「道了さん」と親しまれていることから、大雄山線も「道了電車」と呼ばれることがありました。

大磯駅の昔と今

1995年当時の大磯駅 現在の大磯駅

1995年に訪れた大磯駅は、関東大震災後の1925年に建てられた3代目駅舎で、現在もほぼ当時の姿を残しています。その後、エレベーターなどが整備され、湘南新宿ラインや上野東京ラインも停車するようになりました。駅は旧東海道から少し北へ入った場所にあり、大磯宿の中心だった本陣跡までは徒歩数分。江戸時代の大磯宿は、人口や旅籠の数で隣の平塚宿を上回る宿場でした。明治以降は海水浴場や別荘地として発展した一方、平塚は工業・商業都市となり、現在では都市の規模が逆転しています。風情ある木造駅舎は2000年に「関東の駅百選」に選ばれ、海水浴を中心とした近代観光の発展を伝える存在として、2009年には「近代化産業遺産」に認定されました。

東海道五十三次 大磯 虎ヶ雨

東海道五十三次 大磯 虎ヶ雨(とらがあめ)。
「曾我兄弟の仇討ち」の曽我十郎は仇討ち後に命を落としました。悲しんだ大磯の遊女・虎御前の涙を雨に見立てて梅雨の雨を「虎ヶ雨」といいます。人物を後ろから描き、静謐な雰囲気を作り出しています。

平塚八幡宮の昔と今

1995年当時の平塚八幡宮 現在の平塚八幡宮

平塚の中心に鎮座する平塚八幡宮は、1995年当時と変わらず、緑豊かな境内に歴史ある社殿がたたずんでいます。その後、境内には平塚弁財天社や鶴峯山稲荷社などが整えられ、現在は八つのお社を巡る「開運八社詣」が楽しめます。創建は380年、大地震に苦しむ人々を救うため、仁徳天皇が社を建てたと伝わる古社です。

京王線 多摩動物公園駅の昔と今

1995年当時の多摩動物公園駅 現在の多摩動物公園駅

1964年に開業した京王線の多摩動物公園駅。1995年当時は京王動物園線だけが乗り入れる終着駅で、中央大学・明星大学への最寄り駅でもあり、駅前にモノレールの高架はまだありませんでした。2000年に多摩モノレールが開業し、2013年には京王れーるランドの新装に合わせて駅舎も大規模に改装。動物のイラストで彩られた楽しい駅へ生まれ変わりました。現在は屋内遊戯施設「京王あそびの森 HUGHUG」も加わり、周辺一帯が親子で楽しめるエリアになっています。
一方の多摩動物公園では、当時はコアラとライオンバスが二大名物として人気を集めていました。現在もその人気は健在ですが、オランウータンのスカイウォークやユキヒョウ、サーバルなど、見どころはさらに広がっているようです。